なんかいろいろ その31

U2が9月29日、ラスベガスの新しいコンサートホールのスフィアでライヴを行った。
U2のライヴは4年ぶりとなる。
スフィアのグランドオープンがU2のコンサートとなった。
世界最大のこの球体には1万8000人が収容できる。
このライヴが開催されると発表された時、YouTubeでの告知映像を見たが、その時からアルバム アクトン・ベイビー の曲をやると告知されていた。
実際、今回のライヴではアルバム アクトン・ベイビー からは全曲演奏された。
スフィアでのライヴでアルバム アルバム アクトン・ベイビー の全曲演奏というのは2月には予告されていた。
さらに新曲、Atomic Cityも演奏された。
Atomic Cityは U2 がスフィアでライヴを行う一環としてリリースされたものらしい。

U2
Atomic City
作詞・作曲 U2、デボラ・ハリー、ジョルジオ・モロダー

プロデュースはジャックナイフ・リー、スティーヴ・リリーホワイト
Atomic CityのPVの頭ではほんの少しZoo Stationが流れる。
Atomic City自体はブロンディのCall Meのメロディが使われていて、作曲したデボラ・ハリー(デビー・ハリー)とジョルジオ・モロダーの名前もAtomic Cityの作曲者としてクレジットされている。
Atomic CityのPVにはドラムのラリー・マレン・ジュニアも出演した。
ラリー・マレン・ジュニアは手術後の回復に務めるとして今回のライヴには参加していない。
代わりにスフィアでのライヴはオランダ人ドラマーのブラム・ファン・デン・ベルフがドラムを叩いた。

オアシスのデビュー・アルバムが来年、30周年を迎える。
リアム・ギャラガーはノエルなしでも大規模なスタジオ・ツアーを行う予定だと言ったという。
ギターはボーンヘッドが参加してデビュー・アルバム Definitely Maybe 全曲とヒット曲を演奏するつもりらしい。
ボーンヘッドはオアシス初期から1999年まで在籍していた元メンバー。
リアムはソロで昨年、ネブワース・パークで2日間ライヴをやったしなー。
そのライヴ・アルバム ネブワース 22 は今年8月に発売されている。
ネブワース・パークはオアシスが1996年8月10日・11日と2日間、バンド史上最大規模の野外ライヴが行われた場所。
2011年になってネブワース1996としてBlu-ray、DVD、CD、アナログ盤が公式に発売された。
オアシスのネブワースは2000年代はじめに友人がブートで買っていたのを借りて聴いた。
確かCD2枚組の。
その後にはCD6枚組とか出ていたのを借りて聴いたと思う。

幻魔大戦角川映画では初となるアニメ映画。
1983年に公開され、監督はりんたろう、キャラクター・デザインを大友克洋が担当した。
幻魔大戦は当時としては緻密に描かれた画像で映像化されたと感じたが、5年後には大友克洋が自らのコミック AKIRA を監督して映像化したら、そっちのがスゴかった。
AKIRAは制作費10億円。

角川のアニメ映画 幻魔大戦キース・エマーソン青木望が音楽を制作した。
キース・エマーソンには当初から6曲の制作依頼があったが、まだ映像はなかった。
実際の映像は完成してから見ることが出来たよう。
なので音楽制作時には「映像とあうように」と願いながら制作していた。
キース・エマーソンが制作した6曲のなかには主題歌となる光の天使/CHILDEN OF THE LIGHTを含む。
光の天使はローズマリー・バトラーが歌唱した。
残りの6曲は青木望が担当。
鼓童 が演奏した太鼓を含む ハルマゲドン序曲、失われた惑星〜J.S.バッハ トッカータとフーガ ニ短調より〜の 編曲とかが印象的だった。

まだ月刊ニュータイプが創刊前、角川書店(2013年11月号からKADOKAWA)が発行した重戦機エルガイムのムックIとII。
月刊ニュータイプが創刊後にはIIIが発刊された。)
重戦機エルガイムのムックIIには、FSSの連載前というか フール・フォー・ザ・シティ 連載前に エルガイムと FSSの中間みたいな構想を元に描かれた永野護による10組の絵が載せられた。
それを見るとけっこうロジャー・ディーンっぽいところがある。
個人的には当時はロジャー・ディーンを知らなかったけど。
のちにバンド エイジア や イエス を通してロジャー・ディーンを知ったもの。
そういえば TM NETWORK の Major Turn-Round のロゴは ロジャー・ディーン が担当していた。

1984年のはなし。
ソニーのカセットテープのCM曲として制作された、
オーバーナイト・サクセス。
テリー・デサリオが歌った。

テリー・デサリオ
オーバーナイト・サクセス
作詞・作曲 ジョーイ・カーボーン 、リッチー・ズィトー 

テリー・デサリオのアルバム オーバーナイト・サクセス は制作したのは日本のソニー
普通に洋楽だと思ったのだけど、ソニーが制作して日本国内とオランダでしか発売されていない。
そうか、オーバーナイト・サクセスを普通の欧米人は知らないのか。

1985年のはなし。
G.I.オレンジはイギリス人のメンバーによるバンドだが、デビューしたのはここ日本だけだった。
サイキック・マジック はテレビCMなどでよく耳にしていた。
私がイケメン高校生だった頃、電車でたまたまとなりにいた人のウォークマンから音が漏れていて、 サイキック・マジック が聞こえたことがある。

サイキック・マジック
作詞・作曲 カール・ウィットワース

サイキック・マジックはほどなく廃盤となった。
それから時が流れ、2012年にG.I.オレンジは再結成!
2014年にはアルバム サイキック・マジック が再発された。
その再発盤には新曲2曲が追加収録された。
2015年には来日公演が行われた。
その後はメンバーはソロ活動などしていたようだ。
再発された サイキック・マジックは現在、また廃盤である。

そういえばオジー・オズボーンでギターを弾いていたランディ・ローズ
飛行機の墜落事故で亡くなった人だけど、オジー・オズボーンのギタリストとして有名になった。
ランディ・ローズが在籍していた クワイエット・ライオット もデビューしたのはここ日本だけだった。

ランディ・ローズが亡くなった後にクワイエット・ライオットは再結成してアメリカで成功を収めた。
その後のクワイエット・ライオットの動向を追うと
悲惨な感じなんだけど。
ランディ在籍時のクワイエット・ライオットのアルバム2枚はアメリカではいまだ未発表なんだな。

1985年のはなし。
日本ではCMソングとして使われた Angel 07 がヒットした。

ヒューバート・カー
Angel 07 
作詞・作曲 Hubert Kemmler, Timothy Touchton

もともとドイツ語で歌われた Engel 07 が英語の歌詞で再レコーディングされた。
その再レコーディングされたのが日本でもCMソングとして使われた Angel 07 。
ところでヒューバート・カーってドイツ出身の3人組のバンドだったんだ!
しかも、21世紀に入っても活動していたとは!
ヴォーカルのヒューバート・ケムラー一人になったけど。
うつ病や病気などで活動が中断したりしたが、その後復活したらしい。
ところでAngel 07、プロデュースはマイケル(ミヒャエル)・クレトゥ。
のちのエニグマの人ですよ!
エニグマはReturn To Innocenceが大好きだったな。

ここから1993年のはなし。

エニグマ
Return To Innocence
作詞・作曲 Michael Cretu、Kuo Ying-nan、Kuo Hsiu-chu

ドラムはレッド・ツェッペリン の When The Levee Breaks のサンプリング。
そしてこの曲では印象派な郭英男の 老人飲酒歌 がサンプリングされて使用された。

1996年にはアトランタ・オリンピックのテーマソングとして使用された。
それまでサンプリングされた 老人飲酒歌 のアミ族の郭英男(Difang / Kuo Ying-nan / Kuo Hsiu-chu)の名前はクレジットされていなかった。
エニグマ、EMI、IOC国際オリンピック委員会)を相手に裁判となり、結果として作曲者として郭英男のクレジットが掲載され、和解金が支払われた。

郭英男は農業生活を営みつつ、台湾南東部のアミ族馬蘭社の頭目
そして歌手だった。
郭英男は1998年、ディープ・フォレストのダン・ラックスマンのプロデュースでアルバム CIRCLE OF LIFE を発表した。
なんと78歳で初のアルバムですよ!
その後もアルバム AMIS,、アルバム Across The Yellow Earth を発表した。
郭英男は2002年に81歳で亡くなっている。
没後には2枚組ベスト盤 The World of Difang 、未発表音源を収録した Difangの歌声~Voice of Life DifangがCD+DVD仕様で発売された。
Difangの歌声~Voice of Life Difang には最後にアレンジされたものが2曲収録されたが、あれは要らなかったと思う。

1987年のはなし。
これもCMソングだった。

Black
Wonderful Life
作詞・作曲 コリン・ヴァーンコム

Blackの本名はコリン・ヴァーンコム。
2016年に亡くなっている。
交通事故に巻き込まれて昏睡し、その2週間後に亡くなった。
享年53。
合掌。

2003年には face to ace がアルバム SONGS MAKE MY DAY で Wonderful Life をカバーしている。

あ、そうそう。
前回の デペッシュ・モード について その2 で意味も無く記したバルティモラのターザン・ボーイ も。
バルティモラのデビュー・ソングですよ。
ちなみに1984年に発表。
英米では1985年にヒットした。
日本では1986年にヒットした。
バルティモラは

ジミー・マクシェイン (ボーカル)
マウリツィオ・バッシ (キーボード、ボーカル)
ジョルジョ・コチロヴォ (リード・ギター)
クラウディオ・バツァーリ (ベース)
ガブリエレ・メロッティ (ドラム)

というメンバー。
実際にヴォーカルを担当していたのは マウリツィオ・バッシ だという。
バルティモラの楽曲のほとんどはマウリツィオ・バッシとネイミー・ハケットによる楽曲。

バルティモラ
ターザン・ボーイ
作詞・作曲 マウリツィオ・バッシ 、ネイミー・ハケット

バルティモラは解散したが、1993年には ミュータント・ニンジャ・タートルズ3サウンドトラックに収められて、再び注目された。
そのことでターザン・ボーイは再録音されてリリースされた。
なお、1995年にはジミー・マクシェインが亡くなっている。

 

 

 

 

 

DEPECHE MODE について その2

⬆を記したのは2年以上前。
私としては当時はデペッシュ・モードについて記すのはこれで十分かな、と思っていた。
けれど、個人的にはひとつ大事なことに触れていない…。

あれから2年以上経って当時とはこのブログの書き方とか大分変わってしまったと思う。
以前の方がいいのでは?と思う一方、やはり進化したはずの現在の方がいいとも。

ところでデペッシュ・モード について その3 もすでにけっこう書き進めているんだよな…。

1977年、まだ学生だったアンディ・フレッチャー(愛称 フレッチ)とヴィンス・クラークがNo Romance In Chinaというバンドを組んでいた。
フレッチがベース、ヴィンスがヴォーカルとギター担当していた。
そこへ友人のロバート・マーロウが加入した。
マーティン・ゴアはその頃、アコースティック・デュオでギターを弾いていた。
1979年、ヴィンスとマーティン、マーロウに友人の
ポール・レッドモンドを加えてThe French Lookとして活動をはじめた。
ロバートがヴォーカル、マーティンがギター、ヴィンスとポールがシンセを担当した。
1980年になるとヴィンス、マーティン、フレッチでComposition of Sound を結成。
そしてデイヴ・ガーンを加えてデペッシュ・モードとなった。

デペッシュ・モード
1981年、サム・ビザールのコンピレーション・アルバム に フォトグラフィック が収録された。
これがデペッシュ・モードにとって初公式音源。
サム・ビザールのコンピ、それこそタイトルが サム・ビザール・アルバム 。
サム・ビザールとしては契約アーティストなしでリリースしたコンピレーション・アルバム。
デペッシュ・モードのほかにもザ・ザ、ソフト・セル、ブランジェ、B-ムービーなどの作品が収録された。
ブランジェってもしや、ターザン・ボーイをヒットさせたグループ?と思ったのだが、全然違った。
ターザン・ボーイはバルティモラだった。
完全に勘違い。
ブランジェは2011年に再結成され、その後リリースされるアルバムの数とかは怒濤の一語につきる。
インストアルバムとかもあるけど。
デペッシュ・モードのフォトグラフィックはファースト・アルバム スピーク&スペルにも収録されたが、再レコーディングされたもの。
サム・ビザール・アルバムに収録された フォトグラフィック は1998年にリニューアルで再リリースされた ザ・シングルズ 81>85 に収録された。

同じく1981年、雑誌 FlexiPopに付いたソノシートデペッシュ・モードのSometimes I Wish I Was Deadが収録された。
A面にはデペッシュ・モードの Sometimes I Wish I Was Dead 、B面にはファッド・ガジェットの King of the Flies。
Sometimes I Wish I Was Dead はその後、再録されて
アルバム Speak & Spell に収録された。
タイトルは I Sometimes Wish I Was Dead と変更された。
Sometimes I Wish I Was DeadのFlexiPop収録バージョンは2020年に12インチ・シングルで再発したボックスセット Speak & Spell | The 12" Singles のソノシートとして復刻された。
復刻されたソノシートのB面にはもちろんファッド・ガジェットのKing of the Flies。
デペッシュ・モードYouTubeにもSpeak & Spell | The 12" Singles があって、Sometimes I Wish I Was Dead(FlexiPop! Mix)も聴ける。

でも、流石にKing of the Fliesはなかった。
ファッド・ガジェットのYouTubeは公式にあるが、
King of the Fliesはない…。
ファッド・ガジェットだって所属はミュート・レコードなんだよな。

ミュート・レコードのダニエル・ミラーがファッド・ガジェット(1979年にミュート・レコードと契約済み)のライヴの前座でデペッシュ・モードのステージを見たことで、その後のデペッシュ・モードおよびミュート・レコードの未来が変わることになる。
デペッシュ・モードはミュート・レコードと契約を交わした。

Dreaming of Me

1981年1月に発売されたファースト・シングル。
デペッシュ・モードは当時メンバー全員がまだ19歳だった。
このファースト・シングルには12インチシングルのリリースはなかった。
次のNew Lifeから12インチシングルが当たり前にリリースされる。

カップリング曲は Ice Machine 。

New Life

1981年6月に発売されたセカンド・シングル。
この曲がスマッシュ・ヒットとなる。

New Life 

New Life (Remix)

カップリング曲はShout!。

Shout!(Rio Mix)

Just Can't Get Enough

1981年に発売されたサード・シングル。
New Lifeよりもチャートで最高位を更新した。

カップリング曲はAny Second Now。

アルバム ニュー・ライフ
原題は Speak & Spell

1981年10月に発売されたファースト・アルバム。
2曲を除いて、全曲をヴィンス・クラークが作曲。
Tora! Tora! Tora!、Big Muff の2曲はマーティン・ゴアが作曲した。

翌11月にはヴィンス・クラークはすでにデペッシュ・モードを脱退した。
ソングライターを失ったデペッシュ・モードは残された3人でマーティン・ゴアの曲で成功していくことになる。

アルバム ニュー・ライフは2006年にはCollecters Editionで発売された。
CD+DVDという仕様。

See You
1982年1月にリリース。
3人になってからの初シングル。
See You は7インチ、12インチのエクステッド・ヴァージョン、アルバム収録ヴァージョンと3ヴァージョンある。

カップリング曲はNow, This Is Fun。

Now, This Is Fun (Extended Version)

The Meaning of Love

1982年4月にリリース。

カップリング曲はインストのOberkorn (It's a Small Town)。

Oberkorn (It's a Small Town) (Development Mix)

Leave in Silence

1982年8月にリリース。

カップリング曲はExcerpt From: My Secret Garden。

Further Excerpts From: My Secret Garden

アルバム ア・ブロークン・フレーム

1982年9月にリリースされた。
プロデューサーはダニエル・ミラー、デペッシュ・モード
ヴィンス・クラークが脱退後でメンバー3人によるアルバム。
マーティン・ゴアはソングライターとしてプレッシャーがすごかった、と語っている。
マーティン・ゴアは1曲をのぞいて全曲の作詞・作曲を担当した。
Shouldn't Have Done Thatはデイヴ・ガーンとマーティン・ゴアによる共作で、ヴォーカルもそのふたり。
Nothing to Fearはインスト。

ところで、アルバム ブロークン・フレーム 録音時、アラン・ワイルダーはすでにツアー・メンバーとして採用されていたが、まだ正式なメンバーではなかった。

2006年にはCollecters Editionが発売された。
1枚目のCDにはシングルBサイド曲を追加収録。
2枚目のディスクがDVD。

Get the Balance Right!

1983年1月にリリースされた7枚目のシングル。
このシングルからアラン・ワイルダーが正式加入。
カップリング曲のThe Great Outdoors!の作曲はマーティン・ゴア、アラン・ワイルダーによる共作。
同年にはアルバム コンストラクション・タイム・アゲイン がリリースされたが、Get the Balance Right!はアルバムには未収録。
1984年に北米のみでリリースされたベスト盤 People Are People、1985年にリリースされたベスト盤 シングルズ 81→85 の1998年の再発盤に収録された。

カップリング曲はThe Great Outdoors!。
12インチ・シングルにはTora! Tora! Tora!" (Live, recorded 25 October 1982 at Hammersmith Odeon in London)も収録された。

Everything Counts

1983年7月リリース。

カップリング曲はWork Hard。

Work Hard [East End Remix]

アルバム コンストラクション・タイム・アゲイン

1983年8月にリリースされたサード・アルバム。
プロデュースはダニエル・ミラー、デペッシュ・モード
北米盤CDは10曲目としてEverything Counts のロング・ヴァージョンが収録された。
アラン・ワイルダーはTwo Minute Warning と The Landscape Is Changingを作曲。
その他の作詞・作曲はマーティン・ゴア。
Everything Countsはデイヴ、マーティン、アランによるヴォーカル。
Shameはデイヴとマーティンによるヴォーカル。
Pipelineではマーティン・ゴアがヴォーカルを担当。
デペッシュ・モードがサンプリングやメタル・パーカッションを導入したのはこのアルバムから。
アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの影響らしい。
でも、叙情性を感じさせるメロディに硬質なメタル音の融合した音は世界的な人気になっていく。
ところで、ジャケットでハンマーを振り上げているのはダニエル・ミラーらしい(笑)

2007年にはCollecters Editionが発売された。
1枚目のCDにはアルバム未収録曲(Get the Balance Right!とシングルB面曲)を追加収録。
2枚目のディスクがDVD。

Love, in Itself

1983年9月リリース。

カップリング曲は Fools 。
作曲はアラン・ワイルダー

Fools (Bigger) 

12インチ・シングルのカップリングには

Just Can't Get Enough (live)
A Photograph of You (live) 、
Shout! (live)
Photographic (live)

が収録されたものも。

ベスト盤 ピープル・アー・ピープル

1984年に北米のみでリリースされたベスト盤。
全9曲が収録された。
9曲目はEverything Counts (In Larger Amounts)。←12インチ収録ヴァージョンが収録。

People Are People

1984年3月リリース。

カップリング曲はIn Your Memory

In Your Memory (Slik Mix) 

Master and Servant

1984年8月リリース。

カップリング曲は (Set Me Free) Remotivate Me

(Set Me Free) Remotivate Me (Slavery Whip Mix) 

(Set Me Free) Remotivate Me(Release Mix)

]

アルバム サム・グレイト・リウォーズ。

1984年9月リリース。
プロデュースはダニエル・ミラー、デペッシュ・モード、ガレス・ジョーンズ。
If You Wantはアラン・ワイルダーが作曲。
他は全曲マーティン・ゴアが作曲。
It Doesn't Matter、Somebodyはマーティン・ゴアによるヴォーカル。
Something to Do、People Are People、Blasphemous Rumoursはデイヴ・ガーンとマーティン・ゴアがヴォーカル。

Something to Do

Something to Do、好きでよく聴いていた。

2006年にはCollectors Editionをリリース。
CD+DVD仕様。

Blasphemous Rumours / Somebody

1984年10月リリースの両A面シングル。
Somebody はリミックス・ヴァージョンが収録された。
7インチ・シングル、12インチ・シングルにはEverything Counts、Told You So、Ice MachineやTwo Minute Warning、Somebodyのそれぞれのライヴ・ヴァージョンが収められたものも。

Shake the Disease

1985年4月リリース。
ベスト盤 ザ・シングルズ 81→85、キャッチング・ウィズ・デペッシュ・モードの先行シングル。

カップリング曲はFlexible。

Flexible (Remixed Extended)

12インチシングルのカップリング曲は他にもSomething to Do" (Metalmix)、Master and Servant" (Live)。

It's Called a Heart

1985年9月リリース。
ベスト盤 ザ・シングルズ 81→85、キャッチング・ウィズ・デペッシュ・モードの先行シングル第2弾。

カップリング曲はFly on the Windscreen。
 

Fly on the Windscreen (Extended) 

ベスト盤 ザ・シングルズ 81→85

1985年10月にリリースされたベスト盤。
LPには全13曲、CDにはThe Meaning of Love、Somebody を加えた全15曲を収録。

1998年にはザ・シングルズ 81>85としてPhotographic (Some Bizzare version)とJust Can't Get Enough (Schizo mix)の2曲が追加収録された。
音源がリマスターされ、ジャケットが変更されて再リリースされた。 
ちょうど出たばかりのザ・シングルズ 86>98とジャケットもお揃いにした感じ。
ちなみにザ・シングルズ 86>98はCD2枚組。
ザ・シングルズ 81>85とザ・シングルズ 86>98のセットがスリーヴ・ケースに入れて売っていたと思う。

ベスト盤 キャッチング・ウィズ・デペッシュ・モード

1985年、北米のみでリリースされたベスト盤。
ベスト盤 ピープル・アー・ピープル に収録された曲以外から選曲された。
ジャケットの写真はザ・シングルズ 81→85と同じ。

私が大学生になってCDを買いはじめた頃、よく分からなかったからピープル・アー・ピープル、ザ・シングルズ 81→85、キャッチング・ウィズ・デペッシュ・モードとこの時期のベスト盤を全部買ってしまったんだよなー。
当時は日本のタワー⚪コードは米国の資本だったからだろうか?
ちなみに当時のタ⚪ーレコードではアーティスト名の入った敷板が例えばキュアーだったら Cure,The とか、ジョン・レノンだったら Lennon,John だったんだよなー。
 

 

 

 

 

 

 

ALICE IN CHAINS について

おかしい。
部屋を掃除していて、アレはこの辺りにあるはずとか思っていたら全然別のところから出てきた…。
というのがいくつもあったりした。
アリス・イン・チェインズのボックスセット ミュージック・バンク も思っていたのと全然別の違うところから…。
ミュージック・バンクは3枚組CD+CD-ROMというボックスセット。
結果的にミュージック・バンクがリリースされてから数年でレイン・ステイリーが亡くなり、その頃からアリス・イン・チェインズの動きもなかったから、アリス・イン・チェインズの代表曲がすべて収められたボックスセットとなった。
ちなみにミュージック・バンクはレイン・ステイリーが働いていたリハーサル・スタジオの名前だった。
レイン・ステイリーが亡くなってからはアリス・イン・チェインズの動きはなく、所属していたレコード会社との契約も切れてしまった。
バンドメンバーのジェリー・カントレル、ショーン・キニー、マイク・アイネスはそれぞれの活動をしていたし。
だからアリス・イン・チェインズが再始動!というのはけっこうビッグなニュースだった。

アリス・イン・チェインズ。
ジェリー・カントレルはレイン・ステイリーがヴォーカルを務めていたAlice N' Chainsというバンドを見た。
その数ヶ月後にはジェリーとレインはパーティーで知り合った。
その頃、ジェリー・カントレルには住むところがなかったので、レイン・ステイリーがミュージック・バンク に誘い、一緒に住むようになったらしい。
約1年間は一緒に住んでいたという。
Alice N' Chainsが解散し、レイン・ステイリーが加入したバンドがギタリストを探していた。
レイン・ステイリーがジェリー・カントレルを誘ったところ、逆にレイン・ステイリーがジェリー・カントレルのバンドへの加入と引き換えにして決まったという。
レイン・ステイリーのバンドはすぐに解散し、ジェリー・カントレルのバンド一本となる。
ジェリー・カントレルのバンドにはすでにショーン・キニー、マイク・スターがいた。
まだ名前がなかったこのバンドにはダイアモンド・ライと名付けられたが、その後はレインのもといたバンドAlice N' Chainsを名乗った。
(レインは元バンドメンバーにAlice N' Chainsのバンド名使用の許可を得ていた)
その後にはアリス・イン・チェインズと改名した。そしてアリス・イン・チェインズはメジャーでデビューするに至る。

アリス・イン・チェインズは1990年にEP We Die Young でデビューした。
デイヴ・ジャーデンによるプロデュース。

リードトラック We Die Young はすぐにヒットした。
ちなみにこのEPは15,000枚限定発売ですぐに売れ切れた。
2022年にはレコードストアデイでリリースされた。
またすぐに売れ切れたけど…。
We Die Young のヒットにより、アリス・イン・チェインズはアルバム フェイスリフト の制作をレーベルから急かされたらしい。
アリス・イン・チェインズのファースト・アルバムは、まずジャケットに使用したいと思う写真があり、その写真にあうタイトルを考えたという。
え?
あの写真…。

アルバム フェイスリフト

プロデュースはデイヴ・ジャーデン。
フェイスリフトの売り上げは発売数ヶ月はあまりよくなかったが、その後シングル Man in the Box、 Sea of Sorrowがヒットする。

Man in the Box

Sea of Sorrow

イギー・ポップヴァン・ヘイレン、ポイズン、エクストリームと次々とライブの前座を務め、その頃にはアルバム フェイスリフトは300万枚の出荷を記録していた。
アリス・イン・チェインズは、ニルヴァーナのネヴァーマインド以前に成功を収めたグランジ・バンドだった。
個人的にはアリス・イン・チェインズはグランジというイメージはなくて、どちらかといえばヘヴィメタ。
でも曲によってはヘヴィメタでもないよなー、という感じなのだけど。
でも、メガデス、スレイヤー、アンスラックスの3組によるクラッシュ・オブ・ザ・タイタンズ ツアーでも前座を務めたりしてるんだよなー。
ヘヴィメタルというかスラッシュ・メタルの四帝王のうちの3つとですよ。

アリス・イン・チェインズはツアーを終えた後、セカンド・アルバムのためにスタジオ入りしてデモを5曲録った。
それがアルバムの代わりにアコースティック・スタイルの曲ばかりが仕上がった。
キニーは「SapというタイトルのEPを制作した」と夢で見たらしく、その話を聞いたメンバーはその夢を現実化した。

EP サップ 

プロデュースはアリス・イン・チェインズ、リック・パラシャー。
サップは1992年にリリースされ、全5曲入りのEP。
ただし、5曲目のLove Songは隠しトラック。

Brother
作詞・作曲はジェリー・カントレル
ジェリー・カントレルがリード・ヴォーカルで、ゲスト・ヴォーカリストとしてアン・ウィルソンが参加。

Got Me Wrong
作詞・作曲はジェリー・カントレル

Right Turn
レイン・ステイリーとジェリー・カントレルと共にマッドハニーのマーク・アームとサウンドガーデンクリス・コーネルが歌っており、クレジットにはAlice Mudgardenと記された。

アン・ウィルソンはAm I Insideでもコーラスで参加した。

Love Songではメンバーそれぞれが担当楽器を入れ替えてレコーディングされた。

キャメロン・クロウ監督の映画 シングルス に アリス・イン・チェインズ はバーで演奏していたバンドとして参加した。
映画 シングルス のサントラには Would? を提供した。

個人的には初めてアリス・イン・チェインズを聴いたのはこの曲。
ちなみにシングルスはシアトルを舞台にした映画。
サントラにはパール・ジャムクリス・コーネルサウンドガーデン、スクリーミング・トゥリーズ、スマッシング・パンプキンズなども参加した。
発売当時はサントラ曲の多くが各アーティストのアルバムに未収録だった。
アリス・イン・チェインズの Would? はシングルスの サントラ とシングルでリリースされ、後でアルバム ダートには Would? が収録されていたけど。
個人的には当時、シングルスのサントラもアリス・イン・チェインズのダートも買った。
シングルスのサントラでは スマパン の Drown とか好きだった。
2017年にはシングルスのサントラはデラックス・エディションとしてCD2枚組として発売された。
アリス・イン・チェインズのWould?のライブ音源とIt Ain’t Like Thatのライブ音源も収録された。
そしてアナログ盤も2LPで再発された。
中には2LP+CDも。
2LP+CDのCDはデラックス・エディションのCD2と同じが。

アルバム ダート

プロデュースはデイヴ・ジャーデン。
Would?のみプロデュースはリック・パラシャー。
アルバム ダートからはWould?を含む計5枚のシングルがカットされた。
個人的にはなかでもThem BonesとAngry Chairがめっちゃ好き。

Them Bones
作詞・作曲はジェリー・カントレル

Angry Chair
作詞・作曲はレイン・ステイリー。

Rooster
作詞・作曲はジェリー・カントレル

Down in a Hole
作詞・作曲はジェリー・カントレル

[

アルバム ダート の10曲目。
曲名は無かったはず。
YouTubeではUntitledとか記された。
ジェリー・カントレルと共にソングライターとしてスレイヤーのトム・アラヤがクレジットされている。
またトム・アラヤがボーカル?も担当。

Dirt
作詞・作曲はジェリー・カントレル、レイン・ステイリー。
アルバムのタイトル曲 Dirt が制作されたのは前アルバムのフェイスリフトの時だった。
Dirt が出来た時には アルバム フェイスリフト に収録せず、次のアルバムに入れてアルバムタイトルを ダート にすることを決めていたという。
カッケー曲だと思う。

アリス・イン・チェインズはツアーを開始したが、(当初はオジー・オズボーンの前座)すぐにベースのマイク・スターが脱退した。
アリス・イン・チェインズはオジー・オズボーンのベーシストを務めていたマイク・アイネズを後任として誘った。
マイク・アイネズはアリス・イン・チェインズのヨーロッパ・ツアーから参加した。
マイク・アイネズは現在もアリス・イン・チェインズのベーシストである。
というかアリス・イン・チェインズはレイン・ステイリーとマイク・スター以外のメンバーはこれまで変更はないのだけど。
ちなみにレイン・ステイリーは2002年に、マイク・スターは2011年に亡くなった。

EP アナザー・サイド・オブ・アリス(英語タイトル Jar of Flies)

プロデュースはアリス・イン・チェインズ。
1994年、アリス・イン・チェインズは2枚目のEP をリリースした。
7曲入りのEP。
このEPはビルボード200で初登場1位を記録した。
アコースティック基調のEP。
No Excuses、I Stay Away、Don't Followがシングルとしてリリースされた。

No Excuses
作詞・作曲はジェリー・カントレル
ボーカルはジェリー・カントレルとレイン・ステイリー。

I Stay Away
作詞はレイン・ステイリー、作曲はマイク・アイネズ、ジェリー・カントレル

Don't Follow
作詞・作曲はジェリー・カントレル
ヴォーカルもジェリー・カントレル

Nutshell
作詞はレイン・ステイリー、作曲はマイク・アイネズ、ジェリー・カントレル、ショーン・キニー。

Whale & Waspはインスト曲。

このEPリリース後、アリス・イン・チェインズはツアーを行ってウッドストック・フェスティバルに出演する予定であった。
レイン・ステイリーがヘロインの依存症のためにリハビリ施設に入所してしまう。
レイン・ステイリーの状態悪化のためにツアー開始前日にすべてのスケジュールがキャンセルされた。

アルバム アリス・イン・チェインズ

プロデュースはトビー・ライト。
1995年にリリースされた。
ちなみにバンド名がタイトルになったのは、ジェリー・カントレルによるとタイトルが思いつかなかったため。
このアルバムのCDは輸入盤で持っているのだけど、
当時は日本盤は出ないのかと思って輸入盤を買った。
ジャケットのデザインのため、そのまま日本盤は発売できず、ほぼデザインなしのジャケットで1年以上遅れてようやく日本盤がリリースされた。

Grind
Heaven Beside You
Over Now
Again

4枚がシングル・カットされた。
シングルのうち、Againを除きジェリー・カントレルがヴォーカルを務めた。
つまりアルバムでジェリー・カントレルが歌詞を書いた3曲はすべてシングルカットされた。
他の曲はレイン・ステイリーが歌詞を書いたのに。
Grind とGood NightからはじまるOver Nowがめっちゃ好き。
Again も良い。

レイン・ステイリーの状態にバンドは、アルバム アリス・イン・チェインズ のリリース後にツアーを行わないことを決めた。

1996年、バンドは MTV Unplugged に出演した。
セカンドギターにスコット・オルソンを迎え5人組のアリス・イン・チェインズとしてアコースティックで演奏した。
Killer Is Me はこの時に披露された新曲。
観客にはメタリカのメンバーがいて、 Sludge Factory の前にはEnter Sadmanの一部が。
また、Angry Chair の前にはメタリカのBatteryのイントロを弾いている。
MTV UnpluggedはVHS、DVD、CDで発売された。
2007年にはCD/DVDというパッケージで発売され、未公開映像も収録された。

MTV UnpluggedからはOver Nowがシングルカットされた。
スタジオ・ヴァージョンのOver Nowが好きなんだけど、その後にはOver Nowがベスト盤などに収録される時には必ずMTV Unpluggedのヴァージョンが使われるように…。
ちょっと悲しい。

その後、キッスのリユニオン・ツアーのサポートアクトを務めた。
1996年6月28日から7月3日の計4公演。
それがレイン・ステイリーにとって最後のライブ出演となった。
その時のライヴ音源、7月2日の2曲・7月3日の3曲はのちにリリースされたライヴ・アルバム ライヴ に収録された。

メタリカのカヴァーアルバム ガレージ・インク のレーナード・スキナードのTuesday's Goneのカヴァーに、ジェリー・カントレルはギター、ショーン・キニーはドラムで参加した。

1998年、アリス・イン・チェインズは新曲を2曲制作した。
Get Born Again 及び Died。
もともとこの2曲はジェリー・カントレルのソロ・アルバムのために用意されていたが、作り直されて歌詞はレイン・ステイリーが書いた。

ベスト盤 ナッシング・セイフ 

1999年、Get Born Again はベスト盤 ナッシング・セイフ に収録された。

ナッシング・セイフ は全15曲収録。
ほぼシングルでリリースされた曲が並ぶなか、なぜ Iron Gland (アルバム ダート 収録時は曲名なしだった。)が収録されているのだろう…?

ボックスセット ミュージック・バンク

ベスト盤 ナッシング・セイフ に続いてリリースされたボックスセット。
新曲のGet Born Again と Died が収録された。
ボックスセット ミュージック・バンク は全48曲収録でトータル3時間30分以上となるCD3枚組+CD-ROM。
ブックレットも付いている。
ボックスセット ミュージック・バンクは輸入盤しか発売されなかったと思う。
ベスト盤 ナッシング・セイフ の内容を拡大したような内容。 
ボックスセット ミュージック・バンクに収められたFear the Voices、Lyeing Season、Diedの3曲は未発表曲。
他の未発表曲はDemo、Live、Remixとかだった。

Fear the Voices
アルバム ダート のアウトテイク。
ミュージック・バンクではじめて収録された。
マイク・スター、ジェリー・カントレル、レイン・ステイリーによる共作。

Lyeing Season

Died

アルバム ライブ

2000年にリリースされたライヴ・アルバム。
1990年から1996年に行われた各地のライブから選ばれた音源が収録された。
Dirtは1993年の名古屋で録音されたもの。 
キッスの前座として行ったライブ、つまりレイン・ステイリーが最後にライブを行った日とその前日のライブ音源も収録された。

レイン・ステイリーは2002年に亡くなった。
享年34。

ジェリー・カントレルは1998年にソロ・アルバム 
ボギー・デポウをリリースした。
ベースにはレックス・ブラウン←パンテラ が5曲、マイク・アイネスが3曲など、ドラムにはショーン・キニーが全曲で叩いた。

2002年に2枚目のソロ、ディグラデイション・トリップ をリリースした。
ベースにロバート・トゥルージロ(現メタリカの!)、ドラムにマイク・ボーディン(元フェイス・ノー・モア、オジー・オズボーン)が参加した。
2003年にはディグラデイション・トリップ・完全盤
をリリースした。
もともとジェリー・カントレルが意図していたようにCD2枚組・全25曲。
ディグラデイション・トリップ・完全盤ではジャケットも異なるものとなった。

2022年にはアルバム ブライトン をリリースした。

マイク・アイネズはハートに加入した。
ハートの2003年のCD2枚組のライヴ・アルバム アライブ・イン・シアトル と 2004年のアルバム ジュピターズ・ダーリンでベースを弾いた。

2005年。
ショーン・キニーが2004年に南アジアを襲った津波の被害者への慈善コンサートの開催を思い付いたことで、アリス・イン・チェインズはダメージプランのボーカルのパトリック・ラックマンをフィーチャーし、トゥールのメイナード・ジェームス・キーナンやハートのアン・ウィルソンを特別ゲストとしてコンサートを行った。
このコンサートの後、メンバーはアリス・イン・チェインズとしてツアーに出たいと強く思った。
2006年、アリス・イン・チェインズは再結成することを決め、ヴォーカルのオーディションを行った。
ウィリアム・デュヴァールとはわずか一度のオーディションで、彼を迎えることが決まった。
3月、VH1で放送するDecades Rock Liveに出演。
バンド ハート の番組で、基本的にハートの演奏が主だが、アリス・イン・チェインズも演奏していた。
アリス・イン・チェインズではボーカルにウィリアム・デュヴァールとパンテラ及びダウンのフィル・アンセルモがそれぞれ歌い、リズム・ギターにガンズ・アンド・ローゼズ及びヴェルヴェット・リヴォルヴァーダフ・マッケイガンが参加した。
映像用に2回同じ曲を演奏したらしく、1回目と2回目ではヴォーカルが異なる。
ウィリアム・デュヴァールはAngry Chair、Man in the Box、Would?。
フィル・アンセルモはThem Bones、Man in the Box(2回目)、Would?(2回目)。
ウィリアム・デュヴァールとアン・ウィルソンがヴォーカル、ギターにナンシー・ウィルソンで Rooster をプレイした。
そしてハートがラストにBarracudaを演奏し、ジェリー・カントレル、デイヴ・ナヴァロ、ダフ・マッケイガンもギターを弾いた。
その後、アリス・イン・チェインズはアメリカで短期間のライブを行い、ヨーロッパでフェスティバルに出演。
日本でもライブを行った。
ダフ・マッケイガンも参加し、数曲でリズムギター
を弾いた。

アルバム ブラック・トゥ・ブルー 

プロデュースはニック・ラスクリネクツ、アリス・イン・チェインズ。
2009年リリース。

基本、ウィリアム・デュヴァールはバックヴォーカルとリズムギターを担当。
Last of My Kindではウィリアム・デュヴァールがメイン・ヴォーカル。

A Looking in View
作詞・作曲はメンバー全員による共作。
リード・ヴォーカルはジェリー・カントレルだが、
ウィリアム・デュヴァールがリード・ヴォーカルのところも。

Check My Brain

Your Decision

Lesson Learned

 

タイトル曲ではエルトン・ジョンがピアノを弾いた。

アルバム ザ・デヴィル・プット・ダイナソーズ・ヒア

プロデュースはニック・ラスクリネクツ、アリス・イン・チェインズ。
2013年リリース。

Hollow
作詞・作曲 ジェリー・カントレル
リード・ヴォーカルもジェリー・カントレル

]

Stone 
作詞・作曲 ジェリー・カントレル
リード・ヴォーカルもジェリー・カントレル

Voices
作詞・作曲 ジェリー・カントレル
リード・ヴォーカルもジェリー・カントレル

アルバム レーニア・フォグ 

プロデュースはニック・ラスクリネクツ、アリス・イン・チェインズ。
2018年リリース。

The One You Know
ジェリー・カントレルがリード・ヴォーカル。

So Far Under
ウィリアム・デュヴァールが書いた曲で、リード・ヴォーカル、リード・ギターを担当。

Never Fade
作曲はジェリー・カントレル
作詞はウィリアム・デュヴァール、ジェリー・カントレル
ウィリアム・デュヴァールがリード・ヴォーカルだが、ジェリー・カントレルがリード・ヴォーカルのところもある。

Rainier Fog

作詞・作曲 ジェリー・カントレル
ダフ・マッケイガンが作曲時に手伝っていた。
ウィリアム・デュヴァールがリード・ヴォーカルを担当。

 

 

 

 

なんかいろいろ その30

高橋幸宏のEMI期のベスト盤が発売される。
THE BEST OF YUKIHIRO TAKAHASHI [EMI YEARS 1988-2013]。
CD2枚組。
選曲は鈴木慶一で、マスタリングは砂原良徳
発売日は2023年11月15日。
収録曲はまだ決まっていないっぽい。
さらにEMI期のソロアルバム13作品は砂原良徳による2023年リマスターが12月から順次発売される予定だという。

高橋幸宏のEMI期のソロアルバム13作品。
というかコンシピオ時代の3作品も含まれているよう。
 
高橋幸宏のベスト盤は2009年にアルファ期とEMI期のが同時に発売された。
Turning The Pages Of Life ALFA Years 1981-1985とTurning The Pages Of Life EMI Years 1988-1996というの。
それぞれCD2枚組だった。
その後、2021年にはアルファ期のベスト盤 GRAND ESPOIR がリリースされた。
CD2枚組。
選曲とマスタリングは砂原良徳が担当。
ちょっぴり音楽殺人から選曲されてたし、ディスク2は主に他のアーティストへの提供曲だった。
そういえばこの時はまだ高橋幸宏はコメントとか発表していたな…。

セルフカヴァー・アルバムの Hurts of heartやライブ盤とか再発して欲しいな。
Hurts of heartは1曲だけ(当時の)新曲 君といる
 があるし。
コンシピオ時代のライブ盤 RUN AFTER YOU とか。
この時大村憲司が参加した最後の幸宏のツアーだったし、Stay Closeではスティーブ・ジャンセン、故・青木達之高橋幸宏のトリプルドラムが聴けたり。

あと、colors ~best of yt cover tracks vol.1~と
colors ~best of yt cover tracks vol.2~。
幸宏によるカヴァー曲を集めたCDだけど、このアルバム用に新たにカヴァーした曲が計6曲あった。
これも再発して欲しいなー。

ニュー・オーダー のサブスタンス1987が再発される。
CDではCeremonyからTrue Faithまでの12インチシングル×12枚のA面曲をディスク1に、B面曲をディスク2に収めたCD2枚組だったと思う。
ただし、TemptationとConfusionは当時の新録バージョンだった。
今回は2023年リマスターで、

・2LP
・2CD
・4CDデラックス・エディション、
・2LPカラー・ヴァイナル
・カセットテープ(2本組)

で発売される。

4CDデラックス・エディションにはリマスターしたCD1・CD2に、CD3は別ヴァージョンとエクストラBサイドを収めた10曲入り。
CD4は1987年9月12日にカリフォルニア州アーバイン・メドウズで行われた未発表ライヴ・アルバム Live from Irvine Meadows が収録される。
Live from Irvine Meadows はサブスタンス1987 の並びそのままに発表順に行われたライブ。
TemptationとConfusionも新録バージョンで演奏していた。

CD3にはCeremony、Temptation、Confusionの12インチのオリジナルの音が収録される。
CD3やCD4の並びを見てもあまり「欲しい!」という感じではないなー。
いまのところサブスクで聴ければいいや、という…。

ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ- 第13弾としてブルース・スプリングスティーンが発売される。
ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-では初となる4枚組(2CD+2DVD)。
ブルース・スプリングスティーンの日本で発売されたシングルを中心に全35曲をCDに、これまで発表されたビデオクリップ全64曲をDVDにした仕様。
American Beauty は確かアルバム ハイ・ホープス で録音されながらアルバム未収録となった4曲を、12インチEPとして2014年にレコードストアデイで発売されていた。
今回のCD化で世界初CD化となっている。
DVD方は世界初DVD化となる曲も多い。

ちなみにアルバム ハイ・ホープスには

・過去に書いた曲を再レコーディングしたもの
・アウトテイク
・ライブで演奏したことのあるカヴァー曲をあらためてレコーディングしたもの

などが収録された。

ソニーのジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-ではこれまでに発売されたのは、

・チープ・トリック
ボズ・スキャッグス
・ポール・ヤング
シンディ・ローパー
・アース・ウインド & ファイアー
・REO スピードワゴン
ケニー・ロギンス
ワム!
・エア・サプライ
ビリー・ジョエル
ホイットニー・ヒューストン
・ハワード・ジョーンズ

さらに、レコード会社は異なるが同じジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-として同じ趣旨 / 同じようなジャケット・デザインで

カルチャー・クラブ 
・ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース 
ジャネット・ジャクソン 
チャカ・カーン
・シカゴ 
・a-ha 

が発売されている。

北斗の拳 原作40周年ということで、新たにシリーズアニメ化されるという。
タイトルは 北斗の拳 -FIST OF THE NORTH STAR- 。
まだ武論尊原哲夫のコメントくらいで、アニメの絵がどんな感じなのか分からない…。
気になるのは「新たなスタッフ・キャスト」というの。
ケンシロウの声はやはり神谷明でいいじゃん、とおもったけど今年76歳。
さすがに難しいか。
でもシティハンターの冴羽獠はずっとやってるし、公開されたばかりの劇場版 シティーハンター
天使の涙(エンジェルダスト)でも変わらずやってる。
2005年からの真救世主伝説 北斗の拳ではケンシロウ阿部寛ラオウ宇梶剛士が演じた。
天の覇王 北斗の拳 ラオウ外伝ではラオウ宇梶剛士ケンシロウ石川英郎
北斗の拳 イチゴ味DD北斗の拳は考えなくてもいいか。
北斗が如くではケンシロウ黒田崇矢
あと新・北斗の拳てのもあったけど。

千葉繁のナレーション、次回予告も毎週の楽しみだった。
千葉繁は今年69歳。
2023年の経歴では、じいさん役が多い。
北斗の拳の次回予告はテンションが高いときがあったけど、あれはさすがに無理かも…。

あと、新作アニメではBGMとかどうなるか。
テレビアニメ 北斗の拳で印象的なのは音楽だった。
青木望が担当していたのだけど、テレビでは使用されながらBGM集のCDには未収録のが…。
例えば第2部から第3部で冒頭のナレーションが語られる時のBGM。
「悲劇は繰り返される」のBGM。
その後でオープニングが始まる。
なんであれCD化とかしてくれなかったのか。
他にも未CD化のBGMかあるけどさ…。

ちなみに真救世主伝説 北斗の拳では梶浦由記が音楽を担当していたな。

あと、新作アニメでは原作のどこまで描かれるか。
アニメ北斗の拳北斗の拳2ではカイオウとの決着まで描かれたが。
原作ではその後、ラオウの息子リュウを次の北斗神拳の継承者に選んだり、ケンシロウとリンが記憶を失ったり、でもケンシロウの肉体は北斗神拳を忘れていなかったってボルゲを倒したり。
記憶を取り戻したケンシロウがあらためて悪を次々に倒していく!というところで物語は終わった。
個人的にはカイオウのあとの物語は内容的にあまり盛り上がりがなかったと思う。
さすがにこのあたりまでのアニメ化は難しいかなー。

コミックでは北斗の拳 新装版が刊行がはじまったばかり。
今回は1巻の帯で鳥山明、2巻の帯で荒木飛呂彦のコメントがある。
コミックの究極版は感覚では5~6年前と思っていたけど、10年前だった…。
そういえば究極版の11巻では新作エピソードが描かれていたっけ。

 

 

 

 

 

 

BAKUFU-SLUMP について

爆風銃のファンキー末吉江川ほーじん、スーパースランプのサンプラザ中野パッパラー河合が結成した、爆風スランプ
ちなみにサンプラザ中野パッパラー河合は学年が同じで、同じ高校に通っていた。
ソニーでは爆風スランプ聖飢魔II米米CLUBと合わせてソニー三大色物バンドと呼ばれたこともあった。
ちなみにデーモン小暮聖飢魔II以前にスーパースランプでサンプラザ中野が抜けた後の二代目ボーカリストを務めていた。
あと、爆風銃にはホッピー神山やスティーブ衛藤がいた。
爆風スランプとPINK…。
2011年には爆風銃はほーじん、ファンキー末吉ホッピー神山、スティーブエトウ、斎藤寬志、フレディ・マーシー で活動を再開していた。
江川ほーじんは2018年12月に交通事故のためにその後しばらくは意識不明の状態であった。
2023年6月の時点では意識は回復し、リハビリに努めているとのこと。 
2011年から江川ほーじん、田川ヒロアキ菅沼孝三の3人で手数セッションとして活動していた。
2021年11月、菅沼孝三は大腸がんのために亡くなった。
62歳没。
合掌。
ちなみに個人的には 手数セッション のライブ・アルバム持ってる! 

爆風スランプは1981年に結成、1984年にデビューした。
なお、ファンキー末吉は一時的にクリスタルキングのサポートドラマーを努めていたことがある。
ちょうどクリスタルキング北斗の拳 のオープニングテーマ 愛をとりもどせ!! をレコーディングしていて、ファンキー末吉はそのドラムを叩いていた。

爆風スランプでは、おおむね作詞はサンプラザ中野が担当。
メンバーがそれぞれ作曲。
ときどき共作もある。
メンバー以外にも中崎英也、嶋田陽一、バナナ、ダン本多、チャーシューメン黒石などが作曲。
爆風銃やスーパースランプの曲もアルバムに収録している。

爆風スランプはアルバム よい とシングル 週刊東京 少女A でデビューした。

アルバム よい

プロデュースは中崎英也
ジャケットの絵はサザンオールスターズ関口和之によるもの。
事務所が同じアミューズだから?

アルバム よい はA面は中崎英也(4曲)とバナナが作曲(1曲)が作曲。
B面は1曲をのぞいて爆風スランプのメンバーが作曲した。
B面ラストの すいか はスーパースランプの曲で、作曲は豊岡正志。

週刊東京 少女A
作詞 サンプラザ中野
作曲 中崎英也

無理だ!!(You Can Not Do That)
作詞・作曲 ハヒフヘほーじん
 

オリジナルの無理だ!!
収録時間は1分18秒…。

The SENTAKU
 

ホッピー神山がキーボードで参加。
爆風銃つながりで呼ばれた?

たいやきやいた
作詞 サンプラザ中野ファンキー末吉
作曲 ファンキー末吉

シングル 週刊東京 少女A のB面にもなった曲。
この曲はビデオクリップが映画用フィルムを使用して制作された。
その制作費は1000万円だった。

狂い咲きピエロ
作詞 サンプラザ中野 
作曲 パッパラー河合

1982年頃にパッパラー河合爆風スランプではじめて作った曲。
うわさに、なりたい のB面曲でもある。
この曲もビデオクリップがあり、たいやきやいた と同じセットで同日に撮影された。

のちにX.Y.Z.→Aが たいやきやいた をライヴでカヴァーしていて、MCも再現していた。

X.Y.Z.→Aのシングル(ミニアルバム?) A MILLION CARATS で聴くことが出来る。
ちなみにこのシングルでは 筋肉少女帯 のイワンのバカのカヴァーのライヴ音源も聴ける。
カヴァーといってもX.Y.Z.→Aには爆風スランプのメンバー、筋肉少女帯のメンバーがいるからカヴァー曲というのもなー。

アルバム よい は1985年にCD化され、CDでは うわさになりたい と 無理だ!決定盤〜YOU CAN NOT DO THAT〜 がボーナス・トラックで追加収録さ
れた。
2013年にはリマスター盤がSony Music Shop限定で発売された。
リマスター盤はアルバム よい から Jungle までの4枚が発売されている。

うわさに、なりたい
作詞 サンプラザ中野・川島銀次
作曲 中崎英也

セカンド・シングルで、テレビCMで使用された曲。
CMでこの曲を聴いた記憶がある。
個人的にはおそらく、それで爆風スランプを知ったと思う。

サンプラザ中野 は1985年4月から オールナイトニッポン の金曜第1部で放送を開始。
番組では パッパラー河合 もほぼレギュラーで出演していた。
この番組では サンプラザ中野パッパラー河合は The 花びら というユニットを組んだ。
The 花びら は爆風スランプ のライブでも活動したことがある。
The 花びら は番組収録後の1991年に布施明の これが青春だ をカバーしている。
CMソングとして使用された。

無理だ!決定盤(YOU CAN NOT DO THAT)
作詞 爆風スランプ
作曲 江川ほーじん

12インチ・シングルで発売されたロング・バージョン。

歌詞は爆風メンバーで考えたため、アルバム収録のものと異なりクレジットも変更された。
この曲で 爆風スランプザ・ベストテン の スポットライト で初出演した。

えらいこっちゃ
作詞 サンプラザ中野 / ファンキー末吉
作曲 ファンキー末吉 

ちゃんちゃらおかP音頭
作詞・作曲 サンプラザ中野

B面には えらいこっちゃ とちゃんちゃらおかP音頭。
えらいこっちゃ は 爆風スランプ としてはじめて作った曲。
ちゃんちゃらおかP音頭 は サンプラザ中野オールナイトニッポン で生まれた曲。
のちに こぼうず隊 名義でシングル化された。
ラジオのリスナーから募集した歌詞が追加され、シングルでは作詞・作曲名義は こぼうず隊 になっている。

嗚呼! 武道館 
作詞 サンプラザ中野 パッパラー河合
作曲・編曲 バナナ
 

12インチ・シングルで発売された。
A面は嗚呼!武道館 LOVE MIX、B面は Yeah! BUDOKAN PEACE MIX。

Yeah! BUDOKAN PEACE MIX
作詞 サンプラザ中野
作曲・編曲 バナナ / 爆風スランプ

アルバム しあわせ

来たぜ!!
作詞 サンプラザ中野
作曲 江川ほーじん

2分に満たない曲で、前作の 無理だ! みたいに短い曲として作ろうということで作られた曲。

おしゃれな東京タワー
作詞 サンプラザ中野
作曲 ファンキー末吉
 

おしゃれな東京タワー は爆風スランプではじめに書かれた曲。
もとのタイトルは 東京タワーをぶっつぶせ だった。

美人天国、おしゃれな東京タワーはギターでCharが参加。
美人天国ではCharとパッパラー河合との掛け合いになっている。
レコーディング時、パッパラー河合とCharは横に並んでギターを弾いていたらしい。

青雲 と 大きな玉ねぎの下で は作曲 嶋田陽一。
大きな玉ねぎの下で は1989年に 大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い としてアレンジを変えてシングルカットされた。
紅白歌合戦で歌われた爆風スランプの代表曲のひとつ。

えらいこっちゃ は 無理だ!決定盤〜YOU CAN NOT DO THAT〜 のB面曲で、アルバム しあわせ のCD版にはボーナス・トラックとして収録された。
2013年にはアルバム しあわせ がSony Music Shop限定でリマスター盤が発売された。
えらいこっちゃ に加えて12inchシングル の嗚呼!武道館 、Yeah! BUDOKAN もボーナス・トラックとして追加収録された。

1985年12月には爆風スランプ日本武道館で初ライブを行う。
1984年12月には日本武道館でのライブは決まっていた。

青春の役立たず
作詞 サンプラザ中野
作曲・編曲 中崎英也

オリジナル・アルバム未収録。
これもテレビCMで使用されたから印象的で記憶がある。

らくだ
作詞 サンプラザ中野
作曲 ファンキー末吉

ヤシの木かげ
作詞 サンプラザ中野
作曲 江川ほーじん / エビゾウ

らくだ / ヤシの木かげ は12インチシングルで発売された両A面シングル。
のちにUltimate 12inch Singlesとして8cmCD化。
Ultimate  12inch Singlesには らくだ 、ヤシの木がけ、嗚呼、武道館の3曲入り。
ただし、このCDシングルでは3曲とも収録時間が短い。

らくだ はテレビで演奏していたのを見た記憶がある。
めっちゃカッコいい。
先にテレビで見てからラジオで12インチシングルの音を聴いたのだけど、12インチのよりテレビで見たのがカッコいいと思った。
のちにシングルCDが出たときに買ったのだけど。
当時のテレビで演奏していたのがYouTubeで見れるのだけど、私の記憶は「これかなー?」といっている。
もっと違うのを見たような。
なんかライブを24時間テレビで見たような記憶があるのだけど、記憶違いなのか?

まっくろけ  
作詞 サンプラザ中野
作曲 ファンキー末吉

アルバム 楽 RAKU

収録曲全曲がメンバーによって書かれた。

1986年の背泳
作詞 サンプラザ中野
作曲 パッパラー河合
 

ラクダのコブには満月がよく似合う
作詞 サンプラザ中野 
作曲 ファンキー末吉

2013年にはSony Music Shop限定でリマスター盤が発売された。
ボーナス・トラックとして12inchシングル らくだ/ヤシの木かげ のらくだ が追加収録された。

愛がいそいでる
作詞 サンプラザ中野 
作曲 中崎英也

THE TSURAI
作詞 サンプラザ中野
作曲 江川ほーじん 
 

アルバム JUNGLE

プロデュースは元スペクトラム新田一郎
爆風スランプ新田一郎アミューズからの暖簾分けで設立していた代官山プロダクションに移籍した。

星空ダイアモンド
作詞 サンプラザ中野
作曲 ファンキー末吉

星空ダイアモンド、好き。

スーパーラップX
作詞・作曲 パッパラー河合

パッパラー河合がボーカルを担当。
作曲時にパッパラー河合が仮に歌っていて、サンプラザ中野がちゃんとした歌詞を書くだろうと思っていたら、パッパラー河合の歌詞のままパッパラー河合に「歌って!」となったらしい。
のちにシングル きのうのレジスタンスのB面として
収録された。

夕焼け物語
作詞 サンプラザ中野
作曲 パッパラー河合
 

映画通り
作詞 サンプラザ中野
作曲 斎藤寬志

この曲はもともと爆風銃の お前と踊りたい をもとに作られた。
お前と踊りたい は 爆風銃 ではめっちゃ人気が高かった曲。

東の島にブタがいた VOL.3
作詞 サンプラザ中野
作曲 ファンキー末吉

小泉今日子に提供した東の島にブタがいた Vol.2のセルフカヴァー。
歌詞が一部異なっており、Vol.2がVol.3になっている。
ちなみに爆風スランプには アマチュア時代に 東の島にブタがいた があったらしい。

1988年4月にはテレビ番組 Just Pop Up に出演。
THE TSURAI、星空ダイアモンド、東の島にブタがいた VOL.3の3曲を演奏した。

2013年にはSony Music Shop限定でリマスター盤が発売された。
ボーナス・トラックとして12inchシングル らくだ/ヤシの木かげ の ヤシの木かげ が追加収録された。

きのうのレジスタンス
作詞 サンプラザ中野
作曲 江川ほーじん

ひどく暑かった日のラヴソング
作詞 サンプラザ中野 
作曲 パッパラー河合

Runner
作詞 サンプラザ中野 
作曲 Newファンキー末吉

爆風スランプの代表曲。
この曲で爆風スランプ紅白歌合戦に初出演。
翌年には 大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い で
紅白歌合戦に出演した。

アルバム HIGH LANDER

きのうのレジスタンス、ひどく暑かった日のラヴソング、Runnerを先行シングルでリリースしたあとに発売されたアルバム。
最初の耳たぶ と 最後の 目ん玉 はパッパラー河合が作曲、ボーカルもパッパラー河合

スパる
作詞 サンプラザ中野
作曲 江川ほーじん

スパる とは スパゲティーを食べる の略らしい。
谷村新司 の 昴 -すばる- のパロディという話も…。
曲中には 昴 -すばる- の歌詞からの引用っぽいのもある。

穴があったら出たい
作詞・作曲 豊岡正志

オリジナルはスーパースランプ。
これもめっちゃ好き。
1988年11月にJust Pop Upで 穴があったら出たい を演奏していたのを初めて見たと思う。
ちなみにその前の週のJust Pop Upにも 爆風スランプ は出演していて、

月光
ひどく暑かった日のラヴソング
はるかなる想い (when I need you)
THE BLUE BUS BLUES 

を演奏。
はるかなる想い(when I need you) では TOPS 、 THE BLUE BUS BLUES ではTOPS、AMAZONS、松岡英明永井真理子が参加した。
Just Pop Upでは12月に行われた1988ライブスペシャルで 爆風スランプ は Runner を演奏した。

1989年1月に  爆風スランプ日本武道館にてライブを行った。
それを最後に江川ほーじんが脱退。
以後 爆風スランプ のテレビ出演時には様々なベーシストが登場して演奏した。
聖飢魔IIゼノン石川男闘呼組高橋一也、千葉のジャガースターダスト・レビュー柿沼清史筋肉少女帯内田雄一郎サザンオールスターズ関口和之プリンセス・プリンセス渡辺敦子THE ALFEE桜井賢など。

月光
作詞 サンプラザ中野
作曲 パッパラー河合
 

アルバム HIGH LANDER からシングルカットされた。
めっちゃ好き。

それから
作詞 サンプラザ中野
作曲 ダン本多

それから は、シングル 月光 のB面。
のちにアルバム  I.B.W. 〜It's a Beautiful World〜 にリミックス・ヴァージョンが収録。

同年、爆風スランプ のベーシストとして バーベQ和佐田 が加入。
和佐田達彦 は爆風スランプに加入して バーベQ和佐田 と命名された。
爆風スランプでは バーベQ和佐田 だが、爆風スランプ が活動停止して以降は 和佐田達彦 として活動することになる。
和佐田達彦はTOPSの前身バンドITACHI!!!の頃に加入。
TOPSのメンバーとしてメジャー・デビューするが、1989年に脱退した。
その後、爆風スランプに加入するわけだ。
ちなみに新メンバー募集の条件として「顔が二枚目であること」と爆風スランプのメンバーが公言していた。

テレビ番組 爆風スランプのお店 が放送開始。 
爆風スランプのメンバーとラッキィ池田がレギュラーを務めた音楽バラエティ番組。
爆風スランプのバックアップメンバーのダン本多とチャーシューメン黒石も出演していた。
1989年9月から1990年3月まで放送された。
確か毎週、ゲストを呼んでいて、ゲストが演奏した曲は数曲くらいあった。
他にも爆風スランプが出張ライブをするとか。
ゲストにデッドエンドが出たのを記憶している。
他にはかまやつひろし山瀬まみユニコーンBUCK-TICK聖飢魔Ⅱが出演した。

リゾ・ラバ -Resort Lovers-
作詞 サンプラザ中野
作曲 Newファンキー末吉
 
ルームランナー
作詞 嘉門達夫
作曲 Newファンキー末吉

リゾ・ラバではザ・ベストテンの最終回に出演。
第3位にランク・インした。
リゾ・ラバは普通のシングルとは別にアナログシングルで、スペシャルプレスキット仕様限定盤というのも発売された。
ちなみに品番が10SH-3313で、限定33,130枚が制作された。
これのB面にはルームランナー という Runner の替え歌が収録されていた。
アコースティック・ギターパッパラー河合が弾き語り。
歌詞は2番まであったらしいが、収録されたのは1番まで。

大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い 
作詞 サンプラザ中野 
作曲 嶋田陽一

アルバム I.B.W.-IT'S A BEAUTIFUL WORLD-

バーベQ和佐田 はこのアルバムから加入。
リゾ・ラバ -Resort Lovers-、大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い は先行リリースされた。
このアルバムでの 大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い はオーケストラバージョン。

KASHIWAマイ・ラブ〜ユーミンを聞きながら
作詞 サンプラザ中野
作曲 パッパラー河合

ボーカルをパッパラー河合が担当。

45歳の地図 は 辛口生ヴァージョン としてライブバージョンがリリースされた。
2005年にはAmuse Xmas Weekに出演するため、 新たにレコーディングされた 45歳の地図 〜リストラバージョン〜 を配信限定でリリースした。
2020年には(サンプラザ中野くん名義)ミニアルバム 感謝還暦 に 45歳の地図(還暦Ver.)を収録。
歌詞は大幅に書き換えられた。

45歳の地図 (辛口生ヴァージョン)のカップリングはオリジナル・アルバム未収録曲の  尻の穴から出たい 。

尻の穴から出たい
作詞 サンプラザ中野 
作曲 豊岡正志

尻の穴から出たいは、1986年のスーパースランプのミニLP 穴があったら出たい の6曲目に収録されていた。
(穴があったら出たい はYouTubeに非公式に上がっている)
1981年にはあった曲で、スーパースランプはヤマハのEastWest’81 シニア部門決勝大会にも出場し、尻の穴から出たい を演奏(他にも1曲演奏した)し、
優秀グループ賞(準優勝)を獲得している。
ちなみに1980年のEastWest’80では 穴があったら出たい が演奏されている。
デーモン小暮のアルバム 好色萬声男 ではスーパースランプの曲は さわりたひ と 穴があったら出たひ が収録されている。

映画 バトルヒーター が公開。
飯田譲治が監督・脚本。
パッパラー河合 が主演を務めた。
NEWファンキー末吉、バーベQ和佐田、サンプラザ中野も出演。
大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い が主題歌だった。

組曲 天下御免の回り物 より 第一章カネ (マネーに捧ぐ)
作詞 サンプラザ中野
作曲 パッパラー河合

ピンク・フロイドのMoneyのカヴァー…ではない。
イントロのレジスターの音を完全にトレースした、ソロバンの音ではじまる。
この曲、ピンク・フロイド側に連絡して了解を得たとか。

アルバム ORAGAYO 〜in the 7th heaven〜

ORAGAYOは小林一茶 おらが春 と 君が代 を合わせた造語だとか。
プロデュースは爆風スランプ

東の島にコブタがいた(TEKE TEKE SONG)
作詞 サンプラザ中野
作曲 豊岡正志 / Newファンキー末吉 / パッパラー河合
 

スーパースランプの曲、東の島にブタがいた をリメイクしたもの。
1990年にNHKで環境問題に対するプロジェクトのために作られた楽曲。
東の島にコブタがいた としてみんなのうたに使用された。

おおBEIJING
作詞 サンプラザ中野 
作曲 ファンキー末吉

シングルカットされた曲。
ファンキー末吉が中国で見た現地のロックバンドのために歌詞を北京語で書いた曲だが、結局歌われず、のちにサンプラザ中野天安門事件を題材に作詞した。

京都マイ・ラブ
作詞 サンプラザ中野 / バーベQ和佐田 
作曲 バーベQ和佐田

ボーカルもバーベQ和佐田。
ヤン富田がスティールドラムで参加した。
ライブ限定では 坂出ラブ というファンキー末吉の曲が披露されていた。

1991年5月には日本武道館でライブを行った。
大きな玉ねぎ'91 1日だけの武道館。

東京ラテン系セニョリータ
作詞 サンプラザ中野
作曲 パッパラー河合 / ファンキー末吉

PVの振り付けはラッキィ池田が担当。
カップリングは愛のとんかつ。

愛のとんかつ
作詞 サンプラザ中野 
作曲 パッパラー河合

がんばれ、タカハシ!
作詞 サンプラザ中野
作曲 パッパラー河合

アルバム 青春王

プロデュースは爆風スランプ / エンペラー福田。
エンペラー福田とは 福田裕彦
爆風スランプとの仕事ではエンペラー福田とクレジットされるらしい。
シンセのDX-7の音色ソフトで有名人な人だったな。
作曲・編曲、テレビや映画音楽、ゲーム音楽を手掛けている。
爆風スランプとは、ツアーでキーボードを務めたり、らくだの編曲など。
音楽制作の著者なども。

Here comes the BAKUFU-SLUMP!
作詞 サンプラザ中野
作曲 パッパラー河合

曲中で 坂出マイラブ が使われているとか。

友情≧愛
作詞 サンプラザ中野
作曲 パッパラー河合

さよなら文明 /涙3(ナミダサンジョウ)
両A面シングル。
アニメ ツヨシしっかりしなさい のオープニング / エンディングテーマ
さよなら文明 はオリジナル・アルバム未収録。

さよなら文明
作詞 サンプラザ中野 
作曲 パッパラー河合

涙3(ナミダサンジョウ)
作詞 サンプラザ中野 
作曲 ファンキー末吉

ベストアルバム 青春玉 -学生時代-

青春をテーマにしたベスト盤。
新曲や新録も収録。

学生時代(××ヴァージョン)
作詞・作曲 平岡精二

ペギー葉山のカヴァー曲。
ハードロックなアレンジでカヴァーされた。
新曲。

週刊東京 少女A (最近の録音)
作詞 サンプラザ中野
作曲 中崎英也

新録。

涙の陸上部(声で勝負)
作詞 サンプラザ中野
作曲 中崎英也

アカペラで新録された。
ライブではある時期から涙の陸上部をメンバー4人横に並んでアカペラで歌っていた。
同様に新録されたもの。

夕焼け物語(和佐田の巻)
作詞 サンプラザ中野
作曲 パッパラー河合

ベースをバーベQ和佐田が弾くのに差し替えられた。

Runner (MSGヴァージョン)
作詞 サンプラザ中野
作曲 Newファンキー末吉

アコースティックバージョンによる新録。
テレビ番組でサンプラザ中野パッパラー河合マジソン・スクエア・ガーデンの誰もいない客席でこの曲をアコースティックギター一本で歌ったことがある。
その演奏を聴いていたファンキー末吉はいたく感激したらしい。

星に願いを
訳詞 サンプラザ中野
作曲 Leigh Harline

オリジナルはディズニー映画  ピノキオ(1940年)の挿入歌。
バーベQ和佐田が所属したTOPSがアルバム VEHICLE
でカヴァーした。
その時にサンプラザ中野の訳詞を使用したことがある。
その訳詞で爆風スランプがカヴァーしたもの。

アルバム アジポン

プロデュースは爆風スランプ / エンペラー福田。
アルバムタイトルの アジポン はアジア+ニッポンの造語。

リゾ・ラバ〜International〜
作詞 サンプラザ中野 
作曲 黄家駒/黄家強/黄貫中

香港のバンド、BEYONDのカヴァー。
BEYONDは日本でもデビューしていて、日本語で歌っていた。
この曲はサンプラザ中野が提供した歌詞で歌われたものを爆風スランプでカヴァーしたもの。

愉快な趙さん
作詞・作曲 サンプラザ中野 / パッパラー河合

愉快的老赴
作詞 ファンキー末吉 
作曲 サンプラザ中野/ファンキー末吉

愉快な趙さん と愉快的老赴 はファンキー末吉がボーカルを担当した。

アジャパニジア
作詞 サンプラザ中野 
作曲 Robert Fripp / Ian Macdonald / Greg Lake / Michel Rex Giles / Peter John Shinfield 

1分51秒。
キング・クリムゾンの21世紀のスキッツォイド・マンのカヴァー。

はるかなる想い
訳詞 サンプラザ中野
作曲 Albert Hammond

原曲は When I Need You 。
レオ・セイヤーのカヴァー曲。
TOPSのシングル VEHICLE でカヴァーしていて訳詞をサンプラザ中野が担当した。
その時の訳詞で爆風スランプとしてカヴァー。

マンビー人生
作詞 ファンキー末吉サンプラザ中野 
作曲 ファンキー末吉東京バナナボーイズ

男はみんな女が嫌い
作詞 サンプラザ中野
作曲:パッパラー河合東京バナナボーイズ

いつか逆転
作詞・作曲 サンプラザ中野

勝負は時の運だから
作詞 サンプラザ中野 
作曲 パッパラー河合 

アルバム TENSION

プロデュース・編曲は井上鑑 / 爆風スランプ
このアルバムの半分はイギリス、バース近郊のReal World Studiosで録音された。
残り半分近くはReal World Studiosのエンジニアを呼んで引き続き日本で録音された。

愛のチャンピオン
作詞 サンプラザ中野 
作曲 ファンキー末吉 / パッパラー河合 / 井上鑑

渋谷でGO! と ネムネムマンボ はサンプラザ中野、王様が作詞・作曲。
ネムネムマンボはファンキー末吉がボーカルをとった。

恋の終わりはいつも 
作詞 サンプラザ中野
作曲 中崎英也


決定版!爆風スランプ大全集

1994年に発売されたベスト盤。
初回盤は8cmCDが付いていて、こぼうず隊 の ちゃんちゃらおかP音頭 と The 花びら の 京葉フリーウェイ (Live) が入っていた。

神話
作詞 サンプラザ中野 
作曲:ファンキー末吉 / 斉藤かんじ / 井上鑑

映画 ガメラ 大怪獣空中決戦 の主題歌。
カップリングがHey! Hey! トーキョー。
いずれもアルバム ピロリ では Remix Versionが収録された。

アルバム ピロリ

プロデュース・編曲は 井上鑑 / 爆風スランプ

屋上
作詞 ・作曲 サンプラザ中野

[ ]

こまっちゃう
作詞 サンプラザ中野
作曲 パッパラー河合・豊岡正志

こまっちゃう はスーパースランプ時代の楽曲。
当時はテクノ調の楽曲だったらしい。
爆風スランプではロックにアレンジされた。

人間はなぜ
作詞 サンプラザ中野 / パッパラー河合 
作曲 パッパラー河合

ボーカルはパッパラー河合

新しいことを始めよう
作詞 サンプラザ中野 
作曲 バーベQ和佐田

カップリングは 不思議少女ナナ。
不思議少女ナナ はアルバム怪物くん に収録された。

旅人よ 〜The Longest Journey
作詞 サンプラザ中野 
作曲 パッパラー河合

猿岩石の応援歌として制作された。
当時、サンプラザ中野パッパラー河合がインドまで行って猿岩石のふたりの前で歌った。
その時の音源は 旅人よ(仮)としてシングルCDのトラック4に収録された。

旅人よ(仮)〜猿岩石も感涙の、中野と河合がインドで歌ったアンプラグド・ヴァージョン from 電波少年GREAT2

サンプラザ中野くんは2021年に 旅人よ~The Longest Journey (25th Anniversary Version) を発表した。

アルバム 怪物くん

プロデュースは西脇辰弥 / 爆風スランプ
初回生産盤は8cmCDが付属し、旅人よ〜ロイヤル フィルハーモニック オーケストラ ヴァージョン が収められた。

隠しトラックとして 35才 が収録された。
…なぜか35才は次作 ハードボイルド にも収録されている。

天使の涙
作詞 サンプラザ中野 
作曲 パッパラー河合

モンスター
作詞 サンプラザ中野
作曲 パッパラー河合

このシングルはカップリングなしの1曲のみ収録。
ゲームソフト モンスターファームのCM曲。

暖かい日々
作詞 サンプラザ中野
作曲 バーベQ和佐田

アルバム ハードボイルド

プロデュース・編曲が 西脇辰弥 / 爆風スランプ
アルバム冒頭3曲と8曲目がバーべQ和佐田・作曲。

アルバムに先行したシングルは 天使の涙 -album version-、モンスター -farm mix-で収録された。
青春りっしんべん が再録され、青春りっしんべん -hard boiled version-として収録された。

BAN BAN BAN
天才てれびくんのエンディングテーマに使用された。
天才てれびくんではBANG BANG BANGと表記された。
番組ではキャイ〜ンが歌唱。
爆風スランプでは天野ひろゆきの歌詞部をパッパラー河合ウド鈴木の歌詞部をバーベQ和佐田が歌っている。

1999年、爆風スランプは活動休止を発表した。
サンプラザ中野パッパラー河合はスーパースランプを結成。
ファンキー末吉とバーベQ和佐田(和佐田達彦)はX.Y.Z.→Aで活動。

2004年12月、爆風スランプは大阪ABCホールで一夜限定でライブを行った。
大阪の朝日放送サンプラザ中野がレギュラー出演していた おはよう朝日です のファン感謝祭という企画だったらしい。
ハガキで応募して当選者のみが行けたライブだったよう。

2005年12月にはAmuse Xmas Weekに出演するため、 新たにレコーディングされた 45歳の地図 〜リストラバージョン〜 を配信限定でリリースした。
Amuse Xmas Week、19日には恋愛の日、20日には青春の日として2日限定で新宿コマ劇場でライブを行った。
この時、パッパラー河合の頭部が禿げたことで弁髪が無くなったことが語られた。

柏市出身のアーティストは、爆風スランプサンプラザ中野パッパラー河合をはじめ、ヌンチャク、ナオト・インティライミ、Something Elseなどがプロデビューしている。
2007年、音街かしわ2007は野外フェスを開催。
サンプラザ中野パッパラー河合は、サンプラザ中野BANDwithパッパラー河合 として出演した。
音街かしわ は2006年以降は毎年行われる千葉県柏市のイベント。
サンプラザ中野パッパラー河合にとっては地元のイベント。
現在までに奥華子(かつて柏駅で路上ライブをやっていた)やFLYING KIDS(メンバーの 宇賀まり柏市出身)が出演したことがある。
ちなみに音街かしわ は観覧無料。
ただし、有料席もあるらしい。
2008年10月には河合以外の3人でサンプラザ中野くんwithファンキー末吉,バーベQ和佐田 として 音街かしわ2008 に参加した。
2011年から2020年には毎年、サンプラザ中野くんパッパラー河合バンドは音街かしわに出演した。
2020年にはこの時の時節柄、オンラインライブで行われた。
2021年は音街かしわは中止。
2022年にも出演した。
この時はリアルに行われた。

2007年12月には爆風スランプとして 名古屋ライブハウスのE.L.L. THANX! ELL 30th ANNIVERSARY SPECIALに参加。
爆風スランプ は一日限りのライブを行った。
共演は 175R
175R爆風スランプの それから をカヴァーした。

2010年12月には 爆風スランプ 限定復活しまんすライブ!! ~サンプラザ中野くん50歳だー!!~ を東京国際フォーラム・ホールCで開催し一夜限定で復活。
オープニング前のアナウンスは聖飢魔Ⅱデーモン閣下
アナウンスは事前に録音されたものであった。
ライブ冒頭ではパッパラー河合が 耳たぶ と 目ん玉 を続けて披露した。
アンコール2回を含めて計25曲を3時間で披露した。

2011年にはファンキー末吉プロデュースの爆風スランプトリビュートアルバム We Love Bakufu-Slump が発売された。
のちに新たに参加者が増え、2013年には 爆風トリビュートComplete としてCD2枚組・28曲となるのだけど。

ROLLYによるたいやきやいた、橘高文彦内田雄一郎筋肉少女帯メンバーが演奏を手がける 謎のボーカリスト サンプラザ高円寺くん(大槻ケンヂ) によるびっくりミルク、X.Y.Z.→Aによるリゾ・ラバ~Resort Lovers、 ザ・キャプテンズによる満月電車、EARTHSHAKERによるひどく暑かった日のラヴソング、ACE(エース清水 / 聖飢魔II)による青春のフレア、C-C-B(←4人のC-C-Bですよ!つまり!渡辺英樹米川英之田口智治笠浩二)によるRunner、デーモン閣下によるおしゃれな東京タワー、山本恭司による涙の陸上部、手数セッションによる無理だ!!(You Can not Do That)、梅原“Paul”達也(ex.44MAGNUM)による愛がいそいでる、ロリータ18号によるうわさに、なりたい、田中雅之(ex.クリスタルキング)による大きな玉ねぎの下で など。
参加アーティストが出演する発売記念ライブが2013年1月13日・14日に行われた。
確か13日が前夜祭として、14日が本編として行われたと記憶している。

2019年2月26日には目黒ライブステーションにて 江川ほーじんチャリティーミニライブ を開催された。当時はまだ意識不明の状態だった 江川ほーじん を支援する募金活動の一環として。
第一部・第二部と入れ替え制で「爆風スランプ」としてではなくDs.ファンキー末吉、Ba.バーベQ和佐田、Gt.パッパラー河合、Vo.サンプラザ中野くん と各メンバーの名前で告知された。
当日は爆風スランプのメンバー4人とキーボードの3名。
およそ1時間のステージで、5曲(第二部では6曲)
歌われ、その後はMCタイムだったらしい。
なお、この時期、江川ほーじんを救済するために他にもゆかりのあるミュージシャンがチャリティーライブを行っていた。

ベスト盤では、個人的には 決定版!爆風スランプ大全集 と STAR BOX EXTRA を持っている。
無理だ!決定盤(YOU CAN NOT DO THAT)、嗚呼!武道館、らくだ 

爆風スランプの活動休止後、サンプラザ中野パッパラー河合はユニット スーパースランプを結成。
スーパースランプは 僕達の計画 | TAIYOH と パラ・ホリ~PARA PARA HOLIC~ の2枚のシングルをリリースしている。

サンプラザ中野は2007年以降、ソロアルバムを幾枚かリリースしたがソロアルバムにはけっこう爆風スランプの曲をセルフカヴァーしている。
2008年に サンプラザ中野くん に改名。
江口洋介松たか子西城秀樹などにも歌詞を提供たことも。
2021年にはミニアルバム 旅人よ~The Longest Journey を発表。
DVDが付属で、2020年9月に行われたサンプラザ中野くん初のワンマンライブの模様をほぼ完全収録。
自身の還暦記念として行われたらしい。
サンプラザ中野くんパッパラー河合によるライヴで中野サンプラザで行われた。
ゲストでバーベQ和佐田、岸谷五朗寺脇康文デーモン閣下が出演した。

パッパラー河合はソロ活動として、ディープ・パープルの歌詞を直訳した 王様 同様に クイーン を和訳して 女王様 として歌った。
なお、王様とパッパラー河合は麻雀仲間。
クイーンのトリビュートバンドGUEENの元バンドマスターだった西脇辰弥がプロデュースした。
ベンチャーズのDiamond Headのカヴァー、夏が来た!には歌詞をつけて、(作詞はS中野。つまりサンプラザ中野)女王様が歌った。
こちら葛飾区亀有公園前派出所 アニメ版のエンディングテーマとして使用されたが、曲名は夏がきた!ではなく「渚の女王様」と表記された。
女王様はカヴァー曲ばかりではなくオリジナル曲も歌っていた。

ポケットビスケッツをプロデュース。
ポケットビスケッツの多くの曲で作曲・編曲を務めた。
ユーミンとの Millennium を除いてシングル曲はすべて担当した。
ちなみに個人的にはブラックビスケッツのTimingが好きだった。

2002年には ぱふゅ〜む(現・Perfume)の 広島ご当地アイドル時代の楽曲、OMAJINAI★ペロリ と 彼氏募集中 をプロデュース。
ちなみにぱふゅ~む は2003年に広島を離れて東京を拠点に活動しはじめて、 Perfume と改称。
Perfumeでもライブでたびたび 彼氏募集中 を披露していた。(2016年くらいまで?)

ぱふゅ~む
OMAJINAI★ペロリ
作詞 田中花乃 ←パッパラー河合
作曲 パッパラー河合

ぱふゅ~む
彼氏募集中
作詞 田中花乃
作曲 パッパラー河合

ファンキー末吉はX.Y.Z.→Aのドラムを担当。

バーベQ和佐田 こと 和佐田達彦 は1989年にTOPSを脱退。
X.Y.Z.→Aのベースを担当。

X.Y.Z.→Aのメンバーは、LOUDNESS二井原実ファンキー末吉筋肉少女帯橘高文彦、和佐田達彦。

2008年にはASIAN TYPHOONとしてアメリカ・デビューした。

ファンキー末吉と和佐田和佐田達彦は活動としてライブとかいろいろあってなかなか追うのは難しい…。

林道美有紀をヴォーカルに、山本恭司・ファンキー末吉・和佐田達彦が参加した「山本恭司・ファンキー末吉・和佐田達彦セッション」とか。

 

THE THE について

「当方はレジデンツシド・バレットスロッビング・グリッスルヴェルヴェット・アンダーグラウンドに影響を受けました」

これはマット・ジョンソンが1977年にNME誌にバンドメンバー募集を掲載したときの文面の一部。
個人的にはここに並べられたアーティスト名すべてに興味がある。
というかだいたい好き。
特にレジデンツ

マット・ジョンソンは1979年にTHE THE を結成した。
アルバム スピリッツ をレコーディングしたが、このアルバムはいまだ未発表。
このときのトラック What Stanley Saw はチェリー・レッド・レコーズのコンピに収録された。
マット・ジョンソン名義。
どことなくポップな感じの曲。
聴いた感じ、確かにTHE THE っぽいかも。

1981年にはサム・ビザールのコンピにUntitled を提供した。
マット・ジョンソン名義。
YouTubeで聴いてみたけど、THE THE っぽい感じはない…。
この時のサム・ビザールにはスワンズ、フィータスもレコード契約をしていた。
マット・ジョンソンもサム・ビザールの居間で作曲をしたりしていた。
そういえばフィータスもそうだけど、21世紀に入ってからは THE THE は映画のサントラを手掛けて既に数枚リリースしている。
フィータスもサントラ仕事がメインのようになったし。

THE THE はマット・ジョンソンひとりとなり、1981年末に4ADレコードと契約してアルバム バーニング・ブルー・ソウル をレコーディングした。
ボーカルとすべての楽器はマットひとりで演奏された。
アルバム バーニング・ブルー・ソウルにはアーティスト名として「マット・ジョンソン」と記されたが、以後の再発では THE THE 名義となった。

1983年、THE THE のデビュー・アルバム 魂の彫刻 をリリース。
プロデュースはマット・ジョンソン&ポール・ハーディマン 。
ゲスト・ミュージシャンにジーク・マニーカ(オレンジ・ジュース)、ジュールス・ホランドスクイーズ)など。

個人的には1曲目の I've Been Waitin' for Tomorrow (All of My Life) がはじめて聴いたときから好きだった。
シングルカットはされなかったけど、PVが制作された。

7曲目の GIANT にはフランク・ウォント、←フィータス が参加。
2002年のリマスター盤での表記は ジム・サーウェル となっていた。

アルバム インフェクテッド
プロデューサーは、ロリ・モシマン、ウォーン・リヴゼイ、ゲイリー・ランガン
アン・ダッドリーもbrass arrangementでクレジットされている。

ドラムはデヴィッド・パーマー。
この次のアルバム マインド・ボム では THE THE の正式メンバーとなった。
ちなみにデヴィッド・パーマーはABCのファースト・アルバム、そのツアーでドラムを叩いていて、そのABCを辞めてYMOの散開ライブでもドラムを叩いた。
また、TM NETWORKのアルバム CAROLに参加し、数曲でドラムを叩いている。

アルバム インフェクテッドは全8曲。
全曲分のPVが制作されてビデオ化もされた。
ディレクターはティム・ポープやピーター・クリストファーソンなど。
ピーター・クリストファーソンはInficted、Heartland、The Marcybeatのビデオを撮った。

アルバム マインド・ボム を1989年にリリース。
プロデュースはウォーン・リヴゼイ&マット・ジョンソン / ロリ・モシマン&マット・ジョンソン。
このアルバムで THE THE は

マット・ジョンソン(ヴォーカル、ピアノ、ギター他)
ジョニー・マー(ギター)
ジェイムズ・エラー(ベース)
デヴィッド・パーマー(ドラムス)

の4人によるバンドとなった。

ファースト・シングル The Beat(en) Generation、宗教戦争を真正面からとらえた Armageddon Days Are Here (Again)、ゲスト・ミュージシャンとして シンニード・オコナー が参加した Kingdom of Rain など計4曲がシングル・カットされた。

ロイヤル・アルバート・ホール3夜連続公演を皮切りに初めてのワールド・ツアー The The vs The World を敢行した。
初来日公演も実現した。

1992年にはアルバム ダスク をリリース。
キーボードのD.C.コラードが正式メンバーとして参加し、THE THE は5人体制となった。
デヴィッド・パーマー は4曲でドラムを叩いたが、アルバム制作途中で解雇された。

1993年には米国ではアルバム ダスク にカセットが付けられていたようで、スタジオ・ライブから全7曲入りのテープが付いていた。

ツアーではD.C.コラード以外のメンバーが総入れ替えとなり、6人体制でライブは行われた。

マット・ジョンソン(ヴォーカル、ピアノ、ギター他)
キース・ジョイナー(ギター)
ジャレット・ニッカーソン(ベース)
アンディ・クビゼウスキー(ドラム)
D.C.コラード(キーボード)
ジム・フィッティング(ハーモニカ)

ジョニー・マーでさえクビですか。

This Is the Dayなど3曲が再録され、This Is the DayはThis Was the Day としてミニ・アルバム ディスインフェクテッドEP+ライブ が発売された。
全7曲収録で、5~7曲目はライブ音源。

オリジナルのヴァージョンより好き。

米国ではミニ・アルバム SOLITUDEとして発売された。
全9曲入り。
イギリスで発売されたEP Dis-infected と Shades of Blue それぞれの収録曲に This Was the Day が追加された内容だった。

1995年、マット・ジョンソンはニューヨークに移住。
カントリー界のシンガー・ソングライターハンク・ウィリアムスの全曲カヴァー・アルバム ハンキー・パンキー をリリースした。

2000年、トレント・レズナーのナッシング・レコード(ユニバーサル / インタースコープ)に移籍。
アルバム ネイキッドセルフ をリリースした。

2002年、デヴィッド・ボウイがキューレーターを務めたメルトダウン・フェスティバルが行われた。
THE THEとして出演し、そのステージではジム・フィータスと共演した。

この時期からマット・ジョンソンはニューヨークを離れてスウェーデンのゴッセンバーグに住んでいたようだ。

THE THEはシングル・コンピレーション 45RPMコレクション をリリース。
リマスターされた全15曲を収録。
過去のシングル曲にアルバム ネイキッド・セルフ 収録曲の DecemberSunlightの別ヴァージョン、そして新曲が2曲収録された。
Pillar Box Red と Deep Down Truth 。

アルバム 45RPMコレクション は国内盤では1枚ものだったが、輸入盤では限定でCD2枚組仕様が発売された。
スリーヴケース付き。
その限定盤のCD2には80年代の12インチ・シングルに使用されたミックス8曲が収録された。

続いてエピック時代のアルバム 魂の彫刻、インフェクテッド、マインド・ボム、ダスク はリマスターされ、新たなジャケットでリイシューされた。
輸入盤はそれぞれスリーヴケース付き。
各盤、ブックレットをめくるとオリジナルのオリジナルのジャケット絵も載せられている。
折ってプラケースに入れろ、とか書いてあるけど、イヤだよ。
輸入盤ではプラケースにスリーヴケースに入れられていたが、国内盤はスリーヴケースがなかった。
過去に出たCD盤では12インチ・ヴァージョンなども追加収録されていたが、リマスター盤では追加曲は一切なし、という強気姿勢。
リマスター盤のブックレットにはディスコグラフィが記されていたがアルバム Spirits、The Pornography of Despair、Gun Sluts といった未発表のアルバムも。
未発表アルバムにはきちんと(Unreleased)と記されていたけど。

・エピック時代の4枚のアルバムは London Town 1983-1993 Box Set  というボックスでもまとめられた。
CD5枚組で、5枚目にはマルチメディア・ディスクというのが付属した。

さらに、

・ボックス Bed Shit Land
エピックと契約する以前のアルバム バーニング・ブルー・ソウル、The Pornography of Despair(未発表)、Spirits(未発表) を収録したボックスセット。

・ボックス New York City
エピック時代以降のネイキッドセルフ、Gun Slutsヲ、収録したボックスセット。

・ボックス Silent Tongue
ザ・ザによるインストゥルメンタル音楽と映画音楽を集めた ボックスセット。

・初期の音源と映像のDVDボックス

などをマット・ジョンソンは発表するつもりだったらしいが、実際にリリースされたのは London Town だけだったはず。
あと、ベスト・アルバム 45RPMの第2弾、さらに第3弾も予定していたけど…。

2007年にはシングル Mrs Mac をリリース。

2017年にはレコードストアデイ限定発売で15年ぶりのシングル We Can't Stop What's Coming を発表した。

この曲にはジョニー・マーが参加した。
もちろんギターで!
ちなみに ジョニー・マー にはかつて参加したバンドで、また仕事をしたいとして THE THE とモデスト・マウスの二組をあげている。

ラジオ・シネオラ:トリロジー が発売された。
3枚組のセットで1枚目のThe End Of The Dayにはシングル We Can’t Stop What’s Coming のほかは THE THE の曲をさまざまなシンガーによる歌唱。
2枚目 The Inertia Variations はTHE THEが制作した音にJohn Tottenhamの詩に関するマット・ジョンソンのナレーションが載ったもの…。
3枚目 Midnight To Midnight はマット・ジョンソンのインタビューやサウンドスケープなど。

2018年には久しぶりにライブを行った。
カム・バックと呼ばれ、このライブはライブ・アルバム Comeback Special : Live At The Royal Albert Hall  としてリリースされた。
2021年にはアナログ盤化された。

2019年カセットストアデイ限定で SEE WITHOUT BEING SEEN が発売された。
1979年にカセットテープでのみ限定発売されていたもの。
その後行方不明になっていると思われていたマスターテープが見つかって再発された。
2020年にCD化され、当時の未発表曲6曲が追加されて全13曲を収録。

2020年のレコードストアデイでシングル I WANT 2 B U が発売された。
スリーヴにはアンディ・ジョンソンによるアートワークが使用された。
シングル I WANT 2 B U は映画 Muscleで使用された I WANT 2 B U と Velvet Muscle Scream を収録。
 I WANT 2 B U はThis Is the Dayで使用されたキーボードっほい音色とか懐かしい感じ。

2023年、シングル $1 ONE VOTE! をリリース。

アルバム ネイキッドセルフ以降、THE THE はシングルや4種のサウンドトラックは発売したが、オリジナル・アルバムはなし…。

ところで同じイギリス人でデビュー時期が近く、これまで発表したアルバムの枚数などでケイト・ブッシュを思い出した。

ケイト・ブッシュ、65歳。
1978年19歳でデビュー。
しかもデイヴ・ギルモアのプロデュースで、シングル 嵐が丘
やはりこの人はやはりスゴいのだなあと思ってしまう。

フィータスことJGサールウェル、63歳。

マット・ジョンソン、61歳。
1979年デビュー。
ケイト・ブッシュよりマット・ジョンソンのが若かった!

ところで、日本語でマット・ジョンソンを検索したら、ジャミロクワイのキーボーディストが検索されてしまうってのが難点…。

 

 

METALLICA について その2

昨年、映画 ドラゴンボール超 スーパーヒーロー が公開されたときにコンビニのロ⚪ソンではそのキャンペーンをやっていた。
ある日、私は同僚とロー⚪ンに行っていたのだけど、「ドラゴンボールか」とふとドラゴンボールの開始年についてケータイで調べたら1984年だった。
ちなみに同僚は大のメタリカ好き。
ふと「ドラゴンボールメタリカってはじまったのは同じくらいだよなー?」と聞いてみたら、同僚に怒られてしまった。
「ふざけるな。メタリカはもっと長い歴史がある!」と言われた。

メタリカ についてその1ではアルバム メタル・ジャスティス、ブラック・アルバム あたりについて記した。

 

今回はその続きなので今回はジェイソン・ニューステッド編の後編。
個人的にはメタリカの歴史の区分を、ベーシストで第1期、第2期、第3期としている。
え、ダメ?
ところでデビューしてすでに40年を越えるバンドながらメタリカのオリジナル・アルバムはこれまでで11枚!
72シーズンズ いれて11枚。
でもライブでいうと、新曲いらないくらいの定番曲あるからなー。
今年の4月からはじまったメタリカのM72 World Tour 2023/4は同じ都市(会場)で週末に2日続けてライブやって1曲まダブる曲なし!というのをやっているけど。
さらに2日ともで異なるゲストが出演する。
日本でのメタリカの単独でのライブは2010年のさいたまスーパーアリーナ2日以来やっていない。
2013年にはサマーソニックにヘッドライナーで出演けど、それもすでに10年前。
さすがにそろそろ来て…。
あと、「メタリカ ロゴ 変遷」として調べたのだけど、やはりロード・リロード時のロゴはやはり異質だったのかと感じた。

メタリカはブラック・アルバム発売直後からライブ活動を開始。
1991年のMonsters of Rock Festival。
ラインナップはパンテラブラック・クロウズモトリー・クルー、クイーンズライク、メタリカAC/DC
ヨーロッパ・北米を回ったこのフェス、ソ連のモスクワ郊外にある、ツシノ空軍基地の特設ステージでも行われた。
ロシアではなくて、この時はまだソ連ですよ!
ソ連
ソビエト連邦ではこの数週間前にはクーデターが起きて、このフェスの3ヶ月後にはソ連は崩壊。
現在のロシアになった。
メタリカはそれから、Wherever We May Roam Tour、Guns N' Roses/Metallica Stadium Tour、Nowhere Else to Roam Tour、Shit Hits the Sheds Tourと次々とツアーをこなした。
Shit Hits the Sheds Tourの途中にはWOODSTOCK '94 が開催され、メタリカはその2日目のヘッドライナーを務めた。
そしてようやくメタリカはブラック・アルバムに続くニュー・アルバムのレコーディングに入った。

アルバム ロード 。
プロデュースはボブ・ロック、ジェイムズ・ヘットフィールド、ラーズ・ウルリッヒ
シングル Until It Sleeps がアルバムより先行リリースされた。
まず、アルバム ロード で使用された METALLICAロゴがこれまでと違う。
そしてメンバーの髪が短い…!
アメリカンのバンドってメンバーのひとりがある時期からハゲてしまうことがある。
例えばロブ・ハルフォード
以前から短髪だったけど、アルバム ペインキラー のときからスキンヘッドに。
一応、現在でも髪はあるらしい。
オフには髪を伸ばしているらしいが、やはりちょっぴりらしい。
スレイヤーのケリー・キング。
以前はロングヘアーだったのだけど。Seasons in the Abyssはスレイヤーにとって初のPVで、この時のケリー・キングはまだふさふさだった。
DittoheadやSerenity in Murderになるともうケリー・キングの髪はなかった…。
スマッシング・パンプキンズビリー・コーガン
アルバム サイアミーズ・ドリーム のときは普通に髪はあったのに、メロンコリーそして終りのない悲しみ の時にはすでに…。
ニコニコ大百科には 禿 という項目があって、 禿 について云々書いてあるのだが、下段に進むと関連人物として様々な人物の名前が…。
黄色人種系では江頭2:50富野由悠季孫正義田原俊彦平沢進など。
黄色人種系ではウラジーミル・プーチンショーン・コネリーブルース・ウィリスミハイル・ゴルバチョフの名前も…。
ちなみにメタリカのメンバーは短髪になっただけだから!
ハゲてはいない!

アルバム ロード の収録時間は78分59秒とCD1枚ぎりぎり。
収録時間の関係でThe Outlaw Torn は1分近く短縮されて収録された。
シングル The Memory Remains に The Outlaw Tornはフル・バージョンで収録された。
そちらでの収録時間は10分48秒。

サザン・ロックと評されたアルバム ロード。
個人的には ブラック・アルバム からちゃんとメタリカを聴きはじめたから、スラッシュメタルとかのメタリカ評を聞くと、「メタリカはそういえばスラッシュ・メタルだった…」となってしまう。
同様に「X JAPAN もそういえばメタルだった…」というのもある。
 そういう意味では例えば Until It Sleeps とかは「メタリカ以外でも聴けそうな曲…」という感想だった。

アルバム リロード 。
プロデュースはこちらもボブ・ロック、ジェイムズ・ヘットフィールド、ラーズ・ウルリッヒ
アルバム リロード収録曲はアルバム ロード 収録曲と同時期に作られた。
もともとアルバム ロードはダブル・アルバムにて発表するつもりだったよう。
アルバム ロード 収録曲は比較的シンプルに作られたが、アルバム リロード は時間をかけて作り込まれたという。

FUELは当時から好きだったな。

The Memory Remainsではゲスト・ヴォーカリストとしてマリアンヌ・フェイスフルが参加した。

1998年、カヴァー曲を集めたアルバム ガレージ・インク をリリース。
CD2枚組で、ディスク1には新録音のカヴァー曲11曲、ディスク2には過去にリリース済みのカヴァー曲がまとめられた。
シングル Creeping Death からの Am I Evil?  と Blitzkrieg のみクリフ・バートン在籍時のもの。

ディスチャージのカヴァー…。


ライヴ・アルバム S&M。
CD2枚組。
後にVHS・DVDが発売された。
プロデュースはボブ・ロック、ジェイムズ・ヘットフィールド、ラーズ・ウルリッヒマイケル・ケイメン
S&Mはシンフォニー&メタリカ の略。
1999年4月にメタリカサンフランシスコ交響楽団が共演し、マイケル・ケイメンが指揮を担当した。
マイケル・ケイメンは作曲家であり、数々の映画音楽を手掛けた人物。
ちなみに1996年のアトランタ五輪閉会式セレモニーでは布袋寅泰と共演した。
マイケル・ケイメンのアルバム ギター・コンチェルト にも布袋が参加したこともある。
マイケル・ケイメンは過去にもメタリカのアルバムのレコーディングに参加していて、ブラック・アルバムの Nothing Else Matters ではストリング・アレンジを手掛けていた。
そして、メタリカとオーケストラによる共演ライヴも、マイケル・ケイメンからメタリカに提示されたもの。
2曲の新曲 No Leaf Clover 、Minus Human も演奏された。
ライブ・アルバム S&Mは、ジェイソン・ニューステッドがメタリカに在籍した最後のアルバムとなった。

2019年には20周年を記念し、メタリカサンフランシスコ交響楽団が再び共演して、ライブ・アルバム S&M2 をリリースした。
マイケル・ケイメンは2003年に心臓発作により亡くなっていたから、指揮はマイケル・ティルソン・トーマスが担当した。
S&M2 の模様は劇場公開もされた。

メタリカは2000年にシングル I Disappear をリリース。
これはシングルと同日に発売された映画 ミッション:インポッシブル2のサントラにも収録された。

この曲は結果的にジェイソン・ニューステッドがメタリカ在籍の最後に参加した曲となった。
1986年に加入したからメタリカに在籍したのはおよそ15年。

2000年にジェイソン・ニューステッドはサイド・プロジェクト、エコーブレインを立ち上げた。
エコーブレインはメタリカのマネージメント内部でも好評だったようだが、意外にもジェイムズ・ヘットフィールドは「サイド・プロジェクトには賛成できない」「サイド・プロジェクトをやったら、その分メタリカの力が失われる」としてジェイソンのサイド・プロジェクトに反対だった。

数日後にはジェイソンは、メタリカのマネージメント内部から「エコーブレインを支援することはできなくなった」との連絡を聞くことに。
そして、2001年にジェイソン・ニューステッドはメタリカを脱退した。
ジェイソン・ニューステッドはメタリカ脱退後の2002年にエコーブレインのデビュー・アルバムをリリースした。 
ジェイソン・ニューステッドはメタリカでは陰湿なイジメとも取れる冷遇を受けたとされる。
後にメタリカのメンバーはそのことについて認め、謝罪し和解したらしい。
上で「意外にもジェイムズ・ヘットフィールドは~」と記したけど、個人的にはこういうのはラーズ・ウルリッヒが言うのだろうと思っていた。
ついでにラーズが主にジェイソンいじめをしていた、と思っていた。
ジェイムズ・ヘットフィールドもやはりジェイソンをいじめていたのか…。
カーク・ハメットいい奴というふうに聞いているけど…。
いや、カークはアニメや特撮大好きだから多分、大丈夫、と思っている。

2009年にはメタリカはロックの殿堂入りし、ジェイソン・ニューステッドはロバート・トゥルヒーヨとともにベースを弾いた。
メタリカはこの時、ジェイソン・ニューステッドを加えた5人で Master of Puppets 、Enter Sandman を演奏した。