Joy Division について

How I wish you were here with me now.

ニュー・オーダーのデビュー・シングル Ceremony のB面 In A Lonely Placeのインナー・グルーヴに刻まれた一節である。
ニュー・オーダーイアン・カーティス亡き後に残されたメンバーがジョイ・ディヴィジョンから新たに結成したバンド。
Ceremony と In a Lonely Place はジョイ・ディヴィジョン時に書き上げられたナンバーだった。
ジョイ・ディヴィジョンはCeremonyを1980年5月2日、バーミンガム大学のハイ・ホール公演で披露した。
これがイアン・カーティスがCeremonyをライヴで歌った唯一の機会だった。
この時のライヴ音源は編集盤 スティル で聴くことが出来る。
In a Lonely Placeもイアン・カーティスが歌詞を書き、ジョイ・ディヴィジョンはデモ音源を録っていた。
 
個人的にはジョイ・ディヴィジョンの名前を知ったのは、ニュー・オーダーの12インチ・シングルのコンピCD サブスタンスを購入して解説を読んだときだったと思う。
その後、FMラジオのクロスオーバー・イレブンで Atmosphere がオンエアされた時にジョイ・ディヴィジョンを初めて聴いた。
一発で好きな曲だと思った。
現在でもジョイ・ディヴィジョンで一番好きな曲。

Atmosphere

それでジョイ・ディヴィジョンのコンピ ザブスタンス の輸入盤をタワーレコードで購入した。
Love Will Tear Us Apart もこのコンピ サブスタンス で聴いて知った。

ところで Love Will Tear Us Apart はジョイ・ディヴィジョンの代表曲のような扱いされているようだけど、個人的には Atmosphere のが好き。
サブスタンスを買ったあとに輸入盤でアルバム アンノウン・プレジャーズ と クローサー を購入した。
ジョイ・ディヴィジョンのCDはボックスセット ハート・アンド・ソウル 以外はすべて輸入盤で所有しているのだけど。

1976年6月4日、セックス・ピストルズのライヴがマンチェスターのレッサー・フリー・トレード・ホールで行われた。
バーナード・サムナーとピーター・フック、テリー・メイソンは観客としてその場にいた。
チケット代は50ペンスで、当日のライヴの客数は42人だったという。

ちなみにマンチェスターのフリー・トレード・ホールは1966年5月17日、ボブ・ディランに「Judas!(裏切り者、ユダ)」と観客のひとりが野次り、それに対してディランは「I Don't believe you」続けて「You are liar」と言い、ロビー・ロバートソンの「Play it fuckin' loud」で Like A Rolling Stone がはじまる…で知られる場所でもある。
この一連のやりとりはRoyal Albert Hallとして海賊盤で売られ、のちにディランのブートレッグ・シリーズ第4集で聴ける。
ディランの「I Don't believe you」は曲名でもあり、当日でも演奏され、こちらも収録された。
ところでフリー・トレード・ホールとレッサー・フリー・トレード・ホール。
場所は同じだけど大ホールと小ホールだったりするのだろうか?
違いが分からない…。

1976年6月4日のセックス・ピストルズのライヴはピート・シェリーやホワード・デヴォートが主催したもの。
ピート・シェリーは当日はキャッシャーをやったり受付で客の相手をしていたという。
見た43人にはそのふたりとバーナード・サムナー、ピーター・フック、イアン・カーティスの他にもマーク・E・スミス、ミック・ハックネル、トニー・ウィルソン、当時は17歳だったモリッシーもいた。
ピート・シェリーとピート・シェリーはバズコックスを、マーク・E・スミスはザ・フォールを、ミック・ハックネルはシンプリー・レッドモリッシーザ・スミスを後に結成するし、トニー・ウィルソンは後にファクトリー・レコードを立ち上げる。

1976年6月4日のセックス・ピストルズのライヴは2002年の映画 24アワー・パーティ・ピープルや2007年の映画 コントロールでも描かれた。
セックス・ピストルズが1976年に行った4公演は2016年に完全盤でLive '76として公式にリリースされた。
CD4枚組あるいはLP4枚組で発売され、ディスク1はまさに1976年6月4日のマンチェスター、レッサー・フリー・トレード・ホール公演。

バーナード・サムナーとピーター・フック、テリー・メイソンの3人はセックス・ピストルズのライヴに衝撃を受け、自らのバンドを結成することを決意した。
後にピーター・フックは、「コンサートはとてもひどいもので音もひどかった。これがパンクなら俺にもできる!」と思った、と語った。
バーナード・サムナーは以前に母親に買ってもらったギターがすでにあったが、ピーター・フックは翌日に楽器店でベースを買ったという。
母親から借りたお金で。
テリー・メイソンはバーナード・サムナーらにセックス・ピストルズのことを教えた人物。
スティッフ・キトゥンズ時代にヴォーカルだったりギターだったりドラムだったりしたが、その後にはジョイ・ディヴィジョンのマネージャーとなっていたことも。
1978年にはロブ・グレトンがジョイ・ディヴィジョンのマネージャーとなった。
ロブ・グレトンは引き続きニュー・オーダーのマネージャーを務めていて、ハシエンダの共同経営者のひとりでもあった。
ロブ・グレトンはニュー・オーダーがアルバム ゲット・レディを制作中だった1999年に亡くなっている。

レコード店に貼ってあったメンバー募集の紙を見てイアン・カーティスが加入した。
イアン・カーティスには以前にライヴ会場で会ったことがあったことがあったからオーディションなしで加入が決まったらしい。
バンド名は初期にはスティッフ・キトゥンズ、1977年5月からはワルシャワ と名乗った。
7月には5曲のデモを録音している。
8月にはドラムにスティーヴン・モリスが加わった。
ティーヴン・モリスはイアン・カーティスと同じ学校に出身で一学年下。
別にワルシャワ・パクトというバンドがあったのが分かったため、1978年1月にはバンド名をジョイ・ディヴィジョンと改名した。

ジョイ・ディヴィジョンのメンバーは、

イアン・カーティス (ヴォーカル)
・バーナード・アルブレヒト (ギター、キーボード)
・ピーター・フック (ベース)
・スティーヴン・モリス (ドラム)

ちなみにバーナード・サムナーは、ジョイ・ディヴィジョン時代はバーナード・アルブレヒトという芸名を名乗っていた。
バンド名をジョイ・ディヴィジョンにすることを思いついたのもバーナードであった。

ジョイ・ディヴィジョンは1978年5月3日・4日にはRCAレコードでデモ11曲を録音した。
しかし、RCAレコードとの契約はかなわなかった。
この時の音源は後にWarsaw名義で発売されたと思う。

1978年9月20日ジョイ・ディヴィジョン はSo It Goes でテレビ初出演した。
Shadowplayを演奏している。
この番組のパーソナリティはトニー・ウィルソン
トニー・ウィルソンジョイ・ディヴィジョンをテレビ出演させるためにコンタクトを取ったところ、イアン・カーティスからは番組にバンドを呼ばないことへの抗議と罵倒の手紙が届いたという。
トニー・ウィルソンは彼らを番組に呼ぶことを約束した。
トニー・ウィルソン、アラン・イラズマス、マーティン・ハネット、ピーター・サヴィルの4人はファクトリー・レコードの共同創設者。
1978年にファクトリー・レコードを設立した。

マーティン・ハネットはその後にはファクトリー・レコードを脱退。
後にファクトリー・レコードと自らが手掛けた音楽に対する権利をめぐって訴訟を起こした。
この訴訟はファクトリー・レコードが相応の金額を支払うことで決着した。
マーティン・ハネットは1991年4月10日に亡くなった。
ファクトリー・レコードは1992年に負債を抱えて倒産した。
ちなみに1982年5月にオープンしたハシエンダにはファクトリーのカタログ・ナンバーFAC51が付された。
ハシエンダは1997年まで運営されたが、2000年11月には解体された。
現在はアパートメントとなり、その名前もハシエンダとなっている。
そういえば1984年1月、イギリス・デビューに際してマドンナがハシエンダにゲストとして出演した。
その映像はテレビ放送された。

トニー・ウィルソンは2007年8月10日に亡くなった。
トニー・ウィルソンの棺にはFAC501とカタログ・ナンバーが付された。

1979年1月にはジョイ・ディヴィジョンはNMEの表紙を飾った。
1979年1月31日、BBCにてピール・セッションズのために4曲を録音した。
Exercise One、 Insight、 She's Lost Control、 Transmission。
その音源は2月14日にオンエアされた。

1979年3月、ワーナーのサブ・レーベルのジェネティックでレコーディングを行っていた。
ジョイ・ディヴィジョンはジェネティックからの契約を蹴ってファクトリーと契約することになる。

1979年6月、ファースト・アルバム アンノウンプレジャーズ が発売された。
7月に グラナダ TV の番組 What’s On に出演した。
She’s Lost Control を演奏した。
9月にはBBCの番組 Something Else に出演。
TransmissonとShe’s Lost Controlの二曲を演奏した。
1979年11月26日、BBCのピール・セッションズで二度目の出演。     
Love Will Tear Us Apart、Twenty Four Hours、Colony、Sounds of musicの4曲を演奏した。
いずれもこの時はまだ未レコーディング曲。
1979年12月10日にオンエアされた。

イアン・カーティス…。
イアン・カーティスとデボラ・ウッドラフは1972年12月、お互い16歳の時に交際をはじめた。
そして1975年8月には結婚した。
この時、イアン・カーティスは19歳、デボラ・ウッドラフは18歳だった。
1979年4月16日には娘のナタリーが生まれた。
イアン・カーティスは1978年、22歳になってからてんかんを発病するようになった。
イアン・カーティスてんかんは全身が痙攣し、意識が失われる重度の発作だった。
またイアン・カーティスは妻・デボラがいながら、別にベルギー人女性のアニック・オノレとも関係を持っていた。
アニック・オノレは1979年10月からベルギーでライヴやイベントのオーガナイザーをミシェル・デュヴァルとしていた。
ジョイ・ディヴィジョンキャバレー・ヴォルテールなどをベネルクスに呼んでライヴを行っていた。
1980年に設立されたファクトリー・ベネルクス、クレプスキュールの創始者のひとりでもある。
個人的にはクレプスキュールといえばイザベル・アンテナ、アンナ・ドミノ、マイケル・ナイマンウィム・メルテン、ミカドなど。

1980年にバーナード・サムナーはイアン・カーティスから妻・デボラと一緒にいるべきか、アニック・オノレともっと深い関係を結ぶべきか、判断してくれ、と言われたこともあるらしい。
バーナード・サムナーはその回答を拒否した。
セカンド・アルバムの制作時にはイアン・カーティスの病状は悪化していた。
イアン・カーティスがスタジオのトイレで発作の後に洗面台に頭をぶつけて意識を失って床に倒れていたのをピーター・フックが見つけたこともあった。
だが、この時イアン・カーティスが苦しんでいたことについて、ジョイ・ディヴィジョンの他のメンバーは気付かなかったという。
ジョイ・ディヴィジョンの他のメンバーは演奏や録音時の音を気にかけて、歌詞の内容についてイアンに任せっきりだった。
イアン・カーティスが亡くなってから詩の内容や彼感情について考えはじめた。
妻・デボラによると、イアン・カーティスはデボラと出会う以前から20代前半で自殺することを考えていたらしい。
ジョイ・ディヴィジョンのアルバム クローサー は3月に録音された。
イアン・カーティスは1980年4月7日に向精神薬の大量摂取による自殺未遂を起こした。
以降は自宅には戻らずにメンバーや関係者の家を転々とした。
5月17日に妻・デボラと離婚の話し合いをするためにイアン・カーティスは自宅に戻り、デボラと離婚についての話し合ったが決着はしなかった。
デボラはその夜は娘を連れて実家に戻った。
ジョイ・ディヴィジョンアメリカ・ツアーに向かう予定だったその前日の1980年5月18日の朝、イアン・カーティスは自宅で首を吊って自殺した。
昼になって帰宅したデボラがイアン・カーティスの遺体を発見した。
イアン・カーティスは23歳だった。

イアン・カーティスの死のためにジョイ・ディヴィジョンアメリカ・ツアーをキャンセルした。
ジョイ・ディヴィジョンはメンバーが代わると新たにバンド名を変える、という約束をバンド内でしていたらしく、残された3人はニュー・オーダーとして活動していく。
ジョイ・ディヴィジョンのキャンセルしたアメリカ・ツアーは、ニュー・オーダーとして1980年9月21日~9月28日に行った。
ニュー・オーダーは名無しとして1980年7月29日、マンチェスターのThe Beach にて初ライヴを行った。
その後からニュー・オーダーと名乗り、2度のライヴの後で(ジョイ・ディヴィジョンで)中止されたアメリカ・ツアーを行った。
この時のニュー・オーダーイアン・カーティスが歌詞を書いたがスタジオ・レコーディングされていなかったCeremonyとIn A Lonely Placeに、Dreams Never End、Cries & Whispers、Truth、Mesh、Homageなどの新曲を加えて演奏した。
他にもヴェルベッド・アンダーグラウンドのカヴァーのSister Ray。
ヴォーカルはバーナード・サムナー、ピーター・フック、スティーヴン・モリスそれぞれが曲によって
担当した。

New Order
Hurrah,New York City
1980年9月26日

1. In a Lonely Place
2. Procession
3. Dreams Never End
4. Mesh
5. Truth
6. Cries and Whispers
7. Ceremony

個人的にハラーはYMOがライヴを行ったナイトクラブとして記憶していた場所。
ちなみにハラーは1981年初めには閉店した。

ニュー・オーダーはイギリスに帰国後の10月~12月にもライヴを行った。
12月13日にはニュージーランドロッテルダムでも。
ジリアン・ギルバートは10月はじめよりキーボードやギターで参加し、10月25日にはニュー・オーダーで初ライヴを行っている。

ニュー・オーダーは1981年4月から5月に10日間ほどでアルバム ムーブメント をレコーディングし、同年11月にリリースした。
ジョイ・ディヴィジョンクローサーは1980年3月にレコーディングされ、同年7月にリリースされたから、ジョイ・ディヴィジョンからニュー・オーダーになってもけっこうなスピードで作品が制作されたと思う。
まだ彼らは若かったし、それだけ創作意欲があったのかも知れない。
ごく初期のニュー・オーダーの音はジョイ・ディヴィジョンとあまり変わらなかったけど、Everything's Gone Green からはニュー・オーダーって感じになる。
とはいえイアン・カーティスクラフトワークが好きで、ジョイ・ディヴィジョンのメンバーへもクラフトワークの音楽を紹介していてアルバムを聴かせたりしていた。
ジョイ・ディヴィジョンでもシンセは使用されていたし、ニュー・オーダーではシーケンサーを1981年から導入していたから、イアン・カーティスが亡くならなけれはジョイ・ディヴィジョンでもやはりBlue Mondayみたいな音を出していたかも…。

個人的にはジョイ・ディヴィジョンはサブスタンス、アンノウン・プレジャーズ、クローサー、ベスト盤 バーマネント、ボックス ハート・アンド・ソウル、ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョンと購入していった。
ベスト盤 パーマネント 以降はリアルタイムに発売時に購入したはず。
Warsaw のCDは1993年頃に輸入盤店で見た。
その時か1990年代後半に購入した。

1978年6月、ヴァージンから発売された 10inchレコード Short Circuit - Live At The Electric Circus 
ワルシャワとして演奏した音源を収録。
この演奏から3ヶ月後にジョイ・ディヴィジョンにバンド名を変更したため、このアナログ盤にはジョイ・ディヴィジョンとしてクレジットされた。
1977年10月1日・2日、マンチェスターライヴハウス エレクトリック・サーカスの閉店の際に行われたライヴ音源を収録したもの。
ザ・フォール、バズコックスなどの音源も聴ける。
ワルシャワが演奏した  At A Later Date を収録。
例のWarsawで At A Later Date のデモ音源が聴ける。

EP
An Ideal For Living 

1978年6月リリース。
ジョイ・ディヴィジョンのデビューEP。
ジョイ・ディヴィジョン自身のEnigmaレーベルから7インチ・レコードで、10月にはAnonymous Recordsから12インチ・レコードでリリースされた。
まだバンド名はワルシャワだった1977年12月に録音された4曲を収録。
ジャケットのアートワークはバーナード・アルブレヒトが担当し、ヒトラー・ユーゲントを彷彿させる絵を書いた。
彼自身はネオナチであるわけではなく、人を不快に思わせる名称や絵で人の気を惹きたかった、ということだったらしい。
彼自身まだ二十歳そこだったし、人によっては気分を害したことについては申し訳なかった、と後に語った。
同じようにイアン・カーティスも ダニエラの日記 を読んでいたり、WarsawやLeaders Of Menなどナチス・ドイツを思わせる歌詞を書いた。
もっとも内容的にはナチスを礼賛するようなものではないのだけど。

Warsaw

 

No Love Lost

 

Leaders Of Men

 

Failures

 

An Ideal For Living の4曲はCD サブスタンス 1987-1980 、ジョイ・ディヴィジョンのBOX ハート・アンド・ソウル のDISC3に収められている。

2014年にはアナログ盤がレコード・ストア・デイにてライノより再発された。

7インチ・シングル×2
A Factory Sample

1979年1月リリース。
FAC2。
7インチ・シングル2枚組にジョイ・ディヴィジョン、ザ・ドゥルッティ・コラムキャバレー・ヴォルテールなど計4組のアーティストが片面ずつ収録された。
ジョイ・ディヴィジョンはA面にDigital、Glassを提供した。

Digital

 

Glass

 

マーティン・ハネットによって録音されたが、この時のレコーディングではほとんど手を加えていない。
ジョイ・ディヴィジョンの演奏そのままの録音で聴ける。
この時録音された音源は後にGlassのみが スティル に、Digitalのみ サブスタンス のアナログ盤に、CD盤にはDigital、Glassともに収録された。
また、ボックス ハート・アンド・ソウル  のディスク1の1曲目と2曲目にはDigital、Glass が、ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョンにはDigitalのみが収録された。

なお、FAC1はピーター・サヴィルが制作したライヴの告知ポスター。
1978年5月6月にザ・ドゥルッティ・コラムジョイ・ディヴィジョン、ビッグ・イン・ジャパン、キャバレー・ヴォルテールなどによるライヴの告知ポスターで、そのポスターが完成したのはライヴ初日の日だったらしい…。

アルバム 
アンノウン・プレジャーズ
Unknown Pleasures

1979年6月リリース。
ジョイ・ディヴィジョンのファースト・アルバム。
ファクトリー・レコードが初めてリリースしたスタジオ・アルバム。
FAC10。
プロデュースはマーティン・ハネット。
ピーター・サヴィルはこの時、まだアルバムのジャケットをデザインしたことはなかったという。
バーナード・サムナーは「天文学の本がジャケットによいだろう」と言って1978年版のケンブリッジ天文学百科事典をピーター・サヴィルに渡してきたらしい。
彼はアルバム アンノウン・プレジャーズ の音を耳にすることなくジャケットを制作した。
テスト盤ではじめて聴いて、現在でもDisorderがお気に入りとか。

Disorder

 

New Dawn Fades

 

She's Lost Control

 

Shadowplay

 
アルバム アンノウン・プレジャーの初回限定5000枚は即完売したが、再リリースされたのはイアン・カーティス没後。

バーナードとフッキーは当初、マーティン・ハネットによるミックスがジョイ・ディヴィジョンの実際の演奏とかなり違うということでかなり不満を持っていたらしい。
なお、ピーター・フックはジョイ・ディヴィジョンでは4弦だけでなく6弦ベースもピックで弾いていた。

2007年にはリマスターされてCD2枚組でリリースされた。
CD2には1979年7月のマンチェスターのファクトリーでのライヴ音源を収録された。
全12曲。
2015年には2007年リマスターを使用したアナログ盤がリリースされた。

シングル
Transmission

1979年10月リリース。
7インチ・シングル。

 

カップリング曲はNovelty。

1980年10月には12インチ・シングルでリリースされた。

1979年10月に Earcom 2: Contradiction EPが発売された。
ジョイ・ディヴィジョン含む3アーティストがそれぞれ2曲収めたEP。
ジョイ・ディヴィジョンはAutosuggestion、From Safety to Where...?を収録。

1980年1月、ジョイ・ディヴィジョンはヨーロッパでツアー、2月からはイギリス・ツアーを行った。
3月からセカンド・アルバムのレコーディングのためにスタジオ入り。
4月7日にイアン・カーティスは自殺を図ったが、この時には命を取り留めている。
セカンド・アルバムのレコーディングは終了し、ツアーでアメリカへ出発する前日、つまり5月18日の早朝にイアン・カーティスは首を吊って自殺した。
月曜日だった。
この日の昼には妻デボラが帰宅して、亡くなったイアン・カーティスを発見した。
セカンド・アルバムのレコーディングから2ヶ月後だった。
1983年3月にニュー・オーダーはBlue Mondayをリリースした。
Blue Mondayはイアン・カーティスの自殺をテーマに作詞されたものであった。

7インチ・シングル
Licht und Blindheit

1980年3月、フランスのみでリリースされた限定シングル。
特殊パッケージでナンバー入りで発売された。
1578枚限定。
プロデュースはマーティン・ハネット。
A面にAtmosphereが収録された。

カップリングはDead Souls。

シングル
Love Will Tear Us Apart

1980年6月リリース。
Love Will Tear Us Apartは1979年10月からライヴで披露されていた。
翌11月のジョン・ピール・セッション時にも演奏されていたが、レコーディングされたのは1980年1月と3月。

 

3月に録音されたLove Will Tear Us ApartはシングルA面に、1月に録音されたのはB面に収録されたPennine versionと呼ばれるやつ。
Pennine versionはベスト盤 パーマネント の1曲目に、そしてベスト盤 サブスタンスの2015年盤の19曲目として収録された。

Love Will Tear Us Apart (Pennine version)

 

カップリング曲はThese Days、Love Will Tear Us Apart (Pennine version)。

Love Will Tear Us Apartは曲としては3時間で作曲された曲らしいが、レコーディングでは…。
Love Will Tear Us Apartはマーティン・ハネットが一晩かけた最終ヴァージョンをバーナード・サムナーが気に入らなくて明け方まで録り直した。
その録り直したのを、今度はマーティン・ハネットが気に入らないと。
マーティン・ハネットとバーナード・サムナー、ピーター・フックが口論し、スティーヴン・モリスはすでに宿泊先で眠っていた。
マーティン・ハネットとバーナード・サムナー、ピーター・フックのうちの誰かが宿泊先に車で駆けつけてスティーヴン・モリスを叩き起こして連れ戻して再びレコーディングした…という。

Love Will Tear Us Apartはすでに1980年1月に録音されたヴァージョンがあり、それはシングルB面に収められたヴァージョンで、シングルA面のが最後に録り直したものと思われる。
ジョイ・ディヴィジョンYouTubeにはLove Will Tear Us Apart  (Martin Hannet Version)があり、これが最後に録り直す前のヴァージョンか。

Love Will Tear Us Apart  (Martin Hannet Version)

 

Love Will Tear Us ApartのPVは1980年4月25日に録画されたもの。
ジョイ・ディヴィジョンとして最後の映像となった。
バーナード・サムナーはキーボードを弾き、イアン・カーティスは歌唱中もVox社のPhantom VI Specialギターを抱えていて、間奏になるとPhantom VI Specialを弾いていた。
ちなみにバーナード・サムナーはイアン・カーティス亡きあとにはPhantom VI Specialを受け継いでニュー・オーダーのシングル Everything's Gone Greenをはじめニュー・オーダーの初期の楽曲のいくつかで使用した。

Love Will Tear Us Apartはオリジナル・アルバム未収録曲。
ジョイ・ディヴィジョンのベスト盤で聴くことができる。
アルバム クローサー のリマスター盤のディスク2の1980年2月8日、ロンドン大学でのライヴではLove Will Tear Us Apartのライヴ音源を聴くことが出来る。

Love Will Tear Us Apart  (live at the University of London Union, 8 February 1980)

 

シングル
Komakino

1980年6月、フリー・レコードとしてリリース。

Komakino

カップリングはIncubation 、 As You Said。

アルバム 
クローサー
Closer

1980年7月リリース。
ジョイ・ディヴィジョンのセカンド・アルバム。
プロデュースはマーティン・ハネット。
1980年3月に録音された。

Atrocity Exhibition

Isolation

Twenty Four Hours

 

The Eternal

 

Decades

 

2007年にはリマスターされてCD2枚組でリリースされた。
CD2には1980年2月8日、ロンドン大学のライヴ音源を収録された。
全12曲。
11曲目・12曲目は当日のアンコールでの演奏。
2015年には2007年リマスターを使用したアナログ盤がリリースされた。

2019年6月14日には アンノウン・プレジャーズ が40周年というわけで、あのジャケットを白カヴァーにしたアナログ盤をリリースし、新MVが創られた。
翌15日にはマンチェスターではジャケットをTシャツにして無料で配られたり、同市庁舎とその複合施設にアンノウン・プレジャーズのアートワークや歌詞が投影された。

このクローサーを録音中、雨の中ずぶ濡れとなった4人のアイリッシュがマーティン・ハネットを尋ねて「自分たちのアルバムをプロデュースして欲しい」と頼みに来た。
レコーディング・ルームから見ていたピーター・フックは「あんな偏屈なプロデューサー、やめときゃいいのに」と大笑いしてバーナードとスティーヴンと話していたそう。
その4人のアイリッシュとは若き日のU2のメンバー。
U2のシングル 11 O'Clock Tick Tock はマーティン・ハネットで1980年3月にレコーディングされ、5月にリリースされた。
ちなみにU2のファースト・アルバム ボーイ はスティーヴ・リリーホワイトがプロデュースして1980年7月から9月に録音されて10月にリリースされた。

シングル
Atmosphere

1980年9月、12インチ・シングルにてリリース。

 

1979年10月にマンチェスターロッチデールのカーゴ・スタジオにてレコーディングされた。
カップリング曲はShe's Lost Control。

1988年7月に編集盤 サブスタンス 発売に伴い、シングル Atmosphere は8月に再リリースされた。
ジャケットはオリジナル盤とは変更され、7インチ・シングル、12インチ・シングル、シングルCDでリリースされた。
カップリングはThe Only Mistake、Sound Of Music。
その他にもカップリングがTransmission(ファクトリーでのライヴ音源)、Love Will Tear Us Apartというものも。

コンピ盤
スティル
Still

1981年10月リリース。
全20曲。
アナログ盤とカセットは全21曲。
未発表テイクとライヴ音源で構成されたLP2枚組。
CDでは1枚。
プロデュースはマーティン・ハネット。
マーティン・ハネットはこのコンピレーションの編集作業とニュー・オーダーのファースト・アルバムのレコーディングを並行して行った。
ちなみにニュー・オーダーはシングル Ceremony で
1981年1月にデビュー、ジリアン・ギルバートが加入して9月にセカンド・シングル Procession、ジリアン・ギルバートが演奏に加わった Ceremony、11月にアルバム ムーブメント、12月にベルギーでEverything's Gone Green をリリースした。
いずれもプロデュースはマーティン・ハネット。

スティル のLPの初回盤は5000セット限定。
グレーの布張りカヴァーに収められ、背表紙の部分には白いリボンがあった。

LP1にはスタジオ音源で、Sister Rayのみライヴ音源。
スタジオ音源はすべて未発表。
Sister Rayはヴェルヴェット・アンダーグラウンド
カヴァーで、ジョイ・ディヴィジョンがライヴで演奏した音源がLP1のラストに収録された。
1980年4月2日、ムーンライト・クラブでの音源。

LP2は1980年5月2日にバーミンガム大学でのライヴ音源で、ジョイ・ディヴィジョンが行った最後のライヴである。
未発表曲だったCeremonyを演奏した。
この時のライヴではイアン・カーティスてんかんの発作が悪化し、よろけながらステージを降りたという。
同日のTwenty Four Hoursのライヴ音源は、アナログ盤のみのシークレット・トラック。
サイドCの最後に収録された。
これまでTwenty Four Hoursのライヴ音源はCD化されていない…。

Ice Age

 

The Only Mistake

 

Something Must Break

 

Dead Souls

 

Ceremony

 

2007年にはリマスターされてCD2枚組でリリースされた。
CD2には1980年2月20日、ハイ・ウィカムのタウン・ホールでのライヴ音源8曲とサウンドチェック時の音源6曲が収録された。
1980年2月20日のハイ・ウィカムのタウン・ホール公演での演奏曲はInsightのみ既発表曲で、その他はおよそ1ヶ月後にアルバム クローサー でレコーディングされる曲ばかり。

2015年には2007年リマスターを使用したアナログ盤がリリースされた。

オリジナル・アルバム2枚ではどちらか言うとアルバム クローサー のが好き。
2008年にはリマスターされたスティルを輸入盤で購入した。
この時にはじめてスティルを購入した。

ベスト盤
サブスタンス
Substance 1977-1980 

1988年リリース。
アナログ盤は全10曲、CDには全17曲を収録。
2015年にはリマスターされ、アナログ盤2枚組、CDでリリースされた。
As You Said、Love Will Tear Us Apart (Pennine version)の2曲が追加された全19曲を収録。

ボックス
ジョイ・ディヴィジョン・ボックス
1977 - 1980

1991年12月リリース。
日本でのみリリースされたCD5枚組・ボックス入り・ブックレット付き。
アンノウンプレジャーズ~スティルの3枚とサブスタンス、さらにAtmosphere (Original Mix) / She's Lost ControlのシングルCDという5枚組。
   

ベスト盤
パーマネント~ベスト・オブ・ジョイ・ ディヴィジョン
Permanent 

1995年リリース。
全16曲。
1曲目はLove Will Tear Us Apart (Pennine version)で16曲目はLove Will Tear Us Apart (Permanent Mix)。
(Permanent Mix)はこの時の新たなミックス。

ボックス・セット
ハート・アンド・ソウル 
Heart and Soul

1997年リリース。
CD4枚組。
ディスク1にアンノウン・プレジャーズの収録曲やその時期のシングル曲や提供曲など全21曲、ディスク2にクローサーの収録曲、その時期のシングル曲など全17曲を収録。
ディスク3にはAn Ideal for Livingの4曲、KomakinoのB面のAs You Said、デモ音源やラジオ音源など全24曲を収録。
ディスク4はライヴ音源集。
全19曲。
1~10曲目は1979年7月、ファクトリーでのライヴ音源。
11曲目はAutosuggestionの1979年8月2日、ロンドンのYMCAでのライヴ音源。
12~14曲目 1979年11月2日、ボーンマスウィンターガーデンでのライヴ音源。
15〜19曲目 1980年2月29日、ロンドン、ライセアムでのライヴ音源。

国内盤は1998年2月に発売された。

ライヴ盤
ライヴ・イン・プレストン
PRESTON 28 FEBRUARY 1980

1999年リリース。
全12曲。

2014年にはアナログ盤が復刻された。

ライヴ盤
The Complete BBC Sessions

2000年10月リリース。
ジョイ・ディヴィジョンBBC出演時の音源をまとめたもの。
1986年と1987年にジョイ・ディヴィジョンのThe Peel Sessions EPがリリースされていて、それぞれ1979年1月収録分の4曲と1979年11月収録分の4曲
が収録されていた。 
その2枚をまとめたPeel Sessions compilationが1990年にリリースされた。
The Complete BBC Sessionsは既発のPeel Sessions compilationの8曲にBBCテレビのSomething Elseでジョイ・ディヴィジョンが演奏した2曲(TransmissionとShe's Lost Control)とイアン・カーティスとスティーヴン・モリスのインタビューが追加収録されたもの。
2008年のThe Best of Joy Division のUK盤のボーナスCDにもなった。

ライヴ盤
ライヴ・イン・パリ 
Les Bains Douches 18 December 1979

2001年リリース。
1979年12月18日に行われたパリでのライヴ(1~9曲目。)と、1980年1月11日オランダ、アムステルダムのパラディソでのライヴ(10~12曲目。)、1980年1月18日オランダ、アインくトホーフェンのEffenaarでのライヴ(13~16曲目。)の模様を収録。
全16曲。
まだリリース前のLove Will Tear Us ApartやAtmosphereが演奏されている。

Love Will Tear Us Apart

 

Atmosphere

 

2002年には映画 24アワー・パーティー・ピープル が公開された。
ファクトリー・レコードのトニー・ウィルソン回顧録を基にしたもので、前半はジョイ・ディヴィジョン、後半はハッピー・マンデーズを中心に取り上げられた。
ちなみに映画のタイトルはハッピー・マンデーズの曲名から。
映画 24アワー・パーティー・ピープルのサントラにはセックス・ピストルズ、クラッシュ、バズコックスの他、ジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダーハッピー・マンデーズなどが収録された。
ジョイ・ディヴィジョンの曲はTransmission、Atmosphere、She's Lost Control、Love Will Tear Us Apartで、ニュー・オーダーの曲はTemptation、Blue Monday、Here To Stay (Full Length Vocal)が選曲された。
New Dawn Fadesはニュー・オーダー・フィーチャリング・モービー によるジョイ・ディヴィジョンのカヴァー曲も。

ライヴ盤、インタビュー集
Let the Movie Begin
レット・ザ・ムーヴィー・ビギン

2005年リリース。
日本国内盤は翌2006年に輸入盤に日本語解説を付けたのが発売された。
イアン・カーティス没後25年と映画 コントロール のクランクインを記念してリリースされた未発表音源集。
ワルシャワ時代の1977年のデモ、1978年5月のRCAセッション、1980年1月のオランダでのライヴなどの14曲に、生前のイアン・カーティス、バーナード・サムナー、スティーヴン・モリス、マーティン・ハネットらのインタヴューを収録。
全世界5000枚限定。
デモ音源あるいはライヴ音源が終わるごとにインタビュー音声、またデモ音源やライヴ音源のあとにインタビュー音声…という仕様。
デモ音源やライヴ音源全14トラックで、インタビュー音源は12トラックある。

2008年にアナログ盤2枚組でリリースされた。
2023年にはアナログ盤2枚組で再発された。
2024年にはCDで再発された。

2007年には映画 コントロール が公開された。
全編モノクロでイアン・カーティスを描いた伝記映画。
イアン・カーティスはじめジョイ・ディヴィジョンのメンバーも描かれている。
監督はアントン・コービン
ミュージシャンのフォトグラファーや音楽PVの監督で知られていると思う。
あと、U2デペッシュ・モードの写真集とか。

原作はイアン・カーティスの妻 デボラ・カーティスの著作 タッチング・フロム・ア・ディスタンス イアン・カーティスジョイ・ディヴィジョン
コンサートのシーンの撮影には当時、実際のジョイ・ディヴィジョンのファンを迎えて撮影した。
イアン・カーティス役のサム・ライリーは撮影時、観客役から「よくなかったら承知しないよ」とか言われたりしたらしい。

2007年にはジョイ・ディヴィジョンのドキュメンタリー・フィルムも公開された。
ジョイ・ディヴィジョンのライヴ映像やバーナード・サムナー、ピーター・フック、スティーヴン・モリス、トニー・ウィルソン、愛人だったアニーク・オノレ、映画 コントロール の監督のアントン・コービンなどのインタビュー、初公開となったイアン・カーティスの肉声テープなど。

ベスト盤
ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン
The Best of Joy Division

2008年3月リリース。
全14曲を収録。

UK盤・日本盤はCD2枚組でCD2はThe Complete BBC Recordings。
全10曲+イアン・カーティスとスティーブン・モリスのインタビュー。

ピーター・フックは2010年に著書 ハシエンダ マンチェスター・ムーヴメントの裏側 を著した。
原題 The Hacienda: How Not to Run a Club 。
日本語訳は2012年に刊行された。
その後も2012年には Unknown Pleasures: Inside Joy Division、2016年にSubstance Inside New Order を刊行したが、いまのところ日本語版は出版されていない…。
Substance Inside New Orderイアン・カーティスの死とジョイ・ディヴィジョンの解散から始まるニュー・オーダーの歴史を網羅したもので、全ツアーの日程と全ての公演のセットリスト、バンドが使用していた楽器や機材の詳細がつづられているらしい。

バーナード・サムナーは2014年に著書 ニュー・オーダージョイ・ディヴィジョン、そしてぼく を著した。
原題 Chapter and Verse - New Order, Joy Division and Me 。
日本語訳は2015年9月に刊行された。

同2014年にはイアン・カーティスの遺した歌詞や創作メモをまとめた本をデボラ・カーティスと音楽評論家のジョン・サヴェージが監修した So This Is Permanence Ian Curtis, Joy Division Lyrics and Notebooks を刊行した。

この灼けるほどの光、この太陽、そしてそれ以外の何もかも──ジョイ・ディヴィジョン ・オーラル・ヒストリー。
原題 This Searing Light, the Sun and Everything Else: Joy Division
著・ジョン・サヴェージ
2019年に4月に出版され、同年8月に日本版が発行された。

ピーター・フックは2007年にニュー・オーダーを脱退。
ニュー・オーダー解散を宣言したが、バーナード・サムナーとスティーヴン・モリスはこれを否定する声明を出した。
実際、ニュー・オーダーはピーター・フックに代わるベーシストを加えて活動したし。

2010年にピーター・フックはバンド、ピーター・フック&ザ・ライトを結成した。
ピーター・フックがベースとヴォーカルを担当。
2010年にはジョイ・ディヴィジョンのアンノウン・プレジャーズを再現するツアーを行い、翌2011年にはクローサーを再現するツアーを行った。
以降はジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダーの楽曲を再現するツアーを行い、そのツアーからライヴ・アルバムをリリースしたりしている。
ライヴ・アルバムのリリースはすでに十数枚を数える。

ピーター・フック&ザ・ライトは2022年8月から Joy Division: A Celebration と題されたツアーを行った。
ニュー・オーダーの曲、アンノウン・プレジャーズ、クローサーをそれぞれ収録順に、その他のジョイ・ディヴィジョンの曲を再現するツアーを行った。

Peter Hook & the Light
Joy Division A Celebration
Metro, Chicago, IL, USA
2022年8月19日

1. Your Silent Face
2. Dreams Never End
3. Age of Consent
4. True Faith
5. The Perfect Kiss

6. Disorder
7. Day of the Lords
8. Candidate
9. Insight
10. New Dawn Fades
11. She's Lost Control
12. Shadowplay
13. Wilderness
14. Interzone
15. I Remember Nothing

16. Atrocity Exhibition
17. Isolation
18. Passover
19. Colony
20. A Means to an End
21. Heart and Soul
22. Twenty Four Hours
23. The Eternal
24. Decades

アンコール

25. Digital
26. Ceremony
27. Transmission
28. Love Will Tear Us Apart

Peter Hook & the Light
Joy Division A Celebration
Metro, Chicago, IL, USA
2022年8月20日

1. Elegia
2. ICB
3. Regret
4. Crystal
5. Vanishing Point
6. Temptation

7. Disorder
8. Day of the Lords
9. Candidate
10. Insight
11. New Dawn Fades
12. She's Lost Control
13. Shadowplay
14. Wilderness
15. Interzone
16. I Remember Nothing

17. Atrocity Exhibition
18. Isolation
19. Passover
20. Colony
21. A Means to an End
22. Heart and Soul
23. Twenty Four Hours
24. The Eternal
25. Decades

アンコール

26. Dead Souls
27. Ceremony
28. Transmission
29. Love Will Tear Us Apart

ファクトリーの社長だったトニー・ウィルソンは、イアン・カーティスの死後にリリースされた編集盤 Still のアナログ盤のインナー・グルーヴにCHICKEN W'ONT STOP、そしてTHE CHICKEN STOPS HEREと刻むよう指示した。
これはヴェルナー・ヘルツォーク監督の映画 シュトロツェクの不思議な旅 から引用されたもの。
映画 シュトロツェクの不思議な旅は1977年に公開されたニュー・ジャーマン・シネマ。
イアン・カーティスは自殺した前日、BBCで映画 シュトロツェクの不思議な旅 を観ながらイギー・ポップのアルバム イディオット を聴いていたという。

イアン・カーティスが映画 シュトロツェクの不思議な旅 を観たことは電話で話していた、というのは関係者が語っている。
シュトロツェクの不思議な旅。
タイトルだけならファンタジー映画みたいだけど、内容はまったく違う。
アニメ ニルスのふしぎな旅 とタイトルだけは似ているけど…。
映画 シュトロツェクの不思議な旅は主人公と娼婦と老人(この三人の名前は、演じたそれぞれの俳優の名前が使用された。)がベルリンからアメリカに渡り、主人公は夢を描いていたアメリカの現実の果てに自殺するという内容の映画…。
ラストで、芸を仕込まれたアヒルが出てくる。

 

 

 

 

 

 

細野晴臣 について その3

細野晴臣 について その3。
一年くらい前にある程度記していたから、自分ではすっかり書き上げてupずみと思っていたけど、そのまま忘れていただけだった。

 

 

 

人間の約束吉田喜重・監督による映画で、1986年9月に公開された。
原作は佐江衆一老熟家族
細野晴臣が音楽を手掛けたのだけど、サントラはリリースされていない。
人間の約束に使用された音楽の一部は後にアルバム ommi Sight Seeing に収録された。  
OHENRO-SAN ってタイトルで。

アルバム
紫式部 源氏物語 サウンドトラック

1987年11月リリース。
細野晴臣のエピックソニー移籍第一弾。
全12曲を収録。
初回盤はボックス仕様。

紫式部 源氏物語杉井ギサブロー監督によるアニメ映画。
朝日新聞(東京本社)創刊100周年・テレビ朝日開局30周年・日本ヘラルド映画創設30周年として制作された。
アニメ映画 銀河鉄道の夜 のスタッフが再結集、というわけで細野晴臣も音楽を手掛けた。
紫式部 源氏物語のキャラクター原案は林静一作画監督・キャラクターデザインは名倉靖博が手掛けた。
林静一イラストレーター、マンガ家、アニメーション作家。
ロッテのキャンディーの小梅ちゃんのイラストなどで知られていたと思う。 
はっぴいえんど のアルバム いわゆる ゆでめん のジャケットを手掛けた人でもある。
マンガ 赤色エレジーの作者で、あがた森魚の同曲のモチーフとなった。
林静一東映動画にアニメーターとして入社した同期には、宮崎駿芝山努がいたという。
2007年には画ニメとして赤色エレジーを監督・原作・脚本・演出として手掛けた。

名倉靖博 はアニメ 銀河鉄道の夜 では原画を担当していた。
とんがり帽子のメモルのキャラクター原案・作画監督として記憶している。

紫式部 源氏物語のサントラについては3曲目の藤壺がメインテーマだと思っているのだけど、源氏物語のサントラからは8曲目の結願だけがボックス HOSONO BOX 1969-2000に収録されている。

個人的には1990年くらいに源氏物語のサントラの初回盤を買おうといろいろなCD屋を巡ってようやく見つけて購入した。

2009年には細野晴臣・監修のリマスター盤が発売された。

アルバム
omni Sight Seeing

1989年7月リリース。
全9曲を収録。
初回盤はデジパック仕様で、通常盤はプラケース仕様。
どちらも購入したし、輸入盤(ヨーロッパ盤)もタワーレコードで買った。
ちなみにヨーロッパ盤は1991年に発売され、1994年にも再発もされたはず。
omni Sight Seeingは昭和の終わりから平成に入った頃まで制作された。
レコーディングは東京とパリで行われた。
もともと細野晴臣はオムニバスというタイトルでリリースしようと考えたが、タイトルが弱いと言われてomni Sight Seeingとなった。
全方位観光。
CARAVANはデューク・エリントン、ファン・ティゾール、アーヴィング・ミルズによる曲のカヴァー。
後にswing slowで再度カヴァーされた。
OHENRO-SANは映画 人間の約束 で使用された曲の一部。
ORGONE BOXは平成に入って作られた曲で、細野晴臣の平成時代の第1号作品らしい。
NHKで放送された 熱砂の響き~細野晴臣の音楽漂流 
の中でこの曲を当時のPCソフトのシーケンサーで数値入力していた映像を見た。
ANDADURAはセゾンカードのCMの曲として使用された。
たまたま何かの番組を録画していて、数年後にそのCMを発見した。
ANDADURAでは声優の川村万梨阿のヴォーカルが聴ける。
♪ララララララララララ~というの。(これでは分からないか。)
細野晴臣のヴォーカルが入り、だんだんアラブっぽいフレーズも聴ける。
後半にはアミナのヴォーカルも。
熱砂の響き~細野晴臣の音楽漂流にもLAUGH-GASを録音しているシーンがあった。
LAUGH-GASの最終盤のアコーディオン、カヌーンを録音していて、そこでは盤ではカットされたフレーズを聴けた。
いつかそのあたりが正式に音盤化しないかな~と思っていて、すでに30年以上が過ぎてしまったのだけど…。
あと、ORGONE BOXとLAUGH-GASにはローランドのTR-808が使用されついて、クレジットにもTR-808  Rhythmと記されているのを見てTR-808を知ったと思う。
この曲をきっかけにTB-303も知ったかも。
LAUGH-GASでフランス語を語っている声は ぬのいともこ。
クレジットによると細野晴臣が作詞したのを彼女が訳詞もしている。
ぬのいともこ はYMOの中国女のフランス語の声の人でもあった。
この曲でのアミナのヴォーカルも圧倒的。
LAUGH-GASの影響でアミナのシングル Belly Danceやアルバム YALIL 、のちにはアルバム Wa di yé を購入した。
ところでアミナは1990年以降はミュージシャンとしてよりも女優としての活動が多い。映画にも多数出演していたのだけど。

LAUGH-GASはほかにもTR-808とE.M.Sのリズムも圧倒的。
11分以上ある曲だけど、まったく飽きない。
細野晴臣自身もLAUGH-GASについて「まだまだ長くてもいい」というようなコメントしていたと思う。

個人的にはANDADURAとORGONE BOXとLAUGH-GASとKORENDORがめっちゃ好き。
ORGONE BOXとLAUGH-GASとKORENDORはベスト・アルバム Hosono Haruomi Compiled By Oyamada Keigo に収録された。

RETORTは2017年のアルバム Vu Jà Dé にて Retort  Vu Ja De ver. としてセルフカヴァーされた。
自身によるヴォーカル入りの曲となった。

omni Sight Seeingは長く廃盤だったけど、2009年にはリマスター盤がデジパック仕様で発売された。
2019年には米国でアナログ盤でリリースされた。
それがomni Sight Seeingの初アナログ盤化。
そのアナログ盤は確かアメリカ国内でしか販売されないという話だった。
日本国内ではネットオークションに出ていたから、「欲しい!」と思っていたけど、2020年のレコードの日に日本国内でアナログ盤がリリースされた。
砂原良徳によりリマスタリングされ、日本国内では初レコード化。
個人的にはレコードの日が過ぎた後にディスクユニオンで見つけて購入した。
なんとなく「飾る用」に。
ジャケットとか盤質は米国より国内盤のアナログ盤の方がいい!と言われていたと思う。
レコードの日の翌日には砂原良徳によるリマスタリングSACDハイブリッド盤で発売された。

桑原茂一がプロデュースしたチャリティーアルバム ピース・オン・アースは1989年11月に発売された。
細野晴臣クロード・ソーンヒルのSNOW FALLを打ち込みでカヴァーしたのがされた収録された。
その SNOW FALL はボックス HOSONO BOX 1969-2000 のディスク3にも収録された。

ところでローリング・ストーンズにいたビル・ワイマンは、ザ・バンドのリヴォン・ヘルムからもらったカセットテープて細野晴臣を知ったらしい。
ビル・ワイマンは1982年にソロ・アルバムのプロモーションで日本に初来日し、その時に人を介して細野晴臣と会った。
1990年2月にローリング・ストーンズの初来日公演が行われてその時にもビル・ワイマン細野晴臣は会っている。
ちなみにその時はサージェント・ペッパーズという焼肉店で会ったらしい。
この時の支払いは細野晴臣がもったという。
ビル・ワイマンストーンズの黒人SP二人、細野晴臣とそのマネージャー、通訳の女性で計6名分の支払い。
6名分といってもSP2人とかめっちゃ食べたんじゃなかろうか、と勝手に心配しているのだけど。
それにしてもサージェント・ペッパーズという名前の店によくストーンズのメンバーを呼んだなー。
ビル・ワイマンからは「ロンドンに来た時には俺のスティッキー・フィンガーズって店に招待する」と言われたらしい。

そして細野晴臣ローリング・ストーンズの来日公演に招待され、公演前にVIPとしてストーンズの楽屋に招待された。
細野晴臣は誰かに同行してほしいとなって、そこで推薦されたのが忌野清志郎だったという。
細野晴臣忌野清志郎と鮎川誠とシーナで東京ドームのストーンズの楽屋へ行ったとか。
それまで細野晴臣忌野清志郎は会ったことはほとんどなかったらしい。
ストーンズのライヴ終演後に細野晴臣忌野清志郎は会食して、ライヴ・イベント ロックの生まれた日に、忌野清志郎三宅伸治坂本冬美によるSMIとして出演するという話がでた。
SMIのリハーサルには細野晴臣も顔を出してアイデアを出した。
ロックの生まれた日のSMIはカヴァー曲を7曲演奏して好評だったことで、音源をレコーディングするという企画が持ち上がった。
忌野清志郎細野晴臣をプロデューサー兼メンバーとして迎え入れて細野晴臣忌野清志郎坂本冬美によるHISが結成された。

ところで細野晴臣は1969年にエイプリル・フールでメジャー・デビュー。
この時、22歳だった。
忌野清志郎は1970年にRCサクセションでメジャー・デビュー。
この時、19歳だった。

坂本冬美忌野清志郎からイベント ロックの生まれた日に出演しないか、と声をかけられた。
引き受けたら「セーラー服を着てもらう」と言われたという。

アルバム
HIS 
日本の人

1991年7月リリース。
カヴァー5曲とオリジナル9曲の全14曲を収録。

逢いたくて逢いたくて は園まりのカヴァーで、作詞 岩谷時子、作曲 宮川泰
原曲は1962年のザ・ピーナッツの 手編みの靴下。
ザ・ピーナッツ主演のミュージカル 私と私 の挿入歌で、演出を担当した竹内伸光の書いた詞に岩谷時子が手を加えた曲だった。
1966年に岩谷時子による新しいタイトル・新しい歌詞がつけられて園まり のシングルとしてリリースされた。
手編みの靴下 の時はヒットしなかったが、逢いたくて逢いたくて は大ヒットしたらしい。

恋のチュンガのオリジナルは作詞・作曲 ペレス・プラード
1961年に水島哲の日本語詞で小林旭がカヴァーした。
HISの恋のチュンガはその時の日本語詞で細野晴臣が歌った。

パープル・ヘイズ音頭のオリジナルはジミ・ヘンドリックス
日本語詞は忌野清志郎、春日博文による。
坂本冬美によると、パープル・ヘイズ音頭の制作時、忌野清志郎細野晴臣はチョコレートを食べながら作ったらしい。

その他のカヴァー曲は日本語詞を忌野清志郎が手掛けた。
HISのテーマは作詞・作曲 HIS。

日本の人は作曲 細野晴臣、作詞 忌野清志郎
オリジナルは細野晴臣によるCM曲のインスト 中国の人。
コインシデンタル・ミュージックの収録曲で一番新しい曲だった。
HISでは忌野清志郎が歌詞をつけて歌った。

夜空の誓い は作詞・作曲 忌野清志郎、中曽根章友、
渡り鳥 は作詞・作曲 忌野清志郎小林和生
他は作詞・作曲 忌野清志郎

日本の人

1994年には神崎ゆう子のシングル 誰もいないXmas を細野晴臣がプロデュース。
作詞・作曲を忌野清志郎細野晴臣で手掛けた。

神崎ゆう子
誰もいないXmas
作詞・作曲 忌野清志郎細野晴臣
編曲 細野晴臣
コーラスアレンジ コシミハル

2005年になって坂本冬美のシングル Oh, My Love ~ラジオから愛のうた~ / 幸せハッピー をリリース。
坂本冬美のヴォーカルも細野晴臣の自宅兼スタジオにてレコーディングされ、そのレコーディング日には忌野清志郎は自転車でスタジオまでやって来たという。

坂本冬美
Oh, My Love ~ラジオから愛のうた~
作詞 忌野清志郎
作曲 細野晴臣

坂本冬美
幸せハッピー
作詞 忌野清志郎
作曲 細野晴臣

2006年にはアルバム 日本の人 はリマスター盤が発売された。
また、この年にはHISはライヴ・イベントやテレビに出演している。
そのライヴ・イベントは忌野清志郎のイベント、新ナニワ・サリバン・ショー。
ナニワ・サリバン・ショーは2001年・2004年・2006年と開催されて、その映像を使用して2011年11月には映画化された。
Blu-rayやDVDでも発売され、幸せハッピー、Oh,My Love~ラジオから愛のうた のステージを観ることができる。

2006年2月25日、大阪城ホールにておこなわれた 新ナニワ・サリバン・ショー。
細野晴臣忌野清志郎は学生服で、坂本冬美はセーラー服で3人は手をつないで登場し、パープル・ヘイズ音頭、Oh,My Love~ラジオから愛のうた~、500マイル、Pom Pom蒸気、幸せハッピーを披露した。
Pom Pom蒸気のヴォーカルは細野晴臣が担当。
その後、NHK BSでその時の パープル・ヘイズ音頭 と 500マイル が放送されたことがある。

忌野清志郎はHISの他にも忌野清志郎&NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNSで出演。
ちなみに他にも矢野顕子斉藤和義仲井戸“CHABO”麗市山下久美子、BEGINなどが出演した。
個々の持ち曲のほかにも清志郎の曲をカヴァーしたり、清志郎と共演したりした。

2020年1月には 忌野清志郎トリビュートライブ ナニワ・サリバン・ショー Oh!RADIO~五十年ゴム消し~ がエディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)で開催された。

アルバム 日本の人 は2016年12月にもCDで再発され、アナログ盤化された。
その時のCD盤には Oh, My Love ~ラジオから愛のうた~ と 幸せハッピー もボーナス・トラックとして収録された。
2012年には幸せハッピー が斉藤和義によってカヴァーされ、ドラマ 幸せハッピー のエンディングテーマとして使用された。
斉藤和義の幸せハッピーはシングル ワンモアタイム 、ベスト盤 歌うたい25 SINGLES BEST 2008~2017に収録された。

アルバム 
MEDICINE COMPILATION

1993年3月リリース。 
全10曲を収録。

細野晴臣の当時の自宅のスタジオであるラクーンで制作された。
再生YMOの前にレコーディングが行われた。

LAUGHTER MEDITATIONはコシミハル・作詞、細野晴臣、ケイ中山・作曲。
QUIET LODGE EDIT、SAND STORM EDIT は 細野晴臣、ケイ中山、寺田康彦・作曲。
MEDICINE MIX は細野晴臣清水靖晃・作曲。
AMBIENT MEDITATION #3はララージ・作曲。
LAUGHTER MEDITATION、DEIRAが好き。
再生YMOの前に制作されていて、テクノドン 録音時の模様を記したYMO本 テクノドン には 出来上がったばかりの MEDICINE COMPILATION のCDを細野晴臣坂本龍一に手渡すところも記されていた。

LAUGHTER MEDITATION

個人的にはアルバム omni Sight Seeing の後にようやく出たアルバムだから、めっちゃ楽しみにして買った。
地味めなアルバムだけどまあまあ好きかな。

2009年にはリマスター盤がデジパック仕様で発売された。
2020年のレコードの日にアナログ盤でリリースされた。
国内では初のアナログ盤化。
2枚組LP。
レコードの日の翌日には砂原良徳によるリマスタリングSACDハイブリッドで発売された。

リミックス・アルバム
MENTAL SPORTS MIXES

1993年にリリース。
全8曲を収録。
アルバム ommi Sight Seeing と MEDICINE COMPILATION からのリミックス曲に、未発表曲 ARABIC1(CAVE OF LIFE MIX) を含む

当時は海外でアナログ盤が発売された。

個人的にはリリース当時に一応、聴いただけ。
Laugh-gasのリミックスとかめっちゃ期待していたのだけど。
その後、MENTAL SPORTS MIXESは再発売とか基本的にされていない。
海外では2009年になってアナログ盤が再リリースされた。

シングル
HAS KURIYA
LOVE, PEACE & TRANCE

1994年12月リリース。
LOVE, PEACE & TRANCEは遊佐未森甲田益也子小川美潮、そして細野晴臣によるユニット。
細野晴臣がプロデューサーを務めた。
収録曲は全3曲。

1. はしゃマンダラ (HUSH-A MANDALA NI PALI)
作詞・作曲 福澤諸
2. 暗闇のささやき (WHISPERS IN THE DARK)
作詞・作曲 トーマス・ニューマン
3. はす・クリア (HASU KRIYA)
作詞・作曲 福澤諸

アルバム
LOVE, PEACE & TRANCE
LOVE, PEACE & TRANCE

1995年1月リリース。
全12曲を収録。
スリーヴケース仕様。
細野晴臣は5曲で作曲、ほかは福澤諸、dip in the pool、killing timeという面々が作曲。
あとランディ・ニューマンのカバー曲も。

2009年にはリマスター盤がデジパック仕様にて発売された。

2021年にはオランダのニューエイジ系再発レーベル MUSIC FROM MEMORY よりHeisei No Oto: Japanese Left-Field Pop From the CD Age (1989-1996)が発売され、Yeelenが収録された。
Heisei No Otoは佐藤準、横川理彦、橋本一子、野中英紀、菊池圭介、POiSON GiRL FRiEND、細野晴臣が作曲した 井上陽水 の Pi Po Pa など全16曲が収録された。
Heisei No OtoはCD盤には全17曲、LPは2枚組で全16曲が収録された。

菊池圭介のレトロ・エレクトリックなんて元々は1996年のアパレルのLois CRAYON (ロイスクレヨン)の非売品レコードに収録されていた曲ですよ。

コンピレーションCD
École

1995年1月リリース。
全12曲を収録。

サウンド&レコーディング・マガジン誌のオーディション企画 Ecole de 細野晴臣 の優秀曲を集めたコンピレーションCD。
要は読者が曲を応募して、それらを細野晴臣が選曲してマスタリングしたCD。

senoo名義で収録されたSo Heavenly.は当時、大学生だった妹尾武による曲。
senooとしてプロデビューし、セノオタケシあるいは実名でピアニスト、作曲家として活動している。
村上文浩名義で収録されたMIKOを収録。
MIKOもHeisei No Otoにも収録された。

1996年には細野晴臣のレーベル デイジーワールドの
コンピ Daisy World TourにLIGHT IN DARKENESS名義のSaoで参加。
その後は村上フミヒロやLIGHT IN DARKENESS、
ASLEEP(アスリープ)名義の活動歴がある。

冬野ユミはEcole de 細野晴臣 以前にピアニスト・作曲家としてプロデビューしていた。
現在もテレビドラマなどで活動している。
ユニットBANANAとして活動した当時、BANANAとして Ecole de 細野晴臣 に密林の河で参加して選ばれた。
密林の河はÉcoleに収録された。

冬野ユミは2024年の(つまり今年1月からはじまった)大河ドラマ 光る君へ の音楽を担当している。
光る君へ のサントラVol.1は1月31日に発売された。

アルバム
細野晴臣 + ゴウ・ホトダ ビル・ラズウェル 寺田康彦
N. D. E

1995年4月リリース。
全8曲を収録。
N.D.Eとは Near Death Experience の略したもので、臨死体験を意味したもの。
NAVIGATIONSは細野晴臣清水靖晃・作曲。
残りの曲は 細野晴臣・作曲。
うまく説明ができないのだけど、STRANGE ATTRACTOR の盛り上がるようなフレーズが好き。

あと HELIOTHERAPY が好き。

1995年当時には海外でもCDで発売された。
1995年5月には国内では6曲入りのアナログ盤(12インチ・シングル)も発売された。
アナログ盤にはCDには未収録のRAIN DREAMが収録。
2023年6月にはアナログ盤がヨーロッパで2枚組LPとして発売された。
この輸入盤は日本国内ではほぼ10,000円で売られていたと思う。
オリジナルのCD通りの全曲を収録した。

アルバム 
GOOD SPORT

1995年9月リリース。
ユニバーシアード 1995年福岡大会に使用された式典音楽のCD盤。
全10曲を収録。
このCDはタワーレコード でのみ扱われていた。
時々、ディスクユ⚪オンやブック⚪フなど中古CDを見るのだけど、これまで GOOD SPORT の中古って見たことがない。
現在、GOOD SPORTは配信で購入できるし、テクノテクノしていないけど、基本はシンセの音で構成されているのが不思議。

FANFARE と A COLLAGE OF LIFE は細野晴臣コシミハルの共作。
あとは全曲、細野晴臣による作曲。
11分に及ぶ troy (the videoman) という曲もある。
アルバムの音像的には「あー、確かに細野晴臣の音楽」と思った。
流石だと思った。

good sport mix

sacred runner

アルバム
NAGA
ナーガ

1995年10月リリース。
全11曲を収録。
1992年~1994年に複数のテレビ番組で使用された音楽の編集盤。
Sherpaのみコシミハル・作曲。
Jado がカッコよい。

Seasons も好き。

Angkor Vatはテレビ番組 アンコールワットのテーマ曲として使用された。
マブイ・ダンス、マブイ・ダンス#2をモチーフとした曲。
Serpent Cloud は15分に及ぶ曲。

アルバム
細野晴臣ビル・ラズウェル
Interpieces Organization

1996年2月リリース。
全7曲。
ラストのBushのみ細野晴臣・作曲。
あとは細野晴臣、ラズウェルによる共作。
全7曲のうち3曲はサムシング・ワンダフル、Terre Thaemlitz、サワサキ・ヨシヒロによるリミックス。
レコーディングにはテツ・イノウエも参加した。

ビル・ラズウェルってピート・ナムルックともアルバム出していたんだよな。

アルバム
swing slow
swing slow

1996年10月リリース。
ハリー細野Jr.とコシミハルによるswing slowのアルバム。
全14曲を収録。

Good Morning,Mr.EchoのオリジナルはJane Turzy with Remo Biondi Orchestra。
UREIやユニバーサル・オーディオの開発で知られるエンジニアのビル・パットナムが作曲に関わった。

Good Morning,Mr.Echo
作詞・作曲 Belinda・Bill Putnam

Jane Turzy with Remo Biondi Orchestra

当時はアナログ盤で25cm盤/10inch盤が発売された。
全6曲収録のミニアルバムで、CDには収録されなかった Caravanのカヴァーが聴ける。
Caravanはデューク・エリントン、ファン・ティゾール・作曲。
歌ではなくて、コシミハルの語り(?)が入っている。

2021年9月30日にはリマスター盤が発売された。
その際にジャケットが変更され、新たにミックスおよびマスタリングは細野晴臣・自身による。
Time Scan 1がTime Scan 2021になり、Time Scan 2はカットされ、Paradise ver.2はParadise ver.3になり、Bycycle Built For Two  、Caravan 、 I'm Leaving It All Up To You (Demo)  が追加収録された。
アナログ盤は2021年12月22日に2枚組でリリースされた。
YouTubeにはswing slowのページがあって、アルバム swing slow のオリジナルと2021 mixの両方が聴ける。

ボックス HOSONO BOX 1969-2000にはswing slowの音源が3曲収録された。
ディスク2にCaravanとGood Morning, Mr.Echo、ディスク3にVOO DOO SURFER。

Kay Nakayamaプロデュースによるコンピレーション・シリーズ、CHILLSCAPE。
90年代後半に発売されたが、その第1弾、CHILLSCAPE COMPILATION,Vol.1 INTO THE SOFTは
1996年7月にリリースされた。
Kay NakayamaのSOMETHING WONDERFULの全7曲が収録された。
細野晴臣はPARADISE ver.1を提供した。

デイジーワールド・ディスク daisyworld discs。
1996年にスタートした細野晴臣・主宰の音楽レーベル。
そういえばボックス HOSONO BOX 1969-2000、細野晴臣の歌謡曲~20世紀BOXもデイジーワールド・ディスクからリリースされた。
スケッチ・ショウもデイジーワールドにもデイジーワールドのマークが入っていて、販売はcutting edgeよりだった。

今となってはデイジーワールドの最大のトピックとしては 星野源 のアルバムだったかもしれない。
ただし、発売したのはビクターから。
星野源 の初期のアルバム には デイジーワールド / ビクタースピードスターと併記してあった。
アルバムでは Stranger まで。
シングル くだらないの中に は デイジーワールド/ ビクタースピードスター ときちんと記されていた。

コンピレーションCD
 Daisy World Tour

1996年12月リリース。
全12曲を収録。
デイジーワールド・ディスクとして第一弾に発売された。
プロデュース・選曲は細野晴臣
swing slowは2曲、Etherscape と Daisy 、HATのOrganic Mangoを収録。

アルバム
HAT
Tokyo-Frankfurt-New York

1996年12月リリース。
全8曲を収録。
細野晴臣、アトム・ハート、テツ・イノウエによるユニット。
ぜーああしし
全曲インストで、細野晴臣、テツ・イノウエ、Atom Heartによる作曲。

アトム・ハートのセニョール・ココナッツでは後にクラフトワークのカヴァー・アルバムやYMOのカヴァー・アルバムをリリースした。
YMOのカヴァー・アルバム プレイズYMO には細野晴臣坂本龍一高橋幸宏テイ・トウワが参加した。

Tokyo-Frankfurt-New Yorkは同年5月にはドイツでリリースされていて、日本盤はジャケットが異なり、新たにリマスタリングされた。

コンピレーションCD
Summer Of Rainbow 97

1997年7月リリース。
イベント Summer Of Rainbow 97の出演者の曲を集めたコンピCD。
全9曲を収録。
細野晴臣はBiogenic Frequencyを提供。
Biogenic Frequencyは後には HOSONO BOX 1969-2000のDISC3に収録された。

1987年8月22日~24日にはデイジー・ワールド・ミュージアム東京都現代美術館で開催された。
デイジー・ワールドのミュージシャンによるビデオやサウンドインスタレーションを展示。
初日には東京都現代美術館内でデイジー・ワールド所属アーティストによるライヴが行われた。
細野晴臣swing slowにて参加した。

シングル
ヴァガボンド&ハリー
Who wants the Hula-Hoop ?

1997年12月リリース。
全3曲を収録。

1. Who wants the Hula-Hoop?
2. Christmas was late
3. Who wants the Hula-Hoop ? (instrumental version)

細野晴臣はWho wants the Hula-Hoopで、ヴォーカルを、Christmas was Late !!!には声というかボヤキを担当した。

Who wants the Hula-Hoop?

作詞(英語詞)はインスタントシトロン片岡知子、作曲は岡田崇。
途中で細野晴臣の普通のヴォーカルも聴けるが、ほとんどは細野晴臣の声を変調したものだと思う。

Who wants the Hula-Hoop ?のCDは普通のCDケースではなく、ハガキを二つ折りにしてCDを挟んでビニール・パッケージに入っていた。
Christmas was late!は後にHOSONO BOX 1969-2000のDISC3に収録された。
アナログ盤も自主制作で5インチ盤・500枚がリリースされた。
A面にWHO WANTS THE HULA-HOOP? (short version)、B面にWHO WANTS THE HULA-HOOP? (Harry's vocal another take) を収録。

アルバム
ミックスマスター・モリス、ジョナ・シャープ
Quiet Logic

1998年2月リリース。
全6曲を収録。
1997年にミックスマスター・モリスとジョナ・シャープの来日公演が行われ、その後に細野晴臣のスタジオ、Quiet Lodge にて録音されたアルバム。
Wakarimasen、Dr. Gauss / Yakan Hiko (Night Flight)
の作曲には細野晴臣も加わっている。
デイジーワールドからCDとカセットテープで発売された。

2024年5月にCD盤/アナログ盤2枚組でリリース。
この再発盤では ミックスマスター・モリス、ジョナ・シャープ、細野晴臣 という三者での名義になったよう。

アルバム
HAT
DSP Holiday 

1998年6月リリース。
Malihini Meleのみトラディショナル。
他は細野晴臣、テツ・イノウエ、Atom Heartによる作曲。

コールドカットのLet Us Replay!の日本盤は1998年10月リリースされた。
海外盤にはリミキサーとして参加したのはコーネリアスくらいで、日本盤にはその他にも日本人アーティストが参加した。
細野晴臣高橋幸宏坂本龍一砂原良徳など。
細野晴臣はRubaiyat (Haruomi Hosono Remix)でリミキサーを務めた。

スクーデリア・エレクトロ石田小吉と寺田康彦が主宰するインディ・レーベル、THINK SYNCのコンピレーション盤 、POP GOES ON ELECTRO。
1998年7月23日リリース。
POP GOES ON ELECTROはジャケットに新版 電気的行楽Iと書かれていた。
スクーデリア・エレクトロ村上ユカ、スノー・モービルズなどによる全12曲が収録され、細野晴臣はEscを提供した。
Escは8分を越える曲。

手塚治虫の生誕70周年のトリビュート・アルバム、ATOM KIDS Tribute to the king O.T.。
1998年11月リリース。
全17曲を収録し、手塚作品の主題歌のカヴァー9曲と手塚作品をモチーフとして作成された8曲からなる。
細野晴臣はOmukae de gonsuを提供した。
Omukae de gonsuは2000年リリースのHOSONO BOXのディスク3にも収録された。

ちなみに1991年に山下達郎が自身のアルバム ARTISAN に アトムの子という曲を収録した。
山下達郎はちょうど手塚治虫が亡くなったことを知ってこの曲を作ったらしく、歌詞カードにはTribute To King "O.T."という記述もある。
手塚治虫の長女るみ子はそのことを知ったことが、このコンピCDを制作するきっかけだったと語っていた。

アルバム
Harry&Mac
Road to Louisiana
ハリーとマック
ルイジアナ珍道中

1999年10月リリース。
細野晴臣久保田麻琴によるアルバム。
久保田麻琴にとっては自らのヴォーカルで歌ったのは20年ぶりのことだったとか。
東京、ロサンゼルス、ニューオリンズの三箇所でレコーディングが行われた。
細野晴臣は作曲したのはNight Shadeくらい。
Choo Choo Gatta Gotto '99とPom Pom Jokiはセルフ・カヴァー。
あとは久保田麻琴による作曲かカヴァー曲。
金延幸子の 時にまかせて もカヴァーされた。

Night Shade
作詞 Mark Bingham、細野晴臣
作曲 細野晴臣久保田麻琴

2021年6月にはリマスター盤がリリースされた。

ボックス
HOSONO BOX 1969-2000
 
2000年3月9日、リリース。
CD4枚組。
ディスク1はHARRY SINGING (1969-1978)として中学生時代、ブルー・モンクを自宅のピアノでカヴァーした音源、バッファロー・スプリングフィールドのMr.Soulをバンド スージー・クリーム・チーズ(細野晴臣鈴木茂林立夫)でカヴァーした音源、小坂忠のありがとう、はっぴいえんどYMO以前の細野晴臣のソロ曲など全20曲を収録。

ディスク2はHARRY SINGING AND PLAYING (1978-1996) としてYMOやソロ曲、swing slowの楽曲など全15曲を収録。ら
ディスク3はHARRY PLAYING (1978-1998) として
コズミック・サーフィンのソロ名義のヴァージョン、ソロ名義やグループ名義のインスト曲など全16曲を収録。
ディスク4はODDS AND ENDS (1969-2000) として
グリーン・バック・ダラーはオックス・ドライヴァーズが1965年3月25日、ファミリー・ジャンボリーより日仏会館にて、YMOが1980年4月23日、写楽のイベントで日本武道館にて収録したものを細野晴臣が編集したもの。
はっぴいえんどの 手紙(風をあつめて のファーストバージョン)の未発表セッショントラック。
パーティー、ろっかばいまいべいびい は1975年10月29日、目黒区民センター の細野晴臣トロピカル・コンサートでのライヴ音源。
北京ダック から"Sayonara", The Japanese Farewell Songまでは1976年5月8日、チャイナ・レストラン同發新館 中華街ライブ より細野晴臣ティン・パン・アレーでのライヴ音源。
DRESSED UP から RUM & DUCK までの3曲は1976年10月アルファ・スタジオで録音された未発表セッション。
プリオシーヌのインストゥルメンタル・バージョン、映画 ほしをつぐもの のメイン・テーマ、レーザー・アクティヴ・ソフト ゴクウ の バビロンの空中庭園 、ロイヤリティ・フリー音源集 anony に収められた Drag The Beat など全13曲を収録。

購入特典としてCOMPACT BOOKが付いた。
細野晴臣へのインタビューなどが載っていた。
個人的には当時、この手の特典をもらえる大型CD店で買った。
その大型CD店は2007年位?に閉店してしまった。
数年後にはその本店含め系列店がまとめて閉店してしまったのは悲しかったな。 

オムニバスCD
MUJI BGM1980-2000

2000年6月リリース。
無印良品の店内BGMを収録したオムニバスCD。
無印良品の店頭のみで購入できた。
CD3枚組(CD aからcとされている。)で細野晴臣の作品はCD aの冒頭のOriginal BGM、TALKING -BGM ver.-の2曲のみ。
それぞれが15分以上ある曲。
MUJI BGM1980-2000は他には新津章夫(CDには新津彰夫となっている。)、モダンパストラル、Dr.Kプロジェクト(← 徳武弘文 によるユニット。)、蓜島邦明、セラフィムによる曲を収録。
BGM 2からBGM 25はサブスクで配信されるようになったのに…。
TALKINGのオリジナルは細野晴臣のカセットブック 花に水 に収録されていた。
1983年には無印良品の店内BGMとして使用されていて、1984年9月にカセットブック(カセットテープ+冊子)としてリリースされた。

2019年にヴァンパイア・ウィークエンドの 2021 にて使用されたことから、2020年にカセットブック 花に水 はレコードの日2020で再発された。
その後、花に水 は配信で購入できるようになった。
花に水 は現在ではYouTube細野晴臣ページでも聴ける。

GROOVE DYNASTYは林立夫が企画・プロデュースしたイベントで、1999年からはじまった。
2000年10月27日、GROOVE DYNASTY 2000は国際フォーラムAにて行われた。
Tin Panのほか村上"ポンタ"秀一、沼澤尚村石雅行、真矢、SUGIZO相川七瀬西脇辰弥、KEIKO、BIG HORNS BEE大貫妙子宮沢和史マルコス・スザーノが出演した。

Tin Pan
GROOVE DYNASTY 2000
国際フォーラムA
2000年10月27日

1. Travellin' Mood 
2. 機関車 
3. I Believe in You 
4. Bon Temp Rouler
 
Travellin' Mood ではヴォーカルは細野晴臣
機関車、I Believe in You、Bon Temp Roulerのヴォーカルは小坂忠
久保田麻琴はギターで、高橋祐子はアコーディオン大貫妙子はBon Temp Roulerのコーラスで参加した。

アルバム
Tin Pan 
ティンパン

2000年11月リリース。
Tin Panは鈴木茂細野晴臣林立夫によるバンド。
松任谷正隆は不参加だった。
ゲストとして小坂忠矢野顕子大貫妙子高野寛中村一義、さらに忌野清志郎大滝詠一が参加した。

Fujiyama Mama、Queer Notions、Travellin' Moodはカヴァー曲。
Starlight Strutは細野晴臣による作詞。
細野晴臣が作曲としてクレジットされたのは76 Tearsのみ。

Hand Clapping Rhumba 2000は作詞・作曲 大滝詠一、Tin Pan & 忌野清志郎
オリジナルは大滝詠一のアルバム NIAGARA MOON の収録曲。
Hand Clapping Rhumba 2000に参画することになり、大滝詠一は「ボーカルトラックだけサンプリングして渡すから、あとは好きにやってよ」と言っていたらしい。
大滝詠一ともう一人のヴォーカリストによる疑似デュエットにすると決まり、そのもう一人には忌野清志郎が参加することになった。
忌野清志郎は2時間ほどで自身の歌うパートの歌詞を書き上げた。
Hand Clapping Rhumba 2000のヴォーカルには大滝詠一忌野清志郎、そして曲の終盤には細野晴臣が加わっている。

Flying Pick BluesとHand Clapping Rhumba 2000とカヴァー曲以外はTin Panによる作曲。

Tin Panは2000年12月20日、東京・NHKホールにてコンサートを行った。
この日は久保田真琴佐橋佳幸佐藤博浜口茂外也吉田美奈子大貫妙子高野寛忌野清志郎がゲストで出演した。

Tin Pan
Tin Pan CONCERT 1975/2001
東京NHKホール
2000.12.20

1. Been Beat
2. Queer Notions ※ 
3. Fujiyama Mama ※
4. Starlight Strut ※
5. Flowers
6. 週末 ← 吉田美奈子
7. 突然の贈り物 ← 大貫妙子
8. Travelin' Mood ← 久保田真琴
9. Occapella ← 久保田真琴
10. Pom Pom 蒸気 ※
11. 機関車 ← 小坂忠 コーラス 吉田美奈子
12. ほうろう ← 小坂忠
13. Lady Pink Panther ※※
14. ソバカスのある少女 ※※
15. 北京ダック ※
16. ブラック・ピーナッツ ※
17. Bon Temps Rouler ← 久保田真琴
18. Hand Clapping Rhumba 2000 ← 忌野清志郎

アンコール1
19. 東京ラッシュ ← 高野寛
20. さよならアメリカさよならニッポン

アンコール2
21. Growth

※ヴォーカル 細野晴臣
※※ヴォーカル 鈴木茂

 

 

 

THE POLICE について

以前にも記したかも知れないけど、私がイケメンだった中学三年生の頃、受験勉強のお供に深夜ラジオを聞くようになった。
いつものように受験勉強をしていたある日、ラジオでリアルタイムのヒットチャート曲がかかる音楽番組を聞いた。
その時にワム!のFreedomがかかった。
すっかりワム!のFreedomが気に入った私は歌詞を覚えて、同じくFreedomを気に入っていた友人と昼休みに一緒に歌っていた。
ワム!も二人組だったし。
それまでにも洋楽はビートルズのLet it beやイーグルスHotel Californiaとかデュラン・デュランのIs there something I should knowとかを耳にしたことがあったけど、リアルタイムにヒット曲ではワム!のFreedomがはじめて聴いた洋楽じゃないかなー。
それで高校生になった頃から洋楽を積極的に聴こう!と思った。
この頃は朝日放送でMTVが放送されていた。
土日の深夜に2時間ずつ放送されていたと記憶している。
その影響もあり、私はレンタルレコード屋さんの会員になってレコードをバンバン借りるようになったもの。
洋楽の情報を仕入れるためにFMラジオを聴くようになり、そのために週刊FMを買うようになった。
時々、FMステーションも買ったけど。
週刊FMで放送される予定を調べてエアチェックするというのが、私がイケメン高校生のときの楽しみのひとつあった。
クロスオーバーイレブンとかよくエアチェックしていたなー。
1985年は個人的には洋楽を聴きはじめた年。
スティングがアルバム ブルータートルの夢をリリースしていたから、そこからカットされたIf You Love Somebody Set Them Free、Love Is the Seventh Wave、Fortress Around Your Heart、RussiansのビデオなどもよくMTVで見ていた。
スティングの曲としては Fortress Around Your Heart が圧倒的に好き。
ちなみに発表時期が近くてモノクロフィルムのPVだったドン・ヘンリーのThe Boys of Summer、Mr.ミスター のBroken Wingsも好き。
Mr.ミスターは曲としてKyrieよりもBroken Wingsのが好き。
そういえばPVが当時のアニメCGだったダイアー・ストレイツのMoney for Nothingにはスティングが参加していた。
Money for Nothingは好きだったから、一応Don't Stand So Close to Meのフレーズも聴いていたことになるのかな?

1986年にはポリスのDon't Stand So Close to Me '86がリリースされた。
洋楽を聴くようになったのはほぼ1985年だったから、それ以前に活動していたポリスを知ったのは
Don't Stand So Close to Me '86 以降。
Don't Stand So Close to Me '86のPVを監督したのはゴドリー&クレイムだった。
この曲、スチュワート・コープランドはレコーディング時には足を骨折したためにドラムを叩いていなくて自らリズムマシンで打ち込んだそう。
ポリスのEvery Breath You Takeはラジオでよくエアプレイされていたからよく耳にするようになったと思う。

ポリスのメンバーは、

・スチュワート・コープランド ドラム
・スティング ヴォーカル ベース
・アンディ・サマーズ ギター

スチュワート・コープランド
1952年7月16日生まれ。
アメリカのヴァージニア州アレクサンドリア出身。
ポリスの他のふたりはイギリス人だけど、この人はアメリカ人。
12歳でドラムをはじめ、その後ロンドンでドラムを学び、大学はカリフォルニア州の大学に通った。
イギリスでカーヴド・エアのツアーマネージャーを務めた。
そのツアーの後にカーヴド・エアからドラマーが脱退したのでスチュワート・コープランドがドラマーとして加入した。
1976年12月の解散までの二枚のアルバム(ミッドナイト・ワイアー と エアボーン)でドラムを叩いていて、この二枚のアルバムはスチュワート・コープランドの実兄、マイルス・コープランドの設立した BTMよりリリースされた。
ちなみにカーヴド・エアはその後も再結成しているけど、スチュワート・コープランドは参加していない。
スチュワート・コープランドがラスト・イグジットのスティングを見たのは、カーヴド・エアのツアーの最中の1976年9月25日だった。

スチュワート・コープランドはローリング・ストーン誌の歴史上最も偉大な100人のドラマーで2010年には第7位、2016年には10位。

スチュワート・コープランドの実兄、マイルス・コープランドは1970年代はじめにウィッシュボーン・アッシュ、アル・スチュワートなどを手掛けるマネージメント会社を設立している。
その他にもBTM、イリーガル・レコード、I.R.S.レコードといったレーベルも設立している。
イギリスではポリスはイリーガル・レコードからデビュー・シングルをリリースしたし、アメリカではI.R.S.レコードからアルバムやシングルをリリースされていた。
I.R.S.は初期R.E.M.が在籍したレコードレーベルで知られると思う。
マイルス・コープランドはポリスのマネージャーも務めた。

スティング。
1951年10月2日生まれ。
イギリスのウォールセンド出身。
本名はゴードン・マシュー・トーマス・サムナー。
実家は牛乳屋さんで、スティングは父親を手伝って牛乳の配達をしていたという。
その牛乳屋さんはスティングの弟が継いだとか。
スティングははじめはギターを弾いていたが、すぐにベースを弾くようになり、地元のジャズ・バンドで演奏するようになった。
蜂を連想させる黒と黄の縞の上着を好んでよく着用していたことからスティング(針で刺すの意)と呼ばれるようになった。

大学卒業後には小学生の美術教師を務めていた。
その頃のスティングはニューカッスル・ビッグ・バンドにベーシストとして参加していて、そのバンドは1972年にはアルバム Newcastle Big Band をリリースしている。
それがスティングがはじめて参加したレコーディングだった。
1974年にジャズ・フュージョン・バンド ラスト・イグジットを結成し、ボーカルとベースを務めた。
1976年9月25日、ラスト・イグジットでスティングがローカル大学で演奏していたのをスチュワート・コープランドが見た。
ラスト・エグジットはヴァージン・レコードのリチャード・ブランソンが興味を持ったが、スティングとだけ契約した。
スティングに不利な契約だったらしく、後にこの契約はスティングとヴァージンの間で裁判闘争が行われることになるのだけど。

スチュワート・コープランドはロンドンに来ることがあったら、と電話番号を書いた紙を渡した。
スチュワート・コープランドはこの時はカーヴド・エアに在籍していたが、スティングを説得してロンドンへ出てくるように言った。
ロンドンへ出てきたスティングは公衆電話からスチュワート・コープランドと連絡をとった。
1977年、スティングはスチュワート・コープランド、ヘンリー(アンリ)・パドゥバーニと共にバンド ポリスを結成した。

アンディ・サマーズ。
1942年12月31日生まれ。
スティングやスチュワート・コープランドより10歳近く年上。
アルバム シンクロニシティー発売時点で41歳だった。
アンディ・サマーズはジミ・ヘンドリックスともロンドンで何度も会っていたことがある。
ちなみにジミ・ヘンドリックスが同じ1942年生まれ、キース・リチャーズが1943年生まれ、ジェフ・ベックが1944年生まれ、エリック・クラプトンが1945年生まれ。

アンディ・サマーズはリバプール北部のブラックプールで生まれたが、生後まもなく南イングランドボーンマスに移住した。
アンディ・サマーズは楽器店で働いていたことがあり、そこへはロバート・フリップ(こちらもボーンマス出身。)が客として来ていた。
ちなみにロバート・フリップは1946年生まれ。
アンディ・サマーズはディナーショーなどでギターの演奏をしていて、ロンドンへ移るときにはその仕事の後釜にはロバート・フリップが次いだ。
アンディ・サマーズとロバート・フリップはコラボレート・アルバムを制作したことがある。
1982年のアルバム 心象表現(原題 I Advance Masked)と1984年のアルバム 擬制の映像(原題 Bewitched)。

アンディ・サマーズは10代はじめから数々のバンドに掛け持ちで参加していた。
1964年、18歳の時にロンドンへ転出してズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドに、1967年にはサイケデリック・バンド、ダンタリアンズ・チャリオットに、1968年にソフト・マシーンに参加した。
ソフト・マシーンは6週間のアメリカ・ツアーを行うが、はじめの3週間が終わってロバート・ワイアットから、ケヴィン・エアーズがキーボード・バンドとして活動していくのでグループを辞めて欲しい、と言われて短期間の在籍で脱退している。
エリック・バードン&ジ・アニマルズ(アニマルズが1966年に解散して、そのヴォーカリストのエリック・バードンがサンフランシスコで結成したバンド。)のギタリストが解雇されていると耳にしたアンディ・サマーズは1968年にその後任ギタリストとなり、アルバム ラヴ・イズ に参加している。
エリック・バードン&ジ・アニマルズは日本公演時のトラブル(バンドとプロモーターでトラブルが起きてしまい、バンドは機材を日本に置いたまま帰国した。アンディ・サマーズは自分の機材、とりわけレスポール・ジュニアを失ったことは後々まで悔やんだという。)があり、その後エリック・バードン&ジ・アニマルズは解散してしまった。
このこともあってアンディ・サマーズは音楽活動を休止して、カリフォルニアの大学でクラシック・ギターを学び、のちにイギリスへと戻った。
帰国後には様々なアーティストとのセッションをこなした。
例えばニール・セダカのステージでギタリストを務めた。
その仕事はマイケル・ジャイルズからもたらされたもの。
ちなみにアンディ・サマーズとマイケル・ジャイルズは同じボーイスカウトに所属していたという縁があった。

1976年、マイク・オールドフィールドのチューブラー・ベルズを編曲したジ・オーケストラル・チューブラー・ベルズのコンサートが行われた。
デヴィッド・ベッドフォードの指揮するニューカッスル交響楽団のオーケストラによる演奏で、ギタリストにはマイク・オールドフィールドに代わってアンディ・サマーズが参加した。
ジ・オーケストラル・チューブラー・ベルズのコンサートの休憩時間にはスティングが在籍したラスト・イグジットが演奏した。
この2週間後、ケヴィン・エアーズのバンドのメンバーとしてアンディ・サマーズが参加した。
アンディ・サマーズはこの時、宿泊したホテルでカーヴド・エアに在籍していたスチュワート・コープランドと出会っている。

1977年1月、元ゴングのメンバーのマイク・ハウレットからスティングとスチュワート・コープランドにゴングの再結成コンサートがあり、その中でゴングのメンバーが各々の新しいバンドで演奏する、という企画を知らされた。
マイク・ハウレットの新バンドにはスティング、スチュワート・コープランド、そして別に誘われたアンディ・サマーズが参加した。
ストロンチウム90というジャズ・ロック・グループだった。
5月にはゴングの再結成コンサートが行われ、ストロンチウム90も演奏した。
ロンドンに戻ってからもストロンチウム90はジ・エレベーターズと名を変えて活動したが、スティングとスチュワート・コープランドはポリスの活動を再開したので、エレベーターズは短命に終わった。
トリチウム90は1996年にアルバム ポリス・アカデミーとして1997年2月のセッション音源と5月のパリでのライヴ音源まとめたものがリリースされた。
この時の音源には後にポリスで使われた曲の原型を聴くことができる。
Visions Of The Nightはポリスで1977年に再レコーディングされ、3 O’Clock Shotの一部はBe My GirlとO My Godに使用された。
Every Little Thing She Dose is Magicもこの時期に作られていて、1981年にポリスが完成させたのと曲構成が異なっている。

アンディ・サマーズはスティングとスチュワート・コープランドとの演奏を充実していたと感じ、ケヴィン・エアーズのバンドでの活動を物足りなく思っていた。

シングル
Fall Out

1977年5月リリース。
作詞・作曲・プロデュースはスチュワート・コープランド
マイルス・コープランドのイリーガル・レコードからリリースした。


 
カップリング曲はNothing Achieving。
作詞・作曲はスチュワート・コープランドとイアン・コープランド
ごく初期のポリスのジャケットや写真はスチュワート・コープランドがメンバーの真ん中、あるいは単独で写されていたりしたと思う。
アルバム 白いレガッタからはスティングが中心になることが多くなったけど。

シングル Fall Outは1979年にジャケットが変更されて再リリースされた。

Fall Outはボックスセット メッセージ・イン・ア・ボックス~ポリス・ヒストリーと2007年のベスト盤 グレイテスト・ヒッツ (原題 The Police) に収録された。
個人的にはボックスセット メッセージ・イン・ア・ボックス~ポリス・ヒストリーではじめて聴いた。

1977年7月、アンディ・サマーズはポリスのライヴ活動に参加。
やがてヘンリー・パドゥバーニがポリスを脱退した。
1977年10月、ポリスはツアーの合い間にミュンヘンでのエバルト・シェイナーのレコーディングに参加した。
これはアンディ・サマーズの勧めでスティングとスチュワート・コープランドも参加している。
このときの録音はVideo Magic、Video Flashbackという作品に収録され、後にこの二枚は纏められて
1987年に 創世記 のタイトルでリリースされた。

ヘンリー・パドゥバーニ。
フランス出身。
初期ポリスはアメリカ人とイギリス人とフランス人によるバンドだったわけだ。
ポリスにはアンディ・サマーズが加わり、一時期は4人によるバンドだったが、ヘンリー(アンリ)・パドゥバーニが脱退。
ヘンリー(アンリ)・パドゥバーニはその後、Wayne County and the Electric Chairsに参加し、1980年には自らのバンド The Flying Padovani's を結成した。
The Flying Padovani'sは2枚のアルバムをリリースした。
ヘンリー・パドゥバーニは2006年にはフジ・ロック・フェスティバルに出演した。
同年10月にも来日公演を行っている。
2007年にポリスのリユニオン・ツアーのパリ公演に
Next to Youで参加した。

ポリスにはギタリスト、アンディ・サマーズが加わった。
しばらくは4人編成のバンドだったが、ヘンリー・パドゥバーニが脱退したので、ポリスはスチュワート・コープランド、スティング、アンディ・サマーズの3人によるバンドとなった。
ポリスの初期はパンク・バンドであったが、元アニマルズがいるバンドということでパンクの連中からは嫌われたという。
1977年10月、ポリスのツアーの合い間にミュンヘンでのエバルト・シェイナーのレコーディングに参加。
これはアンディ・サマーズの勧めでスティングとスチュワート・コープランドも参加している。
このときの録音はVideo Magic、Video Flashbackという作品に収録され、後にこの二枚は纏められ1987年に 創世記 のタイトルでリリースとなった。

シングル
Roxanne

1678年4月リリース。
ポリスは1977年秋にライヴを行うためにフランス、パリに行った。
パリでスティングはホテルのある裏通りにいた娼婦たちの様子をじっと見ていたことがある。
ポリスのライヴはチケットが売れなかったためにキャンセルとなった。
イギリスに戻り、スティングの嫁がしばらくアイルランドに戻ることがあったので、アンディ・サマーズがスティングを自分のアパートに寝泊まりするように誘ったことがあった。
ある晩、アンディ・サマーズはスティングがいる居間の方からギターの音とともにロクサーヌ~♪と歌う声を聞いた。
その時はジャズっぽいボサノヴァの曲だったが、スチュワート・コープランドのドラム、アンディ・サマーズのギターのアレンジでRoxanneは変わっていった。
Roxanneは完成し、スタジオでマイルズ・コープランドが聴いた。
マイルズ・コープランドは当初、ポリスには全く期待していなくて、しぶしぶ弟のスチュワートに付き合うという感じだったらしい。
Roxanneを聴いたマイルズ・コープランドはすぐにヒットすることを確信したという。
マイルズ・コープランドはすぐにA&Mと契約した。
ちなみにA&Mはポリスと契約する直前にはセックス・ピストルズと契約したが、オフィスの騒乱後には契約を解除している。
ピストルズに懲りたA&Mはもっとちゃんとしたバンドと契約しようと思っていたらしく、そこへ現れたのがポリスだったらしい。

シングル Fall Outはインディーズ・リリースだったが、以後はA&Mからリリースされた。
実際に発売されるとRoxanneはBBCで放送禁止になり、Roxanneはヒットしなかった。

カップリング曲はPeanutsで、スティングとスチュワート・スチュワート・コープランドの共作。
Peanutsはアルバム アウトランドス・ダムールにも収録された。

シングル
Can't Stand Losing You

1978年8月リリース。
ジャケットは首に縄をかけて氷の上に立つスチュワート・コープランド
そのジャケットのため、Can't Stand Losing YouはBBCでRoxanneに続いて放送禁止となったけど。

A&Mは当初、ポリスのファースト・アルバムを夏にリリースするつもりだったが、シングル Roxanne の売り上げがよくなかったために様子見のためにもう一枚シングル、つまりCan't Stand Losing Youをリリースした。
Can't Stand Losing YouはUKチャートの42位にランクインしてバンドメンバーは喜んだという。
A&Mも延期されたファースト・アルバムのリリースを秋にすると決めた。

カップリング曲はDead End Job。
スティングが歌詞を書き、曲はスチュワート・コープランドが書いた。

ポリスは1978年10月、BBCのOld Grey Whistle Testに出演。
このOld Grey Whistle Testの出演時にスティングがサングラスをかけていたのは当日の本番前に誤ってヘアスプレーを目に噴射してしまったため。
幸いにもスタジオの隣が眼科だったためにすぐに治療はできたが、目が真っ赤になったという。
Can't Stand Losing YouとNext To Youの演奏中の本番ではサングラスが落ちそうになったりしたので、不自然でないように瞬時に上を向いたりしていた。
スティングはこの時を人生で最も長かった10分間と語っている。
このことでスティングは意気消沈したのだけど、このパフォーマンスで翌日からポリスは全英中で注目されることになったのだけど。
評価を受けてたポリスはCan’t Stand Losing You がマイナー・ヒットを記録した。

ポリスはマイルス・コープランドからアメリカ・ツアーをしようと提案された。
ちなみにこの時、アメリカではポリスのレコードはまだ発売されていなかった。
10月20日ケネディ空港へ着いたあと、そのままライヴ会場のCBGBへと向かった。
ポリスはドアもない楽屋で着替えた。
客席は1/3しか埋まっていなかった。
この時のポリスは持ち曲が6曲しかなかった。
ステージを終えて汗びっしょりで楽屋に戻ると、ドアもない楽屋にポリスのステージを見て興奮した観客が入ってきたりした。
ポリスのステージは観客から歓迎されたのだ。

ニューヨーク州にあるポキプシーという町でライヴを行った。
ステージには客が4人。
スティングはステージから客4人を前に呼び寄せてそれぞれの名前を聞いた。
そのステージでポリスはアンコールにつぐアンコールで盛り上がった。
ライヴが終わると客4人はバックステージにも来たという。
計5回に及ぶアンコールで盛り上がった客4人のなかには地元の放送局のDJがいた。
その翌日からローカル放送局の電波に乗ってRoxanneが流れた。
ポリスのツアーはアメリ東海岸でライヴが続いた。
ライヴの売り上げはそのままその翌日の食費となっていた。
宿泊はモーテルあるいは知り合いや音楽ファンの部屋に泊めてもらったという。
ボストンではポリスの音楽を気に入ったDJがいて、1時間に1回、Roxanneをかけていた。
そのせいもあってボストンで行われた4日間のライヴは売り切れとなった。
アメリカでと翌1979年にシングルとアルバムがリリースされることが決まった、

アルバム
アウトランドス・ダムール
Outlandos d'Amour

1978年11月リリース。
サリー・サウンド・スタジオで1978年1月~3月にレコーディングされた。
Peanutsは作詞・作曲 スティング、スチュワート・コープランド
Be My Girl—Sallyは作詞・作曲 スティング、アンディ・サマーズ。
他の曲は作詞・作曲 スティング。

マイルズ・コープランドはアルバムを聴いて特にRoxanneを気に入った。
マイルズ・コープランドA&Mに持ち込み、A&Mが気に入ったので以後はポリスの楽曲はA&Mからリリースされた。

シングル
So lonely

1978年11月リリース。

カップリング曲は No Time This Time。 
アルバム 白いレガッタ にも収録された。

シングル So Lonelyは1980年に再リリースされた。
ポリスは1980年2月に初来日公演を行ったが、その時に東京都営地下鉄浅草線の地下鉄車内や駅構内でPVが撮影された。
電車からメンバーが降りる時にはマイルス・コープランドの後ろ姿も確認できる。
PVには香港で撮影された映像も混合されて使用されている。
スチュアート・コープランドがスティックでいろいろ叩いているシーンは香港で撮影されている。

1979年4月にはシングル Roxanneが、6月にはシングル Can't Stand Losing Youが再リリースされた。
それぞれプラチナ・ディスク、シルバー・ディスクとヒットした。
アルバム アウトランドス・ダムール も売り上げが上昇した。

シングル
Message in a Bottle

1979年9月リリース。

カップリング曲はLandlord。
スティングとスチュワート・コープランドによる共作。

アルバム
白いレガッタ
Reggatta de Blanc

1979年10月リリース。
サリー・サウンド・スタジオで1979年2月~8月にレコーディングされた。
レコーディング中にポリスの人気が上昇し、このアルバムはリリースされるとイギリスで1位を4週間獲得した。

The Police Around the World Tour
ポリスは1980年3月から初のワールドツアーを行った。
白いレガッタ発売前よりはじまり、1981年1月~2月には日本公演も行われた。

シングル
Walking on the Moon

1979年11月リリース。

シングルはエディットされていて、このシングル・ヴァージョンはCD化されたことはない。

カップリング曲はVisions of the Night。

THE POLICE
REGGATTA DE BLANC TOUR
Hammersmith Palais, London, UK
1979年12月18日

1. Intro
2. Next to You
3. So Lonely
4. Walking on the Moon
5. Hole in My Life
6. Deathwish
7. Truth Hits Everybody
8. Fall Out
9. Bring on the Night
10. Visions of the Night
11. The Bed's Too Big Without You
12. Peanuts
13. Roxanne
14. Can't Stand Losing You
15. Message in a Bottle
16. Landlord
17. Born in the 50's

シングル
Bring On the Night

1980年1月、アメリカでリリースされた。

カップリング曲はVisions of the Night。

シングル
The Bed's Too Big Without You

1980年5月、イギリスでリリースされた。

カップリング曲はTruth Hits Everybody (live)。

シングル
Don't Stand So Close to Me

1980年9月リリース。
日本語タイトルは 高校教師 。
スティングが高校の教育実習生の体験をもとに制作された。

カップリング曲はUKではFriendsで、アメリカではA Sermon。

Friends

A Sermon

アルバム
ゼニヤッタ・モンダッタ
Zenyatta Mondatta

1980年10月リリース。
前作にはまだ少しはパンクっぽさが残っていたが、このアルバムではほぼ消えた。

Behind My Camelはインスト曲。

Behind My Camelはアルバム ゼニヤッタ・モンダッタ の曲数が足りなかったためにアンディ・サマーズが書いた曲。
スティングはBehind My Camelを嫌ってベースを弾くことを拒否したため、アンディ・サマーズがベースを弾いた。
ある日、そのテープがテーブルの上にあるのを見つけたスティングは、そのテープをスタジオの裏の庭に埋めようとしたという。
けれど、Behind My Camelは1982年のグラミー賞においてベスト・ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス部門の最優秀賞を獲得した。

シングル
De Do Do Do, De Da Da Da

1980年10月にアメリカ盤が、12月にUK盤がリリースされた。

カップリング曲はアメリカ盤がFriends、UK盤がA Sermon。
つまりシングル Don't Stand So Close to Meのアメリカ盤とUK盤時のカップリング曲を入れ替えた感じ。

De Do Do Do, De Da Da Daのスペイン語ヴァージョンにB面は日本語ヴァージョンというシングルもリリースされた。
日本語歌詞は湯川れい子が担当した。
欧米盤のジャケットには「日本語で」「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」「ポリス」という日本語も。
来日公演盤としてリリースされた日本盤シングルはA面にDe Do Do Do, De Da Da Daの日本語ヴァージョン、B面にBehind My Camel。
日本盤シングルのジャケットは単にアルバム Zenyatta Mondatta のジャケット写真を使用して「来日記念盤」「日本語歌詞」「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」という文字がかぶせられただけ…。

Zenyatta Mondatta Tour。
 (1980–1981)

シングル
Invisible Sun

1981年9月リリース。
北アイルランド紛争をテーマにして書かれた曲でPVはbutで放送禁止になった。

カップリング曲はShambelle。

Shambelle

アルバム
ゴースト・イン・ザ・マシーン
Ghost in the Machine

1981年10月リリース。
プロデュースはポリス、ヒュー・パジャム
AIRスタジオ・モンスラットにて録音された。

ポリスのGhost in the Machine Tour。
1981年10月1日、西ドイツから1982年9月6日、ラス・クルーセスのパン・アメリカン・センター公演まで行われた。
日本公演はなし…。

シングル
Every Little Thing She Does Is Magic

1981年10月リリース。

カップリング曲はFlexible Strategies。

Flexible Strategies

シングル
Spirits in the Material World

1981年12月リリース。

カップリング曲はUK盤はLow Life。
アメリカ盤はFlexible Strategies。

Low Life

VHS / Laser Disc
アラウンド・ザ・ワールド
Around the World 

1982年リリース。
ビデオテープ、レーザーディスクVHDで発売された。
1980~1981年のワールド・ツアーの模様を捉えたロードムービー
世界各地でのライヴの映像やオフステージの模様も収録されている。
日本、香港、オーストラリア、インド、エジプト、ギリシャ、南米、フランス、そしてアメリカ。

京都では相撲部屋を訪れ、アンディがふんどし一丁で力士と勝負、惨敗して振り回される場面も…

シングル
Secret Journey

1982年4月、アメリカにてリリース。

カップリング曲はDarkness。
アルバム ゴースト・イン・ザ・マシーン収録曲。

シングル
Every Breath You Take

1983年5月リリース。
スティングが1982年にジャマイカにあるイアン・フレミング(ジェームズ・ボンド・シリーズの著者)の別荘、ゴールデン・アイに滞在していたときに閃いたという曲。
夜中に起きてビアノの前で30分ほど演奏して出来上がった。 
レコーディングではアンディ・サマーズが印象的なギターのフレーズを思いついた。
歌詞はラブソングではなく、悪意を持って監視している、という内容。

ポリスにとって唯一の全米シングル1位獲得曲。
年間ランキングでも1位。
ちなみに2位はマイケル・ジャクソンのBilly Jeanで、3位はアイリーン・キャラのFlashdance... What a Feeling。
映画フラッシュダンスの主題歌。
1984年のグラミー賞で最優秀楽曲賞、最優秀楽曲賞と最優秀ポップ・デュオ/グループ(ヴォーカル入り)を獲得した。
スティングは2019年のアルバム マイ・ソングスで再録音している。

カップリング曲は、Murder by Numbers。

アルバム
シンクロニシティ
Synchronicity

1983年6月リリース。
プロデュースはポリス、ヒュー・パジャム

Murder by Numbersはもともとシングル Every Breath You TakeのB面曲。
アルバムシンクロニシティ のアナログ盤には未収録で、カセットテープおよびCDにボーナストラックとして収録された。

2003年にリマスターされた。

シングル
Wrapped Around Your Finger

1983年7月、UKにてリリース。

カップリング曲はUK盤はSomeone to Talk To。
アメリカ盤は"Tea in the Sahara (live)。

Someone to Talk To

UKでは12インチ・シングルでも発売された。

A1.Wrapped Around Your Finger
A2 Someone to Talk To
B1. Message in a Bottle (live) 
B2. I Burn for You

シングル
King of Pain

1983年8月リリース。

カップリング曲はアメリカ盤はSomeone to Talk To、UK盤は Tea in the Sahara" (Live)。

UK盤は12インチ・シングルでも発売された。
収録曲は7インチと同じ。

シングル
Synchronicity II

1983年10月リリース。

カップリング曲はOnce Upon a Daydream。

Once Upon a Daydream

シングル
Synchronicity I

1983年10月、日本でのみリリース。

カップリング曲

ポリスは1983年7月23日よりSYNCHRONICITY TOURを開始した。
ポリスは当初は1983年4月17日・18日に日本武道館公演が告知されていたがチケット発売前に中止となった。
1983年4月だとアルバム発売前だったし。
SYNCHRONICITY TOURでは結局、日本公演は行われなかった。
1984年3月にはニュージーランドやオーストラリアには来たのに。

THE POLICE
SYNCHRONICITY TOUR
Shea Stadium, New York City, NY
1983年8月18日

01. Voices Inside My Head
02. Synchronicity I
03. Synchronicity II
04. Walking In Your Footsteps
05. Message In A Bottle
06. Walking On The Moon
07. Oh my God
08. De Do Do Do De Da Da Da
09. Wrapped Around Your Finger
10. Tea In The Sahara
11. Spirits In The Material World
12. Hole In My Life
13. Invisible Sun
14. One world (Not Three)
15. King Of Pain
16. Every Breath You Take
17. Murder By Numbers
18. Don't Stand So Close To Me

アンコール
19. Roxanne
20. Can't Stand Losing You / Reggatta de Blanc / Can't Stand Losing You
21. So lonely

シェア・スタジアムはかつてビートルズがライヴをしたことがある場所。
ポリスがシェア・スタジアムで演奏した時、スティングは「今日がポリスのエベレストだ。」と思ったという。
つまりスティングはポリスの活動での最頂点と感じてこれ以上はないと。
これまでもスティングはポリスの
ちなみに2001年にリリースされたアウトドア・アドベンチャー・ドキュメンタリーのDVDシリーズ Expeditions(エクスペディションズ)の第1弾、Expeditions Vol.1 エベレスト 世界最高峰への道 ではスティングがナレーションを務めた。

ポリスは1984年2月28日のグラミー賞受賞式でEvery Breath You Takeで最優秀楽曲賞を受賞した。
1984年1月にポリスは活動休止を宣言した。
3月4日にはSYNCHRONICITY TOURが終了して活動休止した。

ビデオ
シンクロニシティ・コンサート
SYNCHRONICITY CONCERT

1984年リリース。
1983年11月2日・3日に行われたジョージア州アトランタでのライヴ映像を収録。
監督はゴドレイ&クレーム。
インタビューも収録。
このインタビューでスティングはポリスを抜けると語って解散するつもりだったようだが、公式にはポリスは活動休止となった。
2005年にDVD化され、Synchronicity II、Roxanne、Invisible Sun、Don't Stand So Close To Meの4曲がマルチ・アングルで追加収録された。

ポリスは1986年にアルバムをリリースするつもり再び3人か結集した。
だが、アルバム制作は進まず、その制作はスチュワート・コープランドが落馬して足を骨折したことで頓挫した。
結果として制作されたのはDon't Stand So Close to Me '86、De Do Do Do, De Da Da Da '86のみとなった。
当時はDon't Stand So Close to Me '86のみが発表された。

シングル
Don't Stand So Close to Me '86

1986年9月リリース。

結局、作品となったのはDon't Stand So Close to Me '86とDe Do Do Do, De Da Da Da '86のみ。
ここでのドラムはスチュワート・コープランドによる打ち込みが使用された。

De Do Do Do, De Da Da Da '86は2003年に再リリースされたポリス・ザ・クラシックス~見つめていたい (原題 Every Breath You Take: The Classics) のSACDハイブリッドの5.1chのみに収録された。

カップリング曲はDon't Stand So Close To Me (Live) 。
1983年、アトランタにて収録されたライヴ収録されライヴ音源。

Don't Stand So Close To Me '86 は12inchシングルでも発売された。

A1. Don't Stand So Close To Me '86 (Dance Mix)
A2. Don't Stand So Close To Me '86 
B1. Don't Stand So Close To Me (Original Version) 
B2. Don't Stand So Close To Me (Live) 

PVはゴドレイ&クレーム監督により1986年7月撮影された。
メンバーはそれぞれのスケジュールの都合で別個で撮影された。
ポリスはバンドとして活動を停止した。

ベスト盤
ポリス・ザ・シングルス ~ 見つめていたい
Every Breath You Take : The Singles

1986年10月リリース。
すべてシングル曲で全12曲収録。
(EU盤はSo Lonelyを加えた全13曲。)
Don't Stand So Close to Me '86も収められた。

このベスト盤は1995年にリニューアルされてポリス・ザ・シングルス ~ 見つめていたい +2 (原題は Every Breath You Take : The Classics)となり、収録曲やジャケットも変更された。
全14曲収録。
Don't Stand So Close To Me '86 の曲順が5曲目から13曲目になり、5曲目はオリジナルのDon't Stand So Close To Meが入った。
14曲目にはMessage in a Bottle (NEW CLASSIC ROCK MIX) が追加された。
2003年にはSACDハイブリッドで再発され、5.1ch層ではDe Do Do Do, De Da Da DaがDe Do Do Do, De Da Da Da '86に差し替えられた。

VHS
ザ・ビデオ!
EVERY BREATH YOU TAKE・THE VIDEOS

1996年リリース。
Roxanne ~Don't Stand So Close to Me '86までの全14曲のビデオクリップを収録。
薬品51分。

後にDVD化。
エヴリ・ブレス・ユー・テイク
(EVERY BREATH YOU TAKE・THE DVD)
としてタイトルとジャケットが変更された。
DVD化にともない以下が追加収録された。
・Can't Stand Losing You(Old Grey Whistle Test)
・Next To You(Old Grey Whistle Test)
・ポリス・イン・モンセラット (BBCのドキュメンタリー 47分くらい)
・Studies In Synchronicity (アルバム シンクロニシティ発表時のPR映像で4~5分くらい)が追加収録された。

ベスト盤
グレイテスト・ヒッツ
GREATEST HITS

1992年9月リリース。
全16曲を収録。

ボックス・セット
メッセージ・イン・ア・ボックス ~ ポリス・ヒストリー
Message in a Box : The Complete Recordings

1993年9月リリース。
(日本盤は1993年11月リリース。)
CD4枚組・全78曲を収録。
ポリスのアルバム5枚の全収録曲にシングルBサイド曲やライヴ音源24曲を収録したボックス・セット。

個人的にはこの手のおよそ発表された全曲+未発表曲を無理くりCD4~6枚組に入れ込むボックス・セットは他にもスティーリー・ダンザ・ジャムスタイル・カウンシルも所有している。

ライヴ・アルバム
ポリス・ライヴ
LIVE!

1995年5月リリース。
(日本盤は1995年6月リリース)。
CD2枚組。
プロデュースはアンディ・サマーズ。
ディスク1はアルバム 白いレガッタ が発売された翌月の1979年11月27日にボストン、オルフェウム・シアターにて行われたライヴを収録。
ディスク2はシンクロニシティー・コンサートより1983年11月13日・14日のジョージア州アトランタ、オムニ・コロシアムのライヴを収録。
(ちなみにオムニ・コロシアムは1997年に閉場されている。)
Roxanne、Can't Stand Losing You、So Lonelyはどちらのディスクでも演奏されていて、違いが楽しめる。

VHS
ヒストリー・オブ・ポリス・ライヴ!
Outlandos to Synchronicities – A History of The Police Live! 

1995年5月リリース。
国内では1995年6月にVHSとLDでリリースされた。
主にポリス初期からシンクロニシティ・コンサートのライヴ映像で、Next to you のOld Grey Whistle Test出演時の模様、インタビューなどが収録された。
スチュワート・コープランドが撮ったSuper-8の映像も。
84分収録。

1997年にはベスト・オブ・スティング&ポリスというベスト盤も発売された。
パフ・ダディのリミックスのRoxanne '97が入っていたやつ。
ロキシー・ミュージックのベスト盤にもブライアン・フェリーのソロ曲が入ったのがいくつかあるけど、個人的にはこういうの嫌い。
特にザ・ベスト・オブ・ジョージ・ハリスンとかな!
もちろんビートルズ時代の曲が収録されていたのは罪はないのだけど。
Bangla Deshなんかライブ・ヴァージョン以外ではアルバム リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールドの2014年リマスター盤が出るまでCDではザ・ベスト・オブ・ジョージ・ハリスンにしか入ってなかったもん!
ダイアー・ストレイツのMoney for Nothingとかは良いのだけど、パフ・ダディ feat. ジミー・ペイジの Come With Meとか嫌いだからな!
当時はジミー・ペイジ何しとるねん!と思ったもの。
思い出してしまったけど、インエクセスのベスト盤でNeed You Tonightのグウェン・ステファニーとのマッシュアップのやつとかいまだに許せんしな!
あと、ベスト・オブ・スティング&ポリスはDVD/VHSも出ていた。

2003年、ポリスはロックの殿堂入りを果たした。
授賞式ではポリスはRoxanne、Message in a Bottle、
Every Breath You Takeを演奏した。
Every Breath You Takeではグウェン・ステファニーエアロスミススティーヴン・タイラージョン・メイヤーも加わった。

2006年、アンディ・サマーズは著書 ONE TRAIN LATER を発表した。
日本語版は2007年12月にアンディ・サマーズ自伝 ポリス全調書 として発売された。
ポリス全調書とあるがポリスの記述があるのは後半のみ。
書かれた時期的にポリスのリユニオンについての記述はなかった。

2007年、ポリス、デビュー30周年。
ポリスは再結成を果たした。
第49回グラミー賞に出演し、その幕開けに Roxanne を演奏した。

ドキュメンタリー・フィルム ポリス・インサイド・アウト。
スチュアート・コープランドは8ミリカメラを手にいれて1978年から1983年までの間、ポリスを撮影していたフィルムが使用された。
メンバーであったからこそフィルムに収めることができた映像の数々で構成され、スチュアート・コープランド自身が監督を務めた。
日本では2007年3月31日から2週間限定で公開された。

ポリスはリユニオン・ツアーを開始し、2007年5月27日カナダのバンクーバーゼネラルモーターズ・プレイス(現・ロジャーズ・アリーナ)から2008年8月7日ニューヨーク、マディソン・スクエアガーデンまで行った。

2007年7月7日にはライブ・アースアメリカ会場のニュージャージージャイアンツ・スタジアムに出演。
大トリとしてDriven To Tears、Roxane、Can't Stand Losing You / Reggatta de Blanc、Message in a bottleを披露した。
Message in a bottleではジョン・メイヤーがギターで、カニエ・ウェストがラップで参加した。

DVD
ポリス・インサイド・アウト
EVERYONE STARES THE POLICE INSIDE OUT 

2007年5月リリース。

2019年4月にBlu-ray化された。
Blu-ray化で20分を超える特典映像と、アンディ・サマーズとスチュアート・コープランドによるコメンタリーが追加収録された。

ポリスはリユニオンツアーで日本に訪れ、2008年2月10日に京セラドーム大阪、13日・14日に東京ドームと計3公演が行われた。

THE POLICE
THE POLICE REUNION TOUR
東京ドーム
2008年2月13日・14日

1. Message in a Bottle
2. Synchronicity II
3. Walking On The Moon
4. Voices Inside My Head ~ When The World Is Running Down, You Make The Best Of What's Still Around
5. Don't Stand So Close to Me
6. Driven To Tears
7. Hole In My Life
8. Every Little Thing Sne Does is Magic
9. Wrapped Around Your Finger
10. De Do Do Do, De Da Da Da
11. Invisible Sun
12. Walking In Your Footsteps
13. Can't Stand Losing You ~ Reggatta de Blanc
14. Roxanne

アンコール1
15. King In Pain
16. So Lonely
17, Every Breath You Take
アンコール2
18 Next To You

ベスト盤
グレイテスト・ヒッツ
The Police

2007年6月リリース。
Fall Outを含むCD2枚組・全28曲を収録。
Fall Out以外は2003年リマスター音源を使用した。
UK盤にはThe Bed's Too Big Without YouとRehumanize Yourselfが追加収録された全30曲。

ポリスのリユニオンツアー2007年9月29日・30日のパリ公演のNext to Youでは元ポリスの初期メンバーのヘンリー・パドゥバーニが参加した。
2021年にはスティングはインタビューに応じ、ポリスのリユニオン・ツアーについて後悔していると語った。

DVD+CD
サーティファイアブル
Certifiable Live in Buenos Aires

2008年11月リリース。
2007年12月1・2日のアルゼンチンのブエノスアイレス公演を収録。
完全限定デラックス盤は2DVD+2CD仕様。
2枚目のDVDには特典映像 Better Than Therapyが収録とフォトギャラリーが収録された。
Better Than Therapyは50分のドキュメンタリーで、フォトギャラリーは二つ収録されていて、ひとつはアンディ・サマーズによるもの、もうひとつはダニー・クランチによるもの。

通常盤はライヴ本編の全曲DVD+ライヴ本編から14曲を抜粋したCDの1DVD+1CD仕様。
輸入盤ではBlu-ray+CD、3LP+MP3というのも発売された。
日本盤ではCD2枚組のみのライブ本編全19曲を収録したものも発売された。
このCDのみの仕様で発売されたのは日本盤だけと思う。

映画
ポリス / サヴァイヴィング・ザ・ポリス
CAN’T STAND LOSIING YOU / SURVIVING THE POLICE

2012年制作。
製作総指揮、アンディ・サマーズ。
監督 アンディ・グリーヴ、ローレン・レイジン。
アンディ・サマーズ の自伝 ポリス全調書 をベースに、未公開映像やライヴ・シーン、インタヴューなどを交えながら、ポリスの誕生、解散、そして再結成までを追ったドキュメンタリー。
インサイド・アウト がスチュワート・コープランド自らが撮ったポリスの1978年~1983年のスーパー8のフィルムを使用したドキュメンタリー映像だったが、こちらは当時の映像や2007年の再結成しその後のワールド・ツアーの映像、アンディ・サマーズの撮った写真が多数が使用された。
ナレーションもアンディ・サマーズ。
アンディ・サマーズの生い立ちとか自宅のシーン、自身の撮った写真が多様されていたあたりにやはりアンディ・サマーズによる映像。
2013年11月に日本の劇場で公開された。
上映時間、83分。

2016年11月にBlu-ray / DVD化された。

ボックスセット
エヴリ・ムーヴ・ユー・メイク: ザ・スタジオ・レコーディングス
Every Move You Make : The Studio Recordings

2018年11月リリース。
ポリス40周年記念として発売されたアナログ盤のボックス。
アウトランドス・ダム―ル から シンクロニシティーまでのアルバム5枚とアルバム未収録のシングルBサイド曲集のフレキシブル・ストラテジーズの6枚組。
フレキシブル・ストラテジーズにはMurder By Numbers、シングル Every Breath You Take のUK7インチ2枚組に収録されていたTruth Hits Everybody (Remix)など全12曲が収められた。

2019年11月にはCD BOX盤がリリースされた。
CD6枚はデジパック仕様。
全曲、2018年リマスターが使用された。

アルバム未収録のシングルBサイド曲集のフレキシブル・ストラテジーズは2021年には単品でもリリースされた。

Blu-ray+CD / DVD+CD
アラウンド・ザ・ワールド(レストア&エクスパンデッド)
AROUND THE WORLD RESTORED & EXPANDED

2022年5月リリース。
1979年から1980年にポリスが初めて行ったワールド・ツアーのドキュメンタリー。
1982年にビデオで発売されていたが、Blu-ray/DVD
化にあたり映像はレストアされオーディオもリマスターされた。
日本、香港、オーストラリア、インド、エジプト、ギリシャ、フランス、南米、アメリカでのライヴ・シーン、各地の名所を訪れたバンドの姿を収録。
Blu-ray+CDあるいはDVD+CDという仕様で、ドキュメンタリーの京都、ハマースミス、香港での完全演奏された映像がボーナスとして4曲がフィーチャーされ、CDでは11曲が完全演奏されているものを収録。

輸入盤ではDVD+LPでも発売された。
ビデオ・LD・VHDでも発売時期によって使用されたジャケット写真は異なるが、Blu-ray / DVD化でジャケット写真が一新された。
DVD+LPはジャケ写がさらに異なっていて、こっちのジャケが一番カッコいいと思う。
アンディ・サマーズのライナーノーツ付き。

 

 

 

 

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT について

ミッシェル・ガン・エレファント
チバユウスケの友人が、ダムドのアルバム Machine Gun Etiquette のジャケットの文字が筆記体で書かれていたために読み間違えてしまったのを耳にしたのがバンド名の由来となった。 
そこにイギリスのバンド、ヘッドコーツ(Thee Headcoats)のTheeを拝借して頭にひっつけた。
当初は小文字で thee michelle gun elephant と表記されていたが、1998年のシングル スモーキン・ビリー からは大文字でTHEE MICHELL GUN ELEPHANTと表記されるようになった。

TMGEチバユウスケとシガケイイチが明治学院大学のサークル ソング・ライツ 内で1990年に結成された。
ちなみにソング・ライツの先輩にはフィッシュマンズがいた。
TMGEフィッシュマンズは一度、ライヴで一緒に出演したことがあったという。
TMGEザ・ダムドザ・ジャムのコピーをしていたが、オリジナル曲を演奏するようになる。

1990年11月、明治学院大学の学園祭でTMGEのライヴを観たクハラカズユキが加入を申し出て、その時のドラマーをクビにしてクハラカズユキが加わった。
その後ベーシストが脱退したのでクハラカズユキと親交があったウエノコウジが加わった。
TMGEの初ライヴは1991年4月3日に下北沢 屋根裏にて行われた。
それからのTMGEは主に下北沢や渋谷のライヴハウスに出演するようになった。
TMGEはメンバーが大学卒業後も活動を続けた。

1993年8月22日、インディーズのUKプロジェクトより 下北沢 屋根裏7周年記念オムニバス・アルバム SPIRITS OF 1993 下北沢屋根裏7th ANNIVERSARYが発売された。
TMGEは 偉大なる大うそつき、ブラック・タンバリン、400円の一人旅 の3曲で参加。
発売日には記念ライヴを行っている。 

1993年11月25日、UKプロジェクトからデビュー・アルバムとなるライヴ盤 MAXIMUM! MAXIMUM!! MAXIMUM!!! をリリースした。
ちなみに下北沢CLUB QueはUKプロジェクトが作ったライヴハウスで、1994年10月1日にオープンした。

1994年1月24日、TMGEウィルコ・ジョンソンの来日公演の渋谷クラブクアトロにてオープニングアクトを務めた。
チバユウスケは高校時代にパンク・ロックを聴いていて、20歳頃にドクター・フィールグッドに聴いてからウィルコ・ジョンソンに傾倒していたという。
ちなみにアベフトシテレキャスターの似合うギタリストとしてウィルコ・ジョンソンを挙げていた。

この時期にギターのシガケイイチが脱退した。TMGEはしばらくは3人で活動していたが、知人の仲介でアベフトシが加入することになった。
アベフトシは1994年6月25日にTMGEに加入した。
それからのTMGEは解散まで以下のメンバーとなる。

チバユウスケ ヴォーカル
アベフトシ ギター
ウエノコウジ ベース
クハラカズユキ ドラム

チバユウスケのみが結成当初からのメンバー。
チバユウスケは初期にはバンドのリーダーだったが寝坊や遅刻が多かったということで、その後は解散までクハラカズユキがリーダーとなった。

1995年8月1日、渋谷クラブクアトロにてワンマンライブをおこなった。

9月24日~10月31日、メジャーデビューアルバムのレコーディングのためにイギリス、ロンドンへ
渡る。

10月21日 、ミニアルバム wonder style をリリース。
11月27日よりwonder style tour。
8都市・全10公演を行う。

1996年2月1日、TMGEはメジャー・デビューした。
TMGEはその後もアルバム、ライヴでファンを魅了した。
海外でも作品がリリースされたし、ライヴも行った。
ザ・クラッシュジョー・ストラマーTMGEのライヴを見た人々から「いい」「よかった」という評判を聞き、パリではじめてTMGEのCDを聴いて衝撃を受けたとされる。
2002年にはジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスで来日公演を行い、最終公演が行われた後の楽屋で
ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスとTMGEは対面を果たしている。

2003年10月11日にシングル エレクトリック・サーカス をリリース。
同日の幕張メッセで行われたラスト・ライヴでTMGEは解散した。

2009年7月22日にはアベフトシが、そして2023年11月26日にはチバユウスケが亡くなった。
チバユウスケが2023年4月に癌の治療のために休養したことはニュースで知っていたけど、まさか亡くなるとは…。
ちなみに休養前の予定では、2023年11月26日はThe BirthdayのツアーファイナルがZepp DiverCityにて行われるはずだった。
2024年1月19日、Zepp DiverCityにて献花の会 Thanks ! が行われた。
その時に休養前に録音されたThe Birthdayの新曲3曲をメンバーが最終作業を行い、2024年春にEPとしてリリースする準備をしていると発表された。

ライヴ・アルバム
MAXIMUM! MAXIMUM!! MAXIMUM!!!

1993年11月リリース。
UKプロジェクトよりのリリース。
1993年9月4日下北沢チョコレートシティでのライブ音源を収録。
全11曲。
メンバーによると録音当日のライヴは客席は全然埋まってなかったとか。
カヴァー2曲(ヤードバーズ の You Can't Judge A Book By It’s Cover、ジェイムス・ブラウンのAnd I Do Just What I Want)を含む。
オリジナル曲の作詞・作曲のクレジットはチバユウスケ
この時のギターはシガケイイチ。

VIVA LA MICHELLE では途中で TEQUILA! が入っていいる。
ルースターズ?ドクター・フィールドグッド?
アルバムジャケットのデザインはザ・バーズのアルバム Mr.Tambourine Manのパロディ。

1999年11月25日に再発された。

1994年1月、ウィルコ・ジョンソンの来日コンサートにオープニング・アクトとして出演した。

シガケイイチが脱退。
以後しばらく3人でライヴ活動を続ける。

1994年6月よりメンバーにアベフトシが加わった。

1995年3月25日、TMGE下北沢シェルターでライヴが行った。
その時に客席にデモテープが配られた。
その時のデモテープに収録された4曲。
1. 君に会いにゆこう 
2. Why do you want to shake 
3. マシュマロモンスター 
4. 眠らなきゃ 

同時にアンケートが配布されて、その時のアンケートに印刷されていた文字はチバユウスケのもの。
「ですます」ではなく、どこじゃ、なんじゃとかメンバーに一言あるなら書いてみな、DM届いてるか?、届いていなければ君は下に(※名前・住所などのこと)を記入しなければいかん、とか面白い。

1995年6月18日、TMGEは下北沢CLUB Queでライヴを行った。
この時に2回目となるデモテープの配布が行われた。
収録曲は4曲。
1. スイミングラジオ
2. 夢のマイアミ 
3. 深く潜れ~dive in blue~ 
4. あんたのどれいのままでいい 

その後にもデモテープが配布されたことがある。
1回目と2回目のデモテープから選曲された4曲が収録されていた。
1. スイミングラジオ
2. why do you want to shake
3. マシュマロモンスター
4. 夢のマイアミ

ミニアルバム
wonder style

1995年10月リリース。
TRIPPIN' ELEPHANT RECORDSよりリリース。
全5曲。
チャック・ベリーのtalkin' about youのカヴァーを含む。

1997年5月にはコロンビアから再リリースされた。
マシュマロ・モンスターはPVも作られた。

wonder styleには初回盤・通常盤・再発盤があり、それぞれジャケットや帯、レーベル面の色が異なる。
アナログ盤では裏ジャケで再発盤のCDのジャケット裏側と、TMGEのメンバーが着ているTシャツのマークがお揃い。
英国空軍の使用するターゲットマーク。
このマークは ザ・フー が60年代に多様し、モッズもファッションで使用するようになった。

アナログ盤でも発売された。
2000年にアナログ盤で再発された。
(アナログ盤の中古市場のwonder styleはほとんど再発盤で、オリジナル盤は中古市場にほとんどない。)

wonder style tour
1995年11月27日から1996年1月19日まで。
8都市で全10公演が行われた。

ミニアルバム wonder style リリース時にはすでにメジャーデビューすることが決まっていて、アルバム cult grass stars を制作していた。
 
1996年1月19日、渋谷クラブクアトロ
2週間後のデビューに際してプロモーションを兼ねたコンベンションライヴが行われた。
音楽関係者が多く詰めかけた。
終演後の挨拶で、チバユウスケは「日本の音楽シーンをダメにしたのはお前らだ」と多くの音楽関係者の前で言い放った…。

1996年2月、TMGEはシングル 世界の終わり でメジャー・デビューした。

シングル 
世界の終わり

1996年2月リリース。
世界の終わり はもともとチバユウスケが書いていたいた曲で、まだクハラカズユキウエノコウジTMGEに加入する前だっな。
世界の終わり はクハラカズユキウエノコウジそしてアベフトシの演奏でTMGEの曲として完成した。
メジャー・デビュー・アルバムのためにロンドンでレコーディングされた。
世界の終わり (Smash hits Version)としてシングル・ヴァージョン。

チバユウスケの詩集ビートのコメントには 世界の終わり はもともとTMGEのために書かれた曲ではなかった、と記されている。
世界の終わり はTMGEのメジャーデビュー曲であり、TMGEのラスト・ライヴでは最後に演奏された曲でもある。

カップリングはキング。
アルバム cult grass stars にも収録された曲。

アルバム
cult grass stars

1996年3月リリース。
ロンドンでレコーディングされたアルバムで、エンジニアはクリス・ブラウン。
全13曲。
アルバムジャケットはカウボーイジャンキーズのアルバムTHE TRINITY SESSIONのパロディ。

世界の終わり は (primitive version)として収録されたアルバム・ヴァージョン。

ブラック・タンバリン はライヴ・アルバム MAXIMUM! MAXIMUM!! MAXIMUM!!! にも収録されていたが、歌詞が一部異なる。

ブラック・タンバリン

トカゲ

I was walkin’ & sleepin’

Dallas fried chickenとremember Amsterdamはインスト。

アナログ盤では2枚組でリリースされた。
全14曲。
Dallas fried chickenがDallas fried chicken (devil impression version)として、そしてCDには未収録のBack to 57が収録された。

cult grass stars tour
1996年3月29日から5月7日まで。
13ヶ所で13公演が行われた。

シングル
キャンディ・ハウス

1996年8月リリース。

カップリングはオートマチック(トランジスタ・バージョン) 、スイミング・ラジオ(Live)、ステッピン・ストーン(Live) 。
オートマチック(トランジスタ・バージョン) は歌詞がautomaticしかなく、ほぼインスト。
ステッピン・ストーン(Live) はモンキーズの(I'm Not Your) Steppin' Stoneのカヴァー。

アナログ盤はA面にキャンディ・ハウス、B面にオートマティック(blue hawaii version)。
オートマティック(blue hawaii version)はCD化されていない。

シングル
リリィ

1996年10月リリース。
VHSビデオ thee michelle gun elephant play maximum rockin' bluesと同時発売された。

カップリングは君に会いにゆこう と オートマチック(super Karaoke) 。

アナログ盤はA面にリリィ、B面にスロー を収録。

VHSビデオ
thee michelle gun elephant play maximum rockin' blues

1996年10月リリース。
シングル リリィ と同時発売された。
1996年5月7日、日清パワーステーション公演を収録。
最後にウエノコウジがカメラをまわして撮った打ち上げの様子の映像が収録されている。
2004年1月にDVD化され、特典映像としてライヴ映像10曲が追加収録された。
このビデオのデザインはザ・フーのアルバム LIVE AT LEEDSのパロディ。

アルバム
High Time

1996年11月リリース。
全12曲。
シングル キャンディ・ハウスは (texas style)として別ミックスを収録。

リリィはシングルの音源のまま収録された。

bowling machineとBaby,please go home ~ wave'33はインスト。

bowling machine

アナログ盤でもリリースされた。
アナログ盤ではタイトルは is this High Time ? で、曲順もCDとは異なる。
あとジャケット写真も異なっている。
全10曲を収録。

High Time Tour
1996年12月13日から1997年2月12日まで。
20ヶ所・全21公演が行われた。

WORLD STEREO LYNCH TOUR
1997年4月3日 -から6月20日まで。
14ヶ所・全17公演(ロンドンで4公演)が行われた。
1997年8月1日にはビデオ化され、2002年3月にDVD化された。
全13曲を収録。
冒頭の2曲はロンドン公演で収録された映像。

DVD-BOX THEE LIVE のDISC1にはWORLD STEREO LYNCH TOURより1997年5月17日、日比谷野音公演の完全版を収録。
一部の映像はWORLD STEREO LYNCH にも収録されている。
TMGEのワンマン公演としては最初で最後の野音ライブとなった。

シングル
カルチャー

1997年5月リリース。

カップリングはランドリー、カーテン、CISCO〜想い出のサンフランシスコ(She's gone) の3曲。
CISCO〜想い出のサンフランシスコ(She's gone)は
歌詞がCISCO!のみなのでインストに近い。

CISCO〜想い出のサンフランシスコ(She's gone)

カップリング曲はいずれもRUMBLEに収録された。

シングル
ゲット・アップ・ルーシー

1997年8月リリース。

カップリングはスピーカー、スパイダー スパイダー、深く潜れの3曲。
スパイダー スパイダーはインスト。
カップリングはいずれもRUMBLEに収録された。

アナログ盤では12インチシングルで発売された。

VHSビデオ
WORLD STEREO LYNCH~DOWN LOAD ROCKIN'MOVIE

1997年8月1日リリース。
全曲を収録。
2002年3月にはDVD化された。
DVD化の際に
全20曲を収録。

シングル
バードメン

1997年10月リリース。

個人的にはTMGEをはじめて耳にした曲だったと思う。
ドラム(特にシンバル)やギターがやたら音が大きくて。
この時はインダストリアルあるいはシンセをガンガン使っているような音楽を主に聴いていたと思う。
そんな時期にTMGEを耳にしてカッコいいと思ってしまったんだよな…。

カップリングはロマンチック(ターキー・ブランチ・ヴァージョン) 。
アルバム Chicken Zombiesには Broiler Dinner Version としてヴァージョン違いで収録されている。

アルバム
Chicken Zombies

1997年11月リリース。
全13曲。
初回盤は裏ジャケの色が黒で、通常盤は紫。
ジャケットデザインはブルーチアーのアルバム Vincebus Eruptum のパロディ。
シングルのカルチャー、ゲット・アップ・ルーシー 
はアルバム・ヴァージョンで収録された。
バードメンはシングル・ヴァージョンのまま。
カップリング曲 ロマンチック(ターキー・ブランチ・ヴァージョン)はロマンチック (Broiler Dinner Version) としてヴァージョン違いで収録された。
ブギーはPVが制作された。

ロシアン・ハスキー

]

アナログ盤でも発売された。
アナログ盤のジャケット写真はザ・フーのアルバムODDS & SODS のジャケットのパロディ。
ザ・フーはR・O・C・KだったけどTMGEは…。

COW 5はCD盤とは異なる別テイクが収録された。

WORLD CHICKEN ZOMBIES TOUR
1998年1月7日から4月24日まで30都市・全52公演が行われた。
WORLD CHICKEN ZOMBIES TOUR in the U.K. 
1998年5月14日から20日までロンドン3ケ所、マンチェスター1カ所、ブライトン1カ所でライヴが行われた。

WORLD CHICKEN ZOMBIES TOUR最終日の1998年2月1日に行われた赤坂BLITZでのライヴの完全版。
2010年1月20日に発売されたDVD-BOX THEE LIVE のDISC6に収録された。

シングル
VIBE ON! / あんたのどれいのままでいい

1998年1月、ライヴ会場限定で発売されたアナログ盤のEP。
青盤と赤盤の2種類があり、シリアルナンバー入り。

後にVIBE ON! はベスト盤 TMGE 106 に収録され、あんたのどれいのままでいい はGRATEFUL TRIAD YEARS DELUXE EDITIONの初回特典ディスクに収録された。

VIBE ON! 

thee michelle gun elephant vs The Bristolsとして
Toe Rag Studioを設立したリアム・ワトソンのバンド、ザ・ブリストルズとTMGEのスプリット・シングル。
新宿Vinyl Japanより青盤・透明盤・通常盤が発売された。
A面にTMGEのVIBE ON! 、B面にザ・ブリストル
のOur Love Will Still Be There(トロッグスのカヴァー曲)を収録。

1998年9月、thee michelle gun elephant vs JIGHEADとしてTMGEとJIGHEADのスプリット・シングルが発売された。
新宿Tiger Holeより3000枚限定で発売。
A面にTMGEのJab、B面にJIG HEADのTop Water Pluggerを収録。

VHSビデオ
FILM STARS REVENGE! 

1998年5月リリース。
Chicken Zombiesまでに制作されたPVをすべて収録。
2002年3月にDVD化された。

THEE MICHELL GUN ELEPHANT
フジロックフェスティバル
1998年

1. CISCO
2. G.W.D
3. ゲット・アップ・ルーシー
4. アウト・ブルーズ
5. ギヴ・ザ・ガロン
6. ハイ!チャイナ!
7. カルチャー
8. バードメン
9. VIBE ON!

シングル
G.W.D

1998年8月リリース。
ロンドンで録音された。

カップリング曲はジャブ。
ほぼインストの曲。

アナログ盤はA面がG.W.D、B面はSICK ON YOU。
SICK ON YOUはボーイズのカヴァー曲。
SICK ON YOUは2000年にリリースされたコンピ、LONDON NITE 20th anniversary EXTRAXに収録された。
LONDON NITE 20th anniversary EXTRAXは大貫憲章プロデュースのDJイベントの20周年記念盤としてリリースされた。
ブルーハーツの情熱の薔薇、レピッシュのパヤパヤ、ラフィンノーズのCome On Feels the Noise、
モッズのTHE LAST TIME、シナロケのYou may Dreamなどが収録された。

シングル
アウト・ブルーズ

1998年9月リリース。
オリジナル・アルバム未収録曲。
ベスト盤 TMGE 106に収録された。

カップリングはボーイズのカヴァー、SODA PRESSING。

シングル
スモーキン・ビリー

1998年11月リリース。

カップリング曲はジェニー。

アルバム
ギア・ブルース

1998年11月リリース。
全14曲。
シングル曲 G.W.D は東京で再録されたのが収録された。
シングル スモーキン・ビリー を収録。
フリー・デビル・ジャムとブライアン・ダウンはPVが作られた。

ダニー・ゴー

海外盤はスモーキン・ビリーのカップリング曲ジェニーが追加収録された全15曲。

アナログ盤でも発売された。
LP2枚組。
ダニー・ゴーはアウトロが追加された。
このヴァージョンはcomeではベスト盤 THEE GREATEST HITSに収録された。

個人的にはじめて買ったTMGEのCDだったと思う。
確かスモーキン・ビリーを聴いてレコファンで購入したはず。

WORLD PSYCHO BLUES TOUR   ALL STANDING! MAXIMUM!!
1998年12月13日~1999年年1月17日横浜アリーナまで8ヶ所10公演が行われた。
すべてオールスタンディングで行われ、ちなみにこの時の横浜アリーナ公演は横浜アリーナ初のオールスタンディングというライヴとなった。
この時のライヴの模様は1999年5月にDVD WORLD PSYCHO BLUES として発売された。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 
WORLD PSYCHO BLUES TOUR
ALL STANDING! MAXIMUM!!
横浜アリーナ
1999年1月17日

SE 荒野の1ドル銀貨
1. ウエスト・キャバレー・ドライブ
2. カルチャー
3. ドッグ・ウェイ
4. スモーキン・ビリー
5. ハイ!チャイナ
6. ボイルド・オイル
7. アウト・ブルース
8. サタニック・ブン・ブン・ヘッド
9. ギヴ・ザ・ガロン
10. G.W.D
11. アッシュ
12. ソウル・ワープ
13. ホテル・ブロンコ
14. キラー・ビーチ
15. ゲット・アップ・ルーシー 
16. ブライアン・ダウン
17. 深く潜れ
18. ジャブ
19. フリー・デビル・ジャム
20. バードメン
21. ダニー・ゴー
22. ジェニー

WORLD GEAR BLUES TOUR
1999年4月2日千葉LOOKから8月6日赤坂BLITZまで全国40ケ所・全62公演が行われた。
8月6日赤坂BLITZWOWOWで中継され、後にDVD THEE LIVE のディスク4として収録された。
その後は8月27日から10月4日にはイギリスで4ケ所、アメリカで17ヶ所の公演が行われた。
TMGEにとっては最長のツアーとなった。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 
WORLD GEAR BLUES TOUR
1999年8月6日
赤坂BLITZ

1. サタニック・ブン・ブン・ヘッド
2. ロシアン・ハスキー
3. ヤング・ジャガー
4. フリー・デビル・ジャム
5. ドッグ・ウェイ
6. アッシュ
7. G.W.D
8. ソウル・ワープ
9. ボイルド・オイル
10. ゲット・アップ・ルーシー 
11. モナリザ
12. VIBE ON!
13. ブギー
14. ラプソディー
15. キャンディ・ハウス 
16. 深く潜れ
17. CISCO~思い出のサンフランシスコ(She's gone)
18. カルチャー
19. スモーキン・ビリー
20. ジェニー
21. REMEMBER AMSTERDAM
22. 君に会いにゆこう
23. BABY,PLEASE GO HOME
24. 世界の終わり

ベスト・アルバム
RUMBLE

1999年8月リリース。
全11曲。
収録曲はシングルでリリースされてアルバムには未収録の曲が集められた。
初回盤は紙ジャケット仕様。
収録曲は発売順に並んでいる。
アナログ盤でも発売された。

イギリスではCDと10インチシングルで発売された。
全4曲。
A面にスモーキン・ビリーと G.W.D.、B面にハイ!チャイナ!とBowling Machine (Live)。
Bowling Machineはダブリンでのライヴ音源。

7インチシングル
WEST CABARET DRIVE

1999年9月、アメリカのみで発売されたアナログ・シングル。
初回プレスのみクリアーブルーのカラーヴァイナル。
A面にWEST CABARET DRIVE、B面にスモーキン・ビリー と CISCO を収録。

1999年4月、ルースターズのトリビュート・アルバム RESPECTABLE ROOSTERS -a tribute to the roosters- に参加。
TMGEはDo The Boogieをカヴァーした。
ちなみにルースターズのトリビュート・アルバムは2005年にもRESPECTABLE ROOSTERS→Z a-GOGO が発売されていて、2009年には2枚のトリビュート・アルバムをまとめてCD2枚組で再リリースされた。

シングル
GT400

2000年2月リリース。
初回盤は光沢紙が使用されたデジパック

カップリングはモナリザ
アルバム未収録曲だが、ロデオ・タンデム・ビート・スペクターの海外盤に収録された。

アルバム
カサノバ・スネイク

2000年3月リリース。
全15曲。
初回盤はピクチャーレーベル仕様。
アルバムジャケットのデザインはルースターズのアルバム Insane のパロディ?

夜明けのボギーはインスト。
リボルバー・ジャンキーズはPVが制作された。

リボルバー・ジャンキーズ

デッド・スター・エンド

]

ドロップ

TMGE EUROPE TOUR 2000
2000年4月14日から4月21日まで行われたヨーロッパ・ツアー。
ロンドン、パリなどで行われた。

WORLD CASANOVA SNAKE TOUR 
2000年5月6日から7月26日まで国内30都市・全43公演が行われた。

いわゆるペットボトル事件。
Zepp TOKYO公演
投げられたペットボトルがボーカルのチバユウスケの腹部に当たってしまい、チバユウスケはその場でしばらくしゃがみこんでいた。
バックの演奏は続いたが、会場の雰囲気は悪くなった。
アベフトシにもタオルが投げられたり、他のメンバーも不快な表情を見せたり。
チバユウスケは「ハッピーな 気持ちは分かるけど、物投げんなよ。結構効いたぜ。物投げねえで、おまえらが飛んで来い!」と言ったが、残念ながらその後も物が投げられていた…。
その後も観客から物を投げられてライヴが中断したこともあり、TMGEのライヴにはペットボトルの持ち込みが禁止になった。

ツアー最終日の7月26日には赤坂BLITZにて行われ、この時のライヴ映像はWOWOWにてオンエアーされた。
2010年1月20日にリリースされたDVD-BOX THEE LIVEのディスク2に収録された。
ライブ音源はCASANOVA SAID "LIVE OR DIE" としてCD化された。

DVD 
FILM STARS NOT DEAD

2000年7月リリース。
アルバム ギヤ・ブルース と カサノバ・スネイクのPV6曲とライヴ映像4曲を収録。

2000年7月29日、FUJI ROCK FESTIVAL2日目に出演。
TMGEはGreen Stageのトリ、つまりヘッドライナーを務めた。
ちなみに前日のヘッドライナーはBLANKEY JET CITYだった。

THEE MICHELL GUN ELEPHANT
フジロックフェスティバル 00 Green Stage
2000年7月29日

1. CISCO
2. デッド・スター・エンド
3. ダスト・バニー・ライド・オン
4. カルチャー
5. プラズマ・ダイブ
6. フリー・デビル・ジャム
7. ゲット・アップ・ルーシー
8. アウト・ブルーズ
9. ドロップ
10. ベガス・ヒップ・グライダー
11. G.W.D
12. ベイビー・スターダスト
13. GT400
14. スモーキン・ビリー
15. ヤング・ジャガー
16. リボルバー・ジャンキーズ

アンコール
17. 世界の終わり

シングル
ベイビー・スターダスト

2000年9月リリース。
ジャケットはピンク・フロイド 夜明けの口笛吹き のパロディ。

カップリングはベガス・ヒップ・グライダー と 武蔵野エレジー の2曲。
いずれもオリジナル・アルバムには未収録。
ベガス・ヒップ・グライダーはCASANOVA SAID "LIVE OR DIE"とLAST HEAVEN’S BOOTLEGでライヴ・ヴァージョンが聴ける。
武蔵野エレジー はインスト曲で、ベスト盤 GRATEFUL TRIAD YEARSに収録された。

2000年11月20日、渋谷ON AIR EASTにてウィルコ・ジョンソンとパイレーツのライヴがあった。
先にウィルコ・ジョンソン、後でパイレーツ。
パイレーツのステージではPlease, Don't Touchの演奏時にはアベフトシが参加した。
パイレーツのみでアンコールがあった。
この時のライヴの模様は、ウィルコ・ジョンソン、パイレーツ、それぞれLIVE IN JAPAN, 2000としてCD化された。
もちろんアベフトシが参加した模様も聴くことができる。

ベスト・アルバム
TMGE 106

2000年12月13日リリース。
ライヴ・アルバム CASANOVA SAID "LIVE OR DIE"と同時にリリースされた。
全17曲を収録。
アルバム未収録のシングル曲とそのカップリングが多く収録された。
発売当時の広告にはTRIADの担当者がレコード会社の都合で出されたベスト、ということ、そしてメンバーの意向で RUMBLE 収録曲は除外された、とのことが記されていた。
TMGE 106とは、メジャーデビュー後に発表されたTMGEの楽曲がこの時に106曲だったかららしい。
アルバムジャケットのデザインはザ・パイレーツのアルバム Out Of Their Skullsのパロディ。

2001年には北米でCOLLECTIONとしてリリースされた。
ジャケは日本盤とほぼ同じで、タイトルはCOLLECTIONとなった。
日本盤とは収録曲・曲順は少し異なる。
全17曲。
個人的にはこっちをレコファンで購入した。

THEE MICHELL GUN ELEPHANT
COLLECTION
収録曲
1. Pinhead Cramberry Dance
2. Young Jaguar
3. Hi! China
4. Smokin' Billy
5. Lily
6. Out Blues
7. Why Do You Want To Shake?
8. Blue Nylon Shirts (From Balcony)
9. Black Tambourine
10. Boogie
11. The Birdmen
12. Baby, Please Go Home
13. Vibe On!
14. Revolver Junkies
15. World's End (Primitive Version)
16. GT400
17. Cisco

ライヴ・アルバム
CASANOVA SAID "LIVE OR DIE"

2000年12月13日リリース。
ベスト・アルバム TMGE 106と同時にリリースされた。
WORLD CASANOVA SNAKE TOURの最後に行われた2000年7月26日赤坂BLITZ公演をライヴ収録。
全20曲。
初回盤のみアンコールで演奏された4曲を収録した8cmCD付き。

シングル
Plasma Dive E.P

2000年5月にUKでDamaged Goodsレーベルからリリースされたシングル。
CDと7インチシングルと10インチシングルで発売された。
全4曲。
収録曲はPlasma Dive、Get up Lucky、Killer Beach、Cisco
ジャケットはアルバム カサノバ・スネイクのTMGEのメンバー4人が立ってるジャケの別バージョン?で中のピクチャーCDは💀一人のドアップの写真…。
その💀が気色悪い。
7インチと10インチはその💀がジャケットになっている。

シングル
MICK GREEN with THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
KWACKER

2001年3月1日リリース。
自己レーベルTRIPPIN' ELEPHANT RECORDSから発売されたシングル。
ザ・パイレーツのギタリスト、ミック・グリーンとアベフトシウエノコウジクハラカズユキTMGEの3人によるコラボで、チバユウスケは参加していない。
全3曲。
収録曲はいずれもインスト。
KWACKER、PETER GUNN(1952年のテレビドラマ、ピーター・ガンのテーマ曲のカヴァー。ヘンリー・マンシー作曲)、WONDER STYLE(インディーズ時代のインストをセッションしたもの)。

シングル
暴かれた世界

2001年3月リリース。
初回盤はカラーピクチャーレーベル仕様。

カップリング曲はセプテンバー・パンク・チルドレン。←インストで、チバユウスケが少しピアノを弾いている。
アナログ盤もリリースされた。

アルバム
ロデオ・タンデム・ビート・スペクター

2001年5月リリース。
全13曲。
先行シングル曲 ベイビー・スターダスト、暴かれた世界を収録。

シングル曲 暴かれた世界 の歌詞にアルバム・タイトルがある。
また、シトロエンの孤独には歌詞にアルバム・タイトルを日本語にした一節がある。

ゴッド・ジャズ・タイム と 赤毛のケリー のPVが作られた。

アナログ盤でもLP2枚組で発売されたが、CDとは曲順が異なる。
リタ はアレンジが異なるヴァージョンが収録された。

TMGE YOYOGI RIOT 0523
2001年5月23日、アルバム ロデオ・タンデム・ビート・スペクターが発売された同日、代々木オリンピックプラザにてフリーライブが行われた。
当日にドキュメントを含めてスペースシャワーTVでオンエアされた。
2010年1月20日に発売されたDVD-BOX THEE LIVEのディスク3に収録された。

WORLD RODEO TANDEM BEAT SPECTER TOUR
2001年6月16日から11月17日まで32都市・全43公演が開催された。 
最終日の11月17日幕張メッセ公演のライヴ映像はDVD-BOX THEE LIVEのディスク7に収録された。

2001年末にはチバユウスケは期間限定のバンドとしてROSSOを結成した。
メンバーはチバユウスケ照井利幸とMASATO。
4月にはアルバム BIRD をリリースした。
その後は2002年8月までライヴ活動し、それからTMGEの活動へと戻った。
ROSSOはTMGEの解散後にはメンバー4人となって2006年まで活動した。

DVD
GOD JAZZ TIME

2002年3月リリース。
WORLD RODEO TANDEM BEAT SPECTER TOURでのライヴ映像とPV2曲。
全17曲を収録。
DVDのみの映像特典として リボルバー・ジャンキーズを含む。

アルバム ロデオ・タンデム・ビート・スペクター リリース後にレコード会社がコロンビアからユニバーサル・ミュージックに移籍。

WHERE IS SUZIE? TOUR 
2002年9月6日から全11公演行われた。
2002年10月3日、ZEPP東京でのライブの映像はDVD-BOX THEE LIVEのディスク5に収録された。

2001年10月にジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスで来日し、11月5日の公演終了後にはTMGEのメンバーが訪れて初対面している。

TMGEがイギリス公演を行った際にジョー・ストラマーの知人が観ていて、ジョー・ストラマーはその話を聴いていた。
それでジョー・ストラマーTMGEのCDを聴いてすっかり気に入ったらしい。
ジョー・ストラマーのインタビューでTMGEのことを語ったことがあったのを読んだ記憶がある。
クラッシュについてはTMGEのメンバーは基本的にファンだったようで、アベフトシはファースト・アルバム cult grass starsをロンドンで録ったときに道を歩いていて、その前をジョー・ストラマーが歩いていた。
バッと前へまわり込んで「握手してください」と握手してもらったらしい。
写真も撮らしてもらったが、カメラにはフィルムがなかったとか…。
1999年にTMGEがツアーでロンドンへ行った時にノッティング・ヒルカーニヴァルが行われていて、そこでチバユウスケウエノコウジがギャズ・メイオールとジェイソン・メイオールに再会。
ポール・シムノンがいる、と教えられてポール・シムノンに写真撮らしてくれ、サインしてくれってことでサインしてもらったらしい。
ウエノコウジはGジャンにサインしてもらったが、Gジャンを洗濯したらサインは消えてしまったとか…。

ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスは2002年にも来日した。
9月28日、Zepp Fukuoka公演。
ユダ、TMGEジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスという順番でライヴを行った。
ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスの演奏時にはTMGEも客席から観ていたという。

ジョー・ストラマーはこの年の12月22日にはロンドンの自宅で死去した…。
2004年に公開されたジョー・ストラマードキュメンタリー映画 Let's Rock Again! は2001年USツアーと2002年の日本公演の映像が使用された。
映画的には1時間くらいしかないのがちょっと…。

ベスト・アルバム
GRATEFUL TRIAD YEARS

2002年12月リリース。
レーベル移籍にともない発売されたベスト盤。
初回盤はCD3枚組。
DISC3はrare tracksとしてあんたのどれいのままでいい やデモ音源などなど全6曲が収録された。
通常盤はCD2枚組。
DISC1は1995-1997、DISC2は1998-2002としてそれぞれ15曲が収められた。
のちにDISC1、DISC2はそれぞれ単品でも発売された。

シングル
太陽をつかんでしまった

2002年12月リリース。
ベスト・アルバム GRATEFUL TRIAD YEARS と同日に発売された。

初回盤(CD+DVD)と通常盤でリリースされた。
翌年1月には12インチ・レコードが発売された。
太陽をつかんでしまった は8分28秒もある曲。

カップリングはヴァレンタインとblue nylon shirts (Live) 。
blue nylon shirts (Live) は2002 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT Where is Susie? TOUR のZEPP TOKYOでのライブ音源を収録。
CD+DVDのDVDには水色の水 (Live)、ベガス・ヒップ・グライダー (Live)を収録。
いずれも 2002 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT Where is Susie? TOUR のZEPP TOKYOでの映像。

アナログ盤にはA面に太陽をつかんでしまった、B面にヴァレンタイン が収録された。

アルバム
SABRINA HEAVEN

2003年3月リリース。
全10曲。
先行シングル 太陽をつかんでしまった を収録。
太陽をつかんでしまった は8分30秒近く、マリアと犬の夜 は7分50秒以上、サンダーバードヒルズ は8分30秒以上ある曲。

ラスト曲のNIGHT IS OVER はインスト。
2003年6月にインディーズからリリースされたシングル Girl Friend の原曲となった。

ブラック・ラブ・ホール

ブラッディー・パンキー・ビキニ

シングル
Girl Friend

TMGE自身のレーベル TRIPPIN' ELEPHANT RECORDS から2003年4月にライヴ会場でCDとシングル盤で販売された。
6月には一般でも発売されていた。
収録曲は一曲のみ。
アルバム SABRINA HEAVEN に収録されたインスト
NIGHT IS OVERに歌詞をつけて歌った曲。
ライヴでは一度だけ歌われ、その音源はライヴ・アルバム LAST HEAVEN'S BOOTLEG に収録された。

アナログ盤も12インチシングルで発売。
B面にはGIRL FRIEND (THE LOVE GROCER DUB REMIX)を収録。
イギリスのLOVE GROCERによるダブMIX。
CD化はされていない。

WILD WILD SABRINA HEAVEN TOUR
2003年4月7日横浜ベイ・ホールから6月21日沖縄ダンス・クラブ松下まで全国27都市・全36公演が行われた。
6月14日ZEPP TOKYO公演はM-ON!で収録されて60分の番組としてオンエアされた。
この時の映像は2010年1月20日にリリースされたDVD-BOX THEE LIVEのディスク8に収録された。

ミニ・アルバム
SABRINA NO HEAVEN

2003年6月リリース。
全6曲。
SABRINA HEAVEN と同時期にレコーディングされた。
同時期にレコーディングされた曲はSABRINA HEAVEN、GIRL FRIEND、SABRINA NO HEAVENにそれぞれ振り分けられたわけだ。
チェルシー、水色の水 は前年のWHER IS SUZIE? TOURで披露していた曲。
ラスト曲 夜が終わる はインスト。
SABRINA HEAVEN収録の NIGHT IS OVER とヴァージョン違い。

ミッドナイト・クラクション・ベイビー

デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ

2003年6月27日にはミュージックステーションに初出演。
デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ を演奏した。
また、その日はt.A.T.uがドタキャンしたために番組の最後ではTMGEがミッドナイト・クラクション・ベイビーを演奏した。

8月31日、ファンクラブの会員向けに送った封書でTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT は解散することを通知。
翌9月1日にはTMGEの公式サイトで公式に発表された。
9月5日にはミュージック・ステーションに出演し てエレクトリック・サーカス を披露した。
これがTMGEにとって最後のテレビ出演となった。

TMGEの最後のツアー LAST HEAVEN TOURは2003年9月23日から10月11日まで行われた。
9月25日、京都磔磔公演はテレビカメラが入り、撮影されていた。
10年後の2013年9月25日にはBlu-ray/DVD化されている。
TMGEのラスト・ライヴとなった10月11日の幕張メッセ公演はテレビカメラが入って全編が撮影された。
また、LAST HEAVEN TOURでの写真集が2003年11月22日、LAST HEAVENとして発売された。
2015年5月20日には改めて写真が手焼きされ、未発表の写真を追加した全400ページの写真集THEE MICHELLE GUN ELEPHANT −LAST HEAVEN− として発売された。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 
LAST HEAVEN TOUR
磔磔
2003年9月25日

1. トカゲ
2. バードメン
3. 暴かれた世界
4. カルチャー
5. 赤毛のケリー
6. 太陽をつかんでしまった
7. ストロベリー・ガーデン
8. キャンディ・ハウス
9. G.W.D
10. キラー・ビーチ
11. ベイビー・スターダスト
12. 世界の終わり
13. エレクトリック・サーカス
14. ゲット・アップ・ルーシー
15. アッシュ
16. プラズマ・ダイブ
17. GT400
18. デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ
19. リボルバー・ジャンキーズ
20. ダニー・ゴー 

アンコール1
21. HI! CHINA!
22. 深く潜れ
 
アンコール2
23. リリィ

シングル
エレクトリック・サーカス

2003年10月11日リリース。
ライヴではすでに披露されていたが、TMGEのラスト・ライヴが行われた当日にシングルとして

発売された。

カップリング曲はデビル・スキン・ディーバ。

エレクトリック・サーカスはTMGEのラスト・ライヴでも演奏され、その音源はライヴ・アルバム LAST HEAVEN'S BOOTLEG に収録された。

TMGEのラスト・ライヴは2003年10月11日、幕張メッセにて行われた。
当日の模様はDVD BURNING MOTORS GO LAST HEAVEN として2003年12月3日に発売された。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 
LAST HEAVEN TOUR
幕張メッセ展示場ホール 9・10・11
2003年10月11日

1. ドロップ
2. ゲット・アップ・ルーシー
3. バードメン
4. デッド・スター・エンド
5. strawberry garden
6. アッシュ
7. フリー・デビル・ジャム
8. デッドマンズ・ギャラクシー・デイ
9. I was walkin' & sleepin'
10. ブラック・タンバリン
11. 深く潜れ
12. カルチャー
13. ブギー
14. 赤毛のケリー
15. ゴッド・ジャズ・タイム
16. エレクトリック・サーカス
17. ミッドナイト・クラクション・ベイビー
18. ベイビー・スターダスト
19. スモーキン・ビリー
20. リリィ

アンコール1
21. GT400
22. リボルバー・ジャンキーズ
23. ジェニー

アンコール2
24. 世界の終わり

ライヴ・アルバム
LAST HEAVEN'S BOOTLEG

2003年12月リリース。
DVD BURNING MOTORS GO LAST HEAVEN と同日に発売された。
TMGEの最後のツアー LAST HEAVEN TOUR11ヶ所・全13公演でのライヴ音源からまとめられた。
CD2枚組・全31曲。

トカゲ

世界の終わり

DVD
a filmography of THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
the complete PV collection 
TRIAD YEARS 1995-2002

2004年1月21日リリース。
コロンビア在籍時に制作されたPVを完全収録。
ベスト・アルバム TMGE106 発売時に作成されたPV  世界の終わり(Primitive Version) を含む。

特典映像として当時のTV-SPOTを15本収録。
全23曲/103分。

1. mashmallow monster
2. 世界の終わり (Smash hitsVersion)
3. ブラック・タンバリン
4. キャンディ・ハウス
5. リリィ
6. カルチャー
7. ゲット・アップ・ルーシー
8. バードメン
9. ブギー
10. G.W.D
11. アウト・ブルーズ
12. スモーキン・ビリー
13. フリー・デビル・ジャム
14. ブライアン・ダウン
15. CISCO~思い出のサンフランシスコ(She's gone)
16. GT400
17. リボルバー・ジャンキーズ
18, ベイビー・スターダスト
19. 世界の終わり (Primitive version)
20. 暴かれた世界
21. 赤毛のケリー
22. 赤毛のケリー (TMGE YOYOGI RIOT! 2001523)
23. ゴッド・ジャズ・タイム

24. キャンディ・ハウス -TV-SPOT- 
25. カルチャー -TV-SPOT- 
26. ゲット・アップ・ルーシー -TV-SPOT- 
27. バードメン -TV-SPOT- 
28. film star revenge -TV-SPOT-
29. G.W.D. -TV-SPOT- 
30. アウト・ブルーズ -TV-SPOT-
31. スモーキン・ビリー -TV-SPOT- 
32. WORLD PSYCHO BLUES (15" version) -TV-SPOT- 
33. WORLD PSYCHO BLUES (60" version) -TV-SPOT- 
34. RUMBLE -TV-SPOT- 
35. GT400 -TV-SPOT- 
36. ベイビー・スターダスト -TV-SPOT- 
37. TMGE106、CASANOVA SAID LIVE OR DIE -TV-SPOT- 
38. GOD JAZZ TIME -TV-SPOT- 

DVD
WHO KILLED THE FILM STARS? 

2004年1月21日リリース。
ユニバーサル在籍時に制作されたPVを完全収録。

1. ブラック・ラブ・ホール
2. 太陽をつかんでしまった
3. ブラッディー・パンキー・ビキニ
4. ミッドナイト・クラクション・ベイビー
5. デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ
6. エレクトリック・サーカス
7. マリオン
8. ブラック・ラブ・ホール (10.3 verison)
9. 太陽をつかんでしまった (straight version)
10. デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ (self controlled version)
11. 7 TIMES JUNCTION… SPOT COLLECTION… etc

2009年7月22日にアベフトシが亡くなった。
享年42。
TMGE解散後もギタリストとして参加したり、バンドを組んだりしていたが、晩年はペンキ屋として生計を立てていたらしい。
シーナ&ロケッツとウエノコウジのバンド、Radio Carolineの対バンライヴがあり、アベフトシは客として見に行ったが、
シーナ&ロケッツの広島公演のライヴにゲストとして演奏したこともあった。
2008年12月29日~31日には代々木第二体育館で吉川晃司のライヴ 25th Year's Eve Liveにゲスト・ギタリストとして出演。
CRACK、Black Corvette '98とBE MY BABYで演奏していた。
吉川晃司のアルバムDouble-edged swordの初回限定盤のディスク2に収録されている。
この音源がアベフトシの生前最後のライヴ音源となった。
アベフトシと吉川晃司は共に広島出身。
アベフトシは吉川晃司からライヴに出演することを要請されたその席で殴り合いのケンカになったらしい。
アベフトシは翌日に謝罪してオファーを快諾していた。
なお、アベフトシが亡くなった日に吉川晃司のアルバムDouble-edged swordが発売された。

アベフトシ追悼プロジェクト として FOREVER MICHELLE -Final works of rockin' blues- が始動した。

・THEE GREATEST HITS(初回盤 3CD+DVD / 通常盤3CD)を発売。
・DVD-BOX THEE LIVE (DVD12枚組)を発売。
・THEE MOVIE -LAST HEAVEN 031011-、公開。
・THEE SCENE -LAST HEAVEN 031011-、公開。

2023年11月26日にチバユウスケが亡くなったことを受けてTHEE MOVIE -LAST HEAVEN 031011-
は2023年12月22日から追悼上映された。

ベスト盤
THEE GREATEST HITS

2009年12月16日リリース。
CD2枚組。
初回盤は2CD+DVD+100P写真集という仕様。

TMGEのリリースは2003年12月のライヴ・アルバム LAST HEAVEN'S BOOTLEG 以来となる。
リリース日の12月16日はアベフトシの誕生日。

TMGE的にコロンビアでベスト盤はリリースされたが、コロンビアとユニバーサルの音源をまとめたベスト盤は初めてだった。
DVDにはTMGEが過去のテレビ出演時の映像をまとめて収録。

DVD
THEE LIVE

2010年1月20日リリース。
DVD10枚+ボーナスディスク2枚でDVD12枚組のボックスセット。
テレビ収録されて放送されたライヴ映像をまとめたボックス。

DISC1 
WORLD STEREO LYNCH TOUR 
日比谷野外音楽堂
(1997年5月17日)

TMGE唯一のワンマンでの野外公演を収録。

DISC2 
WORLD CASANOVA SNAKE TOUR FINAL 
赤坂BLITZ(2000年7月26日)

CASANOVA SAID  LIVE OR DIE としてCD化された公演の映像版。
WOWOWにてオン・エアされた。

DISC3 
TMGE YOYOGI RIOT!
(2001年5月23日)

アルバム ロデオ・タンデム・ビート・スペクター 発売日に国立代々木競技場オリンピックプラザにて行われたTMGE YOYOGI RIOT 2001523 の模様を収録。
雨天の中2万人を動員したライヴをドキュメントを含めてSSTVでオン・エアされたものを再編集。

DISC4 
WORLD GEAR BLUES TOUR 
赤坂 BLITZ
(1999年8月6日)

TMGEのツアーとしては最長のツアーとなったWORLD GEAR BLUES TOURより1999年8月6日、赤坂BLITZでのライブを収録。
WOWOWにてオン・エアされた。

DISC5
WHER IS SUZIE? TOUR 
ZEPP東京
(2002年10月3日)

2002年、全12公演が行われたWhere is Suzie? Tourより10月3日のZEPP東京でのライヴを収録。

DISC6
WORLD CHICKEN ZOMBIES TOUR 
赤坂 BLITZ
(1998年2月1日)

World Chicken Zombies Tourよりツアーの前半、2月1日に行われた赤坂BLITZでのライブを収録。

DISC7
WORLD RODEO TANDEM BEAT SPECTER
幕張メッセ
(2001年11月17日)

2001年のWORLD RODEO TANDEM BEAT SPECTER TOURのファイナル、11月17日幕張メッセ公演を収録。

DISC8
WILD WILD SABRINA HEAVEN TOUR
 ZEPP東京
(2003年6月14日)

2003年のWILD WILD SABRINA HEAVEN TOURより6月14日ZEPP東京公演を収録。
M-ON!が収録し60分番組としてオンエアされたライヴ映像の完全版。

DISC9
"FUJI ROCK FESTIVAL" SESSIONS

TMGEが出演したフジロックフェスティバル'98、フジロックフェスティバル'00、フジロックフェスティバル'03でのライヴ映像を収録。

DISC10
"RISING SUN ROCK FESTIVAL" SESSIONS

'99、'01、'02の三回の出演を果たしたライジング・サン・ロック・フェスのセッション。日本のロック・フェスの胎動期のあふれんばかりの熱気と成熟の軌跡。

DISC11
ボーナスディスク1
"LIVE Y" SESSIONS

DISC12
ボーナスディスク2
QUATTRO MEETING '98 1998.7.1
渋谷 CLUB QUATTRO

THEE MOVIE -LAST HEAVEN 031011-。
2003年10月11日のラストライブとその舞台裏を映像化。
全国の映画館で上映された。

2010年2月17日にはTHEE MOVIE -LAST HEAVEN 031011-としてBlu-ray / DVDとして
発売された。
DVD / Blu-ray初回仕様のみ 、劇場パンフレット編集・縮刷版封入、ピクチャーレーベル、スリーブケース仕様で発売された。
劇場公開バージョンにアッシュ、フリー・デビル・ジャム、デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ、I was walkin' & sleepin'、深く潜れ の5曲の映像が追加された。

THEE SCENE -LAST HEAVEN 031011-はステージ・ショットのみを再編集してライヴハウスで上映されたもの、らしい。

2010年12月にはアベフトシ thee michelle gun elephant としてGUITAR MAGAZINEの別冊ムックが発売された。
月刊ギター・マガジン誌に掲載されたインタビューや鮎川誠との対談など、ギター・コレクションや機材の写真、チバユウスケや鮎川誠、ウィルコ・ジョンソン、ミック・グリーン、浅井健一らからの哀悼の言葉など…。
2019年7月22日にも復刻された。
アベフトシの命日に合わせて復刻された。)

2023年10月11日、つまりTMGEが解散してから20年のこの日、THEE MOVIE” LAST HEAVEN 031011の上映イベントが開催された。

DVD / Blu-ray 
BURNING MOTORS GO LAST HEAVEN Ⅱ LAST HEAVEN TOUR 2003.09.25 at Kyoto TAKUTAKU

2013年9月リリース。
LAST HEAVEN TOUR2003より2003年9月25日、京都磔磔公演を収録。
キャパ的にチケットの入手が困難で、他の会場とはセットリストが異なっていた。 
ライヴからちょうど10年後の当日にリリースされた。
初回限定盤のデラックス・エディションはDVD+2CD+ライヴ写真ブックレット+ポストカードという仕様。
通常版はDVDあるいはBlu-rayで発売された。

2023年11月26日にチバユウスケが亡くなった。
享年55。
葬儀が行われた後の12月5日に亡くなったことが公表された。
2023年4月には食道がんと診断され、治療に専念するため当面の間休養すると発表していた。
媒体にもよるが元THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの~として発表されたのがほとんどだったと思う。
チバユウスケTMGEの後にもROSSO、The Birthday、ソロプロジェクトのSNAKE ON THE BEACH、THE GOLDEN WET FINGERSとめっちゃ活動していた印象なのだけど。

 

KRAFTWERK について その2

クラフトヴェルク。
英語ではクラフトワーク
クラフトワーク、カン、タンジェリン・ドリームやノイ!はクラウトロックの代表格。
クラフトワークのメンバー、ラルフ・ヒュッターと
フローリアン・シュナイダーはタンジェリン・ドリームというバンド名を名指しで批判的に、クラフトワークは母国語のドイツ語で音楽を作る、と語った。
ノイ!は初期クラフトワークにいたミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーによるバンド。

 

クラフトワークは自前のスタジオ、クリング・クラングを1970年頃から作りはじめた。
現在まで一環してこのスタジオで制作をおこなっている…はず。
一番新しいスタジオ・アルバム ツール・ド・フランスからもう二十年が経っている…。

日本ではテクノポップという言葉は、1978年に雑誌でクラフトワークのアルバム 人間解体 のレビューで使われた。
テクノポップという言葉は日本で普通に使われるようになったが、1981年に来日したクラフトワークは、テクノポップという言葉を気に入り、1983年に予定だったアルバムをTECHNO POPとしてリリースしようと考えた。
そのアルバムは1986年に エレクトリック・カフェ として発売されたが、2009年にリマスターされた時に テクノ・ポップ と改題している。

…私はこのブログではいつからか基本、アルバム名は日本語タイトル、曲名は英語で記しているのだけど、ここでも同様に記した。
YouTubeから楽曲を上げたが、YouTubeクラフトワークのページの楽曲は基本、ドイツ語ヴァージョン…。
面倒くさいから英語名で記したけど、ちょっと違和感がある。
個人的にはクラフトワークも英語ベースで聴いているからなー。

2023年5月より、クラフトワークはツアーを開始した。
メンバーがひとり替わっている…。
フリッツ・ヒルパートが抜けて新たに加入したのはゲオルク・ボンガルツ 。
ヴォルフガング・フリューアの後に入ったフリッツ・ヒルパートってTHE MIXからだからけっこう長かったのに。
2003年のアルバム ツール・ド・フランスでも作曲者のひとりとして多くの曲でクレジットされていた。
カール・バルトスの脱退後にはフェルナンド・アブランテスが加入するが、THE MIXのツアー後に脱退。
その後任のへニング・シュミッツは現在もメンバー。

現在のクラフトワークのメンバーは、
・ラルフ・ヒュッター
・へニング・シュミッツ
・ファルク・グリーフェンハーゲン
・ゲオルク・ボンガルツ
となる。

今年の大晦日にはイタリアのエミリアマーニャ州フィエラで行われるギャラクティカ・フェスティヴァルに出演する。
もちろんヘッドライナー。
ギャラクティカ・フェスティヴァルは4日間行われるフェスらしいけど、ラインナップでは
カール・クレイグしか知った名前のアーティストはいない…。
出演者の横にLIVEって書いてあるのは実際に演奏するアクトってことのよう。
クラフトワークはもちろんLIVEって書いてある。
カール・クレイグとかはDJってことか。

1968年、オルガニザツィオーンは結成された。
メンバーはラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーとあと3人で、計5人。
1970年、コニー・プランクによるプロデュースでアルバム Tone Float をリリース。
このアルバム Tone Float はドイツでは発表されず、イギリスでリリースされた。
全4曲収録。
1曲目のTone Float は20分を超える曲。
アルバム Tone Floatの裏ジャケにはすでにトラフィック・コーンの絵が。
アルバム Tone Floatが発表された頃にはすでにオルガニザツィオーンは解散状態だった。
個人的にはイタリア盤のブートCDをタ⚫ーレコード
で購入した。

Vor Dem Blauen Bock が追加収録された。
Vor Dem Blauen Bockは11分以上もある曲で、実際には後年のクラフトワークによる演奏。
ミヒャエル・ローター、クラウス・ディンガーが演奏に参加しているし。

クラフトワークは1970年に結成された。
クラフトワークは結成まもない1970年11月にドイツの地方都市、ゾーストでのライヴがテレビ放送するために収録されたことがあった。
2020年にその時のライヴ演奏が収録されたCDが発売された。

ライヴ・アルバム
Soest Live 1970

この時のメンバーはラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、クラウス・ディンガー。
後にアルバム クラフトワーク に収録される全4曲が演奏された。

アルバム 
クラフトワーク

1971年リリース。
プロデュースはクラフトワーク、コニー・プランク
全4曲。

このアルバムをリリース後には、ミヒャエル・ローター、クラウス・ディンガーは脱退してノイ!を結成した。

アルバム
クラフトワーク2

1972年リリース。
プロデュースはラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、コニー・プランク
全6曲。

このアルバム制作時のクラフトワークのメンバーは、ラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーの二人のみ。

アルバム
ラルフ&フローリアン

1973年リリース。
プロデュースはラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、コニー・プランク
全6曲。

前作同様、ラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーの二人のみで制作された。
Ananas Symphonie ではヴォコーダーが使用された。

現在までにアルバム クラフトワーククラフトワーク2、ラルフ&フローリアンは正式にCD化されていない。
リマスターされている、とされていたけど。
クラフトワーク公式のsound cloudにて無償公開された。

シングル
Kometenmelodie 2

1974年リリース。
クラフトワークのファースト・シングル。

アルバム
アウトバーン

1974年11月リリース。
クラフトワーク4枚目のアルバム。
プロデュースはコニー・プランク
全5曲。
このアルバムからミニ・ムーグが導入された。

Autoburn
作詞 作曲 ラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、エーミール・シュルツ。

他は作曲 ラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー。

アルバム アウトバーン はラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダーの二人にクラウス・レーダー(ヴァイオリン、ギター)、ウォルフガング・フルーア(パーカッション)を加えた編成で録音された。
アナログ盤ではA面にAutoburn1曲、B面に4曲。
B面曲はすべてインスト。
Autoburnは22分36秒もある曲。
1975年にはシングル化で3分に編集され、シングルでのヴァージョンが現在でもライヴ演奏されている。

Autoburn

個人的にはアルバム アウトバーンクラフトワークで唯一、所有していなかったCD。
ボックスセット The Catalogue を買うまでは。

シングル
Autoburn

1975年5月リリース。
B面はMorgenspaziergang。

Autoburn

♪ファン・ファン・ファン~てのが実はビーチ・ボーイズからの引用らしい。
アメリカでは当初、アウトバーンのレコードはリリースされていなかった。
輸入盤シングルのアウトバーンがラジオで大量にオンエアされると、アメリカのレコード会社のキャピタルはシングルとアルバムを全米でリリースした。
アウトバーンアメリカのヒットチャートに入った。
アメリカの音楽ジャーナリズムではクラフトワークは「デュッセルドルフビーチ・ボーイズ」とも呼ばれた。
イギリスでもアウトバーンのシングルとアルバムがヒットした。

1974年末と1975年春、クラフトワークのツアーが行われた。
初となる
アメリカ・ツアーもおこなわれた。
クラフトワークはクラウス・レーダーに代わるカール・バルトス(電子パーカッション)を加えた。
ここからクラフトワークはラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダーの二人にウォルフガング・フルーアとカール・バルトス(電子パーカッション)を加えた4人編成のバンドとして活動していくことになる。
この頃のツアーではシンセサイザーのチューニングが狂うことがあった。
各国によって電圧が異なり、観客席や照明器具の熱気のせいでチューニングが狂ってしまうのだ。

アルバム
放射能

1975年10月リリース。
プロデュースはラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー。
全12曲。

全曲、作曲 ラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー。
インスト曲以外の全曲で作詞 エーミール・シュルツ。

このアルバムからラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、カール・バルトス、・フリューアで録音されたアルバム。

アルバムの英語タイトルはRadio-Activity、独語タイトルはRadio-Aktivitで、アルバムに収録された4曲で放射能を主題に、8曲でラジオの活動を主題にしている。

Radioactivity

Ohm Sweet Ohm

アルバム発表当時、Radioactivityは人類が放射能を利用していると歌っていた。
再録アルバム The MixのRadioactivityからチェルノブイリハリスバーグセラフィールドヒロシマという声が挿入され、Radioactivityの前にStopと挿入されて歌われた。

シングル
Radioactivity

1976年5月リリース。
B面曲はAntenna。

Antenna

1976年末にはデヴィッド・ボウイはツアーのライヴ前にクラフトワークをかけていた。
また、ボウイはツアーの前座にクラフトワークを起用しようとしていた。
しかし、それは実現しなかった。
クラフトワークはボウイからのオファーに対して返事をしなかった、と考えられている。
この頃はボウイは度々、クラフトワークと落ち合っていて、イギー・ポップを連れていったこともある。
デヴィッド・ボウイのいわゆる三部作の後にはクラフトワークとの会合は途絶えがちとなった。

♪From Station to Station~。
楽曲 Trans-Europe Expressの歌詞には イギー・ポップデヴィッド・ボウイと会った とある。
Station to Stationはボウイのアルバム・タイトル。

あと、ボウイは1978年にツアーで日本に来た際に坂本龍一と対談している。
坂本龍一クラフトワーク、カン、ノイ!の名前を挙げた際にはボウイは「ノイ!を知っているの⁉」と教授を遮るように言った。
デヴィッド・ボウイ、この時期はクラウトロックに入れ込んでいたんだな。

また、Trans-Europe Expressはアフリカ・バンバータのPlanet Rockでフレーズが使用された。

アルバム
ヨーロッパ特急

1977年4月リリース。
プロデュースはラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー。
全7曲。

Endless Endlessのみラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダーによる作曲。
他はラルフ・ヒュッター作曲。
Europe Endlessはラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダーによる作詞。
The Hall of Mirrorsはラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、エミール・シュルツによる作詞。
Showroom Dummiesはラルフ・ヒュッターによる作詞。
Trans-Europe Expressはラルフ・ヒュッター、エミール・シュルツによる作詞。
他はインスト。

Europe Endless

Trans-Europe Express

Metal on Metal

]

Abzug

2009年にリマスターされて、Metal on MetalがMetal on MetalとAbzugに分けられて全8曲となった。
ドイツ盤ではもともとMetal on MetalとAbzugは分けられていたが、アルバム THE MIX から他の国でも分けられた。

シングル
Trans-Europe Express

1977年4月リリース。
B面はFranz Schubert

もしかして、Trans-Europe Expressをシングルにしようと思っていたから、後半(Metal on MetalとAbzug)を分けたのかな?

アルバム
人間解体

1978年5月リリース。
プロデュースはラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー。
全6曲。

The Robot、Metropolis、Neon Lights
作曲 ラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、カール・バルトス。

Spacelab、The Model、The Man-Machine
作曲 ラルフ・ヒュッター、カール・バルトス。

The Model
作詞 ラルフ・ヒュッター、エミール・シュルツ。

The Model以外の作詞 ラルフ・ヒュッター 。

The Robot

The Model

The Man-Machine

]

Neon LightsはU2がカヴァーしたことがある。
U2のシングル Vertigo に収録された。
U2のイギリス盤VertigoはCDシングルで2種発売されて、その1枚に収録された。
Vertigoの日本盤CDシングルにも入っていた。
それ以前にもU2は1997年から1998年のポップマート・ツアーでI Still Haven't Found What I'm Looking Forの一節で歌っていたことがあった。

2009年にリマスターされた。
個人的にはアルバム 人間解体が先で、ヨーロッパ特急が後に出来たアルバムと思っていた時期がある。
だって、アルバム ヨーロッパ特急の方がモダンな感じだって思ったもの。

シングル
The Robots

1978年5月リリース。
B曲はSpacelab。

シングル
The Model

1978年9月リリース。
B面はNeon Lights。

アルバム
コンピューター・ワールド

1981年5月リリース。
プロデュースはラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー。
全7曲。

Numbers、Computer World 2、Home Computer、It's More Fun to Compute
作曲 ラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、カール・バルトス。

Computer World、Pocket Calculator、Computer Love
作曲 ラルフ・ヒュッター、カール・バルトス。

Computer World
作詞 ラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、エミール・シュルツ。

Pocket Calculator、Computer Love
作詞 ラルフ・ヒュッター、エミール・シュルツ。

Home Computer
作詞 フローリアン・シュナイダー。

他の曲はインスト。

ちなみにコンピューター・ワールド のレコーディングにはコンピューターは使用されていない。

Computer World

Numbers

Computer Love

It's More Fun to Compute

2009年にリマスターされた。

シングル
Computer Love

1981年7月リリース。
カップリング曲はThe Model。

クラフトワークは1981年5月24日イタリアのトスカーナ州フィレンツェより初のワールド・ツアーを行った。
イタリア、フランス、北米、西ヨーロッパ、そしてアジア。
さらにオーストラリア、インド、そして本国の西ドイツ。
日本にも訪れ、中野サンプラザ(2公演)、渋谷公会堂大阪フェスティバルホール名古屋市公会堂で計5公演を行った。
これが初来日公演だった。

クラフトワーク
COMPUTER WORLD TOUR
中野サンプラザ
1981年9月8日 

1. Numbers 
2. Computer World 
3. Computer Love 
4. Home Computer 
5. The Model
6. Neon Lights 
7. Autobahn
8. Radioactivity / The Voice Of Energy / Ohm Sweet Ohm 
9. The Hall Of The Mirrors
10. Showroom Dummies 
11. Trans-Europe Express 
12. Pocket Calculator / Dentaku
13. The Robots 
14. It's More Fun To Compute

1981年9月8日の中野サンプラザ公演はラジオで放送されたらしく、その後ブートレッグで売られていた。
個人的には2000年くらいにクラフトワーク好きの知人からブートレッグからCD-Rに焼いたのをもらった。
2022年8月にはAlive The LiveからCDで発売された。

公演がなかった9月9日にはラルフ・ヒュッターと坂本龍一高橋幸宏の3人で対談した。
この対談はミュージックライフ1981年11月号に掲載された。
10日の渋谷公会堂公演をYMOの3人で観たらしい。
終演後にはYMOの3人でクラフトワークのメンバーをディスコに連れていったとか。
2014年に発売された CROSSBEAT Presents テクノポップ・ディスク・ガイドにはラルフ・ヒュッターと坂本龍一高橋幸宏の対談が再録された。

クラフトワークはライヴでは
・Geiger CounterとRadioactivity
・Trans-Europe ExpressとMetal On MetalとAbzug
以上の曲は流れで演奏していると思う。
ライヴのセットリストにはRadioactivityにはGeiger Counter、Trans-Europe ExpressにはMetal On MetalとAbzugが含まれているつもりで記した。
1997年・1998年以降では、
・Boing Boom TschakとTechno Pop
・It’s More Fun to ComputeとHome Computerも。

1983年に シングル ツール・ド・フランス がリリースされた。
シングル ツール・ド・フランス は映画 ブレイクダンス で使用され、映画でツール・ド・フランスが使用されたシーンも非常に印象深かった。
ただ、ツール・ド・フランス は映画 ブレイクダンス のサントラには収録されなかった…。
1999年にはツール・ド・フランス はシングルCD化された。
個人的にはそのシングルCDではじめてツール・ド・フランスを聴いた。

1983年にリリースされる予定だったアルバム テクノ・ポップ。
アルバム テクノポップ にはシングル ツール・ド・フランスが収録されるはずだった。
もともとはアルバム・タイトルは テクニカラー だった。
テクニカラーは商品登録されていたので使用されなかった、というかできなかった。
この時期、マイケル・ジャクソンはアルバム 人間解体 のマルチトラックを使用する許可を得ようとしたらしい。

シングル
ミュージック・ノン・ストップ

1986年9月リリース。
7インチ・シングルと12インチ・シングルで発売された。

ミュージック・ノン・ストップ

アルバム
エレクトリック・カフェ

1986年11月リリース。
CDとLP、カセットテープが同時発売された。
全6曲で収録時間は35分40秒より短い…。

Techno Pop
作詞・作曲 ラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、カール・バルトス、エミール・シュルツ。

Electric Café
作詞・作曲 ラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、カール・バルトス、マクシム・シュミット。

他の全曲は、作詞・作曲 ラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、カール・バルトス。

制作段階ではテクノポップ というアルバムタイトルだったが、アルバム エレクトリック・カフェ としてリリースされた。
スペインの初回盤では Sex Object がスペイン語版で収録された。
アルバム エレクトリック・カフェで使用されたのは、イミュレーター、リンドラム、TR-808ヤマハDX-7。
このアルバムにはヘミング・シュミッツがエンジニアとしてクレジットされている。
後にクラフトワークのメンバーとなる。

Techno Pop

Sex Object

個人的にはThe Telephone CallやSex Objectが好き。

2009年にリマスターされ、アルバム・タイトルは以降、テクノ・ポップ へと変更された。
The Telephone Callはシングル・ヴァージョンが収録された。
The Telephone Callのあとには House Phone が収録された。
同じ曲のヴァージョン違い。
アルバム テクノ・ポップは全7曲、収録時間38分くらいになった。
The Telephone Callが短くなったけど、収録時間は少し増えた。

シングル
The Telephone Call

1987年リリース。

The Telephone Call

12インチ・レコードには House Phone が収録された。

1987年にはヴォルフガング・フルーアが脱退した。
リズム・マシーンが導入され、他にも関与することがなくなったためか…。
代わってフリッツ・ヒルパートがメンバーとなる。

アルバム
THE MIX

1991年リリース。
全11曲収録。

アルバム エレクトリック・カフェ以降、クリング・クランク・スタジオは改装されたし、デジタル機材が導入された。
機材のなかにはシングラヴィアもあったらしい。

THE MIX は過去曲を再録音したアルバム。
Radioactivity ではチェルノブイリハリスバーグセラフィールドヒロシマという声が挿入され、Stop Radioactivityと歌われた。

約5年にわたるアルバム THE MIX の制作期間にはカール・バルトス が脱退した。
THE MIX のクレジットではクラフトワークのメンバーはラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、フリッツ・ヒルパートの3人。

Dentaku

1997年、クラフトワークはイギリスで開催されたトライバル・ギャザリング に出演した。
1998年には北米、日本、ブラジルとアルゼンチンで公演した。

クラフトワーク
KRAFTWERK TERMINE 1998
赤坂BRITZ
1998年6月2日・3日・4日

1. Numbers 
2. Computer World 
3. Home Computer 
4. The Man Machine
5. Tour de France 
6. Autobahn
7. The Model
8. Airwaves / Tango 
9. Zentrum für Kunst ünd Multimedia
10. Radioactivity 
11. Trans-Europa Express
12. Pocket Calculator
13. Dentaku
14. The Robots 
15. Mummweltverschmutzung Tribal
16. Musique Non Stop

クラフトワークの来日公演は17年ぶりとなった。
この時期にはクラフトワークは5曲の新曲を作り、そのうち3曲がライヴでも披露されていた。
しかし、いずれもレコーディングされなかったよう。
日本公演でも2曲が披露された。

1998年7月、シングル ツール・ド・フランス が12インチ・シングルで再プレスされ、初めてCD化された。
個人的にはこのシングルCDは輸入盤で購入した。
ジャケットはヴォルフガング・フルーアとカール・バルトスの顔ではなく、いつの間にかフリッツ・ヒルパートとへニング・シュミッツの顔に。

シングル
EXPO2000

1999年12月リリース。
1986年のアルバム エレクトリック・カフェ 以来となったクラフトワークの新曲。

EXPO2000
作詞・作曲 ラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、フリッツ・ヒルパート、へニング・シュミッツ

後にPlanet of Visionsとして改作された。
Planet of Visionsのライヴ音源がライヴ・アルバム ミニマム・マキシマム に収録された。
なお、EXPO2000、Planet of Visionsは共にスタジオ音源はアルバム未収録曲。
EXPO2000のリミックス音源は Remixes としてデジタル販売されているし、クラフトワークの公式YouTubeにもある。

クラフトワーク
ELECTRAGLIDE 2002
幕張メッセ国際展示場
2002年12月13日

1. Numbers
2. Computerworld
3. Pocket Calculator ~ Dentaku
4. It's More Fun To Compute
5. The Man Machine
6. The Robots
7. Tour De France
8. Autobahn
9. The Model
10. Neon Lights
11. Radioactivity
12. Trans-Europe Express

アンコール
13. Musique Non Stop

開始時刻は23時…。
実際はじまったのは23時30分くらい?

シングル
Tour de France 2003

2003年7月リリース。
CDシングルと12インチ・シングルで発売された。

Tour de France 2003

アルバム
ツール・ド・フランス
(原題は Tour de France Soundtrack)

2003年8月リリース。

全曲の作詞 ラルフ・ヒュッター、へニング・シュミッツ。

Aéro Dynamik、Titanium、Elektro Kardiogramm 
作曲 ラルフ・ヒュッター、フリッツ・ヒルパート。

La Forme、Régéneration
作曲 ラルフ・ヒュッター。

Tour de France
作曲 ラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、カール・バルトス。

他の曲は作曲 ラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、フリッツ・ヒルパート。

Vitamin

Aéro Dynamik

Elektro Kardiogramm

アルバム ツール・ド・フランス は現在のところ、最後のオリジナル・アルバム。
アルバム ツール・ド・フランス がリリースされた時にラルフ・ヒュッター  がサウンド&レコーディング・マガジンのインタビューでは次のアルバムに向けての曲作りをやりたい、と語っていたけど、次のアルバム…出るのだろうか。

シングル
Aerodynamik

2004年3月リリース。
CDシングルと12インチ・シングルで発売された。

クラフトワーク
WELT TOUR 2004 
Zepp Tokyo
2004年2月28日

1. The Man Machine    
2. Planet Of Visions   
3. Tour De France Etape 1 / 3 / Chrono        
4. Tour De France Etape 2        
5. Vitamin        
6. Tour De France 1983        
7. Autobahn        
8. The Model        
9. Neon Lights     
10. Radioactivity        
11. Trance-Europe Express   

アンコール1
12. Numbers        
13. Computer World     
14. Home Computer        
15. Pocket Calculator       

アンコール2
16. The Roboter       

アンコール3  
18. Elektro Kardiogram        
19. Aerodynamik        
20. Musique Non Stop 

ライヴ・アルバム
ミニマム・マキシマム

2005年6月リリース(日本では8月にリリース)。
CD2枚組・全22曲。
2004年のミニマム・マキシマム・ツアーで世界各地で行われたライヴの音源を収録。
Planet Of VisionsはEXPO2000の改作。
電卓は2004年3月4日のSHIBUYA-AXでのライヴ音源。

Planet Of Visions

電卓

LPは4枚組でリリースされた。

2005年12月にはDVD ミニマム・マキシマム がリリースされた。
(日本では2006年1月。)
DVD2枚組。
収録されたのはCDと同じで、その映像版。
ボーナス・トラックとして、2003年にエディンバラで開催されたMTV European Music AwardsでのAerodynamik を収録。

2006年には1974年のアルバム アウトバーン から2003年のアルバム ツール・ド・フランス までのベスト盤をリリース予定だった。
諸般の事情により制作中止となった。
…諸般の事情ってなんだったのだろう?

2009年1月、オフィシャルサイトでフローリアン・シュナイダーが脱退した、と発表された。
2008年にはライヴ・ツアーを引退し、制作に専念するとされていたのだけど。
ラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーはクラフトワーク創設からのメンバー。 
1973年のアルバムのタイトルは Ralf und Florian だったもの。

2009年10月、ボックスセット The Catalogue リリース。
アルバム アウトバーン からアルバム ツール・ド・フランス(原題 Tour de France Soundtrack)までをセットしたボックス。
それぞれのアルバムはリマスターされた。
ボックス中にはアウトバーンからツール・ド・フランスまでの8枚のCDと、LPサイズの各アルバムのブックレット8種をまとめたケースが入っていた。

1. アウトバーン
2. 放射能
3. トランス・ヨーロッパ・エキスプレス
4. 人間解体
5. コンピューター・ワールド
6. テクノ・ポップ
7. THE MIX
8. ツール・ド・フランス

アルバム エレクトリック・カフェはこの時より テクノ・ポップ と改称された。
各CDは紙ケースに入れられ、さらに紙のスリーブケース付き。
日本盤はそれにLPサイズの解説書。
解説書には中野泰博による解説、歌詞とその翻訳が掲載。
そういえばショップ・メカノには1回だけ行ったことがある、と思う。
ボックスセット The Catalogue、ドイツ語版 Der Katalog はそれぞれCDとアナログでリリースされた。
各アルバムは単品でCDやアナログ盤でも発売された。
個人的に買ったのは英語版のThe Catalogueの日本盤 だけど。

2011年10月にドイツ、レンバッハハウス美術館にてクラフトワークの3D映像が初めて披露された。
その映像を用いて、Retrospective 1 2 3 4 5 6 7 8 がニューヨーク近代美術館MoMA)で2012年4月4月10日~17日で行われた。
アルバム アウトバーンからアルバム ツール・ド・フランスまでのアルバム8作を年代順に一夜一タイトルずつ8夜連続で演奏した。
MoMAでは一般向けのチケットは1日あたり450枚のみだったという。
観客は3-Dメガネを受け取って映像、そしてもちろんクラフトワークの音楽を楽しんだ。

ちなみにこのMoMAでのライヴのうち2公演を坂本龍一が観て、終演後にはクラフトワークのメンバーと会った。
ラルフ・ヒュッターとは1981年に東京で会った話をしてラルフからは「忘れられる訳ないだろ!」とか言われたそう。
この時に坂本龍一は No Nukes となるイベントを行うことを話したという。
クラフトワークは翌日に 参加したい、というメールを送ってきたという。
それからクラフトワークの方で楽曲 Radioactivity の日本語の歌詞を作って、坂本龍一とメールをやり取りをして、坂本龍一が少し訂正したのが採用された。

クラフトワーク坂本龍一主催のイベント No Nukes 2012 二日間の初日に出演した。

YMOがNo Nukes 2012の初日・2日目ともに出演していて(初日はクラフトワークが、2日目はYMOがヘッドライナーだった。)、クラフトワークのRadioactivityをカヴァーしていた。
初日のクラフトワークのRadioactivityは日本語を織りまぜた、坂本龍一・監修による歌詞で演奏された。
…このNo Nukes出演以来、2023年現在でもクラフトワークはRadioactivityをこの日本語の歌詞で世界中で演奏している。
チェルノブイリハリスバーグセラフィールド、フクシマ…。

クラフトワーク
NO NUKES 2012
幕張メッセ国際展示場4・5ホール
2012年7月7日

1. Radioactivity

2. Metropolis
3. The Robots
4. Numbers
5. Computer World
6. Trans-Europa Express
7. Computer Love
8. It's More Fan to Compute
9. 電卓
10. Musique Non Stop

クラフトワークの3-Dコンサートはその後、2013年1月にはデュッセルドルフ、2月にはイギリス、ロンドンのテート・モダンにあるタービンホールでも行われた。
ここまで3-Dコンサートが行われたのは美術館だった。
2013年5月、クラフトワークの3-Dコンサートが日本公演で行われた。
美術館を離れてライヴハウスで3-Dコンサートが行われたのは日本が初めて。
Spacelab の3D映像では日本列島が。
日本公演のみの映像。
Radioactivityは坂本龍一・監修の日本語詞で。
また、電卓が演奏されたのは日本人として嬉しいかな。
Numbersは世界中で♪いち・に・さん・し~でやってるし!
赤坂ブリッツ公演3日目からはラルフ・ヒュッターの希望で携帯電話での撮影が許可された。
3-Dコンサートはここまでアンコール演奏はされていなかったが、赤坂BLITZ最終日でアンコール演奏された。
赤坂BLITZでは8公演で8アルバムそれぞれの再現ライヴが行われたが、大阪のなんばhatchでは一公演のみだった。

3-D CONCERTS 1 2 3 4 5 6 7 8
DAY 1 アウトバーン Autobahn
赤坂BLITZ
2013年5月8日

1. Autobahn
2. Kometenmelodie 1
3. Kometenmelodie 2
4. Mitternacht
5. Morgenspaziergang
6. Radioactivity
7. Trans-Europa Express
8. The Robots
9. Spacelab
10. The Model
11. Neon Lights
12. The Man Machine
13. Numbers
14. Computer World
15. Home Computer
16. Dentaku
17. Computer Love
18. Tour de France 1983 + Intro
19. Tour de France 2003
20. lanet of Visions
21. Boing Boom Tschak
22. Musique Non Stop

3-D CONCERTS 1 2 3 4 5 6 7 8
DAY 2 放射能 Radio-Activity
赤坂BLITZ
2013年5月9日

1. Radioactivity
2. Radioland
3. Airwaves
4. Intermission
5. News
6. The Voice Of Energy
7. Antenna
8. Radio Stars
9. Uranium
10. Transistor
11. Ohm Sweet Ohm
12. Autobahn
13. Trans-Europe Express
14. The Robots
15. Spacelab
16. The Model
17. The Man Machine
18. Numbers
19. Computer World
20. Home Computer
21. Dentaku
22. Computer Love
23. Tour De France 1983 + Intro
24. Tour De France 2003
25. Planet Of Visions
26. Boing Boom Tschak
27. Musique Non Stop

3-D CONCERTS 1 2 3 4 5 6 7 8
Day3 ヨーロッパ特急 Trans Europe Express
赤坂BLITZ
2013年5月10日

1. Trans-Europe Express
2. Franz Schubert
3. Europe Endless
4. The Hall of Mirrors
5. Showroom Dummies
6. Autobahn
7. Radioactivity
8. The Robots
9. Spacelab
10. The Model
11. The Man Machine
12. Numbers
13. Computer World
14. Home Computer
15. Dentaku
16. Computer Love
17. Tour De France 1983 + Intro
18. Tour De France 2003
19. Planet of Visions
20. Boing Boom Tschak
21. Musique Non Stop

3-D CONCERTS 1 2 3 4 5 6 7 8
DAY 4  人間解体 The Man Machine
赤坂BLITZ
2013年5月11日

1. The Man Machine
2. Spacelab
3. The Model
4. Neon Lights
5. Metropolis
6. The Robots
7. Autobahn
8. Radioactivity
9. Trans-Europe Express
10. Numbers
11. Computer World
12. Home Computer
13. Dentaku
14. Computer Love
15. Tour De France 1983 + Intro
16. Tour De France 2003
17. Vitamin
18. Planet Of Visions
19. Boing Boom Tschak
20. Musique Non Stop

3-D CONCERTS 1 2 3 4 5 6 7 8
DAY 5 コンピューター・ワールド Computer World
赤坂BLITZ
2013年5月13日

1. Numbers
2. Computer World
3. Home Computer 
4. It's More Fun To Compute
5. Home Computer
6. Pocket Calculator
7. Dentaku
8. Computer Love
9. Autobahn
10. Radioactivity
11. Trans-Europe Express
12. The Robots
13. Spacelab
14. The Model
15. Neon Lights
16. The Man Machine
17. Tour De France + Intro
18. Tour De France 2003
19. Vitamin
20. Planet Of Visions
21. Boing Boom Tschak
22. Musique Non Stop 

3-D CONCERTS 1 2 3 4 5 6 7 8
DAY 6 テクノ・ポップ Techno Pop
赤坂BLITZ 
2013年5月14日 

1. Electric Café
2. The Telephone Call
3. House Phone
4. Sex Object
5. Autobahn
6. Radioactivity
7. Trans-Europe Express
8. The Robots
9. Spacelab
10. The Model
11. Neon Lights
12. The ManMachine
13. Numbers
14. Computer World
15. Home Computer
16. Dentaku
17. Computer Love
18. Tour de France 1983 + Intro
19. Tour de France 2003
20. Planet of Visions
21. Boing Boom Tschak
22. Musique Non Stop

3-D CONCERTS 1 2 3 4 5 6 7 8
Day 7 The Mix
赤坂BLITZ
2013年5月15日

1. The Robots
2. Computer Love
3. Autobahn
4. Radioactivity
5. Trans-Europe Express
6. Numbers
7. Computer World
8. Home Computer
9. Pocket Calculator
10. Dentaku
11. Spacelab
12. The Model
13. Neon Lights
14. Metropolis
15. The Man Machine
16. Tour De France 1983 + Intro
17. Tour De France 2003
18. Vitamin
19. Planet Of Visions
20. Boing Boom Tschak
21. Musique Non Stop

3-D CONCERTS 1 2 3 4 5 6 7 8
Day 8 Tour De France 
赤坂BLITZ
2013年5月16日

1. Tour De France 1983
2. Tour de France Étape 1
3. Tour de France Étape 3
4. Chrono
5. Tour de France Étape 2
6. Vitamin
7. Aéro Dynamhik / Titanium
8. Elektro Kardiogramm
9. La Forme
10. Régéneration
11. Autobahn
12 Radioactivity
13. Trans-Europe Express
14. The Robots
15. Spacelab
16. The Model
17. The Man Machine
18. Numbers
19. Computer World
20. Home Computer
21. Computer Love
22. Boing Boom Tschak
23. Musique Non Stop

アンコール
25. Pocket Calculator
26. Dentaku
27. Planet of Visions

3-D CONCERTS 1 2 3 4 5 6 7 8
なんばhatch
2013年5月18日

1. The Robots
2. Metropolis
3. Numbers
4. Computer World
5. Home Computer 
6. Computer Love
7. The Man Machine
8. Spacelab
9. The Model
10. Neon Lights
11. Autobahn
12. Tour De France 1983 + Intro
13. Tour De France 2003
14. Vitamin
15. Radioactivity
16. Trans-Europe Express
17. Aerodynamhik 
18. Boing Boom Tschak
19. Music Non Stop

アンコール
20. Pocket Calculator
21. Dentaku
22. Planet Of Visions

クラフトワークは2014年にも来日。
サマーソニックの前日祭のソニックマニアサマーソニック2014の初日のみ(東京というか千葉・幕張メッセ)に出演した。

ソニックマニア
幕張メッセ
2014年8月15日

1. The Robots
2. Spacelab
3. Numbers
4. Computer World
5. Home Computer
6. Dentaku
7. Autobahn
8. Radioactivity
9. Tour De France 1983
10. Tour De France 2002
11. Trans Europe Express
12. Boing Boom Tschak
13. Musique Non Stop

サマーソニック2014 
幕張メッセ
2014年8月17日 

1. The Robots
2. Spacelab
3. The Model 
4. The Man Machine 
5. Numbers
6. Computer World
7. Home Computer
8. Computer Love
9. Dentaku
10. Autobahn
11. Radioactivity
12. Trans Europe Express
13. Tour De France
14. Chrono
15. Tour de France Étape 1
16. Tour de France Étape 2
17. Musique Non Stop

ライヴ・アルバム
3-D The Catalogue

2017年6月リリース。
CD8枚組。
BoxにCD16ページのブックレット付き。
内容的にMoMAや世界各地で行われた3-Dライヴで行われた音源でスタジオ・アルバム8枚を再現している。

アルバム未収録の Planet Of Visions は、Disc7 The Mixに収められた。

映像版3-D The CatalogueはBlu-ray4枚組+ブックレット。
LPサイズのボックスで、ブックレットは228ページのハードカバーブック。
 
クラフトワークは2019年4月に来日公演を行った。
16日・17日・18日・19日に東京・Bunkamuraオーチャードホール、22日に大阪・フェスティバルホールにて行われた。

クラフトワーク
3-D Concert
Bunkamuraオーチャードホール
2019年4月19日

1. Numbers
2. Computer World
3. It's More Fun To Compute 
4 .Computer Love
5. The Man Machine
6. Spacelab
7. The Model
8. Neon Lights
9. Autobahn
10. Radioactivity
11. Electric Cafe
12. Tour De France / Prologue / Etape 1 / Chrono / Etape 2
13. Trans-Europe Express

アンコール
14. Pocket Calculator / Dentaku
15 .Aero Dynamik
16. Planet Of Visions
17. Boing Boom Tschak 
18. Musique Non Stop

アンコールを求める手拍子のなか、メンバーが登場していないのにThe Robots が流れる…。
The Robotsが自動演奏されていた途中、この日のメンバーの衣装をまとったロボット4体が登場して踊り出す。
The Robotsが終わると、メンバーが登場してPocket Calculatorの演奏をはじめた。

クラフトワーク
3-D Concert
大阪・フェスティバルホール
2019年4月22日

2020年にフローリアン・シュナイダーが亡くなった。
73歳の誕生日を迎えたばかりだった。
ちなみにラルフ・ヒュッターは1946年生まれ。
フローリアン・シュナイダーよりひとつ年上だった。
ラルフ・ヒュッターは今年、77歳。
クラフトワーク創設時からのメンバーだが、アルバム クラフトワークをリリースした後に半年間、ラルフ・ヒュッターはクラフトワークを脱退していたことがあった。
クラフトワークのメンバーはフローリアン・シュナイダー、ミヒャエル・ローター、クラウス・ディンガーという時期があった。
 なお、クラウス・ディンガーは2008年3月21日に亡くなっている。

リミックス・アルバム
Remixes

2020年にデジタルでリリースされた。
主に1991年以降に発売されたシングルに収録されていたリミックス・ヴァージョンをまとめたもの。
Non Stop はもともとMTVのために作られた30秒のジングルを2020年になって8分30秒に発展させたもの。
2022年にはCDでは2枚組、LPでは3枚組で発売された。
 

 

 

 

 

はっぴいえんど について

以前に細野晴臣omni Sight Seeingがめっちゃ好きだと記した。
omni Sight Seeingは細野晴臣のアルバムで一番好き。
omni Sight Seeingを購入後、1990年にはOMNI SOUNDという書籍が発行されたので、これを購入した。
それを参考にYMOのアルバムを揃えていったし、細野晴臣エイプリル・フールからはじまる履歴を知ったと思う。
細野晴臣が、エイプリル・フールのあとに結成したのが はっぴいえんど
1990年代前半にアルバム はらいそより前の細野とか晴臣のアルバムを購入して聴いてみたのだけど、どうも私はあまり好きになれなかった。
アルバム HOSONO HOUSEも含めて。
あと、ティン・パン・アレーのアルバムも。
それで はっぴいえんど についてもあまり積極的に聴く気になれなかった。
おそらく、音楽的にはテクノ以降の細野晴臣が好きなんどろうな。
1993年には はっぴいえんど のボックス・セットがリリースされていて、売り場で眺めていたりしたのだけど結局買わなかったんだよなー。

はっぴいえんどのメンバーは、

細野晴臣 ベース
大瀧詠一 ギター
松本隆 ドラム
鈴木茂 ギター

ビートルズと同じく専任ヴォーカリストが不在で、基本的に曲の作曲者自身がその曲のヴォーカルを取る形式。
ライヴ時には細野晴臣に代わって大瀧詠一が歌っていた。
作曲者が歌う、というのは個人的に勝手にビートルズ式と呼称している。
曲によってはメンバーが揃っておらず、いないメンバーのパートの楽器もいるメンバーがこなす…というのもビートルズと同じか。
ローリング・ストーンズもそうだけど、曲によってはメンバー揃ってなくてもレコーディングして、バンド名義のアルバムに入れてしまう…というのなかなか慣れなかったな。

細野晴臣は中学時代からギターを弾いたりドラムを叩いたりしていた。
請われるままにバンド活動をしていたが、次第にバンドでは他の人がギターを弾きたがったので、ドラムやベースを担当した。
ひとりではピアノも弾いていた。

細野晴臣松本隆は1967年春に出会った。
原宿駅前の喫茶店で。
その前日、細野晴臣松本隆と名乗る男から電話で呼び出された。
この時、細野晴臣立教大学の二年生で、二十歳。
友人がやっていたビートルズのコピー・バンド、ドクターズに頼まれて、これまで弾いたことがなかったベースを弾きはじめてまだ間もなかった頃であった。

茶店に現れた松本隆はまだ慶応高校三年生だった。
松本隆はバーンズというバンドのドラムを務めていて、バンドのベーシストが辞めるので代わりのベーシストとして参加して欲しいと言った。
ただし、オーディションをすると言い、年下からオーディションされることに 細野晴臣 はムッとしたらしい。
オーディション時の曲はジミ・ヘンドリックスのFireとPurple Haze。
細野晴臣はFireとPurple Hazeを聴きこみ、完璧にコピーした。
オーディションには一発で合格した。

バーンズを経て細野晴臣松本隆エイプリル・フールとなるバンドに加入し、1969年にプロデビューした。
エイプリル・フールのヴォーカルは小坂忠だった。

1969年7月にはヴァレンタイン・ブルー を結成。
エイプリル・フールは1969年3月に結成され、9月にアルバム APRYL FOOL をリリースした。
エイプリル・フールはアルバム発売前にはすでにバンド解散を決めていて、10月に解散した。
まだエイプリル・フールが解散する前にヴァレンタイン・ブルーは結成された。
1969年10月28日、ヴァレンタイン・ブルーはお茶の水全電通会館ホールのコンサート企画 ロックはバリケードをめざす に出演した。
ヴァレンタイン・ブルーのデビュー・ライブとなった。
1970年3月にはヴァレンタイン・ブルーは はっぴいえんど と改名した。
タイミング的には はっぴいえんど のファースト・アルバムのレコーディングがはじまる少し前だった。

はっぴいえんど では松本隆が書いた詞に、後で曲が作られた。
いわゆる詞先。
その後、松本隆は歌謡曲で先に作られた曲に歌詞をつけるようになるが、はじめて筒美京平から先に譜面を渡された時はびっくりしたという。

アルバム
はっぴいえんど

1970年8月リリース。
通称 ゆでめん。
レコーディングは1970年4月9日から12日の深夜まで行われた。
アルバムジャケットのイラストは林静一による。
録音は2chのレコーダーで行われた。
ちなみに 風街ろまん では8ch、HAPPY END では16chのレコーダーが使用された。

春よ来い、かくれんぼ、12月の雨の日、朝 
作詞 松本隆
作曲 大瀧詠一

しんしんしん、敵タナトスを想起せよ!、 あやか市の動物園、はっぴいえんど、続はっぴーいいえーんど
作詞 松本隆
作曲 細野晴臣

飛べない空
作詞・作曲 細野晴

いらいら 
作詞・作曲 大瀧詠一

春よ来い
作詞 松本隆
作曲 大瀧詠一

はっぴいえんどの曲として2番目に書かれた曲。

かくれんぼ
作詞 松本隆
作曲 大瀧詠一

はじめは 足跡 という詞が松本隆によって書かれ、曲がついてから ちっちゃな田舎のコーヒー店 という詞に変えられた。
そこから少し詞が変えられたのがこの かくれんぼ。

12月の雨の日
作詞 松本隆
作曲 大瀧詠一
 

はっぴいえんど の曲として一番最初に書かれた曲。
松本隆の詞が先に書かれ、それに曲が書かれた。
この歌詞は11月30日に書かれた。
その日付が確認されたのは2000年に代になってから。
曲が書かれ、細野晴臣がギターで弾いて歌い、それを聴きながら鈴木茂がアンプなしで自らのエルキ・ギターを弾いた。
鈴木茂が弾いたフレーズはレコーディングでもそのまま使用されることになる。
大瀧詠一が書いた曲だが、大瀧詠一が不在だった時で、会合にははじめて鈴木茂が参加した時だった。

しんしんしん
作詞 松本隆
作曲 細野晴臣

ライヴでは大瀧詠一が歌っていた。

はっぴいえんど
作詞 松本隆
作曲 細野晴臣

ヴォーカルは大瀧詠一

2004年のボックスセット はっぴいえんどBOXではシングル 12月の雨の日 、はいからはくち 、ボツになった 12月の雨の日 、はいからはくち もゆでめん、風街ろまんのボーナストラックとして収録された。

シングル
12月の雨の日 / はいからはくち

1971年1月リリース。
12月の雨の日はアルバム はっぴいえんど、はいからはくち  はアルバム 風街ろまんの収録曲だが、いずれもアルバムとは異なるシングル・ヴァージョン。
12月の雨の日は新たに録音されたもので、はいからはくちは(当時の)新曲。
はいからはくち はアルバム 風街ろまん で再録された。

12月の雨の日 、はいからはくち はURLでシングル用に4トラックで録音されたがボツとなった。
その後、キングレコードのスタジオで録り直しされて、キングレコードからシングルとしてリリースされた。
ボツになった はいからはくち はベストアルバム CITYに収録された。

はいからはくち 4トラックバージョン
作詞 松本隆
作曲 大瀧詠一
 

アルバム
風街ろまん

1971年11月リリース。
プロデュースは はっぴいえんど

抱きしめたい、空色のくれよん、はいからはくち、春らんまん、愛餓を 

作詞 松本隆
作曲 大瀧詠一

風をあつめて、暗闇坂むささび変化、夏なんです、あしたてんきになあれ

作詞 松本隆
作曲 細野晴臣

はいから・びゅーちふる は 作詞・作曲 多羅尾伴内、颱風は作詞・作曲 大瀧詠一

ゆでめんの楽曲はすべて大瀧詠一細野晴臣が書いていたが、風街ろまんでは 花いちもんめ で鈴木茂が作曲。
鈴木茂の作曲家としてのデビュー曲となった。

大瀧詠一の曲は 春らんまん と 颱風 を除いて近藤むさし(梅津達男の変名。)の録音で仕上げられていた。
その後、吉野金次 がエンジニアとして参加して 風街ろまん の細野晴臣の曲のレコーディングがはじまった。

抱きしめたい
作詞 松本隆
作曲 大瀧詠一

空色のくれよん
作詞 松本隆
作曲 大瀧詠一

この曲に鈴木茂は参加していない。
駒沢裕城のペダル・スティールが全面的に参加した。

風をあつめて
作詞 松本隆
作曲 細野晴臣
 

はっぴいえんど の ゆでめん のレコーディングでは 手紙 として録音されていた曲。
この時に 風をあつめて という言葉はすでに使用されていた。
手紙は カッティング数日前に ゆでめん のマスターテープからカットされた。
その後、手紙 は2000年のHOSONO BOX、2004年のはっぴいえんど BOXで聴くことができるようになった。
手紙 は詞曲とも 風街ろまん で書き直されて 風をあつめて となった。

細野晴臣は録音の直前までスタジオで 風をあつめて を作曲していた。
そのためか大瀧詠一鈴木茂は不参加。
細野晴臣がボーカル、ベース、アコースティック・ギター、オルガンを担当。
そして松本隆がドラムを担当した。
風をあつめて は1973年のベスト盤 CITY に収録されたし、1985年のALL TOGETHER NOWでも、風街レジェンド2015でも、風街オデッセイ2021でも歌われた はっぴいえんど の代表曲のひとつになった。
細野晴臣のオールタイムのベスト盤では必ず選曲されているし。

2003年にはソフィア・コッポラ監督による映画 ロスト・イン・トランスレーションで使用された。
ロスト・イン・トランスレーションのサントラにも収録された。
ケヴィン・シールズマイブラ、エール、デス・イン・ヴェガスなどにまじって はっぴいえんど
ロスト・イン・トランスレーションは映画のなかで使用されたか、サントラに収録されなかった曲もある。
個人的には日本の曲ももっと使用して欲しかったな。
風をあつめて 1曲じゃさみしすぎる…。
風をあつめて が選ばれたのは、アルバムのプロデューサーであるエールのブライアン・レイツェルがツアー先でいっしょになったことがあるコーネリアス小山田圭吾)やコーネリアスでギターを弾いていた大橋伸之からサントラにあう日本の曲を教えてもらったそう。
その中から 風をあつめて がブライアン・レイツェルとソフィア・コッポラが気に入った曲、ということらしい。

はいからはくち アルバム・ヴァージョン
作詞 松本隆
作曲 大瀧詠一
 

花いちもんめ
作詞 松本隆
作曲 鈴木茂

シングル
花いちもんめ

1971年12月に発売されたシングル。
A面に花いちもんめ 、B面に 夏なんです を収録。
同日、大瀧詠一のシングル 恋の汽車ポッポ / それはぼくじゃないよが発売された。

1972年5月6日には第2回春一番コンサートに出演した。
この日の音源は同年8月には風都市が 1972春一番BOX が非売品10枚組LPとして制作し、関係者に配布された。
限定で100セットといわれている。
2006年には 1972春一番 として10CDボックス仕様で発売された。
10枚組LPから盤おこししてリマスタリングされたCD。
はっぴいえんど はこの日演奏したのは2曲。 
びんぼう 、はいからはくち で、その2曲が1972春一番に収録された。
ボックスセット はっぴいえんどBOXのディスク7に2曲とも収録された。

1972年6月には細野晴臣は狭山・アメリカ村に引っ越しした。
また、 はっぴいえんど は解散すること、最後にツアーをやることに決めていた。

大瀧詠一はソロ・アルバムのレコーディングのためのリハーサルをしていて、高田渡は三浦光紀からアメリカに行くことを話し、いっしょに行かないかと誘われた。
大瀧詠一はっぴいえんどのメンバー3人も誘った。
三浦光紀はアメリカに行くなら はっぴいえんど のアルバムをレコーディングしないか、と話した。
制作費をキングレコードが持つ、ということでアメリカでのレコーディングが決まったらしい。
大瀧詠一細野晴臣鈴木茂アメリカに赴いてアルバムをレコーディングすることに同意したが、松本隆は解散するグループのレコーディングに当初は抵抗した。
結局、松本隆鈴木茂の作品以外には歌詞を提供しない、ドラムに専念する、という条件でアメリカ行きに同意することとなった。

8月に はっぴいえんど長崎市公会堂で行われた大震祭Vol.3に出演した。
このライヴでは どろんこまつり も演奏している。
この日のライヴ音源全曲は、ボックスセット はっぴいえんどBOX のディスク7に収録されている。

 はっぴいえんど は1972年8月いっぱいまで各地でコンサートを行った。
これで はっぴいえんど の4人のライヴは最後になるはずだった。
同年11月には はっぴいえんど として松本隆抜きで行ったライヴがあるけど。
その時は林立夫がドラムだった。

1972年10月4日に はっぴいえんど のメンバーはアメリカ、ロサンゼルスへ向かった。
ロサンゼルスのサンセット・サウンド・レコーダーズにてアルバムを録音。
日本へは10月25日に帰国した。

11月には松本隆の 風のくわるてつと が出版された。詞、エッセイ、短編小説などが収められた。

11月25日には大瀧詠一のファースト・アルバム 大瀧詠一 が発売された。

この時期には細野晴臣のファースト・アルバムのレコーディングの話が進み、スタジオでなくて細野晴臣の自宅で録音する、と決まった。
録音機材も手配され、その機材も揃っていた。
また、小坂忠のバックバンドだった フォージョーハーフが解散し、林立夫細野晴臣鈴木茂松任谷正隆とバンドを組むことにする。
まだこの時にはバンドに名前はなかった。
まず翌年に細野晴臣のファースト・アルバム のレコーディングをすることになる。

1972年12月31日、はっぴいえんどは正式に解散した。

アルバム
HAPPY END

1973年2月リリース。
全9曲収録。
プロデュースははっぴいえんど
さよならアメリカ さよならニッポン のみプロデュースは はっぴいえんどヴァン・ダイク・パークス

風来坊
作詞・作曲 細野晴臣

相合傘
作詞・作曲 細野晴臣

無風状態
作詞・作曲 細野晴臣
オウム inspiration by 松本隆

氷雨月のスケッチ
作詞 松本隆
作曲 鈴木茂


  
氷雨月のスケッチのヴォーカルは鈴木茂だが、サビでのヴォーカルは大滝詠一

明日あたりはきっと春、さよなら通り3番地
作詞 松本隆
作曲 鈴木茂

田舎道、  外はいい天気
作詞 松本隆 
作曲 大瀧詠一

さよならアメリカ さよならニッポン
作詞 はっぴいえんど 
作曲 はっぴいえんどVAN DYKE PARKS

1972年10月、はっぴいえんどのロサンゼルスのサンセット・サウンド・レコーダーズでのレコーディングはおよそ2週間行われた。
鈴木茂以外の細野晴臣大瀧詠一は曲の用意をしていなかったよう。
細野晴臣はまだレコーディング前のソロ・アルバム用の曲が使用できたが、大瀧詠一はソロ・アルバムのレコーディングが終わったばかりで、曲はまったく用意できてなかった。
松本隆はこのレコーディングで「鈴木茂の曲以外の歌詞は書かない」としていたが、アメリカに着いてから大瀧詠一 が「松本、話がある」と。
大瀧詠一が泣きついたので、松本隆は国際電話でマネージャーから発売前の 風のくわるてつと で使われていない詞を聞き取って、大瀧詠一 の曲の歌詞として使用した。

このアルバム HAPPY END のレコーディング費用は当初の想定より嵩んだらしい。
また、現地では細野晴臣のベースが盗まれたりしたことがあったという。

アメリカでのはっぴいえんどのメンバーは、それぞれ暇さえあればレコードを買っていたという。

相合傘 は細野晴臣がソロ・アルバムのために用意していた作品。
アルバム HAPPY END で発表されたが、細野晴臣のファースト・アルバム HOSONO HAUSEのラストにはさわりの部分だけが演奏されてフェイドアウトするかたちで収録された。

外はいい天気だよ が正式なタイトルだったが、印刷ミスで 外はいい天気 となったらしい。

シングル
さよならアメリカ さよならニッポン

アルバム HAPPY END と同時にリリースされたシングル。
A面にさよならアメリカ さよならニッポン、B面に 無風状態 を収録。

1973年9月21日、はっぴいえんど ラスト・ライブ CITY Last Time Around が東京・文京公会堂で行われた。
司会は かまやつひろし
エンジニアの吉野金次がPAと録音を兼任していた。
この日は3部構成で、第1部は はっぴいえんど のメンバーがそれぞれプロデュースした風都市所属アーティストのお披露目として、南佳孝吉田美奈子西岡恭蔵、ココナツ・バンクが出演。
第2部は シュガーベイブと小宮やすゆうをコーラスに迎えた大滝詠一とココナツ・バンク、松本隆のバンド ムーンライダース(いわゆるオリジナル・ムーンライダーズ)、細野晴臣鈴木茂林立夫松任谷正隆によるキャラメル・ママの演奏。
第3部は、はっぴいえんど のラスト・ライヴ。
当時は はちみつぱい に在籍していた 鈴木慶一がピアノで参加した。

もともとは、ココナツ・バンク、ムーンライダースキャラメル・ママが出演する合同ライヴとして企画されたが、せっかく4人そろうから はっぴいえんど もやろうとなったらしい。
この日の南佳孝吉田美奈子ムーンライダース、ココナツ・バンクの演奏は、ライブ!! はっぴいえんど リリースと同日に 1973.9.21 SHOW BOAT 素晴しき船出 として発売された。

はっぴいえんど
はっぴいえんど ラスト・ライブ 
CITY Last Time Around 
1973年9月21日
東京・文京公会堂

1. 田舎道
2. 氷雨月のスケッチ
3. 夏なんです
4. はいからはくち
5. 12月の雨の日

アンコール
6. かくれんぼ
7. 抱きしめたい
8. 春よ来い

ベスト盤
CITY 

1973年9月リリース。
全12曲収録。
アルバム はっぴいえんど、風街ろまん、HAPPY ENDからの収録曲に、シングル・ヴァージョン録音時にボツとなった はいからはくち そして かくれんぼ の第3回全日本フォークジャンボリー でのライヴ演奏を収録。

はいからはくち はシングルのためにレコーディングしたが、ボツになったヴァージョン。
小坂忠がコーラスで参加した。

ライヴ・アルバム
ライブ!! はっぴいえんど

1974年1月リリース。
前年9月に行われた解散記念コンサート CITY-Last Time Aroundでのライヴを収録。
全11曲。
はっぴいえんど 以外にも 大瀧詠一とココナツ・バンク、西岡恭蔵 のライヴ音源がそれぞれ2曲ずつ収録された。

抱きしめたい は録音テープが交換出来なかったため、途中からフェイドインではじまっている。

ベスト盤
SINGLES

1974年6月リリース。
当時はLP盤だったわけだが、A面は 大瀧詠一(4曲)と細野晴臣(2曲)のそれぞれのソロ曲が収録され、B面に はっぴいえんど の曲が収録された。
B面の はっぴいえんど はシングル3枚のA面B面が収められた。
12月の雨の日、はいからはくち はそれぞれシングル・ヴァージョンを収録。

1985年6月15日、国立競技場で国際青年年記念 ALL TOGETHER NOWが開催された。
吉田拓郎オフコースアルフィーサザンオールスターズ佐野元春さだまさしチェッカーズ、他にももっと演奏した大規模なジョイントコンサート。
当時はバンド・エイドUSAフォー・アフリカのあとだったから、その影響で開催された日本版コンサートだったと思う。
この日は はっぴいえんど が再結成され、ヴォーカルが松任谷由実で演奏陣がサディスティック・ミカ・バンドからなる、サディスティック・ユーミン・バンドが出演した。
サディスティック・ユーミン・バンドには坂本龍一もシンセで参加した。
サディスティック・ユーミン・バンドは、ミカ・バンドの曲は タイムマシンにお願い だけで、それぞれの曲をメドレーで演奏したり、発売したばかりだった 今だから 演奏時には小田和正財津和夫が参加した。
松任谷由実小田和正財津和夫による 今だから は2023年12月発売の 松任谷由実ユーミン乾杯!!  松任谷由実50周年記念コラボベストアルバム でついに!初CD化された。

ちなみにALL TOGETHER NOWのチーフ・プロデューサーだったニッポン放送亀渕昭信は出演アーティストを集めていて、そのひとりとして大滝詠一に出演してもらおう、と大滝詠一の自宅まで行ったらしい。
大滝詠一は 当分ライブはやりたくない として断った。
大滝詠一はその夜には自宅のスタジオを掃除していて、はっぴいえんど のカセットテープを見つけた。
テープを聴いてから松本隆に久しぶりに電話して…そして 細野晴臣と電話したり会ったりして、はっぴいえんど としてALL TOGETHER NOWに出演しよう、となったらしい。
大瀧詠一細野晴臣松本隆の三人で話した翌日には鈴木茂がたまたま松本隆に電話してきた。
松本隆は前日の話を伝えたところ、鈴木茂も賛成した。

はっぴいえんど
国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW
国立競技場
1985年6月15日

1. 12月の雨の日
2. 風をあつめて
3. 花いちもんめ
4. さよならアメリカさよならニッポン

この日のはっぴいえんどの演奏は大滝詠一の「はっぴいえんどです」の一言からはじまった。
バックにはキーボードで福原まり、コーラスで越美晴ピチカート・ファイヴ、ワールド・スタンダード、Shi-shonenが参加した。
打ち込み、サンプラーを使用したり、松本隆はシモンズを叩いたり、とまさに80年代の はっぴいえんど
バッキングが妙にピコピコした 風をあつめて とか…。

ライヴ・アルバム
THE HAPPY END 

1985年9月リリース。
1985年6月15日国立競技場でのイベント ALL TOGETHER NOW での はっぴいえんど で演奏された全4曲を収録。
LPとカセットテープで発売された。
2004年のボックス はっぴいえんどBOX のディスク5で初めてCD化された。

ライヴ・アルバム
はっぴいえんどGREEEATEST LIVE! ON STAGE

1686年7月リリース。
ロック叛乱祭(1970年4月12日)、第3回全日本フォークジャンボリー(1971年8月7日)、加橋かつみコンサート(1971年4月14日)での はっぴいえんど のライヴ音源をまとめた一枚。

ロック叛乱祭は はっぴいえんど がアルバム ゆでめん をリリースする前。
「ヴァレンタイン・ブルーです」と紹介されて、12月の雨の日 を演奏後には大瀧詠一が 「はっぴいえんど って名前に変えたんです」 と呟いている。
はっぴいえんど演奏後には司会者から 「ヴァレンタイン・ブルー、名前を変えたんだって?今日変えたんですか?新しい名前を言って」という声も収録された。

朝 は中津川フォークジャンボリーでの演奏。
アルバム ゆでめん とは異なり、バンド・バージョンでの演奏。
はいからはくち をアルバム・バージョンで演奏。
演奏後の客席の ええど!ええど! というのは当時、高校生だった佐野史郎の声だったらしい。

ライヴ・アルバム
はっぴいえんど LIVE ON STAGE

1989年8月リリース。
全11曲収録。
第2回全日本フォークジャンボリー(1970年8月9日)、ロック・アウト・ロック・コンサート(1971年8月21日)、加橋かつみコンサート(1971年4月14日)、第3回全日本フォーク・ジャンボリー(1971年8月7日)での演奏を収録。

ももんが は 暗闇坂むささび変化 の原型。
この時は歌詞が違う…。

2009年には演奏曲が追加され、リマスタリングされてリリースされた。
全18曲収録となった。
第2回フォークジャンボリーからは、朝、春よ来い が、ロック・アウト・ロック・コンサートからは はいからはくち が、加橋かつみコンサート からは12月の雨の日、はいからはくち が、第3回全日本フォークジャンボリーからは 12月の雨の日、かくれんぼ が追加された。

ロック・アウト・ロック・コンサートの模様はボックスセット はっぴいえんどBOXにも未収録。

CD-BOX
はっぴいえんど

1993年5月に発売されたCD4枚組。
アルバム はっぴいえんど、風街ろまん 、 HAPPY END、ライヴ!!はっぴいえんど の4枚のCDにライナーノーツが付いたCD-BOX。
風街ろまん、 HAPPY END の2枚は、吉野金次によりリミックスされていた。
個人的には発売された当時、CD店でボックス はっぴいえんど を手に取ろうとしたが、その2枚のリミックスというのを見てボックスを手に取ろうとする気にもならなかった理由だったと思う。
その4枚組のボックスは結局、買わずじまい。
買っとけばよかったのだろうか?
いや、でもこの時期はほとんど はっぴいえんど に興味持てなかったしな…。

リミックスされた風街ろまん と HAPPY END は物議があったとも聞く。
個人的には はっぴいえんど の各アルバムを単品のCDで購入したのは、ちょうど時期的に あしたてんきになあれ がCDシングル化された1999年の終わり頃だったと思う。
20世紀の終わりにはじめて はっぴいえんど のアルバムを聴いたんだよな。

2002年5月には HAPPY END PARADE〜tribute to はっぴいえんど〜 が発売された。
様々なアーティストが はっぴいえんど をカヴァーしたもの。
CD2枚組に全20曲を収録。
青山陽一 featuring 鈴木茂 の 花いちもんめ、キセル meets HARRY(細野晴臣)の しんしんしん 、航空電子 の春よこい くらいかな、聴いたの。

ボックスセット
はっぴいえんどBOX 

2004年3月、発売。
はっぴいえんどが公式にリリースした全音源を収録したCD8枚組+BOOK2冊のボックスセット。
個人的にはレコファン西武新宿ぺぺ店(2010年に閉店した。)で購入した。

はっぴいえんどBOXの内訳は、

はっぴいえんど
・風街ろまん
・HAPPY END
・ライブ!! はっぴいえんど
・THE HAPPY END ←初CD化。ただし、LP版には収録されていた吉田拓郎はっぴいえんどメンバーとのやりとりはカットされた。
はっぴいえんど ライヴ・ヒストリー〜レアリティーズ〜VOL.1
はっぴいえんど ライヴ・ヒストリー〜レアリティーズ〜VOL.2
・WITH はっぴいえんど バッキング音源集 ←メンバーがバッキングでレコーディング参加した音源。

・BOOK1 はっぴいえんどBOOK
・BOOK2 復刻版 CITY はっぴいえんどソングブック

はっぴいえんどBOOKにははっぴいえんどの各メンバーのインタビュー、ディレクター、エンジニア、デザイナー/漫画家など関係者のインタビュー、詩集(ちぎれ雲、手紙も載っている!どろんこまつり はなかった…。)、年表(1972年まで)などが載っている。
192ページ。

1973年に刊行された楽譜集 CITY はっぴいえんど楽譜集が復刻されて付属した。
 
各CDは紙ジャケット化されていた。
アルバム ゆでめん、風街ろまん にはボーナス・トラック が収録された。
はっぴいえんどの公式音源化された音源は全曲収録された。
2004年の発売時期的にはCCCDが出回っていた時期だったが、おそらくCCCD化を回避するためか、はっぴいえんどBOXの全ディスクはCD-EXTRA仕様で写真や資料が収録された。
CD8枚とはっぴいえんどBOOKがボックスに収容され、そのボックスと復刻版 楽譜集 CITY はっぴいえんど楽譜集をブリスターパッケージで収めた形で売られた。
このパッケージ、個人的には部屋にきれいに整理・整頓する余裕がなかったため少しダメージがある…。
 
ディスク6
ULTIMATE LIVE HISTORY VOL.1 1970-1971

全17曲収録。
ゆでめん リリース前のライヴからアルバム 風街ろまん リリース前のライヴ音源をまとめたもの。
抱きしめたい と はいからはくち はリリース前に演奏していたライヴ音源となる。
はいからはくち はアルバム・ヴァージョンのライヴ演奏。
あやかしのどうぶつえん、しんしんしん はオリジナルと違い、大瀧詠一がヴォーカル。
雨あがりのビル街 は遠藤賢司のカヴァー。
オリジナルでは大瀧詠一以外のメンバーが参加していた。

ディスク7
ULTIMATE LIVE HISTORY VOL.2 1972

全19曲を収録。
1972年4月22日、日本武道館で行われたフォークオールスター夢の競演 音溺大歌合でのはっぴいえんどのライヴ演奏。
当日は5曲が演奏され、その全曲を収録。
ベースは野地義行で、細野晴臣はピアノとギターを演奏した。
それはぼくじゃないよ は大瀧詠一のソロ・アルバムから。
それはぼくじゃないよ と 空いろのくれよん はドラムレスで演奏された。

1972年8月5日の長崎市公会堂、大震祭 VOL.3は演奏された全9曲が収録された。
小坂忠に提供した曲がどろんこまつり が演奏され、ヴォーカルは細野晴臣が担当した。
未発表曲のちぎれ雲も演奏された。
ちぎれ雲の歌詞は 松本隆の 風のくわるてつと にも
載っていた。

はっぴいえんど
ちぎれ雲
作詞 松本隆
作曲 鈴木茂

19曲目にはボーナス・トラックとして、1970年1月13日、都市センターホールにて行われたIFC前夜祭でのバッファロー・スプリングフィールドのカヴァー、BLUEBIRDが収録された。
まだ はっぴいえんど ではなくてヴァレンタイン・ブルーの時の演奏。

ディスク8
WITH はっぴいえんど ~バッキング音源集~

選曲・監修 佐野史郎
はっぴいえんどが他アーティストのバック演奏を担当した曲を集めたCD。

2013年12月30日、大滝詠一が亡くなった。
個人的な記憶では、この年の12月30・31日はコミケに行っていた。
帰りのバスでラジオを聞いていて、そこで大滝詠一が亡くなったニュースを知った。

ところで、今年もすでに様々なミュージシャンが亡くなったけど、亡くなってから少し経ってからニュースになったと思う。
大滝詠一のときは亡くなった翌日にはニュースになったけど、今年亡くなったミュージシャンは数日とか1週間くらい経ってからニュースになったと思う。
どうしてだろう?
高橋幸宏、鮎川誠、ハイスタの恒岡章ムーンライダーズ岡田徹sumikaの黒田隼之介、有賀啓雄坂本龍一、新美俊宏、PANTAデルジベットのISSAY、G.I.S.M.の横山SAKEVI、谷村新司もんたよしのりBUCK-TICK櫻井敦司、HEATH、大橋純子、KAN。
多すぎる…。

2014年にはボックスセット はっぴいえんどスターピースが発売された。
アルバム はっぴいえんど と風街ろまん の2枚のアナログ盤に、それぞれ新たにリマスターされたCD。
さらにこのボックスでは ハイレゾ音源のダウンロードもできた。
ただし、ダウンロード音源はダウンロード期限が2017年12月25日までとなっていた。
アナログ盤サイズの はっぴいえんど資料集(36ページ)と松本隆作詞ノートのレプリカ(48ページ)が付属した。

2015年6月24日、CD 松本隆 作詞活動四十五周年トリビュート 風街であひませう が発売された。
プロデュースはLITTLE CREATURES鈴木正人
完全生産限定盤はハードカバー書籍仕様のCD2枚組。
書籍は100ページ以上に及ぶ読み物で構成されている。
CD1には松本隆が作詞を手掛けた楽曲10曲のカヴァー曲(2曲目の水中メガネはスピッツ草野マサムネが作曲した。そして草野マサムネ自身がセルフカヴァーした。)に、11曲目にスペシャルトラックとして、細野晴臣の 驟雨の街 が収録された。

細野晴臣
驟雨の街
作詞 松本隆
作曲 細野晴臣

CD2は歌詞の朗読集で、松本隆の作詞曲を斉藤由貴薬師丸ひろ子小泉今日子有村架純リリー・フランキー斎藤工加瀬亮山田孝之中川翔子夏帆松本隆がそれぞれ朗読した。
松本隆は 風をあつめて を朗読した。
通常盤は完全生産限定盤のCD1のみ。

細野晴臣の 驟雨の街 は未発表曲。
はっぴいえんど解散後、細野晴臣はコンサートのために松本隆に詞を依頼して、細野晴臣はそれに曲をつけた。
驟雨の街 はそのコンサートで演奏されたらしいが、アルバム HOSONO HOUSEには収録されなかった。
2014年に驟雨の街のデモテープが発見された。
そのデモテープを聴いた細野晴臣はメロディーを作り直し、松本隆も詞を書き直した。
当時とはほとんどの歌詞が違っているという。
レコーディングでは松本隆がドラムを、鈴木茂がギターを担当した。

2021年7月には松本隆 作詞活動四十五周年トリビュート 風街であひませう がアナログ盤で再発された。
完全生産限定盤のCD1の内容がアナログ盤2枚組化された。

2015年8月21日・22日風街レジェンド2015。
松本隆 作詞活動45周年記念オフィシャル・プロジェクト 風街レジェンド2015 は東京国際フォーラム ホールAにて行われた。
コンサート冒頭から 細野晴臣鈴木茂松本隆の3人で はっぴいえんど  として登場した。
夏なんです、花いちもんめ を演奏した。
3曲目の はいからはくち ではヴォーカルとして佐野元春が歌った。
はっぴいえんどは3曲目のあとに退場した。

アンコールになってはっぴいえんどは再び登場した。
そして驟雨の街、風をあつめて の2曲を演奏した。
この日出演した全員が登壇して 風をあつめて を歌った。

はっぴいえんど
松本隆作詞活動45周年オフィシャル・プロジェクト風街レジェンド 2015
2015年8月21日・22日
東京国際フォーラム ホールA。

1. 夏なんです 
2. 花いちもんめ
3. はいからはくち
4. 驟雨の街 ←アンコール時にはっぴいえんどは再登場。
5. 風をあつめて

風街レジェンド2015は、2021年12月にBlu-ray Discで発売された。

はっぴいえんどの未発表曲だった、ちぎれ雲。
2021年にちぎれ雲 は鈴木茂小原礼林立夫松任谷正隆の4人のバンド SKYEのデビュー・アルバム SKYE に収録された。
はっぴいえんどでは ロックな感じだった ちぎれ雲 はメロディ・アレンジとも変えられた。
なお、鈴木茂小原礼林立夫松任谷正隆はいずれも1951年生まれの同学年。
SKYEは元々、鈴木茂小原礼林立夫の三人が高校生のときに組んでいたアマチュアバンド。
鈴木茂はっぴいえんど加入によって消滅していた。
佐野史郎小原礼はすでに顔見知りだった。
小原礼奥田民生のツアーの飲み会、佐野史郎篠原勝之が小説で泉鏡花文学賞を受賞して金沢で行われた授賞式のあとの飲み会、でたまたまふたりはばったり会った。
その時に小原礼は「なんか一緒にやろうよ」と言った。
佐野史郎はその時には社交辞令的にその言葉を受け取ったが、2017年に佐野史郎がライブハウスでライヴを行うことがオファーされたが、ベースがいなかったことで小原礼の言葉を思い出して連絡してみた。
すると小原礼は、ドラムは林立夫でギターは鈴木茂で、と言ったらしい。
2017年8月30日、佐野史郎鈴木茂小原礼林立夫というメンバーでライブが行われた。
その翌年にもライヴが行われた。
それを観ていたプロデューサーが、佐野史郎鈴木茂小原礼林立夫でレコーディングすることを誘った。
レコーディングが行われるうちにキーボードが必要となり、林立夫松任谷正隆に電話した。
ちなみに松任谷正隆がフォー・ジョー・ハーフやキャラメル・ママに加入したときも林立夫が誘って松任谷正隆がメンバーになっていた。
佐野史郎のレコーディングの後に松任谷正隆はキーボードを入れたという。
こうして佐野史郎 meets SKYE with 松任谷正隆によるアルバム 禁断の果実 が完成した。
アルバム リリース時には松任谷正隆がSKYEに正式に加入することになった。
2021年にはSKYEのデビュー・アルバム SKYE がリリースされた。
2023年7月には 佐野史郎 meets SKYE としてアルバム ALBUM がリリースされた。

SKYE
ちぎれ雲
松本隆作詞 
作曲 鈴木茂

2021年11月5日・6日。
松本隆の作詞活動50周年記念コンサート 松本隆 作詞活動50周年記念 オフィシャル・プロジェクト! 風街オデッセイ2021 が日本武道館で開催された。
音楽監督井上鑑(キーボード)。

松本隆の作詞活動50周年を記念したトリビュートアルバム 風街に連れてって! でB'zは桑名正博の セクシャルバイオレットNo.1をカヴァーしていた。
トリビュートアルバム 風街に連れてって! 全曲でプロデュースと編曲は亀田誠治が務めた。
風街オデッセイ2021 では亀田誠治 feat.B'z として セクシャルバイオレットNo.1 を演奏した。
亀田誠治横山剣CRAZY KEN BAND)と 寺尾聰ルビーの指環、川崎鷹也と 大滝詠一君は天然色 も披露していた。
この2曲もトリビュートアルバム 風街に連れてって!に収録されていた。

アンコールでは細野晴臣鈴木茂松本隆はっぴいえんど として登場した。
1972年4月22日に、フォーク・オールスター夢の競演 音搦大歌合 で はっぴいえんど日本武道館でライヴを行った。
野地義行がベース、細野晴臣はギターとピアノを担当した。
それから49年ぶりに武道館に登壇したことになる。
鈴木茂が「こんばんは。はっぴいえんどです!」と挨拶して花いちもんめ を演奏。
そして曽我部恵一をヴォーカルに 12月の雨の日 、最後は 風をあつめて を演奏した。
風をあつめて では細野晴臣アコースティックギターを弾いて歌い、鈴木茂がベース(!)を担当した。
風をあつめて 演奏前に鈴木茂は、人前でベースを弾くのははじめて、と一言していた。
バックはキーボードに井上鑑鈴木慶一アコースティック・ギター吉川忠英

終演後に松本隆は、ビートルズが来日公演を行ったときには客席で観たが、「それから50年。あそこ(客席)からここまで(ステージ)に来るまで50年かかった」と語っていた。

2日目もアンコールで はっぴいえんど が登壇し、前日と同じ3曲が披露された。
この日の 12月の雨の日 は鈴木慶一がヴォーカルを務めた。

 2023年11月1日にはアルバム はっぴいえんど、風街ろまん、HAPPY ENDが新たにリマスターされてそれぞれリリースされた。
それぞれの初回生産限定盤には、ボーナストラックとして未発表音源が収録され、新規ライナー掲載のブックレットが付属した。 
新規ライナーは約60Pに及ぶ。
それぞれのアルバムに追加収録された曲は以下の通り。

はっぴいえんど

かくれんぼ (歌入れ最終ダビング Take1) 
12月の雨の日 (最終ダビング Take2) 

・風街ろまん

はいからはくち (完パケ Take1) 
颱風 (Full Size)

・HAPPY END

風来坊 (吉野金次MIX) 
田舎道 (吉野金次MIX) 

2023年のレコードの日、11月3日にはアルバム はっぴいえんど、風街ろまん、HAPPY ENDがアナログ盤で発売された。
オリジナルマスターから最新カッティング、国内プレスでのリリース。
はっぴいえんど はクリアレッド盤、 風街ろまん は透明クリア盤と、それぞれカラーレコード盤でリリースされた。
HAPPY END は発売50周年記念として重量盤レコードで発売された。

 

 

 

 

 

 

SLAYER について その2

スレイヤーは1981年に結成された。

メンバーは、
トム・アラヤ(ヴォーカル ベース)
ケリー・キング(ギター)
ジェフ・ハンネマン(ギター)
デイヴ・ロンバード(ドラム)。

 

スレイヤーは結成当初、アイアン・メイデンジューダス・プリーストのカヴァーをしていた。
アイアン・メイデンのカヴァーをしていたのをメタル・ブレイド・レコードのブライアン・スレイゲルに見いだされた。
そしてブライアン・スレイゲルはメタル・ブレイドのコンピへの収録曲をスレイヤーに依頼した。
ちなみにメタル・ブレイドのコンピ、メタル・マサカーの第1弾にはメタリカのHit the Lightsが収録されていた。
1983年、メタル・ブレイドのコンピレーション・アルバム メタル・マサカー III にスレイヤーは Aggressive Perfector で参加した。

Aggressive Perfector
作詞・作曲 ジェフ・ハンネマン、ケリー・キング

そしてスレイヤーはメタル・ブレイドと契約した。

アルバム 
ショウ・ノー・マーシー

1983年12月リリース。
メタル・ブレイドはスレイヤーのアルバムの制作費用を出してくれなかったため、トム・アラヤの貯金とケリー・キングの父親からの借金で費用を用意したことで制作されたアルバム。
Evil Has No Boundaries、Show No Mercyはケリー・キングによる作曲。
Die by the Sword、Fight till Death、Tormentorはジェフ・ハンネマンによる作曲。
他はジェフ・ハンネマン、ケリー・キングによる作曲。

Black Magic
作詞 ケリー・キング
作曲 ジェフ・ハンネマン、ケリー・キング

The Anti-Christ
作詞 ジェフ・ハンネマン
作曲 ジェフ・ハンネマン、ケリー・キング

アルバムを発表後の翌1984年、スレイヤーはアメリカ国内をツアーする。
ツアーの成果でアルバム ショウ・ノー・マーシーの売り上げは2万枚に達した。
アメリカ国外でも2万枚以上、売り上げた。

個人的には2004年に発売された紙ジャケットではじめて聴いた。

EP 
ホーンティング・ザ・チャペル

1984年10月リリースのEP。
全3曲入り。
全曲、ジェフ・ハンネマン、ケリー・キングによる作曲。

A Chemical Warfare
B1 Captor of Sin
B2 Haunting The Chapel

Chemical Warfare
作詞・作曲 ジェフ・ハンネマン、ケリー・キング

これも個人的には2004年に出た紙ジャケットではじめて聴いた。

ミニライヴアルバム
ライヴ・アンデッド

1984年11月リリース。
7曲入りのライヴ・アルバム。
個人的には2004年に発売された紙ジャケCDではじめて購入した。

ケリー・キングはメガデスのツアーでギタリストを務めた。
一時的にケリー・キングがバンドを離れたことで、
ジェフ・ハンネマンは新しいギタリストを探すことを考えたという。

アルバム 
ヘル・アウェイツ

アルバム ショー・ノー・マーシーはメタル・ブレイドにとって当時、最も売れたレコードとなった。
ヘル・アウェイツではメタル・ブレイドが予算を確保して制作されたアルバムとなった。
Praise of Deathはケリー・キング・作曲。
Hell Awaits、Kill Again、Crypts of Eternity
ジェフ・ハンネマン、ケリー・キング・作曲。
他はジェフ・ハンネマン・作曲。

Hell Awaits
作詞 ケリー・キング
作曲 ジェフ・ハンネマン、ケリー・キング

At Dawn They Sleep
作詞 トム・アラヤ、ジェフ・ハンネマン、ケリー・キング
作曲 ジェフ・ハンネマン

個人的には中古盤を買って聴いた。
2004年に出た紙ジャケCDも購入した!

スレイヤー、エクソダス、ヴェノムは3バンドによる コンバット・ツアー を行った。
このツアーをきっかけとしてのちにジェフ・ハンネマン不在・死去の際にゲイリー・ホルトがスレイヤーでギターを弾いた。

1986年、スレイヤーはラッセル・シモンズとリック・ルービンのレーベル、デフ・ジャムに移籍した。

アルバム 
レイン・イン・ブラッド

1986年リリース。
プロデュースはリック・ルービン、スレイヤー。
10曲収録されたが、30分に満たないというアルバム。
Piece by Pieceはケリー・キング・作曲。
Necrophobic、Jesus Saves、Criminally Insane、Hannemanはジェフ・ハンネマン、ケリー・キング・作曲。
他はジェフ・ハンネマン・作曲。

Angel of Death
作詞・作曲 ジェフ・ハンネマン

Angel of Deathの間奏のギターのリフはパブリック・エネミーのShe Watch Channel Zero?!やKMFDMのGodlikeにサンプリングされた。
あとジョン・ゾーンもサンプリングしてたと思うのだけど?
そういえばデイヴ・ロンバードはジョン・ゾーンのアルバムでドラムを叩いたこともあった。
そのジョン・ゾーンを紹介したのはマイク・パットンで、デイヴ・ロンバードはマイク・パットンファントマスのメンバーでもあった。

Postmortem
作詞・作曲 ジェフ・ハンネマン

Raining Blood
作詞 ジェフ・ハンネマン、ケリー・キング
作曲 ジェフ・ハンネマン

1998年にリマスター盤としてExpanded Editionが発売された。
ボーナス・トラックとして Aggressive Perfector、Criminally Insane (remix) が追加収録された。

個人的にはCDを買ったときはまだ旧盤だった。
旧盤では10曲目のRaining Bloodのはじまりが間違っていた。
Raining Bloodのギターからはじまっていたもの。
リマスター盤を買って聴いたときに旧盤のトラックの位置が間違っていたことに気付いた。
それまではRaining Bloodはギターからはじまると思っていた。

シングル 
Postmortem

A1 Postmortem
A2 Criminally Insane (Remixed Version)
B Aggressive Perfector

スレイヤーはレス・ザン・ゼロのサウンドトラックにアイアンバタフライのカヴァー In-A-Gadda-Da-Vida を提供した。
レス・ザン・ゼロのサウンドトラックの収録曲の多くはリック・ルービンがプロデュース。
たぶんその縁の提供だと思う。
ちなみに他の曲はエアロスミスのRockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu、ロイ・オービソンのLife Fades Away ←なんとグレン・ダンジグとロイ・オービソンによる作曲!この後にダンジグが結成された。
、ポイズンのRock and Roll All Nite、グレン・ダンジグ・アンド・ザ・パワー・アンド・フューリー・オーケストラのYou and Me (Less than Zero)、バングルスの冬の散歩道 ← サイモン&ガーファンクルのカヴァー。これもリック・ルービンがプロデュース。これ、当時はシングル化されてヒットしていた。
ついでにバングルスって意外に提供された曲が多いのな。
ヒットした Manic Monday や Walk Like an Egyptian もそうだし。

アルバム 
サウス・オブ・ヘヴン

1988年リリース。
プロデュースはリック・ルービン、スレイヤー。
リック・ルービンはデフ・ジャムを離れてデフ・アメリカン・レコーディングスを設立。
スレイヤーもデフ・アメリカン・レコーディングスに移籍した。
Dissident Aggressorはジューダス・プリーストのカヴァー曲。
Silent Scream、Mandatory Suicide、Ghosts of Warはジェフ・ハンネマンとケリー・キング・作曲。
他はジェフ・ハンネマンが作曲。

South Of Heaven
作詞 トム・アラヤ
作曲 ジェフ・ハンネマン

Silent Scream
作詞 トム・アラヤ
作曲 ジェフ・ハンネマン、ケリー・キング

Behind the Crooked Cross
作詞・作曲 ジェフ・ハンネマン

Mandatory Suicide
作詞 トム・アラヤ
作曲 ジェフ・ハンネマン、ケリー・キング

Spill the Blood
作詞・作曲 ジェフ・ハンネマン

1998年にExpanded Edition(つまりリマスター盤)が発売された。

アルバム 
シーズンズ・イン・アビス

1990年リリース。
プロデュースはリック・ルービン、アンディ・ウォラス、スレイヤー。
Expendable Youth、Skeletons of Society、Temptationはケリー・キングによる作曲。
Hallowed Point、Born of Fireはジェフ・ハンネマン、ケリー・キングによる作曲。
他はジェフ・ハンネマンが作曲。

Seasons in The Abyss
作詞 トム・アラヤ
作曲 ジェフ・ハンネマン 

Dead Skin Mask
作詞 トム・アラヤ
作曲 ジェフ・ハンネマン 

Skeletons of Society
作詞・作曲 ケリー・キング

War Ensemble
作詞 トム・アラヤ、ジェフ・ハンネマン
作曲 ジェフ・ハンネマン

1998年にExpanded Edition(つまりリマスター盤)が発売された。

7インチ・シングル ピクチャー・ディスク 
Seasons in The Abyss

A1 Seasons In The Abyss
A2 Aggressive Perfector
B Seasons In The Abyss (Experimental Mix)

7インチ・シングル 
Seasons in The Abyss

A Seasons In The Abyss
B Aggressive Perfector

Spirit in Black

スレイヤーは、アンスラックスメガデスと共にクラッシュ・オブ・タイタンズ・ツアーで世界中を回った。

ライヴ・アルバム 
ディケイド・オブ・アグレッション

1991年リリース。
CD2枚組に全21曲を収録。
日本初回盤は全23曲収録されていた。
プロデュースはリック・ルービン。
スレイヤー活動10周年を記念してリリースされたらしい。

録音はディスク1は1991年7月のフロリダ、レイクランド公演、ディスク2は1991年3月のカリフォルニア、サンバーナーディーノのオレンジ・パビリオン公演、1990年10月のロンドン、ウェンブリー・アリーナ公演( ← メガデス、テスタメント、スイサイダル・テンデンシーズとのツアー、クラッシュ・オブ・ザ・タイタンズ の最終日)。

Hell Awaits 
(Lakeland Civic Center 1991)

あらためて収録曲をみるとジェフ・ハンネマンが単独で作曲した曲が多くて驚く。
ハンネマンとキングの共作もあるけど。
ディケイド・オブ・アグレッションの23曲入りのやつでもケリー・キング単独の曲は2曲だけ…。
スレイヤーの代表曲ってジェフ・ハンネマンがらみの曲だしなー。
でも、ケリー・キングは作詞でもがんばってるし、個人的にはケリー・キングの曲で好きな曲があるし。
それにケリー・キングって見た目やキャラが独特だもの。
ちなみにケリー・キングは、アルバム シーズンズ・イン・アビス 時にはもうハゲかけていた…。
1994年からスキンヘッドにしていたよう。

1992年、デイヴ・ロンバードがスレイヤーから脱退した。
新ドラマーにはポール・ボスタフが加入した。