私 のはなし

1991年だと思う。
輸入盤店で、YMOのkyoretsu na rhythmを手に入れたのは。
(翌年にはジャケットを変えて日本盤が発売されていたのだ。)
今思うと、kyoretsu na rhythmはYMOの一連の作品を海外で発売するにあたり、その前振りだったのだろう。

1992年、私はアメリカに留学することになる。
という建前で、アメリカで好きなCDを買い集めることにしたのだ。
今思えば、アメリカでCDを買って日本へ送るお金を考えると、普通に日本でCD買うのと変わらない気かするのだが。
アメリカは意外にCDの価格だってそんなに安くないのだった。
まあ、たぶん300枚とか買ったと思う。

留学、というか正確には語学留学なんだけど、大学の敷地内にある施設に通っていたわけだ。
寮は大学の持ち物で、普通の向こうの学生と一緒に住んでいた。
確か一部屋に3つ部屋があって二人ずつ計6人が住んでいた。
隣の部屋にはキーボードのEOSを持っている学生がいて、ちょくちょく遊ばせてもらった。
寮には食堂があって、食べ物は好きに選べたし、そこの人に頼んだらサンドイッチとか作ってくれたんだよなー。

あと、その寮からCD店まで、ほんの数分の距離にあった。
だから、毎日のように通った覚えがある。
そこではライブのチケットも売っていて、数回、買ったりした。
サンフランシスコで行われるレッチリのライブのチケットを取ろうとしたのだが、その時ジョンフルシアンテ脱退(1回目)でチケット売ってなかったり。
ライブは、フェイスノーモア、そしてミニストリーを見た。
フェイスノーモアはカイアスともう一組(忘れた)。
ミニストリーはヘルメット、セパルトゥラとのライブで、スゴく楽しんでしまった。
この当時は、ライブとか確か10ドルくらいで見れたんだよ。

あとCD店の敷地内にレンタルビデオがあって、いろいろ借りて見た。(エッチなのは借りていない)
なんかの集まり用にAKIRAのビデオを借りた記憶がある。

当時、アニメとかまあまあアメリカでも見られてたし、どこかの本屋では、日本から輸入した月刊アニメ誌とか売られていた。
それなりの価格で。

あと、図書館に行けば日本の活字で小説とか読めたし、テレビのチャンネルによっては時間によって日本のニュース(日本語で)をやっていた。
今はどうか知らないが、語学留学って半分くらい日本人だったので、言葉では本当に困った覚えがない。

時々、サンフランシスコには訪れて、紀伊國屋書店に寄ったりしていた。
ある時、その紀伊國屋書店で音楽誌を見ていたら、YMOのCDボックス(テクノバイブル)が出るというのを知った。
実家に国際電話で電話して購入を頼んだりした。

まだ携帯電話とかない時代だったけど、今思うと自由で楽しかったと思う。

半年ちょいくらい、私はアメリカで過ごしていたのが、日本に帰る前にヨーロッパに行った。
確か、サンフランシスコに日本の旅行代理店があったと思う。
そこでチケットとか手配してもらって。
バルセロナ行きとロンドンからサンフランシスコまでのチケットを手配して、あとはバルセロナから好きに移動って感じで。
結果的に、バルセロナ数日、マドリッド数日、ミラノ2日、パリ5日、ロンドン20日近くという感じかなー。
のんびりと巡っていた。
美術館とか巡ってロンドンではとにかくCDを買って。
荷物というか戦利品をパリとロンドンから自宅に送ったり。
泊まったところは地球の歩き方で二番目で安いところを選んだり。
移動も都市間移動はともかく、街中では基本歩きで。

どこに行ってもCD店は必ず行っていた。
どこに行ってもYMOのCDとか、あるいは坂本龍一の日本盤のCDを売っているのを見た。
以前にも記したけど、ロンドンのタワーレコードではホッピー神山のCDを見たり。

で、今思うと留学して個人的に何が変わったかというと、聴く音楽にインダストリアルとかその周辺とかが増えただけという話。