なんかいろいろ その31

U2が9月29日、ラスベガスの新しいコンサートホールのスフィアでライヴを行った。
U2のライヴは4年ぶりとなる。
スフィアのグランドオープンがU2のコンサートとなった。
世界最大のこの球体には1万8000人が収容できる。
このライヴが開催されると発表された時、YouTubeでの告知映像を見たが、その時からアルバム アクトン・ベイビー の曲をやると告知されていた。
実際、今回のライヴではアルバム アクトン・ベイビー からは全曲演奏された。
スフィアでのライヴでアルバム アルバム アクトン・ベイビー の全曲演奏というのは2月には予告されていた。
さらに新曲、Atomic Cityも演奏された。
Atomic Cityは U2 がスフィアでライヴを行う一環としてリリースされたものらしい。

U2
Atomic City
作詞・作曲 U2、デボラ・ハリー、ジョルジオ・モロダー

プロデュースはジャックナイフ・リー、スティーヴ・リリーホワイト
Atomic CityのPVの頭ではほんの少しZoo Stationが流れる。
Atomic City自体はブロンディのCall Meのメロディが使われていて、作曲したデボラ・ハリー(デビー・ハリー)とジョルジオ・モロダーの名前もAtomic Cityの作曲者としてクレジットされている。
Atomic CityのPVにはドラムのラリー・マレン・ジュニアも出演した。
ラリー・マレン・ジュニアは手術後の回復に務めるとして今回のライヴには参加していない。
代わりにスフィアでのライヴはオランダ人ドラマーのブラム・ファン・デン・ベルフがドラムを叩いた。

オアシスのデビュー・アルバムが来年、30周年を迎える。
リアム・ギャラガーはノエルなしでも大規模なスタジオ・ツアーを行う予定だと言ったという。
ギターはボーンヘッドが参加してデビュー・アルバム Definitely Maybe 全曲とヒット曲を演奏するつもりらしい。
ボーンヘッドはオアシス初期から1999年まで在籍していた元メンバー。
リアムはソロで昨年、ネブワース・パークで2日間ライヴをやったしなー。
そのライヴ・アルバム ネブワース 22 は今年8月に発売されている。
ネブワース・パークはオアシスが1996年8月10日・11日と2日間、バンド史上最大規模の野外ライヴが行われた場所。
2011年になってネブワース1996としてBlu-ray、DVD、CD、アナログ盤が公式に発売された。
オアシスのネブワースは2000年代はじめに友人がブートで買っていたのを借りて聴いた。
確かCD2枚組の。
その後にはCD6枚組とか出ていたのを借りて聴いたと思う。

幻魔大戦角川映画では初となるアニメ映画。
1983年に公開され、監督はりんたろう、キャラクター・デザインを大友克洋が担当した。
幻魔大戦は当時としては緻密に描かれた画像で映像化されたと感じたが、5年後には大友克洋が自らのコミック AKIRA を監督して映像化したら、そっちのがスゴかった。
AKIRAは制作費10億円。

角川のアニメ映画 幻魔大戦キース・エマーソン青木望が音楽を制作した。
キース・エマーソンには当初から6曲の制作依頼があったが、まだ映像はなかった。
実際の映像は完成してから見ることが出来たよう。
なので音楽制作時には「映像とあうように」と願いながら制作していた。
キース・エマーソンが制作した6曲のなかには主題歌となる光の天使/CHILDEN OF THE LIGHTを含む。
光の天使はローズマリー・バトラーが歌唱した。
残りの6曲は青木望が担当。
鼓童 が演奏した太鼓を含む ハルマゲドン序曲、失われた惑星〜J.S.バッハ トッカータとフーガ ニ短調より〜の 編曲とかが印象的だった。

まだ月刊ニュータイプが創刊前、角川書店(2013年11月号からKADOKAWA)が発行した重戦機エルガイムのムックIとII。
月刊ニュータイプが創刊後にはIIIが発刊された。)
重戦機エルガイムのムックIIには、FSSの連載前というか フール・フォー・ザ・シティ 連載前に エルガイムと FSSの中間みたいな構想を元に描かれた永野護による10組の絵が載せられた。
それを見るとけっこうロジャー・ディーンっぽいところがある。
個人的には当時はロジャー・ディーンを知らなかったけど。
のちにバンド エイジア や イエス を通してロジャー・ディーンを知ったもの。
そういえば TM NETWORK の Major Turn-Round のロゴは ロジャー・ディーン が担当していた。

1984年のはなし。
ソニーのカセットテープのCM曲として制作された、
オーバーナイト・サクセス。
テリー・デサリオが歌った。

テリー・デサリオ
オーバーナイト・サクセス
作詞・作曲 ジョーイ・カーボーン 、リッチー・ズィトー 

テリー・デサリオのアルバム オーバーナイト・サクセス は制作したのは日本のソニー
普通に洋楽だと思ったのだけど、ソニーが制作して日本国内とオランダでしか発売されていない。
そうか、オーバーナイト・サクセスを普通の欧米人は知らないのか。

1985年のはなし。
G.I.オレンジはイギリス人のメンバーによるバンドだが、デビューしたのはここ日本だけだった。
サイキック・マジック はテレビCMなどでよく耳にしていた。
私がイケメン高校生だった頃、電車でたまたまとなりにいた人のウォークマンから音が漏れていて、 サイキック・マジック が聞こえたことがある。

サイキック・マジック
作詞・作曲 カール・ウィットワース

サイキック・マジックはほどなく廃盤となった。
それから時が流れ、2012年にG.I.オレンジは再結成!
2014年にはアルバム サイキック・マジック が再発された。
その再発盤には新曲2曲が追加収録された。
2015年には来日公演が行われた。
その後はメンバーはソロ活動などしていたようだ。
再発された サイキック・マジックは現在、また廃盤である。

そういえばオジー・オズボーンでギターを弾いていたランディ・ローズ
飛行機の墜落事故で亡くなった人だけど、オジー・オズボーンのギタリストとして有名になった。
ランディ・ローズが在籍していた クワイエット・ライオット もデビューしたのはここ日本だけだった。

ランディ・ローズが亡くなった後にクワイエット・ライオットは再結成してアメリカで成功を収めた。
その後のクワイエット・ライオットの動向を追うと
悲惨な感じなんだけど。
ランディ在籍時のクワイエット・ライオットのアルバム2枚はアメリカではいまだ未発表なんだな。

1985年のはなし。
日本ではCMソングとして使われた Angel 07 がヒットした。

ヒューバート・カー
Angel 07 
作詞・作曲 Hubert Kemmler, Timothy Touchton

もともとドイツ語で歌われた Engel 07 が英語の歌詞で再レコーディングされた。
その再レコーディングされたのが日本でもCMソングとして使われた Angel 07 。
ところでヒューバート・カーってドイツ出身の3人組のバンドだったんだ!
しかも、21世紀に入っても活動していたとは!
ヴォーカルのヒューバート・ケムラー一人になったけど。
うつ病や病気などで活動が中断したりしたが、その後復活したらしい。
ところでAngel 07、プロデュースはマイケル(ミヒャエル)・クレトゥ。
のちのエニグマの人ですよ!
エニグマはReturn To Innocenceが大好きだったな。

ここから1993年のはなし。

エニグマ
Return To Innocence
作詞・作曲 Michael Cretu、Kuo Ying-nan、Kuo Hsiu-chu

ドラムはレッド・ツェッペリン の When The Levee Breaks のサンプリング。
そしてこの曲では印象派な郭英男の 老人飲酒歌 がサンプリングされて使用された。

1996年にはアトランタ・オリンピックのテーマソングとして使用された。
それまでサンプリングされた 老人飲酒歌 のアミ族の郭英男(Difang / Kuo Ying-nan / Kuo Hsiu-chu)の名前はクレジットされていなかった。
エニグマ、EMI、IOC国際オリンピック委員会)を相手に裁判となり、結果として作曲者として郭英男のクレジットが掲載され、和解金が支払われた。

郭英男は農業生活を営みつつ、台湾南東部のアミ族馬蘭社の頭目
そして歌手だった。
郭英男は1998年、ディープ・フォレストのダン・ラックスマンのプロデュースでアルバム CIRCLE OF LIFE を発表した。
なんと78歳で初のアルバムですよ!
その後もアルバム AMIS,、アルバム Across The Yellow Earth を発表した。
郭英男は2002年に81歳で亡くなっている。
没後には2枚組ベスト盤 The World of Difang 、未発表音源を収録した Difangの歌声~Voice of Life DifangがCD+DVD仕様で発売された。
Difangの歌声~Voice of Life Difang には最後にアレンジされたものが2曲収録されたが、あれは要らなかったと思う。

1987年のはなし。
これもCMソングだった。

Black
Wonderful Life
作詞・作曲 コリン・ヴァーンコム

Blackの本名はコリン・ヴァーンコム。
2016年に亡くなっている。
交通事故に巻き込まれて昏睡し、その2週間後に亡くなった。
享年53。
合掌。

2003年には face to ace がアルバム SONGS MAKE MY DAY で Wonderful Life をカバーしている。

あ、そうそう。
前回の デペッシュ・モード について その2 で意味も無く記したバルティモラのターザン・ボーイ も。
バルティモラのデビュー・ソングですよ。
ちなみに1984年に発表。
英米では1985年にヒットした。
日本では1986年にヒットした。
バルティモラは

ジミー・マクシェイン (ボーカル)
マウリツィオ・バッシ (キーボード、ボーカル)
ジョルジョ・コチロヴォ (リード・ギター)
クラウディオ・バツァーリ (ベース)
ガブリエレ・メロッティ (ドラム)

というメンバー。
実際にヴォーカルを担当していたのは マウリツィオ・バッシ だという。
バルティモラの楽曲のほとんどはマウリツィオ・バッシとネイミー・ハケットによる楽曲。

バルティモラ
ターザン・ボーイ
作詞・作曲 マウリツィオ・バッシ 、ネイミー・ハケット

バルティモラは解散したが、1993年には ミュータント・ニンジャ・タートルズ3サウンドトラックに収められて、再び注目された。
そのことでターザン・ボーイは再録音されてリリースされた。
なお、1995年にはジミー・マクシェインが亡くなっている。