THE POLICE について

以前にも記したかも知れないけど、私がイケメンだった中学三年生の頃、受験勉強のお供に深夜ラジオを聞くようになった。
いつものように受験勉強をしていたある日、ラジオでリアルタイムのヒットチャート曲がかかる音楽番組を聞いた。
その時にワム!のFreedomがかかった。
すっかりワム!のFreedomが気に入った私は歌詞を覚えて、同じくFreedomを気に入っていた友人と昼休みに一緒に歌っていた。
ワム!も二人組だったし。
それまでにも洋楽はビートルズのLet it beやイーグルスHotel Californiaとかデュラン・デュランのIs there something I should knowとかを耳にしたことがあったけど、リアルタイムにヒット曲ではワム!のFreedomがはじめて聴いた洋楽じゃないかなー。
それで高校生になった頃から洋楽を積極的に聴こう!と思った。
この頃は朝日放送でMTVが放送されていた。
土日の深夜に2時間ずつ放送されていたと記憶している。
その影響もあり、私はレンタルレコード屋さんの会員になってレコードをバンバン借りるようになったもの。
洋楽の情報を仕入れるためにFMラジオを聴くようになり、そのために週刊FMを買うようになった。
時々、FMステーションも買ったけど。
週刊FMで放送される予定を調べてエアチェックするというのが、私がイケメン高校生のときの楽しみのひとつあった。
クロスオーバーイレブンとかよくエアチェックしていたなー。
1985年は個人的には洋楽を聴きはじめた年。
スティングがアルバム ブルータートルの夢をリリースしていたから、そこからカットされたIf You Love Somebody Set Them Free、Love Is the Seventh Wave、Fortress Around Your Heart、RussiansのビデオなどもよくMTVで見ていた。
スティングの曲としては Fortress Around Your Heart が圧倒的に好き。
ちなみに発表時期が近くてモノクロフィルムのPVだったドン・ヘンリーのThe Boys of Summer、Mr.ミスター のBroken Wingsも好き。
Mr.ミスターは曲としてKyrieよりもBroken Wingsのが好き。
そういえばPVが当時のアニメCGだったダイアー・ストレイツのMoney for Nothingにはスティングが参加していた。
Money for Nothingは好きだったから、一応Don't Stand So Close to Meのフレーズも聴いていたことになるのかな?

1986年にはポリスのDon't Stand So Close to Me '86がリリースされた。
洋楽を聴くようになったのはほぼ1985年だったから、それ以前に活動していたポリスを知ったのは
Don't Stand So Close to Me '86 以降。
Don't Stand So Close to Me '86のPVを監督したのはゴドリー&クレイムだった。
この曲、スチュワート・コープランドはレコーディング時には足を骨折したためにドラムを叩いていなくて自らリズムマシンで打ち込んだそう。
ポリスのEvery Breath You Takeはラジオでよくエアプレイされていたからよく耳にするようになったと思う。

ポリスのメンバーは、

・スチュワート・コープランド ドラム
・スティング ヴォーカル ベース
・アンディ・サマーズ ギター

スチュワート・コープランド
1952年7月16日生まれ。
アメリカのヴァージニア州アレクサンドリア出身。
ポリスの他のふたりはイギリス人だけど、この人はアメリカ人。
12歳でドラムをはじめ、その後ロンドンでドラムを学び、大学はカリフォルニア州の大学に通った。
イギリスでカーヴド・エアのツアーマネージャーを務めた。
そのツアーの後にカーヴド・エアからドラマーが脱退したのでスチュワート・コープランドがドラマーとして加入した。
1976年12月の解散までの二枚のアルバム(ミッドナイト・ワイアー と エアボーン)でドラムを叩いていて、この二枚のアルバムはスチュワート・コープランドの実兄、マイルス・コープランドの設立した BTMよりリリースされた。
ちなみにカーヴド・エアはその後も再結成しているけど、スチュワート・コープランドは参加していない。
スチュワート・コープランドがラスト・イグジットのスティングを見たのは、カーヴド・エアのツアーの最中の1976年9月25日だった。

スチュワート・コープランドはローリング・ストーン誌の歴史上最も偉大な100人のドラマーで2010年には第7位、2016年には10位。

スチュワート・コープランドの実兄、マイルス・コープランドは1970年代はじめにウィッシュボーン・アッシュ、アル・スチュワートなどを手掛けるマネージメント会社を設立している。
その他にもBTM、イリーガル・レコード、I.R.S.レコードといったレーベルも設立している。
イギリスではポリスはイリーガル・レコードからデビュー・シングルをリリースしたし、アメリカではI.R.S.レコードからアルバムやシングルをリリースされていた。
I.R.S.は初期R.E.M.が在籍したレコードレーベルで知られると思う。
マイルス・コープランドはポリスのマネージャーも務めた。

スティング。
1951年10月2日生まれ。
イギリスのウォールセンド出身。
本名はゴードン・マシュー・トーマス・サムナー。
実家は牛乳屋さんで、スティングは父親を手伝って牛乳の配達をしていたという。
その牛乳屋さんはスティングの弟が継いだとか。
スティングははじめはギターを弾いていたが、すぐにベースを弾くようになり、地元のジャズ・バンドで演奏するようになった。
蜂を連想させる黒と黄の縞の上着を好んでよく着用していたことからスティング(針で刺すの意)と呼ばれるようになった。

大学卒業後には小学生の美術教師を務めていた。
その頃のスティングはニューカッスル・ビッグ・バンドにベーシストとして参加していて、そのバンドは1972年にはアルバム Newcastle Big Band をリリースしている。
それがスティングがはじめて参加したレコーディングだった。
1974年にジャズ・フュージョン・バンド ラスト・イグジットを結成し、ボーカルとベースを務めた。
1976年9月25日、ラスト・イグジットでスティングがローカル大学で演奏していたのをスチュワート・コープランドが見た。
ラスト・エグジットはヴァージン・レコードのリチャード・ブランソンが興味を持ったが、スティングとだけ契約した。
スティングに不利な契約だったらしく、後にこの契約はスティングとヴァージンの間で裁判闘争が行われることになるのだけど。

スチュワート・コープランドはロンドンに来ることがあったら、と電話番号を書いた紙を渡した。
スチュワート・コープランドはこの時はカーヴド・エアに在籍していたが、スティングを説得してロンドンへ出てくるように言った。
ロンドンへ出てきたスティングは公衆電話からスチュワート・コープランドと連絡をとった。
1977年、スティングはスチュワート・コープランド、ヘンリー(アンリ)・パドゥバーニと共にバンド ポリスを結成した。

アンディ・サマーズ。
1942年12月31日生まれ。
スティングやスチュワート・コープランドより10歳近く年上。
アルバム シンクロニシティー発売時点で41歳だった。
アンディ・サマーズはジミ・ヘンドリックスともロンドンで何度も会っていたことがある。
ちなみにジミ・ヘンドリックスが同じ1942年生まれ、キース・リチャーズが1943年生まれ、ジェフ・ベックが1944年生まれ、エリック・クラプトンが1945年生まれ。

アンディ・サマーズはリバプール北部のブラックプールで生まれたが、生後まもなく南イングランドボーンマスに移住した。
アンディ・サマーズは楽器店で働いていたことがあり、そこへはロバート・フリップ(こちらもボーンマス出身。)が客として来ていた。
ちなみにロバート・フリップは1946年生まれ。
アンディ・サマーズはディナーショーなどでギターの演奏をしていて、ロンドンへ移るときにはその仕事の後釜にはロバート・フリップが次いだ。
アンディ・サマーズとロバート・フリップはコラボレート・アルバムを制作したことがある。
1982年のアルバム 心象表現(原題 I Advance Masked)と1984年のアルバム 擬制の映像(原題 Bewitched)。

アンディ・サマーズは10代はじめから数々のバンドに掛け持ちで参加していた。
1964年、18歳の時にロンドンへ転出してズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドに、1967年にはサイケデリック・バンド、ダンタリアンズ・チャリオットに、1968年にソフト・マシーンに参加した。
ソフト・マシーンは6週間のアメリカ・ツアーを行うが、はじめの3週間が終わってロバート・ワイアットから、ケヴィン・エアーズがキーボード・バンドとして活動していくのでグループを辞めて欲しい、と言われて短期間の在籍で脱退している。
エリック・バードン&ジ・アニマルズ(アニマルズが1966年に解散して、そのヴォーカリストのエリック・バードンがサンフランシスコで結成したバンド。)のギタリストが解雇されていると耳にしたアンディ・サマーズは1968年にその後任ギタリストとなり、アルバム ラヴ・イズ に参加している。
エリック・バードン&ジ・アニマルズは日本公演時のトラブル(バンドとプロモーターでトラブルが起きてしまい、バンドは機材を日本に置いたまま帰国した。アンディ・サマーズは自分の機材、とりわけレスポール・ジュニアを失ったことは後々まで悔やんだという。)があり、その後エリック・バードン&ジ・アニマルズは解散してしまった。
このこともあってアンディ・サマーズは音楽活動を休止して、カリフォルニアの大学でクラシック・ギターを学び、のちにイギリスへと戻った。
帰国後には様々なアーティストとのセッションをこなした。
例えばニール・セダカのステージでギタリストを務めた。
その仕事はマイケル・ジャイルズからもたらされたもの。
ちなみにアンディ・サマーズとマイケル・ジャイルズは同じボーイスカウトに所属していたという縁があった。

1976年、マイク・オールドフィールドのチューブラー・ベルズを編曲したジ・オーケストラル・チューブラー・ベルズのコンサートが行われた。
デヴィッド・ベッドフォードの指揮するニューカッスル交響楽団のオーケストラによる演奏で、ギタリストにはマイク・オールドフィールドに代わってアンディ・サマーズが参加した。
ジ・オーケストラル・チューブラー・ベルズのコンサートの休憩時間にはスティングが在籍したラスト・イグジットが演奏した。
この2週間後、ケヴィン・エアーズのバンドのメンバーとしてアンディ・サマーズが参加した。
アンディ・サマーズはこの時、宿泊したホテルでカーヴド・エアに在籍していたスチュワート・コープランドと出会っている。

1977年1月、元ゴングのメンバーのマイク・ハウレットからスティングとスチュワート・コープランドにゴングの再結成コンサートがあり、その中でゴングのメンバーが各々の新しいバンドで演奏する、という企画を知らされた。
マイク・ハウレットの新バンドにはスティング、スチュワート・コープランド、そして別に誘われたアンディ・サマーズが参加した。
ストロンチウム90というジャズ・ロック・グループだった。
5月にはゴングの再結成コンサートが行われ、ストロンチウム90も演奏した。
ロンドンに戻ってからもストロンチウム90はジ・エレベーターズと名を変えて活動したが、スティングとスチュワート・コープランドはポリスの活動を再開したので、エレベーターズは短命に終わった。
トリチウム90は1996年にアルバム ポリス・アカデミーとして1997年2月のセッション音源と5月のパリでのライヴ音源まとめたものがリリースされた。
この時の音源には後にポリスで使われた曲の原型を聴くことができる。
Visions Of The Nightはポリスで1977年に再レコーディングされ、3 O’Clock Shotの一部はBe My GirlとO My Godに使用された。
Every Little Thing She Dose is Magicもこの時期に作られていて、1981年にポリスが完成させたのと曲構成が異なっている。

アンディ・サマーズはスティングとスチュワート・コープランドとの演奏を充実していたと感じ、ケヴィン・エアーズのバンドでの活動を物足りなく思っていた。

シングル
Fall Out

1977年5月リリース。
作詞・作曲・プロデュースはスチュワート・コープランド
マイルス・コープランドのイリーガル・レコードからリリースした。


 
カップリング曲はNothing Achieving。
作詞・作曲はスチュワート・コープランドとイアン・コープランド
ごく初期のポリスのジャケットや写真はスチュワート・コープランドがメンバーの真ん中、あるいは単独で写されていたりしたと思う。
アルバム 白いレガッタからはスティングが中心になることが多くなったけど。

シングル Fall Outは1979年にジャケットが変更されて再リリースされた。

Fall Outはボックスセット メッセージ・イン・ア・ボックス~ポリス・ヒストリーと2007年のベスト盤 グレイテスト・ヒッツ (原題 The Police) に収録された。
個人的にはボックスセット メッセージ・イン・ア・ボックス~ポリス・ヒストリーではじめて聴いた。

1977年7月、アンディ・サマーズはポリスのライヴ活動に参加。
やがてヘンリー・パドゥバーニがポリスを脱退した。
1977年10月、ポリスはツアーの合い間にミュンヘンでのエバルト・シェイナーのレコーディングに参加した。
これはアンディ・サマーズの勧めでスティングとスチュワート・コープランドも参加している。
このときの録音はVideo Magic、Video Flashbackという作品に収録され、後にこの二枚は纏められて
1987年に 創世記 のタイトルでリリースされた。

ヘンリー・パドゥバーニ。
フランス出身。
初期ポリスはアメリカ人とイギリス人とフランス人によるバンドだったわけだ。
ポリスにはアンディ・サマーズが加わり、一時期は4人によるバンドだったが、ヘンリー(アンリ)・パドゥバーニが脱退。
ヘンリー(アンリ)・パドゥバーニはその後、Wayne County and the Electric Chairsに参加し、1980年には自らのバンド The Flying Padovani's を結成した。
The Flying Padovani'sは2枚のアルバムをリリースした。
ヘンリー・パドゥバーニは2006年にはフジ・ロック・フェスティバルに出演した。
同年10月にも来日公演を行っている。
2007年にポリスのリユニオン・ツアーのパリ公演に
Next to Youで参加した。

ポリスにはギタリスト、アンディ・サマーズが加わった。
しばらくは4人編成のバンドだったが、ヘンリー・パドゥバーニが脱退したので、ポリスはスチュワート・コープランド、スティング、アンディ・サマーズの3人によるバンドとなった。
ポリスの初期はパンク・バンドであったが、元アニマルズがいるバンドということでパンクの連中からは嫌われたという。
1977年10月、ポリスのツアーの合い間にミュンヘンでのエバルト・シェイナーのレコーディングに参加。
これはアンディ・サマーズの勧めでスティングとスチュワート・コープランドも参加している。
このときの録音はVideo Magic、Video Flashbackという作品に収録され、後にこの二枚は纏められ1987年に 創世記 のタイトルでリリースとなった。

シングル
Roxanne

1678年4月リリース。
ポリスは1977年秋にライヴを行うためにフランス、パリに行った。
パリでスティングはホテルのある裏通りにいた娼婦たちの様子をじっと見ていたことがある。
ポリスのライヴはチケットが売れなかったためにキャンセルとなった。
イギリスに戻り、スティングの嫁がしばらくアイルランドに戻ることがあったので、アンディ・サマーズがスティングを自分のアパートに寝泊まりするように誘ったことがあった。
ある晩、アンディ・サマーズはスティングがいる居間の方からギターの音とともにロクサーヌ~♪と歌う声を聞いた。
その時はジャズっぽいボサノヴァの曲だったが、スチュワート・コープランドのドラム、アンディ・サマーズのギターのアレンジでRoxanneは変わっていった。
Roxanneは完成し、スタジオでマイルズ・コープランドが聴いた。
マイルズ・コープランドは当初、ポリスには全く期待していなくて、しぶしぶ弟のスチュワートに付き合うという感じだったらしい。
Roxanneを聴いたマイルズ・コープランドはすぐにヒットすることを確信したという。
マイルズ・コープランドはすぐにA&Mと契約した。
ちなみにA&Mはポリスと契約する直前にはセックス・ピストルズと契約したが、オフィスの騒乱後には契約を解除している。
ピストルズに懲りたA&Mはもっとちゃんとしたバンドと契約しようと思っていたらしく、そこへ現れたのがポリスだったらしい。

シングル Fall Outはインディーズ・リリースだったが、以後はA&Mからリリースされた。
実際に発売されるとRoxanneはBBCで放送禁止になり、Roxanneはヒットしなかった。

カップリング曲はPeanutsで、スティングとスチュワート・スチュワート・コープランドの共作。
Peanutsはアルバム アウトランドス・ダムールにも収録された。

シングル
Can't Stand Losing You

1978年8月リリース。
ジャケットは首に縄をかけて氷の上に立つスチュワート・コープランド
そのジャケットのため、Can't Stand Losing YouはBBCでRoxanneに続いて放送禁止となったけど。

A&Mは当初、ポリスのファースト・アルバムを夏にリリースするつもりだったが、シングル Roxanne の売り上げがよくなかったために様子見のためにもう一枚シングル、つまりCan't Stand Losing Youをリリースした。
Can't Stand Losing YouはUKチャートの42位にランクインしてバンドメンバーは喜んだという。
A&Mも延期されたファースト・アルバムのリリースを秋にすると決めた。

カップリング曲はDead End Job。
スティングが歌詞を書き、曲はスチュワート・コープランドが書いた。

ポリスは1978年10月、BBCのOld Grey Whistle Testに出演。
このOld Grey Whistle Testの出演時にスティングがサングラスをかけていたのは当日の本番前に誤ってヘアスプレーを目に噴射してしまったため。
幸いにもスタジオの隣が眼科だったためにすぐに治療はできたが、目が真っ赤になったという。
Can't Stand Losing YouとNext To Youの演奏中の本番ではサングラスが落ちそうになったりしたので、不自然でないように瞬時に上を向いたりしていた。
スティングはこの時を人生で最も長かった10分間と語っている。
このことでスティングは意気消沈したのだけど、このパフォーマンスで翌日からポリスは全英中で注目されることになったのだけど。
評価を受けてたポリスはCan’t Stand Losing You がマイナー・ヒットを記録した。

ポリスはマイルス・コープランドからアメリカ・ツアーをしようと提案された。
ちなみにこの時、アメリカではポリスのレコードはまだ発売されていなかった。
10月20日ケネディ空港へ着いたあと、そのままライヴ会場のCBGBへと向かった。
ポリスはドアもない楽屋で着替えた。
客席は1/3しか埋まっていなかった。
この時のポリスは持ち曲が6曲しかなかった。
ステージを終えて汗びっしょりで楽屋に戻ると、ドアもない楽屋にポリスのステージを見て興奮した観客が入ってきたりした。
ポリスのステージは観客から歓迎されたのだ。

ニューヨーク州にあるポキプシーという町でライヴを行った。
ステージには客が4人。
スティングはステージから客4人を前に呼び寄せてそれぞれの名前を聞いた。
そのステージでポリスはアンコールにつぐアンコールで盛り上がった。
ライヴが終わると客4人はバックステージにも来たという。
計5回に及ぶアンコールで盛り上がった客4人のなかには地元の放送局のDJがいた。
その翌日からローカル放送局の電波に乗ってRoxanneが流れた。
ポリスのツアーはアメリ東海岸でライヴが続いた。
ライヴの売り上げはそのままその翌日の食費となっていた。
宿泊はモーテルあるいは知り合いや音楽ファンの部屋に泊めてもらったという。
ボストンではポリスの音楽を気に入ったDJがいて、1時間に1回、Roxanneをかけていた。
そのせいもあってボストンで行われた4日間のライヴは売り切れとなった。
アメリカでと翌1979年にシングルとアルバムがリリースされることが決まった、

アルバム
アウトランドス・ダムール
Outlandos d'Amour

1978年11月リリース。
サリー・サウンド・スタジオで1978年1月~3月にレコーディングされた。
Peanutsは作詞・作曲 スティング、スチュワート・コープランド
Be My Girl—Sallyは作詞・作曲 スティング、アンディ・サマーズ。
他の曲は作詞・作曲 スティング。

マイルズ・コープランドはアルバムを聴いて特にRoxanneを気に入った。
マイルズ・コープランドA&Mに持ち込み、A&Mが気に入ったので以後はポリスの楽曲はA&Mからリリースされた。

シングル
So lonely

1978年11月リリース。

カップリング曲は No Time This Time。 
アルバム 白いレガッタ にも収録された。

シングル So Lonelyは1980年に再リリースされた。
ポリスは1980年2月に初来日公演を行ったが、その時に東京都営地下鉄浅草線の地下鉄車内や駅構内でPVが撮影された。
電車からメンバーが降りる時にはマイルス・コープランドの後ろ姿も確認できる。
PVには香港で撮影された映像も混合されて使用されている。
スチュアート・コープランドがスティックでいろいろ叩いているシーンは香港で撮影されている。

1979年4月にはシングル Roxanneが、6月にはシングル Can't Stand Losing Youが再リリースされた。
それぞれプラチナ・ディスク、シルバー・ディスクとヒットした。
アルバム アウトランドス・ダムール も売り上げが上昇した。

シングル
Message in a Bottle

1979年9月リリース。

カップリング曲はLandlord。
スティングとスチュワート・コープランドによる共作。

アルバム
白いレガッタ
Reggatta de Blanc

1979年10月リリース。
サリー・サウンド・スタジオで1979年2月~8月にレコーディングされた。
レコーディング中にポリスの人気が上昇し、このアルバムはリリースされるとイギリスで1位を4週間獲得した。

The Police Around the World Tour
ポリスは1980年3月から初のワールドツアーを行った。
白いレガッタ発売前よりはじまり、1981年1月~2月には日本公演も行われた。

シングル
Walking on the Moon

1979年11月リリース。

シングルはエディットされていて、このシングル・ヴァージョンはCD化されたことはない。

カップリング曲はVisions of the Night。

THE POLICE
REGGATTA DE BLANC TOUR
Hammersmith Palais, London, UK
1979年12月18日

1. Intro
2. Next to You
3. So Lonely
4. Walking on the Moon
5. Hole in My Life
6. Deathwish
7. Truth Hits Everybody
8. Fall Out
9. Bring on the Night
10. Visions of the Night
11. The Bed's Too Big Without You
12. Peanuts
13. Roxanne
14. Can't Stand Losing You
15. Message in a Bottle
16. Landlord
17. Born in the 50's

シングル
Bring On the Night

1980年1月、アメリカでリリースされた。

カップリング曲はVisions of the Night。

シングル
The Bed's Too Big Without You

1980年5月、イギリスでリリースされた。

カップリング曲はTruth Hits Everybody (live)。

シングル
Don't Stand So Close to Me

1980年9月リリース。
日本語タイトルは 高校教師 。
スティングが高校の教育実習生の体験をもとに制作された。

カップリング曲はUKではFriendsで、アメリカではA Sermon。

Friends

A Sermon

アルバム
ゼニヤッタ・モンダッタ
Zenyatta Mondatta

1980年10月リリース。
前作にはまだ少しはパンクっぽさが残っていたが、このアルバムではほぼ消えた。

Behind My Camelはインスト曲。

Behind My Camelはアルバム ゼニヤッタ・モンダッタ の曲数が足りなかったためにアンディ・サマーズが書いた曲。
スティングはBehind My Camelを嫌ってベースを弾くことを拒否したため、アンディ・サマーズがベースを弾いた。
ある日、そのテープがテーブルの上にあるのを見つけたスティングは、そのテープをスタジオの裏の庭に埋めようとしたという。
けれど、Behind My Camelは1982年のグラミー賞においてベスト・ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス部門の最優秀賞を獲得した。

シングル
De Do Do Do, De Da Da Da

1980年10月にアメリカ盤が、12月にUK盤がリリースされた。

カップリング曲はアメリカ盤がFriends、UK盤がA Sermon。
つまりシングル Don't Stand So Close to Meのアメリカ盤とUK盤時のカップリング曲を入れ替えた感じ。

De Do Do Do, De Da Da Daのスペイン語ヴァージョンにB面は日本語ヴァージョンというシングルもリリースされた。
日本語歌詞は湯川れい子が担当した。
欧米盤のジャケットには「日本語で」「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」「ポリス」という日本語も。
来日公演盤としてリリースされた日本盤シングルはA面にDe Do Do Do, De Da Da Daの日本語ヴァージョン、B面にBehind My Camel。
日本盤シングルのジャケットは単にアルバム Zenyatta Mondatta のジャケット写真を使用して「来日記念盤」「日本語歌詞」「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」という文字がかぶせられただけ…。

Zenyatta Mondatta Tour。
 (1980–1981)

シングル
Invisible Sun

1981年9月リリース。
北アイルランド紛争をテーマにして書かれた曲でPVはbutで放送禁止になった。

カップリング曲はShambelle。

Shambelle

アルバム
ゴースト・イン・ザ・マシーン
Ghost in the Machine

1981年10月リリース。
プロデュースはポリス、ヒュー・パジャム
AIRスタジオ・モンスラットにて録音された。

ポリスのGhost in the Machine Tour。
1981年10月1日、西ドイツから1982年9月6日、ラス・クルーセスのパン・アメリカン・センター公演まで行われた。
日本公演はなし…。

シングル
Every Little Thing She Does Is Magic

1981年10月リリース。

カップリング曲はFlexible Strategies。

Flexible Strategies

シングル
Spirits in the Material World

1981年12月リリース。

カップリング曲はUK盤はLow Life。
アメリカ盤はFlexible Strategies。

Low Life

VHS / Laser Disc
アラウンド・ザ・ワールド
Around the World 

1982年リリース。
ビデオテープ、レーザーディスクVHDで発売された。
1980~1981年のワールド・ツアーの模様を捉えたロードムービー
世界各地でのライヴの映像やオフステージの模様も収録されている。
日本、香港、オーストラリア、インド、エジプト、ギリシャ、南米、フランス、そしてアメリカ。

京都では相撲部屋を訪れ、アンディがふんどし一丁で力士と勝負、惨敗して振り回される場面も…

シングル
Secret Journey

1982年4月、アメリカにてリリース。

カップリング曲はDarkness。
アルバム ゴースト・イン・ザ・マシーン収録曲。

シングル
Every Breath You Take

1983年5月リリース。
スティングが1982年にジャマイカにあるイアン・フレミング(ジェームズ・ボンド・シリーズの著者)の別荘、ゴールデン・アイに滞在していたときに閃いたという曲。
夜中に起きてビアノの前で30分ほど演奏して出来上がった。 
レコーディングではアンディ・サマーズが印象的なギターのフレーズを思いついた。
歌詞はラブソングではなく、悪意を持って監視している、という内容。

ポリスにとって唯一の全米シングル1位獲得曲。
年間ランキングでも1位。
ちなみに2位はマイケル・ジャクソンのBilly Jeanで、3位はアイリーン・キャラのFlashdance... What a Feeling。
映画フラッシュダンスの主題歌。
1984年のグラミー賞で最優秀楽曲賞、最優秀楽曲賞と最優秀ポップ・デュオ/グループ(ヴォーカル入り)を獲得した。
スティングは2019年のアルバム マイ・ソングスで再録音している。

カップリング曲は、Murder by Numbers。

アルバム
シンクロニシティ
Synchronicity

1983年6月リリース。
プロデュースはポリス、ヒュー・パジャム

Murder by Numbersはもともとシングル Every Breath You TakeのB面曲。
アルバムシンクロニシティ のアナログ盤には未収録で、カセットテープおよびCDにボーナストラックとして収録された。

2003年にリマスターされた。

シングル
Wrapped Around Your Finger

1983年7月、UKにてリリース。

カップリング曲はUK盤はSomeone to Talk To。
アメリカ盤は"Tea in the Sahara (live)。

Someone to Talk To

UKでは12インチ・シングルでも発売された。

A1.Wrapped Around Your Finger
A2 Someone to Talk To
B1. Message in a Bottle (live) 
B2. I Burn for You

シングル
King of Pain

1983年8月リリース。

カップリング曲はアメリカ盤はSomeone to Talk To、UK盤は Tea in the Sahara" (Live)。

UK盤は12インチ・シングルでも発売された。
収録曲は7インチと同じ。

シングル
Synchronicity II

1983年10月リリース。

カップリング曲はOnce Upon a Daydream。

Once Upon a Daydream

シングル
Synchronicity I

1983年10月、日本でのみリリース。

カップリング曲

ポリスは1983年7月23日よりSYNCHRONICITY TOURを開始した。
ポリスは当初は1983年4月17日・18日に日本武道館公演が告知されていたがチケット発売前に中止となった。
1983年4月だとアルバム発売前だったし。
SYNCHRONICITY TOURでは結局、日本公演は行われなかった。
1984年3月にはニュージーランドやオーストラリアには来たのに。

THE POLICE
SYNCHRONICITY TOUR
Shea Stadium, New York City, NY
1983年8月18日

01. Voices Inside My Head
02. Synchronicity I
03. Synchronicity II
04. Walking In Your Footsteps
05. Message In A Bottle
06. Walking On The Moon
07. Oh my God
08. De Do Do Do De Da Da Da
09. Wrapped Around Your Finger
10. Tea In The Sahara
11. Spirits In The Material World
12. Hole In My Life
13. Invisible Sun
14. One world (Not Three)
15. King Of Pain
16. Every Breath You Take
17. Murder By Numbers
18. Don't Stand So Close To Me

アンコール
19. Roxanne
20. Can't Stand Losing You / Reggatta de Blanc / Can't Stand Losing You
21. So lonely

シェア・スタジアムはかつてビートルズがライヴをしたことがある場所。
ポリスがシェア・スタジアムで演奏した時、スティングは「今日がポリスのエベレストだ。」と思ったという。
つまりスティングはポリスの活動での最頂点と感じてこれ以上はないと。
これまでもスティングはポリスの
ちなみに2001年にリリースされたアウトドア・アドベンチャー・ドキュメンタリーのDVDシリーズ Expeditions(エクスペディションズ)の第1弾、Expeditions Vol.1 エベレスト 世界最高峰への道 ではスティングがナレーションを務めた。

ポリスは1984年2月28日のグラミー賞受賞式でEvery Breath You Takeで最優秀楽曲賞を受賞した。
1984年1月にポリスは活動休止を宣言した。
3月4日にはSYNCHRONICITY TOURが終了して活動休止した。

ビデオ
シンクロニシティ・コンサート
SYNCHRONICITY CONCERT

1984年リリース。
1983年11月2日・3日に行われたジョージア州アトランタでのライヴ映像を収録。
監督はゴドレイ&クレーム。
インタビューも収録。
このインタビューでスティングはポリスを抜けると語って解散するつもりだったようだが、公式にはポリスは活動休止となった。
2005年にDVD化され、Synchronicity II、Roxanne、Invisible Sun、Don't Stand So Close To Meの4曲がマルチ・アングルで追加収録された。

ポリスは1986年にアルバムをリリースするつもり再び3人か結集した。
だが、アルバム制作は進まず、その制作はスチュワート・コープランドが落馬して足を骨折したことで頓挫した。
結果として制作されたのはDon't Stand So Close to Me '86、De Do Do Do, De Da Da Da '86のみとなった。
当時はDon't Stand So Close to Me '86のみが発表された。

シングル
Don't Stand So Close to Me '86

1986年9月リリース。

結局、作品となったのはDon't Stand So Close to Me '86とDe Do Do Do, De Da Da Da '86のみ。
ここでのドラムはスチュワート・コープランドによる打ち込みが使用された。

De Do Do Do, De Da Da Da '86は2003年に再リリースされたポリス・ザ・クラシックス~見つめていたい (原題 Every Breath You Take: The Classics) のSACDハイブリッドの5.1chのみに収録された。

カップリング曲はDon't Stand So Close To Me (Live) 。
1983年、アトランタにて収録されたライヴ収録されライヴ音源。

Don't Stand So Close To Me '86 は12inchシングルでも発売された。

A1. Don't Stand So Close To Me '86 (Dance Mix)
A2. Don't Stand So Close To Me '86 
B1. Don't Stand So Close To Me (Original Version) 
B2. Don't Stand So Close To Me (Live) 

PVはゴドレイ&クレーム監督により1986年7月撮影された。
メンバーはそれぞれのスケジュールの都合で別個で撮影された。
ポリスはバンドとして活動を停止した。

ベスト盤
ポリス・ザ・シングルス ~ 見つめていたい
Every Breath You Take : The Singles

1986年10月リリース。
すべてシングル曲で全12曲収録。
(EU盤はSo Lonelyを加えた全13曲。)
Don't Stand So Close to Me '86も収められた。

このベスト盤は1995年にリニューアルされてポリス・ザ・シングルス ~ 見つめていたい +2 (原題は Every Breath You Take : The Classics)となり、収録曲やジャケットも変更された。
全14曲収録。
Don't Stand So Close To Me '86 の曲順が5曲目から13曲目になり、5曲目はオリジナルのDon't Stand So Close To Meが入った。
14曲目にはMessage in a Bottle (NEW CLASSIC ROCK MIX) が追加された。
2003年にはSACDハイブリッドで再発され、5.1ch層ではDe Do Do Do, De Da Da DaがDe Do Do Do, De Da Da Da '86に差し替えられた。

VHS
ザ・ビデオ!
EVERY BREATH YOU TAKE・THE VIDEOS

1996年リリース。
Roxanne ~Don't Stand So Close to Me '86までの全14曲のビデオクリップを収録。
薬品51分。

後にDVD化。
エヴリ・ブレス・ユー・テイク
(EVERY BREATH YOU TAKE・THE DVD)
としてタイトルとジャケットが変更された。
DVD化にともない以下が追加収録された。
・Can't Stand Losing You(Old Grey Whistle Test)
・Next To You(Old Grey Whistle Test)
・ポリス・イン・モンセラット (BBCのドキュメンタリー 47分くらい)
・Studies In Synchronicity (アルバム シンクロニシティ発表時のPR映像で4~5分くらい)が追加収録された。

ベスト盤
グレイテスト・ヒッツ
GREATEST HITS

1992年9月リリース。
全16曲を収録。

ボックス・セット
メッセージ・イン・ア・ボックス ~ ポリス・ヒストリー
Message in a Box : The Complete Recordings

1993年9月リリース。
(日本盤は1993年11月リリース。)
CD4枚組・全78曲を収録。
ポリスのアルバム5枚の全収録曲にシングルBサイド曲やライヴ音源24曲を収録したボックス・セット。

個人的にはこの手のおよそ発表された全曲+未発表曲を無理くりCD4~6枚組に入れ込むボックス・セットは他にもスティーリー・ダンザ・ジャムスタイル・カウンシルも所有している。

ライヴ・アルバム
ポリス・ライヴ
LIVE!

1995年5月リリース。
(日本盤は1995年6月リリース)。
CD2枚組。
プロデュースはアンディ・サマーズ。
ディスク1はアルバム 白いレガッタ が発売された翌月の1979年11月27日にボストン、オルフェウム・シアターにて行われたライヴを収録。
ディスク2はシンクロニシティー・コンサートより1983年11月13日・14日のジョージア州アトランタ、オムニ・コロシアムのライヴを収録。
(ちなみにオムニ・コロシアムは1997年に閉場されている。)
Roxanne、Can't Stand Losing You、So Lonelyはどちらのディスクでも演奏されていて、違いが楽しめる。

VHS
ヒストリー・オブ・ポリス・ライヴ!
Outlandos to Synchronicities – A History of The Police Live! 

1995年5月リリース。
国内では1995年6月にVHSとLDでリリースされた。
主にポリス初期からシンクロニシティ・コンサートのライヴ映像で、Next to you のOld Grey Whistle Test出演時の模様、インタビューなどが収録された。
スチュワート・コープランドが撮ったSuper-8の映像も。
84分収録。

1997年にはベスト・オブ・スティング&ポリスというベスト盤も発売された。
パフ・ダディのリミックスのRoxanne '97が入っていたやつ。
ロキシー・ミュージックのベスト盤にもブライアン・フェリーのソロ曲が入ったのがいくつかあるけど、個人的にはこういうの嫌い。
特にザ・ベスト・オブ・ジョージ・ハリスンとかな!
もちろんビートルズ時代の曲が収録されていたのは罪はないのだけど。
Bangla Deshなんかライブ・ヴァージョン以外ではアルバム リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールドの2014年リマスター盤が出るまでCDではザ・ベスト・オブ・ジョージ・ハリスンにしか入ってなかったもん!
ダイアー・ストレイツのMoney for Nothingとかは良いのだけど、パフ・ダディ feat. ジミー・ペイジの Come With Meとか嫌いだからな!
当時はジミー・ペイジ何しとるねん!と思ったもの。
思い出してしまったけど、インエクセスのベスト盤でNeed You Tonightのグウェン・ステファニーとのマッシュアップのやつとかいまだに許せんしな!
あと、ベスト・オブ・スティング&ポリスはDVD/VHSも出ていた。

2003年、ポリスはロックの殿堂入りを果たした。
授賞式ではポリスはRoxanne、Message in a Bottle、
Every Breath You Takeを演奏した。
Every Breath You Takeではグウェン・ステファニーエアロスミススティーヴン・タイラージョン・メイヤーも加わった。

2006年、アンディ・サマーズは著書 ONE TRAIN LATER を発表した。
日本語版は2007年12月にアンディ・サマーズ自伝 ポリス全調書 として発売された。
ポリス全調書とあるがポリスの記述があるのは後半のみ。
書かれた時期的にポリスのリユニオンについての記述はなかった。

2007年、ポリス、デビュー30周年。
ポリスは再結成を果たした。
第49回グラミー賞に出演し、その幕開けに Roxanne を演奏した。

ドキュメンタリー・フィルム ポリス・インサイド・アウト。
スチュアート・コープランドは8ミリカメラを手にいれて1978年から1983年までの間、ポリスを撮影していたフィルムが使用された。
メンバーであったからこそフィルムに収めることができた映像の数々で構成され、スチュアート・コープランド自身が監督を務めた。
日本では2007年3月31日から2週間限定で公開された。

ポリスはリユニオン・ツアーを開始し、2007年5月27日カナダのバンクーバーゼネラルモーターズ・プレイス(現・ロジャーズ・アリーナ)から2008年8月7日ニューヨーク、マディソン・スクエアガーデンまで行った。

2007年7月7日にはライブ・アースアメリカ会場のニュージャージージャイアンツ・スタジアムに出演。
大トリとしてDriven To Tears、Roxane、Can't Stand Losing You / Reggatta de Blanc、Message in a bottleを披露した。
Message in a bottleではジョン・メイヤーがギターで、カニエ・ウェストがラップで参加した。

DVD
ポリス・インサイド・アウト
EVERYONE STARES THE POLICE INSIDE OUT 

2007年5月リリース。

2019年4月にBlu-ray化された。
Blu-ray化で20分を超える特典映像と、アンディ・サマーズとスチュアート・コープランドによるコメンタリーが追加収録された。

ポリスはリユニオンツアーで日本に訪れ、2008年2月10日に京セラドーム大阪、13日・14日に東京ドームと計3公演が行われた。

THE POLICE
THE POLICE REUNION TOUR
東京ドーム
2008年2月13日・14日

1. Message in a Bottle
2. Synchronicity II
3. Walking On The Moon
4. Voices Inside My Head ~ When The World Is Running Down, You Make The Best Of What's Still Around
5. Don't Stand So Close to Me
6. Driven To Tears
7. Hole In My Life
8. Every Little Thing Sne Does is Magic
9. Wrapped Around Your Finger
10. De Do Do Do, De Da Da Da
11. Invisible Sun
12. Walking In Your Footsteps
13. Can't Stand Losing You ~ Reggatta de Blanc
14. Roxanne

アンコール1
15. King In Pain
16. So Lonely
17, Every Breath You Take
アンコール2
18 Next To You

ベスト盤
グレイテスト・ヒッツ
The Police

2007年6月リリース。
Fall Outを含むCD2枚組・全28曲を収録。
Fall Out以外は2003年リマスター音源を使用した。
UK盤にはThe Bed's Too Big Without YouとRehumanize Yourselfが追加収録された全30曲。

ポリスのリユニオンツアー2007年9月29日・30日のパリ公演のNext to Youでは元ポリスの初期メンバーのヘンリー・パドゥバーニが参加した。
2021年にはスティングはインタビューに応じ、ポリスのリユニオン・ツアーについて後悔していると語った。

DVD+CD
サーティファイアブル
Certifiable Live in Buenos Aires

2008年11月リリース。
2007年12月1・2日のアルゼンチンのブエノスアイレス公演を収録。
完全限定デラックス盤は2DVD+2CD仕様。
2枚目のDVDには特典映像 Better Than Therapyが収録とフォトギャラリーが収録された。
Better Than Therapyは50分のドキュメンタリーで、フォトギャラリーは二つ収録されていて、ひとつはアンディ・サマーズによるもの、もうひとつはダニー・クランチによるもの。

通常盤はライヴ本編の全曲DVD+ライヴ本編から14曲を抜粋したCDの1DVD+1CD仕様。
輸入盤ではBlu-ray+CD、3LP+MP3というのも発売された。
日本盤ではCD2枚組のみのライブ本編全19曲を収録したものも発売された。
このCDのみの仕様で発売されたのは日本盤だけと思う。

映画
ポリス / サヴァイヴィング・ザ・ポリス
CAN’T STAND LOSIING YOU / SURVIVING THE POLICE

2012年制作。
製作総指揮、アンディ・サマーズ。
監督 アンディ・グリーヴ、ローレン・レイジン。
アンディ・サマーズ の自伝 ポリス全調書 をベースに、未公開映像やライヴ・シーン、インタヴューなどを交えながら、ポリスの誕生、解散、そして再結成までを追ったドキュメンタリー。
インサイド・アウト がスチュワート・コープランド自らが撮ったポリスの1978年~1983年のスーパー8のフィルムを使用したドキュメンタリー映像だったが、こちらは当時の映像や2007年の再結成しその後のワールド・ツアーの映像、アンディ・サマーズの撮った写真が多数が使用された。
ナレーションもアンディ・サマーズ。
アンディ・サマーズの生い立ちとか自宅のシーン、自身の撮った写真が多様されていたあたりにやはりアンディ・サマーズによる映像。
2013年11月に日本の劇場で公開された。
上映時間、83分。

2016年11月にBlu-ray / DVD化された。

ボックスセット
エヴリ・ムーヴ・ユー・メイク: ザ・スタジオ・レコーディングス
Every Move You Make : The Studio Recordings

2018年11月リリース。
ポリス40周年記念として発売されたアナログ盤のボックス。
アウトランドス・ダム―ル から シンクロニシティーまでのアルバム5枚とアルバム未収録のシングルBサイド曲集のフレキシブル・ストラテジーズの6枚組。
フレキシブル・ストラテジーズにはMurder By Numbers、シングル Every Breath You Take のUK7インチ2枚組に収録されていたTruth Hits Everybody (Remix)など全12曲が収められた。

2019年11月にはCD BOX盤がリリースされた。
CD6枚はデジパック仕様。
全曲、2018年リマスターが使用された。

アルバム未収録のシングルBサイド曲集のフレキシブル・ストラテジーズは2021年には単品でもリリースされた。

Blu-ray+CD / DVD+CD
アラウンド・ザ・ワールド(レストア&エクスパンデッド)
AROUND THE WORLD RESTORED & EXPANDED

2022年5月リリース。
1979年から1980年にポリスが初めて行ったワールド・ツアーのドキュメンタリー。
1982年にビデオで発売されていたが、Blu-ray/DVD
化にあたり映像はレストアされオーディオもリマスターされた。
日本、香港、オーストラリア、インド、エジプト、ギリシャ、フランス、南米、アメリカでのライヴ・シーン、各地の名所を訪れたバンドの姿を収録。
Blu-ray+CDあるいはDVD+CDという仕様で、ドキュメンタリーの京都、ハマースミス、香港での完全演奏された映像がボーナスとして4曲がフィーチャーされ、CDでは11曲が完全演奏されているものを収録。

輸入盤ではDVD+LPでも発売された。
ビデオ・LD・VHDでも発売時期によって使用されたジャケット写真は異なるが、Blu-ray / DVD化でジャケット写真が一新された。
DVD+LPはジャケ写がさらに異なっていて、こっちのジャケが一番カッコいいと思う。
アンディ・サマーズのライナーノーツ付き。