もともとドイツ語で歌われた Engel 07 が英語の歌詞で再レコーディングされた。 その再レコーディングされたのが日本でもCMソングとして使われた Angel 07 。 ところでヒューバート・カーってドイツ出身の3人組のバンドだったんだ! しかも、21世紀に入っても活動していたとは! ヴォーカルのヒューバート・ケムラー一人になったけど。 うつ病や病気などで活動が中断したりしたが、その後復活したらしい。 ところでAngel 07、プロデュースはマイケル(ミヒャエル)・クレトゥ。 のちのエニグマの人ですよ! エニグマはReturn To Innocenceが大好きだったな。
ここから1993年のはなし。
エニグマ Return To Innocence 作詞・作曲 Michael Cretu、Kuo Ying-nan、Kuo Hsiu-chu
ドラムはレッド・ツェッペリン の When The Levee Breaks のサンプリング。 そしてこの曲では印象派な郭英男の 老人飲酒歌 がサンプリングされて使用された。
1996年にはアトランタ・オリンピックのテーマソングとして使用された。 それまでサンプリングされた 老人飲酒歌 のアミ族の郭英男(Difang / Kuo Ying-nan / Kuo Hsiu-chu)の名前はクレジットされていなかった。 エニグマ、EMI、IOC(国際オリンピック委員会)を相手に裁判となり、結果として作曲者として郭英男のクレジットが掲載され、和解金が支払われた。
郭英男は農業生活を営みつつ、台湾南東部のアミ族馬蘭社の頭目。 そして歌手だった。 郭英男は1998年、ディープ・フォレストのダン・ラックスマンのプロデュースでアルバム CIRCLE OF LIFE を発表した。 なんと78歳で初のアルバムですよ! その後もアルバム AMIS,、アルバム Across The Yellow Earth を発表した。 郭英男は2002年に81歳で亡くなっている。 没後には2枚組ベスト盤 The World of Difang 、未発表音源を収録した Difangの歌声~Voice of Life DifangがCD+DVD仕様で発売された。 Difangの歌声~Voice of Life Difang には最後にアレンジされたものが2曲収録されたが、あれは要らなかったと思う。
同じく1981年、雑誌 FlexiPopに付いたソノシートにデペッシュ・モードのSometimes I Wish I Was Deadが収録された。 A面にはデペッシュ・モードの Sometimes I Wish I Was Dead 、B面にはファッド・ガジェットの King of the Flies。 Sometimes I Wish I Was Dead はその後、再録されて アルバム Speak & Spell に収録された。 タイトルは I Sometimes Wish I Was Dead と変更された。 Sometimes I Wish I Was DeadのFlexiPop収録バージョンは2020年に12インチ・シングルで再発したボックスセット Speak & Spell | The 12" Singles のソノシートとして復刻された。 復刻されたソノシートのB面にはもちろんファッド・ガジェットのKing of the Flies。 デペッシュ・モードのYouTubeにもSpeak & Spell | The 12" Singles があって、Sometimes I Wish I Was Dead(FlexiPop! Mix)も聴ける。
でも、流石にKing of the Fliesはなかった。 ファッド・ガジェットのYouTubeは公式にあるが、 King of the Fliesはない…。 ファッド・ガジェットだって所属はミュート・レコードなんだよな。
1983年1月にリリースされた7枚目のシングル。 このシングルからアラン・ワイルダーが正式加入。 カップリング曲のThe Great Outdoors!の作曲はマーティン・ゴア、アラン・ワイルダーによる共作。 同年にはアルバム コンストラクション・タイム・アゲイン がリリースされたが、Get the Balance Right!はアルバムには未収録。 1984年に北米のみでリリースされたベスト盤 People Are People、1985年にリリースされたベスト盤 シングルズ 81→85 の1998年の再発盤に収録された。
カップリング曲はThe Great Outdoors!。 12インチ・シングルにはTora! Tora! Tora!" (Live, recorded 25 October 1982 at Hammersmith Odeon in London)も収録された。
1984年9月リリース。 プロデュースはダニエル・ミラー、デペッシュ・モード、ガレス・ジョーンズ。 If You Wantはアラン・ワイルダーが作曲。 他は全曲マーティン・ゴアが作曲。 It Doesn't Matter、Somebodyはマーティン・ゴアによるヴォーカル。 Something to Do、People Are People、Blasphemous Rumoursはデイヴ・ガーンとマーティン・ゴアがヴォーカル。
Something to Do
Something to Do、好きでよく聴いていた。
2006年にはCollectors Editionをリリース。 CD+DVD仕様。
Blasphemous Rumours / Somebody
1984年10月リリースの両A面シングル。 Somebody はリミックス・ヴァージョンが収録された。 7インチ・シングル、12インチ・シングルにはEverything Counts、Told You So、Ice MachineやTwo Minute Warning、Somebodyのそれぞれのライヴ・ヴァージョンが収められたものも。
アリス・イン・チェインズ。 ジェリー・カントレルはレイン・ステイリーがヴォーカルを務めていたAlice N' Chainsというバンドを見た。 その数ヶ月後にはジェリーとレインはパーティーで知り合った。 その頃、ジェリー・カントレルには住むところがなかったので、レイン・ステイリーがミュージック・バンク に誘い、一緒に住むようになったらしい。 約1年間は一緒に住んでいたという。 Alice N' Chainsが解散し、レイン・ステイリーが加入したバンドがギタリストを探していた。 レイン・ステイリーがジェリー・カントレルを誘ったところ、逆にレイン・ステイリーがジェリー・カントレルのバンドへの加入と引き換えにして決まったという。 レイン・ステイリーのバンドはすぐに解散し、ジェリー・カントレルのバンド一本となる。 ジェリー・カントレルのバンドにはすでにショーン・キニー、マイク・スターがいた。 まだ名前がなかったこのバンドにはダイアモンド・ライと名付けられたが、その後はレインのもといたバンドAlice N' Chainsを名乗った。 (レインは元バンドメンバーにAlice N' Chainsのバンド名使用の許可を得ていた) その後にはアリス・イン・チェインズと改名した。そしてアリス・イン・チェインズはメジャーでデビューするに至る。
アリス・イン・チェインズは1990年にEP We Die Young でデビューした。 デイヴ・ジャーデンによるプロデュース。
リードトラック We Die Young はすぐにヒットした。 ちなみにこのEPは15,000枚限定発売ですぐに売れ切れた。 2022年にはレコードストアデイでリリースされた。 またすぐに売れ切れたけど…。 We Die Young のヒットにより、アリス・イン・チェインズはアルバム フェイスリフト の制作をレーベルから急かされたらしい。 アリス・イン・チェインズのファースト・アルバムは、まずジャケットに使用したいと思う写真があり、その写真にあうタイトルを考えたという。 え? あの写真…。
アルバム フェイスリフト
プロデュースはデイヴ・ジャーデン。 フェイスリフトの売り上げは発売数ヶ月はあまりよくなかったが、その後シングル Man in the Box、 Sea of Sorrowがヒットする。
1996年、バンドは MTV Unplugged に出演した。 セカンドギターにスコット・オルソンを迎え5人組のアリス・イン・チェインズとしてアコースティックで演奏した。 Killer Is Me はこの時に披露された新曲。 観客にはメタリカのメンバーがいて、 Sludge Factory の前にはEnter Sadmanの一部が。 また、Angry Chair の前にはメタリカのBatteryのイントロを弾いている。 MTV UnpluggedはVHS、DVD、CDで発売された。 2007年にはCD/DVDというパッケージで発売され、未公開映像も収録された。
MTV UnpluggedからはOver Nowがシングルカットされた。 スタジオ・ヴァージョンのOver Nowが好きなんだけど、その後にはOver Nowがベスト盤などに収録される時には必ずMTV Unpluggedのヴァージョンが使われるように…。 ちょっと悲しい。
高橋幸宏のEMI期のベスト盤が発売される。 THE BEST OF YUKIHIRO TAKAHASHI [EMI YEARS 1988-2013]。 CD2枚組。 選曲は鈴木慶一で、マスタリングは砂原良徳。 発売日は2023年11月15日。 収録曲はまだ決まっていないっぽい。 さらにEMI期のソロアルバム13作品は砂原良徳による2023年リマスターが12月から順次発売される予定だという。
高橋幸宏のベスト盤は2009年にアルファ期とEMI期のが同時に発売された。 Turning The Pages Of Life ALFA Years 1981-1985とTurning The Pages Of Life EMI Years 1988-1996というの。 それぞれCD2枚組だった。 その後、2021年にはアルファ期のベスト盤 GRAND ESPOIR がリリースされた。 CD2枚組。 選曲とマスタリングは砂原良徳が担当。 ちょっぴり音楽殺人から選曲されてたし、ディスク2は主に他のアーティストへの提供曲だった。 そういえばこの時はまだ高橋幸宏はコメントとか発表していたな…。
セルフカヴァー・アルバムの Hurts of heartやライブ盤とか再発して欲しいな。 Hurts of heartは1曲だけ(当時の)新曲 君といる があるし。 コンシピオ時代のライブ盤 RUN AFTER YOU とか。 この時大村憲司が参加した最後の幸宏のツアーだったし、Stay Closeではスティーブ・ジャンセン、故・青木達之、高橋幸宏のトリプルドラムが聴けたり。
あと、colors ~best of yt cover tracks vol.1~と colors ~best of yt cover tracks vol.2~。 幸宏によるカヴァー曲を集めたCDだけど、このアルバム用に新たにカヴァーした曲が計6曲あった。 これも再発して欲しいなー。
4CDデラックス・エディションにはリマスターしたCD1・CD2に、CD3は別ヴァージョンとエクストラBサイドを収めた10曲入り。 CD4は1987年9月12日にカリフォルニア州アーバイン・メドウズで行われた未発表ライヴ・アルバム Live from Irvine Meadows が収録される。 Live from Irvine Meadows はサブスタンス1987 の並びそのままに発表順に行われたライブ。 TemptationとConfusionも新録バージョンで演奏していた。
X.Y.Z.→Aのシングル(ミニアルバム?) A MILLION CARATS で聴くことが出来る。 ちなみにこのシングルでは 筋肉少女帯 のイワンのバカのカヴァーのライヴ音源も聴ける。 カヴァーといってもX.Y.Z.→Aには爆風スランプのメンバー、筋肉少女帯のメンバーがいるからカヴァー曲というのもなー。
アルバム よい は1985年にCD化され、CDでは うわさになりたい と 無理だ!決定盤〜YOU CAN NOT DO THAT〜 がボーナス・トラックで追加収録さ れた。 2013年にはリマスター盤がSony Music Shop限定で発売された。 リマスター盤はアルバム よい から Jungle までの4枚が発売されている。
2011年にはファンキー末吉プロデュースの爆風スランプトリビュートアルバム We Love Bakufu-Slump が発売された。 のちに新たに参加者が増え、2013年には 爆風トリビュートComplete としてCD2枚組・28曲となるのだけど。
ROLLYによるたいやきやいた、橘高文彦と内田雄一郎の筋肉少女帯メンバーが演奏を手がける 謎のボーカリスト サンプラザ高円寺くん(大槻ケンヂ) によるびっくりミルク、X.Y.Z.→Aによるリゾ・ラバ~Resort Lovers、 ザ・キャプテンズによる満月電車、EARTHSHAKERによるひどく暑かった日のラヴソング、ACE(エース清水 / 聖飢魔II)による青春のフレア、C-C-B(←4人のC-C-Bですよ!つまり!渡辺英樹、米川英之、田口智治、笠浩二)によるRunner、デーモン閣下によるおしゃれな東京タワー、山本恭司による涙の陸上部、手数セッションによる無理だ!!(You Can not Do That)、梅原“Paul”達也(ex.44MAGNUM)による愛がいそいでる、ロリータ18号によるうわさに、なりたい、田中雅之(ex.クリスタルキング)による大きな玉ねぎの下で など。 参加アーティストが出演する発売記念ライブが2013年1月13日・14日に行われた。 確か13日が前夜祭として、14日が本編として行われたと記憶している。
マット・ジョンソンは1979年にTHE THE を結成した。 アルバム スピリッツ をレコーディングしたが、このアルバムはいまだ未発表。 このときのトラック What Stanley Saw はチェリー・レッド・レコーズのコンピに収録された。 マット・ジョンソン名義。 どことなくポップな感じの曲。 聴いた感じ、確かにTHE THE っぽいかも。
1981年にはサム・ビザールのコンピにUntitled を提供した。 マット・ジョンソン名義。 YouTubeで聴いてみたけど、THE THE っぽい感じはない…。 この時のサム・ビザールにはスワンズ、フィータスもレコード契約をしていた。 マット・ジョンソンもサム・ビザールの居間で作曲をしたりしていた。 そういえばフィータスもそうだけど、21世紀に入ってからは THE THE は映画のサントラを手掛けて既に数枚リリースしている。 フィータスもサントラ仕事がメインのようになったし。
THE THE はマット・ジョンソンひとりとなり、1981年末に4ADレコードと契約してアルバム バーニング・ブルー・ソウル をレコーディングした。 ボーカルとすべての楽器はマットひとりで演奏された。 アルバム バーニング・ブルー・ソウルにはアーティスト名として「マット・ジョンソン」と記されたが、以後の再発では THE THE 名義となった。
1983年、THE THE のデビュー・アルバム 魂の彫刻 をリリース。 プロデュースはマット・ジョンソン&ポール・ハーディマン 。 ゲスト・ミュージシャンにジーク・マニーカ(オレンジ・ジュース)、ジュールス・ホランド(スクイーズ)など。
個人的には1曲目の I've Been Waitin' for Tomorrow (All of My Life) がはじめて聴いたときから好きだった。 シングルカットはされなかったけど、PVが制作された。
THE THEはシングル・コンピレーション 45RPMコレクション をリリース。 リマスターされた全15曲を収録。 過去のシングル曲にアルバム ネイキッド・セルフ 収録曲の DecemberSunlightの別ヴァージョン、そして新曲が2曲収録された。 Pillar Box Red と Deep Down Truth 。
2017年にはレコードストアデイ限定発売で15年ぶりのシングル We Can't Stop What's Coming を発表した。
この曲にはジョニー・マーが参加した。 もちろんギターで! ちなみに ジョニー・マー にはかつて参加したバンドで、また仕事をしたいとして THE THE とモデスト・マウスの二組をあげている。
ラジオ・シネオラ:トリロジー が発売された。 3枚組のセットで1枚目のThe End Of The Dayにはシングル We Can’t Stop What’s Coming のほかは THE THE の曲をさまざまなシンガーによる歌唱。 2枚目 The Inertia Variations はTHE THEが制作した音にJohn Tottenhamの詩に関するマット・ジョンソンのナレーションが載ったもの…。 3枚目 Midnight To Midnight はマット・ジョンソンのインタビューやサウンドスケープなど。
2018年には久しぶりにライブを行った。 カム・バックと呼ばれ、このライブはライブ・アルバム Comeback Special : Live At The Royal Albert Hall としてリリースされた。 2021年にはアナログ盤化された。
2019年カセットストアデイ限定で SEE WITHOUT BEING SEEN が発売された。 1979年にカセットテープでのみ限定発売されていたもの。 その後行方不明になっていると思われていたマスターテープが見つかって再発された。 2020年にCD化され、当時の未発表曲6曲が追加されて全13曲を収録。
2020年のレコードストアデイでシングル I WANT 2 B U が発売された。 スリーヴにはアンディ・ジョンソンによるアートワークが使用された。 シングル I WANT 2 B U は映画 Muscleで使用された I WANT 2 B U と Velvet Muscle Scream を収録。 I WANT 2 B U はThis Is the Dayで使用されたキーボードっほい音色とか懐かしい感じ。
2023年、シングル $1 ONE VOTE! をリリース。
アルバム ネイキッドセルフ以降、THE THE はシングルや4種のサウンドトラックは発売したが、オリジナル・アルバムはなし…。
今回はその続きなので今回はジェイソン・ニューステッド編の後編。 個人的にはメタリカの歴史の区分を、ベーシストで第1期、第2期、第3期としている。 え、ダメ? ところでデビューしてすでに40年を越えるバンドながらメタリカのオリジナル・アルバムはこれまでで11枚! 72シーズンズ いれて11枚。 でもライブでいうと、新曲いらないくらいの定番曲あるからなー。 今年の4月からはじまったメタリカのM72 World Tour 2023/4は同じ都市(会場)で週末に2日続けてライブやって1曲まダブる曲なし!というのをやっているけど。 さらに2日ともで異なるゲストが出演する。 日本でのメタリカの単独でのライブは2010年のさいたまスーパーアリーナ2日以来やっていない。 2013年にはサマーソニックにヘッドライナーで出演けど、それもすでに10年前。 さすがにそろそろ来て…。 あと、「メタリカ ロゴ 変遷」として調べたのだけど、やはりロード・リロード時のロゴはやはり異質だったのかと感じた。
メタリカはブラック・アルバム発売直後からライブ活動を開始。 1991年のMonsters of Rock Festival。 ラインナップはパンテラ、ブラック・クロウズ、モトリー・クルー、クイーンズライク、メタリカ、AC/DC。 ヨーロッパ・北米を回ったこのフェス、ソ連のモスクワ郊外にある、ツシノ空軍基地の特設ステージでも行われた。 ロシアではなくて、この時はまだソ連ですよ! ソ連! ソビエト連邦ではこの数週間前にはクーデターが起きて、このフェスの3ヶ月後にはソ連は崩壊。 現在のロシアになった。 メタリカはそれから、Wherever We May Roam Tour、Guns N' Roses/Metallica Stadium Tour、Nowhere Else to Roam Tour、Shit Hits the Sheds Tourと次々とツアーをこなした。 Shit Hits the Sheds Tourの途中にはWOODSTOCK '94 が開催され、メタリカはその2日目のヘッドライナーを務めた。 そしてようやくメタリカはブラック・アルバムに続くニュー・アルバムのレコーディングに入った。
アルバム ロード 。 プロデュースはボブ・ロック、ジェイムズ・ヘットフィールド、ラーズ・ウルリッヒ 。 シングル Until It Sleeps がアルバムより先行リリースされた。 まず、アルバム ロード で使用された METALLICAロゴがこれまでと違う。 そしてメンバーの髪が短い…! アメリカンのバンドってメンバーのひとりがある時期からハゲてしまうことがある。 例えばロブ・ハルフォード。 以前から短髪だったけど、アルバム ペインキラー のときからスキンヘッドに。 一応、現在でも髪はあるらしい。 オフには髪を伸ばしているらしいが、やはりちょっぴりらしい。 スレイヤーのケリー・キング。 以前はロングヘアーだったのだけど。Seasons in the Abyssはスレイヤーにとって初のPVで、この時のケリー・キングはまだふさふさだった。 DittoheadやSerenity in Murderになるともうケリー・キングの髪はなかった…。 スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガン。 アルバム サイアミーズ・ドリーム のときは普通に髪はあったのに、メロンコリーそして終りのない悲しみ の時にはすでに…。 ニコニコ大百科には 禿 という項目があって、 禿 について云々書いてあるのだが、下段に進むと関連人物として様々な人物の名前が…。 黄色人種系では江頭2:50や富野由悠季、孫正義、田原俊彦、平沢進など。 非黄色人種系ではウラジーミル・プーチンやショーン・コネリー、ブルース・ウィリス、ミハイル・ゴルバチョフの名前も…。 ちなみにメタリカのメンバーは短髪になっただけだから! ハゲてはいない!
アルバム ロード の収録時間は78分59秒とCD1枚ぎりぎり。 収録時間の関係でThe Outlaw Torn は1分近く短縮されて収録された。 シングル The Memory Remains に The Outlaw Tornはフル・バージョンで収録された。 そちらでの収録時間は10分48秒。
サザン・ロックと評されたアルバム ロード。 個人的には ブラック・アルバム からちゃんとメタリカを聴きはじめたから、スラッシュメタルとかのメタリカ評を聞くと、「メタリカはそういえばスラッシュ・メタルだった…」となってしまう。 同様に「X JAPAN もそういえばメタルだった…」というのもある。 そういう意味では例えば Until It Sleeps とかは「メタリカ以外でも聴けそうな曲…」という感想だった。
The Memory Remainsではゲスト・ヴォーカリストとしてマリアンヌ・フェイスフルが参加した。
1998年、カヴァー曲を集めたアルバム ガレージ・インク をリリース。 CD2枚組で、ディスク1には新録音のカヴァー曲11曲、ディスク2には過去にリリース済みのカヴァー曲がまとめられた。 シングル Creeping Death からの Am I Evil? と Blitzkrieg のみクリフ・バートン在籍時のもの。