THE CHECKERS について

いわゆる80年代の歌謡曲やポップソングと90年代のそれらは少し違うと思っている。
謡曲はいつの間にかどこかへ行ったような気がする。
もっと言うと00年代と10年代のポップソングも違うし、おそらく20年代のも違う。
テレビでは1986年3月にザ・トップテンが終了し、代わって 歌のトップテン  が1990年年3月まで放送された。
1989年9月にはザ・ベストテンが終了した。
このことも関係があるのかも知れない。

海外では90年代頭からグランジとかラップ、ヒップホップが当たり前になったように思う。
1992年に米国にいた頃はボビー・ブラウンのHumpin' Around、ハウス・オブ・ペインのJump Around、ボーイズⅡメンのIt's So Hard To Say Goodbye To Yesterday、サイプレス・ヒルアレステッド・ディベロップメントとかが好きだった。
クリス・クロスというのもいたし!
中でも気に入っていた曲はこれかな。

N2Deep Back To The Hotel

個人的にはその後、ラップとかヒップホップはほとんど聴いたことがないのだけど。
80年代後半にはハウス・ミュージックとかも耳にしていたけど、これも聴くことはなくなったな。
ケン・イシイがEXTRAでヒットした頃にはアンダーワールドケミカル・ブラザーズデリック・メイエイフェックス・ツインを聴くようになったのだけど。

1990年8月だった。
当時、バイト先で少し仲良くなった女の子が「CD買ったのだけど、おかしくない?」と言って、あるCDを渡された。
不良品なら買った店で交換してもらうと言っていた。
渡されたのはチェッカーズのアルバム OOPS! のCDだった。
家に帰って聴いたのだけど、実はそれが初めて聴いたチェッカーズのアルバムだった。
チェッカーズはアイドルバンドだと思っていたのだけど、アルバム OOPS!を聴いて一曲目から「あ、違う!」と思った。
See you yesterdayと次曲のM-3は繋がっている曲なのだが、持ち主の女の子は「おかしい!」と思っていたらしい。
「こういうふうに作られているだけだよ。別に不良品じゃないよ」とかなんとか言ってCDを返したと思う。
その頃にはザ・ベストテンが終了していたから、チェッカーズを耳にするのも久しぶりだった。
それまでのチェッカーズは当たり前にザ・ベストテンとかで見たから、シングル曲はほとんど知っていると思う。

チェッカーズは1980年に久留米で結成された。
藤井都弥(チェッカーズ解散の翌1993年から藤井フミヤに改名。)と武内享を中心に結成され、他のバンドのメンバーから加えていった。
クロベエ」こと徳永善也の場合はすでに腕利きドラマーとして名前が知れ渡っていたところ、車に連れ込まれ、「チェッカーズに入るか山に埋まるか選べ」と言われたらしい。
ちなみにクロベエを車に連れ込んだのは藤井都弥、武内亨、高杢禎彦の三名。
チェッカーズは10名くらいいたこともあったらしいが、プロデビュー時には7名に落ち着いていた。
ヤマハのミュージックコンテスト九州地区大会でジュニア・レディース部門でグランプリを受賞。
デビューの話が舞い込んだが、この時に鶴久政治は高校三年生、徳永善也藤井尚之は高校二年生ということで、プロデビューはメンバー全員が高校卒業後となる。
ちなみにこの頃は全員リーゼントだったらしい。
1983年3月。
徳永善也藤井尚之が高校を卒業し、メンバー全員で上京し、ヤマハ音楽振興会の寮に入る。
1983年7月にシングル ギザギザハートの子守唄 でデビュー。
デビューに際し、メンバー全員のリーゼントが刈られ、チェック柄の衣装を着てデビューすることになった。
ちなみに初期シングル3枚のAB面の計6曲はデビュー前に録音されていた。
その6曲をどの順番でリリースするか、A面B面の組み合わせをどうするかなど考えられていた。
以下ではチェッカーズのシングルのA面B面曲などを記した。
初期は芹澤廣明の曲がA面でヒットしていたが、B面にはだいたいメンバーが書いた曲も収録していたんだな。

ギザギザハートの子守唄
作詞 康珍化
作曲・編曲 芹澤廣明

恋のレッツダンス
作詞 売野雅勇
作曲 武内享
編曲 芹澤廣明

恋のレッツダンス はアマチュア時代の看板といえる曲で、当初はチェッカーズのデビュー曲となる予定だった。
マチュア時代には作詞・作曲とも 武内享 によるものだった。
デビューに際して詞は新たに書かれた。

ギザギザハートの子守唄は発売当初、あまり売れなかった。
2枚目のシングル 涙のリクエスト1984年1月に発売された。
当初、涙のリクエスト は恋のレッツダンスのB面となる予定だった。
シングル 涙のリクエスト は大ヒットした。
オリコン1984年度年間4位。
ザ・ベストテンでは1984年年間2位。
(上半期までなら1位だった!)

涙のリクエスト
作詞 売野雅勇
作曲・編曲 芹澤廣明

あの娘とマッシュポテト
作詞 藤井郁弥
作曲 大土井裕二
編曲 芹澤廣明

1984年5月にシングル 哀しくてジェラシー はリリースされた。
 ギザギザハートの子守唄涙のリクエスト とともにザ・ベストテンなどで3曲同時ベスト10入りするなどした。
オリコン1984年度年間5位。
ザ・ベストテンでは1984年年間3位。

哀しくてジェラシー
作詞 売野雅勇
作曲・編曲 芹澤廣明

サマーガーデン
作詞 売野雅勇 
作曲 武内享 
編曲 芹澤廣明

1984年8月、シングル 星屑のステージ がリリースされた。
オリコンでは1984年度年間8位。
ザ・ベストテンでは1984年年間7位。

星屑のステージ
作詞 売野雅勇
作曲・編曲 芹澤廣明

電撃lookin' & shockin'
作詞 売野雅勇
作曲・編曲 芹澤廣明

個人的には初期のチェッカーズでは 星屑のステージ は一番印象的な曲だったかも。

1984年11月、シングル ジュリアに傷心 がリリース。
1985年12月の 第36回NHK紅白歌合戦 で歌われた。
オリコンの1985年度年間1位。
ザ・ベストテンでは1985年年間23位。
(上半期なら11位。)

ジュリアに傷心
作詞 売野雅勇
作曲・編曲 芹澤廣明

チェッカーズのX'mas Song
作詞 藤井郁弥
作曲 武内享
編曲 チェッカーズ芹澤廣明
 
もともと、ジュリアに傷心 は 傷だらけのイエスタディ というタイトルで、歌詞もまったく違ったらしい。
チェッカーズのX'mas Song はアマチュア時代に武内享が作った曲。
歌詞は当時とはかなり異なるらしい。

1985年3月、シングル あの娘とスキャンダル リリース。
オリコンでは1985年度年間5位。
ザ・ベストテンでは1985年年間4位。
(上半期では2位だった。)

チェッカーズ初主演映画 CHECKERS in TAN TAN たぬき の主題歌。
アルバム 毎日!!チェッカーズ では スキャンダル魔都
として収録された。
歌詞も書き換えられた。

あの娘とスキャンダル
作詞 売野雅勇
作曲・編曲 芹澤廣明

モリーブレンド
作詞 藤井郁弥 
作曲 藤井尚之 
編曲 芹澤廣明

1985年7月、シングル 俺たちのロカビリーナイト をリリース。
オリコンでは1985年度年間8位。
ザ・ベストテンでは1985年年間5位。

俺たちのロカビリーナイト
作詞 売野雅勇
作曲・編曲 芹澤廣明

青い目のHigh School Queen
作詞 藤井郁弥
作曲 徳永善也 
編曲 芹澤廣明

青い目のHigh School Queenはドラマー・徳永善也がが作曲し、ボーカルもとった。
チェッカーズでは唯一の徳永善也のボーカル曲となった。
クロベエアブラーズのライブでもこの曲を歌っていた。

1985年9月、12インチ・シングル HEART OF RAINBOW ~愛の虹を渡って~ / ブルー・パシフィック をリリース。
両A面シングル。
HEART OF RAINBOW は7分以上もある曲。
CMソングとして使用されたから、けっこう印象に残っている。

HEART OF RAINBOW ~愛の虹を渡って~
作詞 売野雅勇
作曲・編曲 芹澤廣明

ブルー・パシフィック
作詞 売野雅勇
作曲・編曲 芹澤廣明

1985年11月、シングル 神様ヘルプ!をリリース。
オリコンでは1985年度年間44位、1986年度年間97位。
ザ・ベストテンでは1985年年間42位。

神様ヘルプ!
作詞 康珍化 
作曲・編曲 芹澤廣明

ひとりじゃいられない
作詞 売野雅勇
作曲・編曲 芹澤廣明

1986年2月、シングル OH!! POPSTAR をリリース。
オリコンでは1986年度年間9位。
ザ・ベストテンでは1986年年間11位。
(上半期では6位。)

OH!! POPSTAR
作詞 売野雅勇 
作曲・編曲 芹澤廣明

おまえが嫌いだ
作詞 藤井郁弥 
作曲 武内享 
編曲 チェッカーズ

1986年6月、シングル Song for U.S.A. をリリース。
英語的には the U.S.A. と記すのが正しいのだが…。
映画 チェッカーズ SONG FOR U.S.A. の主題歌。
この映画にはサックスを吹くマイルスが出てくるのだが、マイルスは劇中で死んでしまう…。
ちなみにこのマイルスは名字。
マイルス・デイヴィスはジャズトランペットだし、実際に亡くなったのは1991年だからセーフ?
ここまで芹澤廣明チェッカーズの曲を手掛けていたが、この曲が最後。
これまでもシングルB面やアルバム収録曲の作詞・作曲にはメンバー自ら手掛けていたものがあったが、以後のチェッカーズの全作詞・作曲はメンバー自らが手掛けた。
また、藤井フミヤとしてはソロのライブではチェッカーズ曲は弟・藤井尚之が作曲したものが主に歌っていたが、2020年11月から解禁。
初期の芹澤廣明・作曲 の曲もライブやテレビなどで披露するようになった。

Song for U.S.A.
作詞 売野雅勇
作曲・編曲 芹澤廣明

WA WA WA
作詞 藤井郁弥
作曲 武内享
編曲 チェッカーズ

なお、THE CHECKERS FAM はチェッカーズ&アンディー檜山&八木橋カンペーの意らしい。
八木橋カンペー(Keyboards)・アンディー檜山(Percussion)はチェッカーズのライブのサポート・メンバーである。
I Love you, SAYONARA 以後のシングル曲の 編曲でTHE CHECKERS FAMの名が使用された。

1987年7月、シングル WANDERER がリリースされた。
オリコンでは1987年度年間25位。
ザ・ベストテンでは1987年年間16位。

WANDERER
作詞 藤井郁弥 
作曲 鶴久政治 
編曲 THE CHECKERS FAM.

JAWSが島にやってきた!
作詞 高杢禎彦藤井郁弥 
作曲 大土井裕二 
編曲 THE CHECKERS FAM.

 1987年3月、シングル I Love you, SAYONARAが発売された。
オリコンでは1987年度年間15位。
ザ・ベストテンでは1987年年間13位。
(上半期では4位だった)

I Love you, SAYONARA
作詞 藤井郁弥
作曲 大土井裕二
編曲 CHECKERS FAM.

PARTY EVERYDAY
作詞 藤井郁弥
作曲 武内享
編曲 CHECKERS FAM.

1987年7月にシングル WANDERER は発売された。
オリコンでは1987年度年間25位。
ザ・ベストテンでは1987年年間16位。

WANDERER
作詞 藤井郁弥
作曲 鶴久政治
編曲 THE CHECKERS FAM.

JAWSが島にやってきた!
作詞 高杢禎彦藤井郁弥 
作曲 大土井裕二 
編曲 THE CHECKERS FAM.

1987年11月6日、シングル Blue Rainが発売された。
同日、Cute Beat Club Band名義の12インチシングル 7つの海の地球儀 が発売された。
Blue Rainはチェッカーズとして初の海外レコーディングされた曲。
オリコンでは1987年度年間88位。
ザ・ベストテンでは1987年年間85位。

Blue Rain 
作詞 藤井郁弥
作曲 藤井尚之
編曲 THE CHECKERS FAM.

WのCherry Boys
作詞 藤井郁弥
作曲 武内享
編曲 THE CHECKERS FAM.

1987年11月6日、Cute Beat Club Bandの12インチシングル 7つの海の地球儀 が発売された。
チェッカーズのシングル Blue Rain と同時発売された。
チェッカーズがロンドンのアストリアシアターでライブレコーディングを行い、それはCute Beat Club Bandのライブアルバム NOT CHECKERS-円高差益還元ライブとして発売された。
藤井郁弥のボーカル以外は現地のミュージシャンによる演奏。
作曲はSpecial Tsuruku つまり鶴久政治
編曲はミッキー・ムーディが担当。
ライブアルバム NOT CHECKERS-円高差益還元ライブがロンドンでレコーディングされた。
ライブアルバム NOT CHECKERS-円高差益還元ライブには 7つの海の地球儀 、ちょっとGive me a break!それぞれのスタジオVer.とライブVer.を収録。
1987年12月6日にはライブ・ビデオ NOT CHECKERS This is THE CUTE BEAT CLUB BAND SHOW として発売された。

Cute Beat Club Band
7つの海の地球儀
作詞 秋元康
作曲 Special Tsuruku
編曲 Micky Moody

Cute Beat Club Band
ちょっとGive me a break!
作詞 秋元康
作曲 Special Tsuruku
編曲 Micky Moody

個人的にはチェッカーズ関連のシングルでは 7つの海の地球儀 がいちばん好きかも。

CUTE BEAT CLUB BANDはアルバム 親愛なるジョージ・スプリングヒル・バンド様 を1985年12月に発売していたが、親愛なるジョージ・スプリングヒル・バンド様 収録の NEXT GENERATION も NOT CHECKERS-円高差益還元ライブに収録された。
NEXT GENERATION はその後のチェッカーズのライブでも演奏されていた。

NEXT GENERATION
作詞 秋元康
作曲 藤井尚之
編曲 後藤次利チェッカーズ

1988年3月にシングル ONE NIGHT GIGOLO が発売された。
ONE NIGHT GIGOLOからシングル・レコードともに
8cmCDも発売されるようになった。
オリコンでは1988年度年間56位。
ザ・ベストテンでは1988年年間53位。

ONE NIGHT GIGOLO
作詞 藤井郁弥 
作曲 武内享 
編曲 THE CHECKERS FAM.

TOY BOX
作詞 藤井郁弥
作曲 鶴久政治 
編曲 THE CHECKERS FAM.

1988年6月にはシングル Jim&Janeの伝説 が発売された。
オリコンでは1988年度年間59位。
ザ・ベストテンでは1988年年間31位。

Jim&Janeの伝説
作詞 藤井郁弥 
作曲 鶴久政治 
編曲 THE CHECKERS FAM.

On The Way
作詞 藤井郁弥 
作曲 藤井尚之 
編曲 THE CHECKERS FAM.

1988年10月、シングル 素直にI'm Sorry が発売された。
オリコンでは1988年度年間68位。
ザ・ベストテンでは1988年年間32位。

素直にI'm Sorry
作詞 藤井郁弥  
作曲 藤井尚之 
編曲 THE CHECKERS FAM.

Cry for The Moon
作詞 藤井郁弥 
作曲 鶴久政治 
編曲 THE CHECKERS FAM.

チェッカーズは 素直にI'm Sorry で1988年12月31日に第39回NHK紅白歌合戦に出場した。
5年連続5回目の紅白歌合戦出場となった。

1989年3月にはシングル Roomが発売された。
オリコンでは1989年度年間37位。
ザ・ベストテンでは1989年上半期6位。

Room
作詞 藤井郁弥 
作曲 鶴久政治
編曲 THE CHECKERS FAM.

T.G.I.F
作詞 藤井郁弥・BANDIT 
作曲 大土井裕二 
編曲 THE CHECKERS FAM.

T.G.I.Fは慣用句 Thank God It's Friday の頭字語。

1989年7月、シングル Cherie は発売された。
オリコンでは1989年度年間62位。
ザ・ベストテンはこの年の9月に終了したので、Cherieはチェッカーズにとってザ・ベストテンで最後に出演した曲。

Cherie
作詞 藤井郁弥 
作曲 鶴久政治
編曲 THE CHECKERS FAM.

Deep Scar
作詞 藤井郁弥 
作曲 武内享 
編曲 THE CHECKERS FAM.

1989年12月にはシングル Friends and Dream が発売された。
オリコンでは1990年度年間74位。

Friends and Dream
作詞 藤井郁弥 
作曲 鶴久政治
編曲 THE CHECKERS FAM.

ONCE UPON A TIME (Instrumental)
作曲 大土井裕二 
編曲 THE CHECKERS FAM.

カップリングでインストが収録された!
チェッカーズのシングルでアナログ・レコードで発売されたのは Friends and Dream が最後となった。

1990年3月にはシングル 運命 (SADAME)が発売された。
オリコンでは1990年度年間90位。

運命 (SADAME)
作詞 藤井郁弥 
作曲 藤井尚之 
編曲 THE CHECKERS FAM.

DOGS VS CAT'S
作詞 藤井郁弥 
作曲 鶴久政治 
編曲 THE CHECKERS FAM.

DOGS VS CAT'Sのメインボーカルは高杢禎彦が務めた。

1990年6月にはシングル 夜明けのブレス が発売された。
オリコンでは1990年度年間34位。

夜明けのブレス
作詞 藤井郁弥
作曲 鶴久政治
編曲 THE CHECKERS FAM.

Space Lovers
作詞 藤井郁弥
作曲 藤井尚之
編曲 THE CHECKERS FAM.

藤井郁弥はこの夜明けのブレス発売時期に一般女性と結婚している。
夜明けのブレス で第41回NHK紅白歌合戦 に出場した。
紅白歌合戦には7年連続7回目の出場となった。

1990年11月にシングル さよならをもう一度 は発売された。
以後、あっさりとした記述になるのはおそらく、藤井郁弥が結婚してチャートアクションがおとなしめになったから。

さよならをもう一度
作詞 藤井郁弥 
作曲 藤井尚之 
編曲 THE CHECKERS FAM.

Hello
作詞 藤井郁弥
作曲 武内享 
編曲 THE CHECKERS FAM.

1991年3月にはシングル Love '91 を発売。

Love '91 
作詞 藤井郁弥
作曲 大土井裕二
編曲 THE CHECKERS FAM.

チャイナタウン
作詞 藤井郁弥
作曲 武内享
編曲 THE CHECKERS FAM.

1991年9月にはシングル ミセス マーメイド が発売された。
オリコンでは1991年度年間77位。

ミセス マーメイド
作詞 藤井郁弥
作曲 鶴久政治
編曲 THE CHECKERS FAM.

誰もいないWeekend
作詞 藤井郁弥 
作曲 大土井裕二 
編曲 THE CHECKERS FAM.

ミセス マーメイド(オリジナル・カラオケ)

チェッカーズはミセス マーメイドで第42回NHK紅白歌合戦』に出場した。
8年連続8回目の出演。

1991年12月にはシングル ふれてごらん 〜please touch your heart〜 を発売した。

ふれてごらん 〜please touch your heart〜
作詞 藤井郁弥 
作曲 藤井尚之 
編曲 THE CHRCKERS FAM.

トライアングルブルー
作詞 藤井郁弥 
作曲 鶴久政治 
編曲 THE CHECKERS FAM.

ふれてごらん 〜please touch your heart〜(オリジナルカラオケ)

1992年3月にはシングル 今夜の涙は最高 が発売された。

今夜の涙は最高
作詞 藤井郁弥 
作曲 藤井尚之 
編曲 THE CHRCKERS FAM.

今夜は何処へ送りましょうか
作詞 藤井郁弥 
作曲 武内享 
編曲 THE CHECKERS FAM.

今夜の涙は最高(オリジナルカラオケ)

1992年5月にはシングル Blue Moon Stone

Blue Moon Stone
作詞 藤井郁弥
作曲 藤井尚之
編曲 THE CHECKERS FAM.

Don't cry sexy
作詞 藤井郁弥
作曲 武内享
編曲 THE CHECKERS FAM.

1992年11月にはシングル Present for you が発売された。
チェッカーズの30枚目となるシングルであり、最後のシングル。

Present for you
作詞・作曲 The Checkers 
編曲 THE CHECKERS FAM.

(実際は
作詞 藤井郁弥
作曲 武内享

Thank you very much!!
作詞・作曲 The Checkers 
編曲 THE CHECKERS FAM.

(実際は
作詞 藤井郁弥
作曲 大土井裕二

Present for you(original karaoke

チェッカーズは1992年12月28日に日本武道館でラストライブを開催した。
このラストライブの模様は翌年にライブアルバム THE CHECKERS FINAL ラスト武道館ライブ1992.12.28 として発売された。

2022年には 伝説のコンサート / チェッカーズ ファイナル・ツアー in 武道館 リマスター版 としてBSで放送された。
また、一夜限りの劇場上映が実施されたりした。
スゴいな…。

1992年12月31日 チェッカーズは第43回NHK紅白歌合戦に出場した。
チェッカーズは活動期間で紅白歌合戦に9回出場。
1984年に 涙のリクエスト で初出場以来、解散まで毎年出場したわけだ。
1992年出場時には フェアウェル・メドレーとして

ギザギザハートの子守唄
涙のリクエスト
星屑のステージ
I Love you, SAYONARA
Present for You

以上の5曲をメドレーで演奏した。
これをもってチェッカーズは解散した。

2022年12月にはチェッカーズ40周年ということで、初アナログ・シングル化を含む7インチシングルBOXがリリースされた。
完全限定生産BOXセット仕様。

・素直に I'm Sorry
・Room
・Cherie
・夜明けのブレス
・ミセス マーメイド
・Blue Moon Stone

計6枚をアナログ7インチシングルとして復刻。
素直に I'm Sorry、Room、Cherie は当時、アナログで発売されていたが、プレス枚数が少なかったらしい。
夜明けのブレス、ミセス マーメイド、Blue Moon Stoneは初アナログ化。

クロベエこと徳永善也チェッカーズ解散後にリトルバッハというバンドで活動したが、数年で解散。
クロベエは所属事務所を退所し、芸能活動をやめて
大型トラックの運転手として生活していた。
鶴久のレコーディングとライブにドラマーとして参加・出演するようになり、ドラマーとして復帰。
2002年には博多時代から親交のある隈富太郎のバンド、WILD-G に加入していた。
チェッカーズの楽器陣である徳永善也武内享大土井裕二藤井尚之はかつてチェッカーズ活動時にも、サニー徳永とジ・アブラーズと名乗っていたことがあった。
その4人は2003年にはアブラーズとして活動をはじめた。
メンバーはそれぞれサニー徳永、アンバサダー武内、アルマジロ大土井、リットル藤井と名乗った。
2004年7月にはアブラーズのイベント あぶらまつり が行われた。
徳永善也がステージにあがったのは一曲だけだった。
これが徳永善也の最後のステージとなった。
8月17日に徳永善也は舌癌で亡くなった。
享年40。
若い…若すぎる…。
徳永善也の最期を看取ったのはフミヤと武内・大土井・尚之。
高杢禎彦鶴久政治は病室にも入れなかったらしい。
徳永善也の送る会には高杢・鶴久は発起人から外さた。
2003年には高杢は自身ががんを患っていたことや
チェッカーズの解散の原因などを暴露した本 チェッカーズ を刊行した。

数年前ヤフーかなんかでチェッカーズ特集みたいなのを読んだことがある。
一般人からのコメントではクロベエが亡くなったこと、フミヤと高杢の確執あたりから、意外なほどチェッカーズ再結成について否定的な意見がほとんどだった。

鶴久政治チェッカーズ時代にもけっこうヒット曲を手掛けていたが、2022年にもSTU48に楽曲提供した 花は誰のもの? が44万枚を超える売上を記録したりして音楽界活動は充実しているよう。
以前には沢田研二に曲を提供した人だから!
意外と(?)テレビでは芸能番組にもけっこう出ているんだよな。
バラエティ番組やドラマも出ていたもの。

藤井尚之チェッカーズでヒット曲を手掛けていたが、こちらも沢田研二に楽曲を提供している。
兄の藤井フミヤのほかにも小泉今日子などにも楽曲提供した。
なかには 猿岩石 の 白い雲のように とかさ!

猿岩石 
白い雲のように
作詞 藤井フミヤ
作曲 藤井尚之
編曲 松浦晃久

チェッカーズ藤井フミヤの楽曲はYouTubeにきっちり上がっているのもよいと思う。
チェッカーズメンバーの楽曲はたぶんポニーキャニオン時代の分はきっちり上がっているんじゃないかな。