Joy Division について

How I wish you were here with me now.

ニュー・オーダーのデビュー・シングル Ceremony のB面 In A Lonely Placeのインナー・グルーヴに刻まれた一節である。
ニュー・オーダーイアン・カーティス亡き後に残されたメンバーがジョイ・ディヴィジョンから新たに結成したバンド。
Ceremony と In a Lonely Place はジョイ・ディヴィジョン時に書き上げられたナンバーだった。
ジョイ・ディヴィジョンはCeremonyを1980年5月2日、バーミンガム大学のハイ・ホール公演で披露した。
これがイアン・カーティスがCeremonyをライヴで歌った唯一の機会だった。
この時のライヴ音源は編集盤 スティル で聴くことが出来る。
In a Lonely Placeもイアン・カーティスが歌詞を書き、ジョイ・ディヴィジョンはデモ音源を録っていた。
 
個人的にはジョイ・ディヴィジョンの名前を知ったのは、ニュー・オーダーの12インチ・シングルのコンピCD サブスタンスを購入して解説を読んだときだったと思う。
その後、FMラジオのクロスオーバー・イレブンで Atmosphere がオンエアされた時にジョイ・ディヴィジョンを初めて聴いた。
一発で好きな曲だと思った。
現在でもジョイ・ディヴィジョンで一番好きな曲。

Atmosphere

それでジョイ・ディヴィジョンのコンピ ザブスタンス の輸入盤をタワーレコードで購入した。
Love Will Tear Us Apart もこのコンピ サブスタンス で聴いて知った。

ところで Love Will Tear Us Apart はジョイ・ディヴィジョンの代表曲のような扱いされているようだけど、個人的には Atmosphere のが好き。
サブスタンスを買ったあとに輸入盤でアルバム アンノウン・プレジャーズ と クローサー を購入した。
ジョイ・ディヴィジョンのCDはボックスセット ハート・アンド・ソウル 以外はすべて輸入盤で所有しているのだけど。

1976年6月4日、セックス・ピストルズのライヴがマンチェスターのレッサー・フリー・トレード・ホールで行われた。
バーナード・サムナーとピーター・フック、テリー・メイソンは観客としてその場にいた。
チケット代は50ペンスで、当日のライヴの客数は42人だったという。

ちなみにマンチェスターのフリー・トレード・ホールは1966年5月17日、ボブ・ディランに「Judas!(裏切り者、ユダ)」と観客のひとりが野次り、それに対してディランは「I Don't believe you」続けて「You are liar」と言い、ロビー・ロバートソンの「Play it fuckin' loud」で Like A Rolling Stone がはじまる…で知られる場所でもある。
この一連のやりとりはRoyal Albert Hallとして海賊盤で売られ、のちにディランのブートレッグ・シリーズ第4集で聴ける。
ディランの「I Don't believe you」は曲名でもあり、当日でも演奏され、こちらも収録された。
ところでフリー・トレード・ホールとレッサー・フリー・トレード・ホール。
場所は同じだけど大ホールと小ホールだったりするのだろうか?
違いが分からない…。

1976年6月4日のセックス・ピストルズのライヴはピート・シェリーやホワード・デヴォートが主催したもの。
ピート・シェリーは当日はキャッシャーをやったり受付で客の相手をしていたという。
見た43人にはそのふたりとバーナード・サムナー、ピーター・フック、イアン・カーティスの他にもマーク・E・スミス、ミック・ハックネル、トニー・ウィルソン、当時は17歳だったモリッシーもいた。
ピート・シェリーとピート・シェリーはバズコックスを、マーク・E・スミスはザ・フォールを、ミック・ハックネルはシンプリー・レッドモリッシーザ・スミスを後に結成するし、トニー・ウィルソンは後にファクトリー・レコードを立ち上げる。

1976年6月4日のセックス・ピストルズのライヴは2002年の映画 24アワー・パーティ・ピープルや2007年の映画 コントロールでも描かれた。
セックス・ピストルズが1976年に行った4公演は2016年に完全盤でLive '76として公式にリリースされた。
CD4枚組あるいはLP4枚組で発売され、ディスク1はまさに1976年6月4日のマンチェスター、レッサー・フリー・トレード・ホール公演。

バーナード・サムナーとピーター・フック、テリー・メイソンの3人はセックス・ピストルズのライヴに衝撃を受け、自らのバンドを結成することを決意した。
後にピーター・フックは、「コンサートはとてもひどいもので音もひどかった。これがパンクなら俺にもできる!」と思った、と語った。
バーナード・サムナーは以前に母親に買ってもらったギターがすでにあったが、ピーター・フックは翌日に楽器店でベースを買ったという。
母親から借りたお金で。
テリー・メイソンはバーナード・サムナーらにセックス・ピストルズのことを教えた人物。
スティッフ・キトゥンズ時代にヴォーカルだったりギターだったりドラムだったりしたが、その後にはジョイ・ディヴィジョンのマネージャーとなっていたことも。
1978年にはロブ・グレトンがジョイ・ディヴィジョンのマネージャーとなった。
ロブ・グレトンは引き続きニュー・オーダーのマネージャーを務めていて、ハシエンダの共同経営者のひとりでもあった。
ロブ・グレトンはニュー・オーダーがアルバム ゲット・レディを制作中だった1999年に亡くなっている。

レコード店に貼ってあったメンバー募集の紙を見てイアン・カーティスが加入した。
イアン・カーティスには以前にライヴ会場で会ったことがあったことがあったからオーディションなしで加入が決まったらしい。
バンド名は初期にはスティッフ・キトゥンズ、1977年5月からはワルシャワ と名乗った。
7月には5曲のデモを録音している。
8月にはドラムにスティーヴン・モリスが加わった。
ティーヴン・モリスはイアン・カーティスと同じ学校に出身で一学年下。
別にワルシャワ・パクトというバンドがあったのが分かったため、1978年1月にはバンド名をジョイ・ディヴィジョンと改名した。

ジョイ・ディヴィジョンのメンバーは、

イアン・カーティス (ヴォーカル)
・バーナード・アルブレヒト (ギター、キーボード)
・ピーター・フック (ベース)
・スティーヴン・モリス (ドラム)

ちなみにバーナード・サムナーは、ジョイ・ディヴィジョン時代はバーナード・アルブレヒトという芸名を名乗っていた。
バンド名をジョイ・ディヴィジョンにすることを思いついたのもバーナードであった。

ジョイ・ディヴィジョンは1978年5月3日・4日にはRCAレコードでデモ11曲を録音した。
しかし、RCAレコードとの契約はかなわなかった。
この時の音源は後にWarsaw名義で発売されたと思う。

1978年9月20日ジョイ・ディヴィジョン はSo It Goes でテレビ初出演した。
Shadowplayを演奏している。
この番組のパーソナリティはトニー・ウィルソン
トニー・ウィルソンジョイ・ディヴィジョンをテレビ出演させるためにコンタクトを取ったところ、イアン・カーティスからは番組にバンドを呼ばないことへの抗議と罵倒の手紙が届いたという。
トニー・ウィルソンは彼らを番組に呼ぶことを約束した。
トニー・ウィルソン、アラン・イラズマス、マーティン・ハネット、ピーター・サヴィルの4人はファクトリー・レコードの共同創設者。
1978年にファクトリー・レコードを設立した。

マーティン・ハネットはその後にはファクトリー・レコードを脱退。
後にファクトリー・レコードと自らが手掛けた音楽に対する権利をめぐって訴訟を起こした。
この訴訟はファクトリー・レコードが相応の金額を支払うことで決着した。
マーティン・ハネットは1991年4月10日に亡くなった。
ファクトリー・レコードは1992年に負債を抱えて倒産した。
ちなみに1982年5月にオープンしたハシエンダにはファクトリーのカタログ・ナンバーFAC51が付された。
ハシエンダは1997年まで運営されたが、2000年11月には解体された。
現在はアパートメントとなり、その名前もハシエンダとなっている。
そういえば1984年1月、イギリス・デビューに際してマドンナがハシエンダにゲストとして出演した。
その映像はテレビ放送された。

トニー・ウィルソンは2007年8月10日に亡くなった。
トニー・ウィルソンの棺にはFAC501とカタログ・ナンバーが付された。

1979年1月にはジョイ・ディヴィジョンはNMEの表紙を飾った。
1979年1月31日、BBCにてピール・セッションズのために4曲を録音した。
Exercise One、 Insight、 She's Lost Control、 Transmission。
その音源は2月14日にオンエアされた。

1979年3月、ワーナーのサブ・レーベルのジェネティックでレコーディングを行っていた。
ジョイ・ディヴィジョンはジェネティックからの契約を蹴ってファクトリーと契約することになる。

1979年6月、ファースト・アルバム アンノウンプレジャーズ が発売された。
7月に グラナダ TV の番組 What’s On に出演した。
She’s Lost Control を演奏した。
9月にはBBCの番組 Something Else に出演。
TransmissonとShe’s Lost Controlの二曲を演奏した。
1979年11月26日、BBCのピール・セッションズで二度目の出演。     
Love Will Tear Us Apart、Twenty Four Hours、Colony、Sounds of musicの4曲を演奏した。
いずれもこの時はまだ未レコーディング曲。
1979年12月10日にオンエアされた。

イアン・カーティス…。
イアン・カーティスとデボラ・ウッドラフは1972年12月、お互い16歳の時に交際をはじめた。
そして1975年8月には結婚した。
この時、イアン・カーティスは19歳、デボラ・ウッドラフは18歳だった。
1979年4月16日には娘のナタリーが生まれた。
イアン・カーティスは1978年、22歳になってからてんかんを発病するようになった。
イアン・カーティスてんかんは全身が痙攣し、意識が失われる重度の発作だった。
またイアン・カーティスは妻・デボラがいながら、別にベルギー人女性のアニック・オノレとも関係を持っていた。
アニック・オノレは1979年10月からベルギーでライヴやイベントのオーガナイザーをミシェル・デュヴァルとしていた。
ジョイ・ディヴィジョンキャバレー・ヴォルテールなどをベネルクスに呼んでライヴを行っていた。
1980年に設立されたファクトリー・ベネルクス、クレプスキュールの創始者のひとりでもある。
個人的にはクレプスキュールといえばイザベル・アンテナ、アンナ・ドミノ、マイケル・ナイマンウィム・メルテン、ミカドなど。

1980年にバーナード・サムナーはイアン・カーティスから妻・デボラと一緒にいるべきか、アニック・オノレともっと深い関係を結ぶべきか、判断してくれ、と言われたこともあるらしい。
バーナード・サムナーはその回答を拒否した。
セカンド・アルバムの制作時にはイアン・カーティスの病状は悪化していた。
イアン・カーティスがスタジオのトイレで発作の後に洗面台に頭をぶつけて意識を失って床に倒れていたのをピーター・フックが見つけたこともあった。
だが、この時イアン・カーティスが苦しんでいたことについて、ジョイ・ディヴィジョンの他のメンバーは気付かなかったという。
ジョイ・ディヴィジョンの他のメンバーは演奏や録音時の音を気にかけて、歌詞の内容についてイアンに任せっきりだった。
イアン・カーティスが亡くなってから詩の内容や彼感情について考えはじめた。
妻・デボラによると、イアン・カーティスはデボラと出会う以前から20代前半で自殺することを考えていたらしい。
ジョイ・ディヴィジョンのアルバム クローサー は3月に録音された。
イアン・カーティスは1980年4月7日に向精神薬の大量摂取による自殺未遂を起こした。
以降は自宅には戻らずにメンバーや関係者の家を転々とした。
5月17日に妻・デボラと離婚の話し合いをするためにイアン・カーティスは自宅に戻り、デボラと離婚についての話し合ったが決着はしなかった。
デボラはその夜は娘を連れて実家に戻った。
ジョイ・ディヴィジョンアメリカ・ツアーに向かう予定だったその前日の1980年5月18日の朝、イアン・カーティスは自宅で首を吊って自殺した。
昼になって帰宅したデボラがイアン・カーティスの遺体を発見した。
イアン・カーティスは23歳だった。

イアン・カーティスの死のためにジョイ・ディヴィジョンアメリカ・ツアーをキャンセルした。
ジョイ・ディヴィジョンはメンバーが代わると新たにバンド名を変える、という約束をバンド内でしていたらしく、残された3人はニュー・オーダーとして活動していく。
ジョイ・ディヴィジョンのキャンセルしたアメリカ・ツアーは、ニュー・オーダーとして1980年9月21日~9月28日に行った。
ニュー・オーダーは名無しとして1980年7月29日、マンチェスターのThe Beach にて初ライヴを行った。
その後からニュー・オーダーと名乗り、2度のライヴの後で(ジョイ・ディヴィジョンで)中止されたアメリカ・ツアーを行った。
この時のニュー・オーダーイアン・カーティスが歌詞を書いたがスタジオ・レコーディングされていなかったCeremonyとIn A Lonely Placeに、Dreams Never End、Cries & Whispers、Truth、Mesh、Homageなどの新曲を加えて演奏した。
他にもヴェルベッド・アンダーグラウンドのカヴァーのSister Ray。
ヴォーカルはバーナード・サムナー、ピーター・フック、スティーヴン・モリスそれぞれが曲によって
担当した。

New Order
Hurrah,New York City
1980年9月26日

1. In a Lonely Place
2. Procession
3. Dreams Never End
4. Mesh
5. Truth
6. Cries and Whispers
7. Ceremony

個人的にハラーはYMOがライヴを行ったナイトクラブとして記憶していた場所。
ちなみにハラーは1981年初めには閉店した。

ニュー・オーダーはイギリスに帰国後の10月~12月にもライヴを行った。
12月13日にはニュージーランドロッテルダムでも。
ジリアン・ギルバートは10月はじめよりキーボードやギターで参加し、10月25日にはニュー・オーダーで初ライヴを行っている。

ニュー・オーダーは1981年4月から5月に10日間ほどでアルバム ムーブメント をレコーディングし、同年11月にリリースした。
ジョイ・ディヴィジョンクローサーは1980年3月にレコーディングされ、同年7月にリリースされたから、ジョイ・ディヴィジョンからニュー・オーダーになってもけっこうなスピードで作品が制作されたと思う。
まだ彼らは若かったし、それだけ創作意欲があったのかも知れない。
ごく初期のニュー・オーダーの音はジョイ・ディヴィジョンとあまり変わらなかったけど、Everything's Gone Green からはニュー・オーダーって感じになる。
とはいえイアン・カーティスクラフトワークが好きで、ジョイ・ディヴィジョンのメンバーへもクラフトワークの音楽を紹介していてアルバムを聴かせたりしていた。
ジョイ・ディヴィジョンでもシンセは使用されていたし、ニュー・オーダーではシーケンサーを1981年から導入していたから、イアン・カーティスが亡くならなけれはジョイ・ディヴィジョンでもやはりBlue Mondayみたいな音を出していたかも…。

個人的にはジョイ・ディヴィジョンはサブスタンス、アンノウン・プレジャーズ、クローサー、ベスト盤 バーマネント、ボックス ハート・アンド・ソウル、ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョンと購入していった。
ベスト盤 パーマネント 以降はリアルタイムに発売時に購入したはず。
Warsaw のCDは1993年頃に輸入盤店で見た。
その時か1990年代後半に購入した。

1978年6月、ヴァージンから発売された 10inchレコード Short Circuit - Live At The Electric Circus 
ワルシャワとして演奏した音源を収録。
この演奏から3ヶ月後にジョイ・ディヴィジョンにバンド名を変更したため、このアナログ盤にはジョイ・ディヴィジョンとしてクレジットされた。
1977年10月1日・2日、マンチェスターライヴハウス エレクトリック・サーカスの閉店の際に行われたライヴ音源を収録したもの。
ザ・フォール、バズコックスなどの音源も聴ける。
ワルシャワが演奏した  At A Later Date を収録。
例のWarsawで At A Later Date のデモ音源が聴ける。

EP
An Ideal For Living 

1978年6月リリース。
ジョイ・ディヴィジョンのデビューEP。
ジョイ・ディヴィジョン自身のEnigmaレーベルから7インチ・レコードで、10月にはAnonymous Recordsから12インチ・レコードでリリースされた。
まだバンド名はワルシャワだった1977年12月に録音された4曲を収録。
ジャケットのアートワークはバーナード・アルブレヒトが担当し、ヒトラー・ユーゲントを彷彿させる絵を書いた。
彼自身はネオナチであるわけではなく、人を不快に思わせる名称や絵で人の気を惹きたかった、ということだったらしい。
彼自身まだ二十歳そこだったし、人によっては気分を害したことについては申し訳なかった、と後に語った。
同じようにイアン・カーティスも ダニエラの日記 を読んでいたり、WarsawやLeaders Of Menなどナチス・ドイツを思わせる歌詞を書いた。
もっとも内容的にはナチスを礼賛するようなものではないのだけど。

Warsaw

 

No Love Lost

 

Leaders Of Men

 

Failures

 

An Ideal For Living の4曲はCD サブスタンス 1987-1980 、ジョイ・ディヴィジョンのBOX ハート・アンド・ソウル のDISC3に収められている。

2014年にはアナログ盤がレコード・ストア・デイにてライノより再発された。

7インチ・シングル×2
A Factory Sample

1979年1月リリース。
FAC2。
7インチ・シングル2枚組にジョイ・ディヴィジョン、ザ・ドゥルッティ・コラムキャバレー・ヴォルテールなど計4組のアーティストが片面ずつ収録された。
ジョイ・ディヴィジョンはA面にDigital、Glassを提供した。

Digital

 

Glass

 

マーティン・ハネットによって録音されたが、この時のレコーディングではほとんど手を加えていない。
ジョイ・ディヴィジョンの演奏そのままの録音で聴ける。
この時録音された音源は後にGlassのみが スティル に、Digitalのみ サブスタンス のアナログ盤に、CD盤にはDigital、Glassともに収録された。
また、ボックス ハート・アンド・ソウル  のディスク1の1曲目と2曲目にはDigital、Glass が、ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョンにはDigitalのみが収録された。

なお、FAC1はピーター・サヴィルが制作したライヴの告知ポスター。
1978年5月6月にザ・ドゥルッティ・コラムジョイ・ディヴィジョン、ビッグ・イン・ジャパン、キャバレー・ヴォルテールなどによるライヴの告知ポスターで、そのポスターが完成したのはライヴ初日の日だったらしい…。

アルバム 
アンノウン・プレジャーズ
Unknown Pleasures

1979年6月リリース。
ジョイ・ディヴィジョンのファースト・アルバム。
ファクトリー・レコードが初めてリリースしたスタジオ・アルバム。
FAC10。
プロデュースはマーティン・ハネット。
ピーター・サヴィルはこの時、まだアルバムのジャケットをデザインしたことはなかったという。
バーナード・サムナーは「天文学の本がジャケットによいだろう」と言って1978年版のケンブリッジ天文学百科事典をピーター・サヴィルに渡してきたらしい。
彼はアルバム アンノウン・プレジャーズ の音を耳にすることなくジャケットを制作した。
テスト盤ではじめて聴いて、現在でもDisorderがお気に入りとか。

Disorder

 

New Dawn Fades

 

She's Lost Control

 

Shadowplay

 
アルバム アンノウン・プレジャーの初回限定5000枚は即完売したが、再リリースされたのはイアン・カーティス没後。

バーナードとフッキーは当初、マーティン・ハネットによるミックスがジョイ・ディヴィジョンの実際の演奏とかなり違うということでかなり不満を持っていたらしい。
なお、ピーター・フックはジョイ・ディヴィジョンでは4弦だけでなく6弦ベースもピックで弾いていた。

2007年にはリマスターされてCD2枚組でリリースされた。
CD2には1979年7月のマンチェスターのファクトリーでのライヴ音源を収録された。
全12曲。
2015年には2007年リマスターを使用したアナログ盤がリリースされた。

シングル
Transmission

1979年10月リリース。
7インチ・シングル。

 

カップリング曲はNovelty。

1980年10月には12インチ・シングルでリリースされた。

1979年10月に Earcom 2: Contradiction EPが発売された。
ジョイ・ディヴィジョン含む3アーティストがそれぞれ2曲収めたEP。
ジョイ・ディヴィジョンはAutosuggestion、From Safety to Where...?を収録。

1980年1月、ジョイ・ディヴィジョンはヨーロッパでツアー、2月からはイギリス・ツアーを行った。
3月からセカンド・アルバムのレコーディングのためにスタジオ入り。
4月7日にイアン・カーティスは自殺を図ったが、この時には命を取り留めている。
セカンド・アルバムのレコーディングは終了し、ツアーでアメリカへ出発する前日、つまり5月18日の早朝にイアン・カーティスは首を吊って自殺した。
月曜日だった。
この日の昼には妻デボラが帰宅して、亡くなったイアン・カーティスを発見した。
セカンド・アルバムのレコーディングから2ヶ月後だった。
1983年3月にニュー・オーダーはBlue Mondayをリリースした。
Blue Mondayはイアン・カーティスの自殺をテーマに作詞されたものであった。

7インチ・シングル
Licht und Blindheit

1980年3月、フランスのみでリリースされた限定シングル。
特殊パッケージでナンバー入りで発売された。
1578枚限定。
プロデュースはマーティン・ハネット。
A面にAtmosphereが収録された。

カップリングはDead Souls。

シングル
Love Will Tear Us Apart

1980年6月リリース。
Love Will Tear Us Apartは1979年10月からライヴで披露されていた。
翌11月のジョン・ピール・セッション時にも演奏されていたが、レコーディングされたのは1980年1月と3月。

 

3月に録音されたLove Will Tear Us ApartはシングルA面に、1月に録音されたのはB面に収録されたPennine versionと呼ばれるやつ。
Pennine versionはベスト盤 パーマネント の1曲目に、そしてベスト盤 サブスタンスの2015年盤の19曲目として収録された。

Love Will Tear Us Apart (Pennine version)

 

カップリング曲はThese Days、Love Will Tear Us Apart (Pennine version)。

Love Will Tear Us Apartは曲としては3時間で作曲された曲らしいが、レコーディングでは…。
Love Will Tear Us Apartはマーティン・ハネットが一晩かけた最終ヴァージョンをバーナード・サムナーが気に入らなくて明け方まで録り直した。
その録り直したのを、今度はマーティン・ハネットが気に入らないと。
マーティン・ハネットとバーナード・サムナー、ピーター・フックが口論し、スティーヴン・モリスはすでに宿泊先で眠っていた。
マーティン・ハネットとバーナード・サムナー、ピーター・フックのうちの誰かが宿泊先に車で駆けつけてスティーヴン・モリスを叩き起こして連れ戻して再びレコーディングした…という。

Love Will Tear Us Apartはすでに1980年1月に録音されたヴァージョンがあり、それはシングルB面に収められたヴァージョンで、シングルA面のが最後に録り直したものと思われる。
ジョイ・ディヴィジョンYouTubeにはLove Will Tear Us Apart  (Martin Hannet Version)があり、これが最後に録り直す前のヴァージョンか。

Love Will Tear Us Apart  (Martin Hannet Version)

 

Love Will Tear Us ApartのPVは1980年4月25日に録画されたもの。
ジョイ・ディヴィジョンとして最後の映像となった。
バーナード・サムナーはキーボードを弾き、イアン・カーティスは歌唱中もVox社のPhantom VI Specialギターを抱えていて、間奏になるとPhantom VI Specialを弾いていた。
ちなみにバーナード・サムナーはイアン・カーティス亡きあとにはPhantom VI Specialを受け継いでニュー・オーダーのシングル Everything's Gone Greenをはじめニュー・オーダーの初期の楽曲のいくつかで使用した。

Love Will Tear Us Apartはオリジナル・アルバム未収録曲。
ジョイ・ディヴィジョンのベスト盤で聴くことができる。
アルバム クローサー のリマスター盤のディスク2の1980年2月8日、ロンドン大学でのライヴではLove Will Tear Us Apartのライヴ音源を聴くことが出来る。

Love Will Tear Us Apart  (live at the University of London Union, 8 February 1980)

 

シングル
Komakino

1980年6月、フリー・レコードとしてリリース。

Komakino

カップリングはIncubation 、 As You Said。

アルバム 
クローサー
Closer

1980年7月リリース。
ジョイ・ディヴィジョンのセカンド・アルバム。
プロデュースはマーティン・ハネット。
1980年3月に録音された。

Atrocity Exhibition

Isolation

Twenty Four Hours

 

The Eternal

 

Decades

 

2007年にはリマスターされてCD2枚組でリリースされた。
CD2には1980年2月8日、ロンドン大学のライヴ音源を収録された。
全12曲。
11曲目・12曲目は当日のアンコールでの演奏。
2015年には2007年リマスターを使用したアナログ盤がリリースされた。

2019年6月14日には アンノウン・プレジャーズ が40周年というわけで、あのジャケットを白カヴァーにしたアナログ盤をリリースし、新MVが創られた。
翌15日にはマンチェスターではジャケットをTシャツにして無料で配られたり、同市庁舎とその複合施設にアンノウン・プレジャーズのアートワークや歌詞が投影された。

このクローサーを録音中、雨の中ずぶ濡れとなった4人のアイリッシュがマーティン・ハネットを尋ねて「自分たちのアルバムをプロデュースして欲しい」と頼みに来た。
レコーディング・ルームから見ていたピーター・フックは「あんな偏屈なプロデューサー、やめときゃいいのに」と大笑いしてバーナードとスティーヴンと話していたそう。
その4人のアイリッシュとは若き日のU2のメンバー。
U2のシングル 11 O'Clock Tick Tock はマーティン・ハネットで1980年3月にレコーディングされ、5月にリリースされた。
ちなみにU2のファースト・アルバム ボーイ はスティーヴ・リリーホワイトがプロデュースして1980年7月から9月に録音されて10月にリリースされた。

シングル
Atmosphere

1980年9月、12インチ・シングルにてリリース。

 

1979年10月にマンチェスターロッチデールのカーゴ・スタジオにてレコーディングされた。
カップリング曲はShe's Lost Control。

1988年7月に編集盤 サブスタンス 発売に伴い、シングル Atmosphere は8月に再リリースされた。
ジャケットはオリジナル盤とは変更され、7インチ・シングル、12インチ・シングル、シングルCDでリリースされた。
カップリングはThe Only Mistake、Sound Of Music。
その他にもカップリングがTransmission(ファクトリーでのライヴ音源)、Love Will Tear Us Apartというものも。

コンピ盤
スティル
Still

1981年10月リリース。
全20曲。
アナログ盤とカセットは全21曲。
未発表テイクとライヴ音源で構成されたLP2枚組。
CDでは1枚。
プロデュースはマーティン・ハネット。
マーティン・ハネットはこのコンピレーションの編集作業とニュー・オーダーのファースト・アルバムのレコーディングを並行して行った。
ちなみにニュー・オーダーはシングル Ceremony で
1981年1月にデビュー、ジリアン・ギルバートが加入して9月にセカンド・シングル Procession、ジリアン・ギルバートが演奏に加わった Ceremony、11月にアルバム ムーブメント、12月にベルギーでEverything's Gone Green をリリースした。
いずれもプロデュースはマーティン・ハネット。

スティル のLPの初回盤は5000セット限定。
グレーの布張りカヴァーに収められ、背表紙の部分には白いリボンがあった。

LP1にはスタジオ音源で、Sister Rayのみライヴ音源。
スタジオ音源はすべて未発表。
Sister Rayはヴェルヴェット・アンダーグラウンド
カヴァーで、ジョイ・ディヴィジョンがライヴで演奏した音源がLP1のラストに収録された。
1980年4月2日、ムーンライト・クラブでの音源。

LP2は1980年5月2日にバーミンガム大学でのライヴ音源で、ジョイ・ディヴィジョンが行った最後のライヴである。
未発表曲だったCeremonyを演奏した。
この時のライヴではイアン・カーティスてんかんの発作が悪化し、よろけながらステージを降りたという。
同日のTwenty Four Hoursのライヴ音源は、アナログ盤のみのシークレット・トラック。
サイドCの最後に収録された。
これまでTwenty Four Hoursのライヴ音源はCD化されていない…。

Ice Age

 

The Only Mistake

 

Something Must Break

 

Dead Souls

 

Ceremony

 

2007年にはリマスターされてCD2枚組でリリースされた。
CD2には1980年2月20日、ハイ・ウィカムのタウン・ホールでのライヴ音源8曲とサウンドチェック時の音源6曲が収録された。
1980年2月20日のハイ・ウィカムのタウン・ホール公演での演奏曲はInsightのみ既発表曲で、その他はおよそ1ヶ月後にアルバム クローサー でレコーディングされる曲ばかり。

2015年には2007年リマスターを使用したアナログ盤がリリースされた。

オリジナル・アルバム2枚ではどちらか言うとアルバム クローサー のが好き。
2008年にはリマスターされたスティルを輸入盤で購入した。
この時にはじめてスティルを購入した。

ベスト盤
サブスタンス
Substance 1977-1980 

1988年リリース。
アナログ盤は全10曲、CDには全17曲を収録。
2015年にはリマスターされ、アナログ盤2枚組、CDでリリースされた。
As You Said、Love Will Tear Us Apart (Pennine version)の2曲が追加された全19曲を収録。

ボックス
ジョイ・ディヴィジョン・ボックス
1977 - 1980

1991年12月リリース。
日本でのみリリースされたCD5枚組・ボックス入り・ブックレット付き。
アンノウンプレジャーズ~スティルの3枚とサブスタンス、さらにAtmosphere (Original Mix) / She's Lost ControlのシングルCDという5枚組。
   

ベスト盤
パーマネント~ベスト・オブ・ジョイ・ ディヴィジョン
Permanent 

1995年リリース。
全16曲。
1曲目はLove Will Tear Us Apart (Pennine version)で16曲目はLove Will Tear Us Apart (Permanent Mix)。
(Permanent Mix)はこの時の新たなミックス。

ボックス・セット
ハート・アンド・ソウル 
Heart and Soul

1997年リリース。
CD4枚組。
ディスク1にアンノウン・プレジャーズの収録曲やその時期のシングル曲や提供曲など全21曲、ディスク2にクローサーの収録曲、その時期のシングル曲など全17曲を収録。
ディスク3にはAn Ideal for Livingの4曲、KomakinoのB面のAs You Said、デモ音源やラジオ音源など全24曲を収録。
ディスク4はライヴ音源集。
全19曲。
1~10曲目は1979年7月、ファクトリーでのライヴ音源。
11曲目はAutosuggestionの1979年8月2日、ロンドンのYMCAでのライヴ音源。
12~14曲目 1979年11月2日、ボーンマスウィンターガーデンでのライヴ音源。
15〜19曲目 1980年2月29日、ロンドン、ライセアムでのライヴ音源。

国内盤は1998年2月に発売された。

ライヴ盤
ライヴ・イン・プレストン
PRESTON 28 FEBRUARY 1980

1999年リリース。
全12曲。

2014年にはアナログ盤が復刻された。

ライヴ盤
The Complete BBC Sessions

2000年10月リリース。
ジョイ・ディヴィジョンBBC出演時の音源をまとめたもの。
1986年と1987年にジョイ・ディヴィジョンのThe Peel Sessions EPがリリースされていて、それぞれ1979年1月収録分の4曲と1979年11月収録分の4曲
が収録されていた。 
その2枚をまとめたPeel Sessions compilationが1990年にリリースされた。
The Complete BBC Sessionsは既発のPeel Sessions compilationの8曲にBBCテレビのSomething Elseでジョイ・ディヴィジョンが演奏した2曲(TransmissionとShe's Lost Control)とイアン・カーティスとスティーヴン・モリスのインタビューが追加収録されたもの。
2008年のThe Best of Joy Division のUK盤のボーナスCDにもなった。

ライヴ盤
ライヴ・イン・パリ 
Les Bains Douches 18 December 1979

2001年リリース。
1979年12月18日に行われたパリでのライヴ(1~9曲目。)と、1980年1月11日オランダ、アムステルダムのパラディソでのライヴ(10~12曲目。)、1980年1月18日オランダ、アインくトホーフェンのEffenaarでのライヴ(13~16曲目。)の模様を収録。
全16曲。
まだリリース前のLove Will Tear Us ApartやAtmosphereが演奏されている。

Love Will Tear Us Apart

 

Atmosphere

 

2002年には映画 24アワー・パーティー・ピープル が公開された。
ファクトリー・レコードのトニー・ウィルソン回顧録を基にしたもので、前半はジョイ・ディヴィジョン、後半はハッピー・マンデーズを中心に取り上げられた。
ちなみに映画のタイトルはハッピー・マンデーズの曲名から。
映画 24アワー・パーティー・ピープルのサントラにはセックス・ピストルズ、クラッシュ、バズコックスの他、ジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダーハッピー・マンデーズなどが収録された。
ジョイ・ディヴィジョンの曲はTransmission、Atmosphere、She's Lost Control、Love Will Tear Us Apartで、ニュー・オーダーの曲はTemptation、Blue Monday、Here To Stay (Full Length Vocal)が選曲された。
New Dawn Fadesはニュー・オーダー・フィーチャリング・モービー によるジョイ・ディヴィジョンのカヴァー曲も。

ライヴ盤、インタビュー集
Let the Movie Begin
レット・ザ・ムーヴィー・ビギン

2005年リリース。
日本国内盤は翌2006年に輸入盤に日本語解説を付けたのが発売された。
イアン・カーティス没後25年と映画 コントロール のクランクインを記念してリリースされた未発表音源集。
ワルシャワ時代の1977年のデモ、1978年5月のRCAセッション、1980年1月のオランダでのライヴなどの14曲に、生前のイアン・カーティス、バーナード・サムナー、スティーヴン・モリス、マーティン・ハネットらのインタヴューを収録。
全世界5000枚限定。
デモ音源あるいはライヴ音源が終わるごとにインタビュー音声、またデモ音源やライヴ音源のあとにインタビュー音声…という仕様。
デモ音源やライヴ音源全14トラックで、インタビュー音源は12トラックある。

2008年にアナログ盤2枚組でリリースされた。
2023年にはアナログ盤2枚組で再発された。
2024年にはCDで再発された。

2007年には映画 コントロール が公開された。
全編モノクロでイアン・カーティスを描いた伝記映画。
イアン・カーティスはじめジョイ・ディヴィジョンのメンバーも描かれている。
監督はアントン・コービン
ミュージシャンのフォトグラファーや音楽PVの監督で知られていると思う。
あと、U2デペッシュ・モードの写真集とか。

原作はイアン・カーティスの妻 デボラ・カーティスの著作 タッチング・フロム・ア・ディスタンス イアン・カーティスジョイ・ディヴィジョン
コンサートのシーンの撮影には当時、実際のジョイ・ディヴィジョンのファンを迎えて撮影した。
イアン・カーティス役のサム・ライリーは撮影時、観客役から「よくなかったら承知しないよ」とか言われたりしたらしい。

2007年にはジョイ・ディヴィジョンのドキュメンタリー・フィルムも公開された。
ジョイ・ディヴィジョンのライヴ映像やバーナード・サムナー、ピーター・フック、スティーヴン・モリス、トニー・ウィルソン、愛人だったアニーク・オノレ、映画 コントロール の監督のアントン・コービンなどのインタビュー、初公開となったイアン・カーティスの肉声テープなど。

ベスト盤
ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン
The Best of Joy Division

2008年3月リリース。
全14曲を収録。

UK盤・日本盤はCD2枚組でCD2はThe Complete BBC Recordings。
全10曲+イアン・カーティスとスティーブン・モリスのインタビュー。

ピーター・フックは2010年に著書 ハシエンダ マンチェスター・ムーヴメントの裏側 を著した。
原題 The Hacienda: How Not to Run a Club 。
日本語訳は2012年に刊行された。
その後も2012年には Unknown Pleasures: Inside Joy Division、2016年にSubstance Inside New Order を刊行したが、いまのところ日本語版は出版されていない…。
Substance Inside New Orderイアン・カーティスの死とジョイ・ディヴィジョンの解散から始まるニュー・オーダーの歴史を網羅したもので、全ツアーの日程と全ての公演のセットリスト、バンドが使用していた楽器や機材の詳細がつづられているらしい。

バーナード・サムナーは2014年に著書 ニュー・オーダージョイ・ディヴィジョン、そしてぼく を著した。
原題 Chapter and Verse - New Order, Joy Division and Me 。
日本語訳は2015年9月に刊行された。

同2014年にはイアン・カーティスの遺した歌詞や創作メモをまとめた本をデボラ・カーティスと音楽評論家のジョン・サヴェージが監修した So This Is Permanence Ian Curtis, Joy Division Lyrics and Notebooks を刊行した。

この灼けるほどの光、この太陽、そしてそれ以外の何もかも──ジョイ・ディヴィジョン ・オーラル・ヒストリー。
原題 This Searing Light, the Sun and Everything Else: Joy Division
著・ジョン・サヴェージ
2019年に4月に出版され、同年8月に日本版が発行された。

ピーター・フックは2007年にニュー・オーダーを脱退。
ニュー・オーダー解散を宣言したが、バーナード・サムナーとスティーヴン・モリスはこれを否定する声明を出した。
実際、ニュー・オーダーはピーター・フックに代わるベーシストを加えて活動したし。

2010年にピーター・フックはバンド、ピーター・フック&ザ・ライトを結成した。
ピーター・フックがベースとヴォーカルを担当。
2010年にはジョイ・ディヴィジョンのアンノウン・プレジャーズを再現するツアーを行い、翌2011年にはクローサーを再現するツアーを行った。
以降はジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダーの楽曲を再現するツアーを行い、そのツアーからライヴ・アルバムをリリースしたりしている。
ライヴ・アルバムのリリースはすでに十数枚を数える。

ピーター・フック&ザ・ライトは2022年8月から Joy Division: A Celebration と題されたツアーを行った。
ニュー・オーダーの曲、アンノウン・プレジャーズ、クローサーをそれぞれ収録順に、その他のジョイ・ディヴィジョンの曲を再現するツアーを行った。

Peter Hook & the Light
Joy Division A Celebration
Metro, Chicago, IL, USA
2022年8月19日

1. Your Silent Face
2. Dreams Never End
3. Age of Consent
4. True Faith
5. The Perfect Kiss

6. Disorder
7. Day of the Lords
8. Candidate
9. Insight
10. New Dawn Fades
11. She's Lost Control
12. Shadowplay
13. Wilderness
14. Interzone
15. I Remember Nothing

16. Atrocity Exhibition
17. Isolation
18. Passover
19. Colony
20. A Means to an End
21. Heart and Soul
22. Twenty Four Hours
23. The Eternal
24. Decades

アンコール

25. Digital
26. Ceremony
27. Transmission
28. Love Will Tear Us Apart

Peter Hook & the Light
Joy Division A Celebration
Metro, Chicago, IL, USA
2022年8月20日

1. Elegia
2. ICB
3. Regret
4. Crystal
5. Vanishing Point
6. Temptation

7. Disorder
8. Day of the Lords
9. Candidate
10. Insight
11. New Dawn Fades
12. She's Lost Control
13. Shadowplay
14. Wilderness
15. Interzone
16. I Remember Nothing

17. Atrocity Exhibition
18. Isolation
19. Passover
20. Colony
21. A Means to an End
22. Heart and Soul
23. Twenty Four Hours
24. The Eternal
25. Decades

アンコール

26. Dead Souls
27. Ceremony
28. Transmission
29. Love Will Tear Us Apart

ファクトリーの社長だったトニー・ウィルソンは、イアン・カーティスの死後にリリースされた編集盤 Still のアナログ盤のインナー・グルーヴにCHICKEN W'ONT STOP、そしてTHE CHICKEN STOPS HEREと刻むよう指示した。
これはヴェルナー・ヘルツォーク監督の映画 シュトロツェクの不思議な旅 から引用されたもの。
映画 シュトロツェクの不思議な旅は1977年に公開されたニュー・ジャーマン・シネマ。
イアン・カーティスは自殺した前日、BBCで映画 シュトロツェクの不思議な旅 を観ながらイギー・ポップのアルバム イディオット を聴いていたという。

イアン・カーティスが映画 シュトロツェクの不思議な旅 を観たことは電話で話していた、というのは関係者が語っている。
シュトロツェクの不思議な旅。
タイトルだけならファンタジー映画みたいだけど、内容はまったく違う。
アニメ ニルスのふしぎな旅 とタイトルだけは似ているけど…。
映画 シュトロツェクの不思議な旅は主人公と娼婦と老人(この三人の名前は、演じたそれぞれの俳優の名前が使用された。)がベルリンからアメリカに渡り、主人公は夢を描いていたアメリカの現実の果てに自殺するという内容の映画…。
ラストで、芸を仕込まれたアヒルが出てくる。