加藤和彦 について その1

プロデューサー。
音楽界では90年代にはプロデューサー、例えば小室哲哉佐久間正英などがいた。
90年代末にはさらに伊秩弘将の名前が当たり前に知れ渡っていたと思う。
日本の音楽界においてもプロデューサーという存在はもはや当たり前になったわけだ。
個人的には音楽のプロデューサーはプロデュースした音楽を一般に届けるための人だと思っている。
小室哲哉の場合は一般に届ける音楽、楽曲そのものも自ら創るから、一般的なプロデュースとは異なると思っているのだけど。
仮に音楽プロデュースを料理に例えるとすると、料理人が包丁でトントンと肉や野菜を切っていてプロデューサーはその背後で見守っている、というイメージ。
小室哲哉の場合は肉や野菜も自ら切っていて、他には人はいない…というイメージ。
個人的にははじめてプロデューサーというのを意識したのは、TM NETWORKのアルバムでProduced by 小室哲哉ってのを見てからだと思う。
Produced by 小室哲哉TM NETWORKではデビュー・アルバム RAINBOW RAINBOW からだったもの。
小室哲哉はTMのメンバーでもあったから、プロデューサー???とか思っていたかも。
YMOは初期にはProduced by ハリー・ホソノ、中期には細野晴臣+YMO、後期にはY.M.O.と変わっていったけど、YMOのプロデュースは基本、細野晴臣だったと思っている。
日本ではプロデューサーのクレジットとかなかった頃もあったが、実質的に日本のポップ・ミュージック初期からの音楽プロデューサーとしては 加藤和彦 の名をあげたい。
PAだって加藤和彦が私費で作ったPA会社ギンガムが日本ではじめてだった。
日本でコンサートとか当たり前に開かれるようになったのは 加藤和彦 の存在が大きかったのかもしれない。 
ちなみに同時期に 成毛滋PAを私費で購入していたという。

ザ・フォーククルセダーズ
帰って来たヨッパライ
作詞 フォーク・パロディ・ギャング(松山猛北山修
作曲 加藤和彦

1967年にフォーク・クルセダーズの自主制作レコードのアルバム ハレンチ に収録され、この曲がラジオで取りあげられるようになった。
この状況に各レコード会社からプロデビューを持ち掛けられる。
ハレンチはフォークルの解散記念として制作されていて、フォークルはその後に解散していた。
加藤和彦はプロデビューという話に反対したようだが、北山修の説得に「1年だけなら」と応じた。
加藤和彦北山修に、はしだのりひこを加えてフォークルは再結成されてプロデビューすることに。
帰って来たヨッパライはミリオンセラーになり、280万枚以上売り上げたという。
フォークルはアルバム 紀元貮阡年 を発表し、1968年10月には約束通りに解散した。

アニメ はじめ人間ギャートルズ
私が幼稚園だか小学校に通い出した頃に放送していたテレビまんが。
時代的にはまだ「アニメ」ではなく「テレビまんが」とか呼称していた頃だったと思う。
ギャートルズ園山俊二 によるまんがで、テレビまんが版は はじめ人間ギャートルズ と題された。
はじめ人間ギャートルズのオープニング曲は はじめ人間ギャートルズ、エンディング曲は やつらの足音のバラード。
ちなみに作曲者はいずれも かまやつひろし
90年代になって かまやつひろし 自身が歌った やつらの足音のバラード がシングルCDで発売された。
個人的にはCD店で見つけた時に買った。
シングルCD、いわゆる短冊とか呼ばれたやつですな。
シングルCDって私も時代的にそれなりに購入した。
ところで、はじめ人間ギャートルズ の第7話Bパートでフォーク・クルセダーズ帰って来たヨッパライ が使用された。
すごく印象的だったからなんとなく覚えているのだけど、その回で 帰って来たヨッパライ をはじめて聴いたと思う。
それにしても帰って来たヨッパライって普通に歌った曲ではなくてボーカルをテープ早回しした曲なんだよな、これ。

ドクター・ケスラー
メケ・メケ

作詞 シャルル・アズナブール 丸山明宏 
作曲 ジルベール・ベコー 
編曲 ドクター・ケスラー

1981年にリリースされた スネークマンショー のアルバム 急いで口で吸え。
個人的にはYMOを聴くようになった1990年頃に聴いていた。
YMO関係で聴くべきアルバムとして 急いで口で吸え と 死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対! がカップリングされた2枚組のCDを買った。
中でもDr.ケスラーによるカヴァー曲 メケ・メケはお気に入りのひとつだった。
Dr.ケスラーは加藤和彦の変名。
バックの演奏はムーンライダーズ
メケ・メケのオリジナルは1954年にフランスのジョー・ダッサンが歌ったシャンソン
1957年には丸山明宏(美輪明宏)が日本語でカバーしていた。

1989年には桐島かれんをヴォーカルにサディスティック・ミカ・バンドが再結成された。
夜中にテレビでライブの模様が流されてビデオに撮っていたのだけど、特に どんたく が好きでよく見ていた。
後からアルバム 天晴 を買ったもの。
⬇こちらはオリジナルのどんたく。

ミカ・バンドの再結成の後の1993年にはYMOが再生したのも気になる。
サディスティック・ユーミン・バンドのときには同時に はっぴいえんど も再結成したしな。
イベント ALL TOGETHER NOW
サディスティック・ユーミン・バンドには 加藤和彦高中正義高橋幸宏後藤次利 に、 坂本龍一松任谷由実 が参加していた。
この日のセットリストが興味深い。
ミカ・バンドがらみでは タイムマシンにお願い くらいであとはそれぞれの持ち曲って感じだけど、 小田和正財津和夫 も加えて 今だから も演奏していた。
今だから は発売して間もない頃だったし、坂本龍一高橋幸宏後藤次利高中正義はレコーディングした面子でもあった。
はっぴいえんど のステージはミニアルバム THE HAPPY END として当時、LP・CTで発売された。
後には2004年のボックス・セット はっぴいえんどBOX にてCD化された。

加藤和彦 は1947年3月生まれ。
細野晴臣 は同年7月生まれ。
加藤和彦細野晴臣の両者のデビューした時期も近い。
それぞれのグループ、フォーク・クルセダーズエイプリル・フール ではフォーク・クルセダーズ のがデビュー時期は早い。

サディスティック・ミカ・バンド は英国盤が発売され、ロキシー・ミュージックのオープニング・アクトとして英国ツアーを行った。
YMOの海外デビューや海外公演はこの数年後。
YMOが英国で注目されたのも、ミカ・バンドにいた
 高橋幸宏 の存在も大きかったかもしれない。
細野晴臣はミカ・バンドでベースを弾いたこともある。

ベッツィ&クリス
白い色は恋人の色

作詞 北山修
作曲 加藤和彦

アメリカ人女性デュオのベッツィ&クリスによるヒット・シングル。
1969年に発売され、1970年のオリコン年間ヒットチャートでは第11位にランクインした。
2002年のザ・フォーク・クルセダーズのアルバム 戦争と平和 において セルフ・カヴァーされた。

アンドレ・カンドレ
花にさえ鳥にさえ
作詞 松山猛
作曲 加藤和彦

アンドレ・カンドレ、1970年10月1日発売のサード・シングル。
AB面とも作詞 松山猛、作曲 加藤和彦による曲。
アンドレ・カンドレ。つまり 井上陽水 ですよ。
アンドレ・カンドレは三枚のシングルを発売したが、その後に 井上陽水 として再デビューしたわけだ。

ジ・オフ・コース
夜明けを告げに
作詞 山川啓介
作曲 加藤和彦

オフコースってデビューは1970年。
そうか、けっこうキャリアあったのだな。
オフコースの最初のシングル2枚まではジ・オフ・コースという名義だった。
それからシングル10枚目まではオフ・コース名義でそれ以降はオフコースとなった。
アルバムではJUNKTIONからオフコース名義。
初期のシングル3枚は提供曲を歌っていた。
ファースト・アルバム 僕の贈りもの では自作曲のみで、提供曲はない。
…というか個人的にはオフコースが提供曲を歌っていたことはまったく知らなかったのだけど。

ちなみにB面は美しい世界 IF YOU REALLY LOVE ME で、作詞・作曲 小田和正

よしだたくろう
アルバム 人間なんて

加藤和彦吉田拓郎(当時は よしだたくろう)。
1971年に 吉田拓郎 がラジオでフォーク・シンガーのドノバンに触れて、「ドノヴァンの弾いてるギターの音って、本当にいい音してるよね」と発言した。
すると、一週間後に 加藤和彦 がやって来て ドノヴァン のギターと同じギブソンのJ-45 を吉田拓郎に譲ってくれたという。
その後、加藤和彦よしだたくろう のアルバム 人間なんて の一部でディレクター、アレンジャーを務めた。
ちなみにプロデュースは よしだたくろう 自身がクレジットされた。
実際には 加藤和彦 はプロデューサーとしてスタジオ・ワークを仕切り、吉田拓郎 はレコーディングのノウハウを学んだという。
結婚しようよ はシングル・リリースもされて大ヒットした。
結婚しようよ には 松任谷正隆 も参加していた。
松任谷正隆にとって実質的に初仕事だった。

泉谷しげる
春夏秋冬
作詞・作曲 泉谷しげる

加藤和彦泉谷しげる のアルバム 春夏秋冬 の編曲を務めた。
シングル 春夏秋冬 ではライブ音源が使用された。

泉谷しげる 
アルバム 光と影。

このアルバム、ジャケットがいくつか種類があり、収録曲も異なっている。
このアルバムにはサディスティック・ミカ・バンド加藤和彦高中正義小原礼高橋幸宏が参加した。

かまやつひろし
アルバム あゝ、我が良き友よ

加藤和彦はサンフランシスコを提供。
歩け歩け は吉田拓郎が作詞・作曲、加藤和彦は編曲を担当。
吉田拓郎による 我が良き友よ、他の作曲も細野晴臣大瀧詠一井上陽水南こうせつ遠藤賢司と並ぶ。
すごいな、この面子。
もちろん かまやつひろし 自身の作曲も2曲ある。
2曲のうち1曲は ゴロワーズを吸ったことがあるかい 。

ルージュ
アルバム ベスト・オブ・ルージュ

プロデュース、加藤和彦
ルージュがいくつかのレコード会社から選んだのは加藤和彦がいたからという理由だったという。
ギタリストの逆井修(逆井治)はその後、イミテーションを経て PINK に加入した逆井オサム。

泉谷しげる 
アルバム '80のバラッド。
プロデュース ・編曲 加藤和彦
全9曲 収録で、1曲を除いて全曲 作詞・作曲 泉谷しげる
遠い生活 は作詞 泉谷しげる 作曲 加藤和彦

泉谷しげる 
アルバム 都会のランナー。

プロデュース・編曲を加藤和彦が担当。
全8曲のうち6曲は 作詞・作曲 泉谷しげる
残る2曲は、君の心を眠らせないで 作詞 維持宮しげる 作曲 吉田 建、泉谷しげる、ゆらぐ街 作詞 泉谷しげる 作曲 加藤和彦
俺の女 がシングルカットされた。

高橋ユキヒロ
LA ROSA
作詞 高橋ユキヒロ
作曲 加藤和彦

加藤和彦高橋ユキヒロ のアルバム Saravah! に LA ROSA を提供。

岡崎友紀
ドゥー・ユー・リメンバー・ミー
作詞 安井かずみ
作曲 加藤和彦

この曲はヒットしたし、後にはけっこういろいろな人にカヴァーされた。

加藤和彦
だいじょうぶマイ・フレンド
作詞 安井かずみ
作曲 加藤和彦

加藤和彦は  原作および監督・村上龍 の映画 だいじょうぶマイ・フレンド の音楽監督を務めた。
テレビでもCMが大量に流されて主題歌 だいじょうぶマイ・フレンド をよく耳にしたので覚えている。
主題歌 だいじょうぶマイ・フレンドは 
加藤和彦のシングルのほか、出演者の広田玲央名乃生佳之渡辺裕之のそれぞれボーカルのシングルと計4種類が発売された。

竹内まりや
戻っておいで・私の時間
作詞 安井かずみ
作曲 加藤和彦

竹内まりやのデビュー曲。
同時にリリースされたファースト・アルバム BEGINNING にも収録された。
アルバム BEGINNING には おかしな二人 (作詞 松山猛 作曲 加藤和彦)も。

竹内まりや
ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風~
作詞 竜真知子
作曲 加藤和彦

竹内まりや の2枚目のシングルで、セカンド・アルバム UNIVERSITY STREET にも収録。
編曲は 山下達郎

竹内まりや
不思議なピーチパイ
作詞 安井かずみ
作曲 加藤和彦

竹内まりや の4枚目のシングル。
資生堂のCMソングとして使用され、 竹内まりや の初のヒット曲となった。
この曲で 竹内まりやザ・ベストテンにも出演した。
竹内まりや はその後は自ら作詞・作曲を手掛け、曲を提供する側になっている。
河合奈保子 の けんかをやめて 中山美穂色・ホワイトブレンド 中森明菜 の 駅 広末涼子MajiでKoiする5秒前 などなど。

竹内まりや ってけっこう前からシンガー・ソングライターの代表的なひとり、だったと思うのだけど、デビューから数年は提供曲を歌っていたわけだ。

宮本典子
SILVER RAIN
作詞 安井かずみ
作曲 加藤和彦

宮本典子の通算4作目のアルバム ニュー・ロマンスはミュンヘンで録音された。
加藤和彦がプロデュース。
編曲を1曲除いて 加藤和彦清水信之で担当。
(残る1曲は 加藤和彦岡田徹 による。)
収録曲のうち 愛は24 Hours(トウェンティー・フォー)、ニュー・ロマンス、SILVER RAIN は加藤和彦が作曲。
OVER THE RAINBOW/WIZARD OF OZ はカバー曲。
ほかは清水信之高橋幸宏岡田徹大貫妙子などが作曲。
ディスコアレンジ。
宮本典子は単身で渡米し、その後のmimiとして活動の話とかスゴイと思う。

IMITATION
アルバム ORIGINAL

今井裕が結成したバンド、IMITATION。
ファースト・アルバムを加藤和彦がプロデュースした。

伊藤つかさ
アルバム つかさ
全11トラック中、1トラックは伊藤つかさによる朗読。
加藤和彦は1曲を作曲。
作曲は南こうせつ井上大輔、水越けい子、天野滋、梅垣達志、伊藤薫という面子。

伊藤つかさ
アルバム さよなら こんにちは 

おしゃべり4トラックを含む全15トラックを収録。
曲は全11曲で、そのうち2曲を加藤和彦が作曲。
夕暮れ物語 は 先行シングル。
アルバム未収録のB面曲 リボン飾りのX'マス・プレゼントも加藤和彦が作曲。
他の作曲は坂本龍一高橋幸宏大貫妙子(2曲)、矢野顕子(2曲)、原由子竹内まりや伊藤つかさ自身。
というかこのアルバム、面子的にスゴイな。

伊藤つかさ
ミニアルバム ふしぎの国のつかさ
収録曲全7曲を加藤和彦が作曲。

加藤和彦が関わったのはここまでだけど、伊藤つかさのアルバムは全7作。
最後まで作曲の面子とかスゴイので驚く。  
Holland Roseって誰?と思ったら、佐野元春 の変名とか!
 

沢田聖子
卒業
作詞 三浦徳子
作曲 加藤和彦

アルバム卒業の先行リリースされたシングルでタイトル曲。
沢田聖子の代表作だと思う。

沢田聖子
あなたへのバースディ・カード
作詞 安井かずみ
作曲 加藤和彦

卒業 に続くシングル。
B面は ひとりぼっちの昼下り 。
こちらも作詞・作曲もA面と同じ。

武田久美子
噂になってもいい
作詞 来生えつこ
作曲 加藤和彦

近藤真彦の主演映画 ハイティーン・ブギ のヒロインを演じた 武田久美子
その後の主演ドラマの主題歌で歌手デビューした。
デビュー曲がこれ。
ファースト・アルバム クミコミニケーション には 噂になってもいい と共に収録されたのが、林檎が落ちた日。

武田久美子
林檎が落ちた日 
作詞 松井五郎
作曲 加藤和彦

松田優作薬師丸ひろ子が主演した映画 探偵物語 の音楽を加藤和彦が担当した。
編曲は清水信之
劇中で秋川リサが そうよMambo を歌っていたが、こちらも収録。
サントラには薬師丸ひろ子による主題歌とそのB面曲の すこしだけやさしく も収録された。
この2曲は大瀧詠一が作曲。

1973年に秋川リサは 私のレコード という曲を歌ったが、この曲のプロデュースは加藤和彦。(作曲は高橋信之。)
また、1977年に立木リサ(秋川リサ)&今野雄二による 気分を出してもう一度 の作曲を手掛けた。

飯島真理
愛・おぼえていますか
作詞 安井かずみ
作曲 加藤和彦

飯島真理シンガー・ソングライターだけど、デビュー前には声優として マクロスリン・ミンメイ の声を務めた。
1984年には 劇場版 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか が劇場公開された。
加藤和彦 は主題歌である 愛・おぼえていますか の作曲を手掛けた。
現在でも全マクロス・シリーズの楽曲のなかでも最上位に位置する曲のはず。
マクロス・シリーズでも何度もカバーされたけど、普通にカバーされている曲なんだなー。
飯島真理 は初期にはアニメ スプーンおばさん のオープニング/ エンディングを歌っていたし、2002年にはアニメ ギャラクシー・エンジェル のオープニング/エンディングを歌っていた。
エンディング曲 天使たちの休息 は作詞・作曲も担当していた。
2002年はマクロス20周年でもあり、ミニ・アルバムMari Iijima sings Lynn Minmay でミンメイ曲を歌い直している。
愛・おぼえていますか ももちろん再レコーディングされた。
新曲 Why? では歌・作詞・作曲 リン・ミンメイ
つまり 飯島真理

新居昭乃
約束
作詞 川村真澄
作曲 加藤和彦

劇場用アニメ ウインダリアの主題歌。
新居昭乃のデビュー曲。

 


カッリング曲は 美しい星 でこちらは作詞・作曲 新居昭乃
いずれの曲もファースト・アルバム 懐かしい未来 に収録された。
約束 以外は新居昭乃の作曲。
新居昭乃って自作曲の人というイメージがあるけど、けっこうアニメ曲を菅野よう子の曲とかで歌っている。

吉田拓郎加藤和彦
ジャスト・ア・RONIN 
作詞 安井かずみ
作曲 加藤和彦

武田鉄矢主演の映画 幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬 の劇中歌。
加藤和彦 はこの映画の音楽監督を務めた。

吉田拓郎のアルバム サマルカンド・ブルー。
加藤和彦がプロデュースし、全曲の作詞を安井かずみ が担当。
7曲を吉田拓郎が作曲、残りの3曲は加藤和彦が作曲。
タイトル曲(吉田拓郎・作曲)はのちにリタ・クーリッジにカヴァーされた。
リタ・クーリッジのアルバム Dancing with an Angel はほぼJ-POPカヴァー・アルバム。
日本とカナダでのみ発売され、歌詞は英語にされている。
オフコースの Endless Nights はもともと英語詞だったからそのまま歌われている。
個人的にもたそがれ よりも Endless Night のほうが好きでよく聴いていた。

小原礼
アルバム ピカレスク
小原礼のファースト・ソロ・アルバム。
加藤和彦はStill Runningでアコースティック・ギターで参加。
高橋幸宏高中正義もこのアルバムに参加。
このアルバムがミカ・バンド再結成のきっかけとなったらしい。
他の参加メンバーも興味深い。

高岡早紀
悲しみよこんにちは
作詩 真名杏樹
作曲・編曲 加藤和彦

アルバム サブリナでは10曲中7曲を加藤和彦が作曲

アルバム 楽園の雫
プロデュースを加藤和彦
全9曲中6曲を加藤和彦が作曲。
2曲で高橋幸宏が作曲・編曲。
ここまでの作詞は森雪之丞
残り1曲は 作詞 鈴木博文 作編曲 千住明

アルバム Romancero
全作詞を安井かずみ が担当。

全9曲中5曲を加藤和彦が作曲。
3曲の作曲・編曲を千住明
1曲は ブラームス弦楽六重奏曲第一番第二楽章 より。
編曲は千住明

アルバム S’Wonderful!
全9曲中3曲を加藤和彦が作曲。

吉田拓郎 加藤和彦
純情
作詞 阿久悠
作曲・編曲 加藤和彦

加藤和彦吉田拓郎とのデュエットでうたわれた曲。
ドラマ 織田信長 の主題歌として使用された。
カップリングの 5月の風 は作詞 吉田拓郎、作・編曲 加藤和彦加藤和彦 がボーカル担当。
吉田拓郎 は純情を2014年のアルバム AGAIN にてセルフ・カヴァーしている。

Wink
いつまでも好きでいたくて
作詞 秋元康
作曲 加藤和彦

Winkの20枚目のシングル。
この曲はアルバム overture! にも収録された。

西田ひかる
アルバム 24 two-four

加藤和彦がプロデュース。
先行シングル 私のNO.1〜You're the only one〜を含む4曲で作曲。

西田ひかる with 加藤和彦
メロディー
作詞 きたやまおさむ
作曲・編曲 加藤和彦

西田ひかるのアルバム 24 two-four 録音中にポンキッキーズから番組出演および挿入歌のオファーがあったということで書かれた曲。

細野晴臣
アルバム フィルハーモニー

YENレーベルの第1弾アルバムとして発売された。
細野晴臣YMO活動中はソロ・アルバムを作らないとか発言していたらしい。
このアルバムは1982年、YMOの活動がほぼない年にプライベートスタジオ LDKで制作され、サンプラー イミューレーターを購入して作られた。
加藤和彦は Sports Men において「throbbing」の声で参加している。

加藤和彦井筒和幸・監督の映画 パッチギ!の音楽を務めた。

パッチギ!の続編パッチギ!LOVE&PEACEの音楽を担当。
続編的作品だが、キャストは一新された。

パッチギ!はその後、舞台化され2009年12月に上演された。
舞台版でも加藤和彦は音楽を担当する予定だった。
舞台版の公演前に加藤和彦は死去したが、舞台版は加藤和彦の音楽は全編で使用され、加藤和彦の名前もそのままクレジットされた。